第160話 六花②
だがしかし、小春と俺の関係性はこんな軽口を言い合える関係性だったのかもしれない。
だからこそ距離感の測り方が難しい。彼女とはどこまで踏み込んだ関係なのか。
六花はずっと怪訝そうな表情を浮かべて、助け船を出すつもりはなさそうだ。
相手は昔の俺を知っていて、今の俺は相手の情報をまるで持っていない。かなり会話の仕方が難しい。ちょっとした発言が全て違和感として相手に懸念を与えてしまう。
いっそ昔の俺モードにするか? その方が乗り切れるような気がしてきた。
いや、それはダメだ。同じ失敗を繰り返すことになる。俺は俺でしかあれない。
六花が小春に俺の事情を隠したいなら、俺は俺としてその都合に付き合ってやるしかない。
「小春、レンタル彼女とか言うのは彼女にも失礼だからな。そこは反省しろよ」
「お兄さんの言う通りですね。すみませんでした」
小春は美咲に向かって丁寧に頭を下げた。
悪いと思ったら素直に謝る。小春は大事なところは理解しているようだ。
でも本当に反省しろよ。言われて初めてわかるけど、レンタル彼女発言って実質「お前……隣の彼女とつり合ってねぇぞ」って言われてるみたいに感じるからな。俺の心にクリーンヒットするからやめろ。それは禁止カードだ。
「可愛い冗談だと思ってるから大丈夫だよ。私は相原美咲。八尋君の彼女です」
「どうしましょうお兄さん。レンタル彼女より完璧じゃないですか」
「自慢の彼女だ」
「はぁ……お兄さんにこんな可愛い彼女がいれば、そりゃ六花も私とお祭り行くって言いますよね。納得です」
「元から約束してたんじゃないのか?」
「いやいや何言ってるんですか。約束したのは昨日の夜ですよ」
「え……」
「六花が急にお祭り一緒に行こうって言うから来たんですよ。一応そうなってもいいように予定は空けてましたから」
六花の方を見れば、彼女は気まずそうに視線を逸らした。
小春が嘘を言っているようには見えないし、六花の態度から見て約束したのは昨日で間違いないだろう。
つうことはだ。俺が昨日六花を誘った時、六花はまだ誰とも祭りに行く約束をしていなかったわけだ。
俺と一緒にいるのが嫌で、行かない言い訳を作るために小春を誘って、実際に今日祭りに来たわけか。
悲しくないと言えば嘘になるけど、俺と六花の溝の深さをこれでもかと思い知らされる。
母さんとは比較的順調に和解できたから勘違いしていた。俺が作った溝は相当深い。母さんは自ら俺に歩み寄る姿勢を見せてくれたから順調だったんだ。そんな簡単なことに気づけなかった。
六花はまだ俺を認めようとしていない。だからこそ、俺を遠ざけようとする。拒絶の意志を徹底的に示してくる。
「あの……私なにかまずいこと言っちゃいました?」
俺と六花の気まずい雰囲気を察してか、小春は引きつった表情で頭を掻く。
ダメだダメだ。考えるのは後だ。俺と六花の問題に周りを巻き込んじゃいけない。
頭を切り替えろ。
「大丈夫。たしかに六花は毎年俺と祭りに行ってたからな。当然の疑問だよな」
黒歴史ノートに書いてあった。俺と六花は毎年一緒に祭りへ行っていたと。
それは俺が過去の自分を演じていた頃に六花からも言われていた。毎年二人で祭りへ行くのが楽しみなんだと。
「ですです。あれだけブラコンだった六花が兄離れするとはどういったことかと思ってましたが……恋人がいるなら仕方ないですよね」
「兄離れか……」
「お? お兄さん的には可愛い妹が兄離れすると寂しいですか?」
う……また難しい質問が来たな。
寂しい……寂しいと言えば当然寂しい。でも、小春は知らないけど、今は兄離れってより純粋に拒絶されているだけだからな。寂しいの意味がたぶん違う。離れていく寂しさじゃなくて、わかり合えない寂しさだ。
だからこそどう回答すればいいのか考えてしまう。俺たちの関係は複雑で歪で、小春はそれを知らない。
でも、六花本人もいるわけだし、ここは俺の言葉で語るしかねぇか。
