第100話 みさっちの彼氏
実梨のファンを名乗る厄介者が襲来してからしばらく。あれから実梨のファンを公言して彼女を困らせる不届き者は現れなかった。
それはたぶんボスが手を打ったからだろう。あの後、ボスは美咲に頼んで例のアプリにお店のアカウントを作成した。そして拡散されている実梨の写真を引用し、声明をだした。
端的に言えば、実梨と店に迷惑かけたら潰すから覚悟しろよ。とのこと。
それをオブラートに包んだ大人の言葉で表現する手腕はまさにボス。要は実梨の存在は暗黙の了解として表に出すことにしたみたい。もちろん実梨の許可を取って。
その効果か、店に実梨のファンっぽい人がちらほら来店するようになったが、この前みたいに迷惑な行動を取る人はいなかった。
遠くから実梨のことを幸せそうな目で見ているから、店にいる誰が実梨のファンなのかすぐにわかる。
節度を守って来店してくれる人には、実梨も持ち前の明るく丁寧な接客でもてなす。
もはやこの店で働く実梨が中村みのりであることは半ば暗黙の了解みたいになっていた。
でも、それでよかったのかもしれない。いつまでもまたあんなのが来ることに怯えるより、暗黙の空気を作ってボスに堂々と守ってもらう方が過ごしやすいんだろう。だって最近の実梨はとても楽しそうに見えるから。
いつのまにかお店では元アイドルと熱心なファンの正しい関係性みたいなものができあがっていた。
ファンもそうでない普通のお客様も、実梨の笑顔と纏う明るい雰囲気に魅了されていた。元国民的人気アイドル。彼女がそのステージ立っていた理由を見せつけられる気分だった。
そんな嵐がひとつ過ぎ去って、日常が帰ってくる。
「ねぇねぇ神崎君。そのストラップって美咲ちゃんと同じものだよね?」
「ん? ああこれのことか?」
バッグにつけているペンギンのストラップを指さすと、彼女はうんうんと頷く。
「お揃いにしてるの?」
「まあそうなるな」
きゃああ、とその女子は楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねている。え、今の会話の何が楽しかったんだよ?
あとこいつ誰だっけ……そうだ徳井だ。思い出せた。
でも俺は徳井と何の接点もない。むしろ今初めてまともに話したまである。男子と女子って一部のイケメンたちを除いたら思うより全然会話しねぇよな。クラスの半分は女子のはずなのに、俺がまともに会話してる女子は美咲、篠宮、委員長くらいしかいない。
結局ほとんどは男子は男子、女子は女子で固まる。
そのはずなのに、なぜか最近俺は普段話さないような女子から話しかけられるようになった。
もしかしてモテ期が来たのか!? このタイミングで来てしまったのか!? 今更来たってもう美咲しか眼中にないから意味ねぇよ……。
でも、どうして急にそうなったのか全然わからない。
適当に話してから去って行く徳井の背中を見送る。
「これがモテ期……」
「ざっきー何言ってんの。そんなわけないじゃん」
隣の篠宮がジトっとした目を向ける。やっぱりお前はそうでなくちゃな。
だてに俺のモテ期を言いがかりで消すだけのことはある。
「つまりお前は答えを知っていると」
篠宮は全てを知っていると言っても過言ではない口ぶり。
ぜひ教えていただきたい。さすがに急に取り巻く環境が変わり過ぎて正直怖いんだわ。
「まあ、なんとなくね」
「教えてくれ。正直戸惑ってる」
「じゃあざっきー、女子によく話しけられるようになったのはいつから?」
「それは……」
改めて思い返してみる。
「たしか、体育祭の後だな」
「私が見る限りでもそうだね。じゃあ、次は体育祭の前と後でざっきーにあった変化はなに?」
「……美咲と付き合うようになった」
「それが答えだよざっきー!」
篠宮はびしっと俺を指さす。やべぇ……全然わかんねぇ。
美咲と付き合うことと、それで女子が俺に話しかけてくることがまるで繋がらねぇ。
「は? どういうこと?」
「みんな気になるんだよ。
「おい……今俺を表現する固有名詞がなかったぞ?」
篠宮は「みさっちの彼氏」という単語をやたらと強調していた。そう、つまりその言葉の主語は美咲である。俺がどこにもいない。
まるで美咲の彼氏なら俺でもなくていいみたいに聞こえるんだが。いや間違いなくそう聞こえたんだが。
「そうだよ。大事なのはざっきーじゃなくて、みさっちの彼氏ってとこだから」
そうだよ、じゃねぇんだよ。少しは否定しろや。泣くぞ。じゃあ俺ってなんなんだよ!?
「なんか複雑な気分だわ。つかなんで女子は美咲の彼氏のことが気になるんだよ?」
人の色恋に女子が興味あるのはわかってる。でもそれは誰が誰を好きとかそういう話で、付き合うだの付き合わないだの、その段階で盛り上がるもんじゃないのか?
俺と美咲はある種落ち着いているといってもいい。なにか激流が起こったり、女子が楽しめそうな話のネタはないんだけど。
「あのみさっちがざっきーにべた惚れだからだよ」
篠宮はどこかつまらなそうに言う。
あのみさっちってどのみさっちだよ。みさっちは一人しかいねぇだろ。
「1年生の時から数多くの男子の告白を断ってきたみさっちが、誰かと付き合うってだけでも話題になるのに、そのみさっちが彼氏にべた惚れだったら、そいつがどんな男子なのかみんな気になっちゃうんだよ。同じクラスにいるなら尚更ね」
「そんなものか」
美咲って本当にいっぱいの男子から告白されてんのな。さすが美咲。俺の天使。
それにべた惚れって。周りから見た美咲はそう見えるのか。てへへ。
「で、実際俺の評価はどうなんだよ?」
「さあ、私聞いてないからわかんないや。あとその顔だらしないからやめた方がいいよ」
「え、まじ?」
美咲の話になると顔緩んじゃうんだよなぁ。
「ま、しばらくしたら落ち着くと思うよ。こういうのって熱しやすく冷めやすいからね」
「鉄かよ」
「女子の興味なんてそんなもんなの」
「結構ドライな世界なんだな」
ちょっと怖ぇよ。
「ふあぁ……」
目の前で大きなあくびをしながら背伸びをする女子の姿が目に入る。
「委員長は最近ずっと眠そうだな」
「うん? まあね」
委員長はどこかトロンとした目で俺の方を向く。焦点があまり定まっていない。
「委員長がそんな大きいあくびをするなんて珍しいね。寝不足?」
「そんなところかなぁ。最近ちょっと趣味に熱が入っててさぁ」
「そうなんだ。どんな趣味?」
「ふふ……秘密」
「ええ!? 教えてよ!?」
趣味、ねえ。おおかた秘密のアイドル活動に精を出しているってところだろうな。
最近の委員長はずっと眠そうだ。ときおり気にかけて声をかけてみるも、返事はずっと同じ。まあね。それだけ。
俺の言葉はあまり響いてないみたいだな。だけどさすがに少し心配になる。
まあ言っても聞かねぇなら本人に気づいてもらうしかねぇけどさ。
お前、このまま突っ走ったらマジでそのうち倒れるぞ。自覚してるか?
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