第99話 実梨の災難③
「八尋君、さっきはかっこよかったよ」
バイト後の店内。片づけを終えて美咲は俺の傷の具合を確かめている。といってもさっき鏡で確認して傷はないのは確認してるから、気休めみたいなもの。
でも、美咲が見てくれているだけで内側の傷も治りそう。天使の特殊能力っていったら回復系と相場が決まっているから。
それにしても、美咲の顔がこんなにも真近くに。今日も俺の天使は可愛いなぁ。バイト後なのでもうお仕事モードの美咲ではなくなって、髪も元通りになっている。でもこの距離で美咲の顔を拝めるのは彼氏の特権だよなぁ。ふへへ。
「うん。外傷はないね。よかった」
「まあ一発殴られただけだから」
「それでも彼女としては心配なの。殴られた時、本当に心配だったんだからね!」
「悪かったよ。でも実梨の顔見たら我慢できなくなった」
「ふふ、それでこそ私の大好きな八尋君だね……もっと好きになっちゃった」
聖母のような笑み。包み込まれるような錯覚に陥る。
そして恥ずかしそうに目を逸らしながら小声で口にするその姿はまさに天使そのもの。
大好きな八尋君、だってよ! もっと好きになっちゃった、だってよ! 可愛すぎんだろ!
そんなこと言われたら俺だってもっと好きになっちゃうんだけど。相手に好きって言われたら今まで気がない人でも好きになる人がいるくらい男は単純なもの。それが可愛い彼女から言われたセリフなら尚のこと。そりゃ俺も大大大好きくらい好きになっちゃうよ。本当可愛いなおい。
「でも、八尋君が魅力的になる度に私はべつの意味で心配が増えるよ」
途端に美咲は表情を曇らせる。
「どうして?」
「八尋君の魅力にみんなが気づいちゃう。それで八尋君がモテたりしたら私の気が休まらないよ」
「そんなこと言ったら俺の方が心配になるだろ。美咲の方がモテるんだから」
俺と美咲どっちがモテるのか。その問いは小学生1年生の算数の問題より簡単な問題。世界の常識。
その理論で言えば俺の方が気が気でなくなるわけだが。現に今も美咲に釣り合う男になるべく日々邁進しているのだから。
「私、八尋君以外の男の子に興味はないよ」
吸い込まれそうな瞳。まったく、どこまでもこの天使は俺の心を奪っていく。
「なら、魅力がない男より魅力的な男が隣にいた方がいいってことで諦めてくれ」
魅力のない奴よりはあった方がいい。天使の隣に立つなら尚更。
それが美咲の不安になるとしても、そこは俺も譲れない。強いて言えば、俺も美咲以外の女の子に揺れることはないってことを早く美咲に納得してもらうことかな。口より行動で示すとしよう。
「もう……仕方ないなぁ」
諦めたように美咲が笑う。
「ボス……私バイト辞めます」
そうして美咲としばらく無言で見つめあっていたら、衝撃的な言葉が耳に入り俺と美咲は一瞬で意識を持っていかれる。
視線の先では神妙な面持ちの実梨とボスがいた。
俺たちは慌てて実梨の近くに駆け寄った。
「理由は?」
優しい声音でボスが語りかける。
「これ以上お店に迷惑をかけられません。また今日みたいなことが起きて、ボスや皆さんに迷惑をかけるわけにはいきません」
申し訳なさそうに、実梨は目を伏せた。さっきの件がかなり堪えているようだ。
「アイドルを辞めたって、私はまだ、ただの一般人には戻れないって気がつきました。ボスたちには情報を伏せていただいたのに結局こうしてバレて、問題を起こしました。もう迷惑をかけたくありません」
「迷惑、か。どうして迷惑をかけちゃいけないんだい?」
ボス話し方がどことなくいつかの美咲と重なって、ああやっぱり親子だなぁと感じる。この話し方をするときは相手に寄り添って心を照らす時だ。
だからか、ボスは実梨をすんなりやめさせないような確信があった。
「え……だってみんなを不快な思いにさせてしまいます。それに店に直接的な、もしかしたら間接的な被害を与えるかもしれないです。せっかく私によくしてくれたこの店にそんなことさせたくありません。私がいなくなれば解決するなら、それに越したことはないです」
「なるほど……」
「私にアルバイトはまだ早かったみたいです。今日それに気づきました。やっぱりどこまで行っても、アイドルの私が追いかけてくるみたいです」
