第91話 秘密の特訓①

 ある日の放課後。くたびれた神社の拝殿。その端っこに俺は腰を下ろしていた。


 額からは汗が滲んで頬を垂れる。


 周りではセミが鳴いていて、もうすぐ夏になることを嫌でも教えてくれる。この鳴き声はミンミンゼミかな。わかりやすい。


 神社を囲むよう生い茂る木々を見ても、はたしてセミがどこにいるのかわからない。


 セミの特定は簡単なのに、セミ本体って意外と見つからないんだよなぁ。


 見つけるのはだいたい死にかけて大地に落ちてきた時。


 セミは時折死んだふりをして襲い掛かってくることがあるらしい。俺自身体験したことは無いが知識として覚えている。


 いや、もしかしたら記憶を失う前に経験していたのかもしれない。ま、どうでもいいか。


 学校からそう遠くないところにあるこのくたびれた神社だが、先ほどから他に誰かが来る気配はない。


 それはひとえにこの立地の悪さにある。ようこんなところに作ったなと言いたくなる程に長い階段を上った先にこの神社はある。


 運動部の練習に使えそうとか一瞬考えたけど、階段が長過ぎるので練習にならない。多分これを全力で登ったら誰かしら死ぬ。


 そんな険しい道のりにしてしまったが故の人のこなさ。誰かちゃんと掃除してますかと問いかけたくなる程にほこりやクモの巣にまみれた拝殿。


 賽銭箱の隙間にも糸が張っている始末。誰も来てねぇんだろうなぁ。


 じゃあなんでそんなところに俺がいるのか。それは目の前で黙々と踊りを続ける少女の所為に他ならない。


 俺がぐったりしている中で制服姿の少女は黙々と踊りを続ける。


 ターンをする度にスカートが翻るがラッキーな展開にはならない。その下にはハーフパンツを履いているから。別に残念とかは思っていない。


「……ふう。今のは結構いい感じだったんじゃない?」


 少女は踊りをやめ、こっちを向いて満足げに言う。


「正直俺には全然わかんねぇけど、やっぱ動きのキレは良いと思う。素人意見だけどな」


 所詮は素人の意見だと、自信が無いので語尾に予防線を張っておく。


 ただ、感じたことは正直に伝えている。やはり最初にライブ会場で見た時も思ったが、動きのキレは抜群だと思う。


 指先まで全てに神経が行き届いている、と言えばいいのか、とにかくその踊りは人を惹きつける何かがあるのは確かだった。


「ありがと。神崎はその辺信用できるから参考になる」

「そうかい。とりあえず水分補給はした方がいいと思うぞ。まゆたん」


 俺はここに来る途中で買ったスポーツドリンクをふわっと投げ渡す。


 こんなところにいれば、何かを買いに行くのだけでも一苦労だ。俺なら一度降りたらもう帰ってこないと思う。


 だから来る前に買っておいたわけ。これができる男ってやつよ。


「神崎にその呼び方されると虫唾が走るからやめて」


 彼女は冷めた目でペットボトルを受け取った。


「今のファンが聞いたら泣くぞ? 少なくともアイドルが言うセリフではねぇからな?」

「今はアイドルモードじゃないからいいの。アイドルはカメラとステージの上だけの偶像なんだから。今はオフ状態なの」


 彼女はスポーツドリンクを口に流し込む。


 ずっと動いていたからか、中身を全部飲み干す勢いで飲んでいる。


「それもファンが聞いたら泣きそうだなぁ」


 つーかすげぇ夢のないこと言ってんなこいつ。本当にファンが聞いたら泣くぞ。特にハカセとかこんなのまゆたんではない!! とか言って逆立ちで町内を動き回りかねない。


 ステージ上で笑顔と元気を振りまいている人がこんなこと言っているなんて絶対に言えない。アイドルは偶像って言ってるけどまさにそれ。ステージ上ではあんなに楽しそうだったのになぁ。


「にしても、まゆたんの正体がまさか委員長だったとはな。実梨と姉妹ってだけでも驚きだったのに」


 そしてそれがハカセの推しのアイドルだったという二重の衝撃。


「世の中って意外と狭いんだな……」

「はぁ……あの日は失敗しちゃったなぁ。誰にもバラすつもりはなかったのに」


 ペットボトルを口から外し、委員長はあの日の失敗を思い出してため息を吐いた。


「つってもどっちかと言えば委員長は被害者だろ」


 委員長の失敗した、はたぶんあの日にあのお店に行ってしまったことに対してだろう。むしろそれ以外に彼女は何も失敗らしい失敗はしていない。むしろ実梨が勝手にべらべらと喋っただけ。


 あの時の委員長の血の気が引いた顔は忘れられない。初めてみた顔だった。よほど自分がアイドルをやっているとは知られたくなかったんだろう。


 初めて行ったライブでやたら目が合う感じがしたのも、委員長が俺を見つけて驚いていたからかもしれない。それでも表情を崩さなかったのはさすがプロか。ハカセにも気づいているのか?