本気の言葉じゃないと相手には届かない。どうせなら、この場を借りて俺の想いを少しだけ語らせてくれ。
「ま、寂しいかな。昔は引っ付いてくれた六花が、今は人が変わったみたいに離れていくからな。恋人ができようと関係は変わらない。お兄ちゃんって言って引っ付いてくる六花を、またいつか見てみたいな」
「……なるほど。お兄さんにとって六花は今も可愛い妹なんですね!」
「何があっても六花は俺にとって可愛い妹だから。ゆっくりでもいいから元の関係性に戻りたいって思うよ」
小春に違和感を与えないように言葉は選んだが、俺にとってそれは純粋な言葉だった。
「そこは変わらないんだよ」
それでいい。今のは小春に向けた体で六花に投げかけたもの。
今の俺が伝えたい、等身大の言葉なんだ。
「……て」
ふと、六花が拳を震わせながら何かを呟く。
「どうした六花?」
「やめてよ……」
感情の爆発が起こる前ぶれを予感させる、小さい中にも強い意志が籠った言葉。
六花は力強い目で俺を睨みつけて、そして。
「その顔で……その声で……これ以上私を語らないで!」
突然の爆発。急な大声に周りの視線を集めたが、六花はお構いなしに続ける。
「何も憶えてないくせに、私を知ってるみたいに言わないでよ! 全部放っぽり出して逃げ出したくせに、今さら悟ったことを言ってお兄ちゃん面しないでよ!」
「り、六花? どうしたの急に?」
小春は六花の突然の慟哭に視線を彷徨わせている。
だけど近くにいる彼女の戸惑いさえ、今の六花には映らない。六花の怒りに満ちた籠った目は、俺だけを掴んで離さない。
「お兄ちゃんはそんな顔をしない! そんな話し方をしない!」
六花は今まで内に溜めていた俺への不満をぶち撒ける。
「どうしてみんなは当たり前のように受け入れるの⁉︎ どうしてあなたを家族として受け入れるの⁉︎ お兄ちゃんの顔と声だけ同じな全くの別人を! なんで⁉︎ 私にはわからないよ! 八尋さんはお兄ちゃんとは違うのに! 私は認めない……だって、そうしたら……私のお兄ちゃんは……なんで……あなたがそこにいるの……お兄ちゃんの場所に……どうして……」
最後の方は苦しそうに、六花は思いの丈を俺へとぶつけた。
「あ……ちが……これは……」
絞り出すように声を震わせて、六花はしまったと表情を歪める。
言っちゃいけないことを言ってしまった。そんな顔だ。
そうだ。何か言わないと。このままじゃだめだよな。
「はは……ごめんな……」
出てきたのは、どうしようもなく弱々しい言葉だった。
俺はどんな顔をしているだろうか。
しっかり笑えているだろうか。
妹にお前なんか認めねぇ、元の持ち主に居場所を返せと言われて、それでもちゃんと笑えているだろうか。
怒りの気持ちは湧かない。寂しい気持ちも湧かない。だって六花の気持ちは痛いほどわかるから。
俺は誰か。ずっと考えていた問い。最近になってようやく答えがわかった問い。
それをもう一度、今度は血の繋がった妹から問いかけられただけ。
だから大丈夫。もう答えが出ている問いだ。今さら心が痛むことはない。だからちゃんと笑えてる。ここで俺が変な感じを出したら、六花が責任を感じてしまうだろ? それはよくない。六花の想いだって間違ってはいないのだから。
でもそうか。六花はそう思ってたんだな。それほどまでに、お兄ちゃんが好きだったんだな。
ついぞ口を吐いた謝罪の言葉。
とても力のない、弱々しい謝罪の言葉だった。
「……っ⁉︎」
「ちょっと六花⁉︎」
手荷物の巾着を俺にぶん投げて、六花は逃げるように人混みへ走り出す。
追いかけなきゃいけなかった。俺が真っ先に飛び出さなきゃいけなかった。
でも、足が動かなかった。追いかけたところで何を話せばいいのかわからなかった。
六花が走り去った広場には、重苦しい空気だけが残された。
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