実梨の声は震えていた。
「みの――」
実梨に声をかけようとした美咲の口を塞ぐ。
「ここはボスに任せよう」
小声でそう言えば、美咲は驚きつつも首を縦に振った。
大丈夫。ボスならなんとかしてくれる。俺を救ってくれた時の美咲みたいに。だって親子なんだから。
「中村さん。君は普通の子たちよりも早く大人の世界に飛び込んだ。だからそうやって一人で責任を背負いこもうとしてるんだね」
ゆっくりと、相手の心に染みわたるように優しく、ボスは実梨に語りかける。
その声に、実梨は顔を上げてボスの目を見た。
「大人は全て自己責任で片付けられがちだからね。きっと芸能界でもそうだったんだろう」
「…………」
「でも、よく考えてほしいんだ。君はまだ美咲や神崎君と同じ高校生。それに、今はもうただの一般人だ」
「…………」
「君はまだ子供だ。子供が迷惑をかけるだとかそんなことを気にする必要はないんだよ。もし迷惑をかけたとしても、それを何とかするのは僕たち大人の役目だ。だから君一人が責任を負う必要なんてなにもないんだよ」
「でも……私のせいでお店が……みんなにも嫌な思いを……」
「中村さん。周りを見てごらん。誰が迷惑そうな顔してるんだい?」
「え……」
その言葉に実梨は辺りを見渡す。目が合ったから、とりあえず笑っておいた。ちゃんと上手く笑えたかな。
杉浦さんは目を合わせずただ椅子に座って腕を組み、静かに目をつむって状況を見守っていた。
でも、たぶん実梨と目を合わせたら空気を壊しそうな表情をするから目を瞑っているんだと思う。杉浦さんはそういう人だ。
「君は周りに迷惑をかけていいんだよ。だってまだ子供なんだから」
「ボス……」
「本当にやりたくなくて辞めるなら僕は止めないよ。でも、もし迷惑がかかるとかそんな理由で辞めるなら僕は引き止める。君の本当の気持ちを教えてくれないかな? 君はこの店に必要な人材だからね。それにここは、君の居場所にしていいんだよ」
「……やめたくないです」
実梨は瞳に涙を浮かべながら、震える声を絞り出して続ける。
「まだ1週間も経ってないけど……ここのみんなはただの私を見てくれます。それが……とても嬉しかった……楽しかったから……だから」
「だから?」
「まだ……ここにいたいです。みんなと一緒に楽しく働きたいです……」
「うん。よく言えました。じゃあこれからもよろしくね。もしまた今日みたいなことがあっても大丈夫。ここの責任者として、従業員のことは僕が必ず守るよ」
「はい……」
「まあこれで少し手を打たないといけなくなったかな。中村さん、落ち着いたら後で対応を相談しようか」
「はい……ありがとうございます……」
溢れ出る涙を拭って、実梨は何度もボスに感謝していた。
ボスにはかなわないな。きっと、大人の言葉じゃなかったら実梨は引き止められなかっただろう。
ボスの言う通り、実梨は俺たちと同じ歳とは言え、歩んできたステージは俺たちのそれをはるかに超えている。そんな実梨に、俺たちの言葉は届きづらい。唯一同じステージに立っているボスの言葉だからこそ、実梨の心に届いたんだろう。
俺は幸せ者だ。こんな素晴らしい店で、こんな素晴らしい大人と一緒に働けるんだから。この人から吸収できるものはたくさんある。可能な限りこの人から色々なものを吸収しよう。改めてそう思うことができた。
「実梨ちゃん!」
美咲が急に実梨に抱きついた。身長は実梨の方が高いから、包み込むようにはならなかったけど、美咲はぎゅっと実梨を抱きしめる。
「みっちゃん……どうしたの?」
「なんとなく、こうした方がいいような気がしたの」
「そっか……でもそれならやっくんの方がよかったな。なんて」
美咲を抱きしめ返しながら、実梨はいたずらっぽく俺を見た。
「勘弁してくれ。俺の胸は美咲専用なんだよ」
「じゃあ背中なら貸してくれるの?」
「背中か……それはありかもな」
「八尋君!? 惑わされちゃだめだよ!?」
「いいこと聞いたぜやっくん!」
涙で腫れた目元。くしゃくしゃな笑顔。だけど、そんな実梨の笑顔はとても綺麗だった。
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