「まあバレたのが神崎とみっちゃんだけで良かったよ。二人は信用できるから」


 委員長からは「絶対言うな。もし誰かに言ったら神崎だけは地獄に落とす」って言われた。


 てか俺の罰重くね? ってことでじゃあ美咲がバラしたらどうなんのって訊いたら、その時も俺が地獄に落とされるらしい。いやぁ、理不尽。


 最近クラスでの俺の扱いがどんどん雑になっている気がする。


 それでも、委員長は俺たちのことは信用しているらしい。


 でも信用しているならわざわざ俺を地獄に落とす宣言しなくてもよくね? 本当に信用されてるんだよね俺?


「俺そんなに委員長の信頼得られるようなことしたっけ?」


 どっちかと言えば俺が委員長にアドバイスをもらうことの方が多かったような。


 だからせっかく二人きりなので思い切って訊いてみることにした。


「だってみっちゃんの彼氏でしょ? それだけで神崎は信用に値する男だよ」

「え? それだけ?」

「うん。それだけ。でもそれだけで十分なんだよね」

「えぇ……」


 俺全然関係ねぇじゃん……美咲の彼氏ってそんなプラス補正かかるの!?


 大天使美咲のお側に居ればその威光を賜っても不思議ではないということか?


 だけど委員長の表情には一切の迷いはない。 


 どうやら委員長は本当にそれだけで俺が信用に足る男だと思っているようだ。


「みっちゃんはさ、普段からみんなに優しいけどさ、どこか一枚壁作ってるような感じじゃん? 神崎もそれはわかるでしょ?」


 委員長はよくわかってない俺へ答え合わせをするように口を開いた。


「よく見てるんだな」

「当然。委員長ですから」


 どや顔で眼鏡を上げる仕草をするが、あいにく今は眼鏡をかけていない。激しい運動でふっ飛んだら危険だからと練習前にコンタクトに入れ替えてた。


 ただ、委員長は本当によく見ている。さすがクラスのオカン。クラスで誰にでも優しい美咲。それはかつての経験から、彼女が自分を守るための処世術を身に纏った美咲だ。


 敵を作らず、女子との軋轢を生まないように立ち回る美咲。本当の美咲はもっと感情表現豊かな超絶大天使だからな。委員長はそれに気が付いていたのか。やるな委員長。


「それってさ、本人がそう思ってなくても、自分って信用されてないのかなぁ、と思ってしまうわけよ」

「美咲にそんなつもりはないと思うぞ」


 大天使がそんなことを考えているとは思えない。


 ただ、委員長の言っていることもわからなくはない俺もいた。


 本当の自分を見せてくれないのは信用されていないのと同じと言いたいんだろう。その感覚はわかる。


 とはいえ真意は美咲にしかわからないわけで、俺はそれを美咲にあえて訊くようなことはしない。どんな美咲でも美咲であることに変わりはないから、俺は美咲の考えを尊重する。


「大丈夫わかってるから。でもさ、そんなみっちゃんがクラスで唯一完全に心を許している男がいるわけ」

「それが俺か!」


 食い気味に反応した。


「そこ自分で言うんだ……」

「俺以外だったら困るから先手打とうと思って」 


 美咲がクラスで唯一心を許している男が俺じゃなかったそれこそ大問題だろ。


「まあ合ってるからいいんだけどさ。神崎が相当信用できる男じゃないと、みっちゃんがあそこまで心を許すとは思えないからね。だから結果として神崎も信用できるってわけよ」


 まあその信頼も半分以上は、今は亡き神崎八尋の置き土産かもしれねぇけどさ。どんな美咲も美咲であるように、どんな俺も俺だから。


 かつての俺の功績も、今の俺のものにしたっていいだろう。いいよね? じゃないと今の俺自身の評価何もないからね!?


「なるほど……で、俺自身の評価ポイントはないの?」


 篠宮辺りは見えている地雷を踏みに行くのか……と言いそうだけど、男には攻めなきゃいけない時もあるんだよ。

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