第127話 犬猿の仲

「おい柳……ゴミってのは誰のことだ? ああ?」


 杉浦さんは面倒くさそうに柳さんを睨み返す。


「反応しているのはあなただけですよ。しっかりゴミの自覚があるじゃないですか」

「てめぇはいつもそうやって俺に突っかかってくるよなぁ?」

「突っかかっているつもりはありません。早く消えてほしいと思っているだけです」

「余計酷いんだけど!?」

「神崎さん、中村さん、お嬢様。もうあなたが居なくても十分お店は回ります。このお店にだらしない男は不要なんですよ」

「俺のどこがだらしねぇんだよ?」

「……留年してるじゃないですか? それだけでもう十分です」

「はあ? それのどこがいけねぇんだよ。大学生でストレート卒業するなんて逆につまんねぇだろ」

「まさにゴミに相応しい考えですね。吐き気がします」


 柳さんは心底汚いものを見るように蔑んだ目を杉浦さんに向ける。


 え? 杉浦さん留年してたの? 初耳情報なんだが。ってことは同学年と言っても柳さんの方が年下になるのか。


 柳さんと杉浦さん。根本的に価値観の違う二人はとことん馬が合わない。


 柳さんはどちらかと言えばお嬢様然とした真面目で清廉潔白な人。だらしない人や、適当な人はあまり好きではないらしい。


 まさに杉浦さんのような人が嫌いってわけ。仕事中は真面目でも、その私生活やバイト中のちょっとした態度が気に入らないらしい。杉浦さんが笑いながら語ってた。この人もなんだかんだ強メンタルだよな。


「大学へは誰のお金で通っているんですか? 親のお金ではないんですか?」

「まあそうだな。留年した時はさすがに土下座したけど何とかなったから大丈夫だし、お前が口を挟むようなことじゃねぇよ」

「はぁ……なんでこんなゴミがこの神聖なお店で働いているんでしょうか」

「お前だってこの店のメイド服着てメイドになりきりたいって俗な理由で働いてんじゃん。あんま俺と変わんねぇだろ」

「な……なぜそれを?」


 柳さんの目が揺れた。


「前に辞めた持田が言ってたよ」

「も……持田先輩……余計なことを……」


 俺が来る前にもそりゃ別のバイトがいるんだよな。当たり前のことなのに少し寂しくなった。同じバイトの話題なのに入っていけない疎外感? 


 こうして今はくだらない言い争いをしている二人。俺がずっとバイトを続けていても二人は絶対先にいなくなってしまう。それに気づかされたから寂しく感じたのかもな。


 出会いがあれば別れもある。当然のことなのに、今を生きている俺はこんな時間がずっと続くと思っていた。


 しかし、柳さんはこの店のメイド服を着てメイドになりきりたかったのか。普段の柳さんからは想像できないくらい可愛い理由だな。


「意外と可愛いところあるよな……と、う、か、ちゃん」


 心底馬鹿にしたように杉浦さんは言った。


 女心がわからない俺でもわかる。この人は今、間違いなく地雷原でタップダンスを踊った。


「……殺す」


 ほら、お淑やかな柳さんからはとても発せられないような声が聞こえてきた。


 表情は完全に死んでいる。視線だけで人を殺せそうなほど鋭い目つき。直接食らってないのに息を飲んでしまう。


 実梨さんや。この空気でどうしてニコニコしながらご飯を食べられるんですか? 芸能界って普段からこんな殺伐としてんの?


 美咲は今にも始まりそうな戦い……もとい一方的に行われるだろう蹂躙の気配にオロオロしている。


「ボス……止めてください。このままだと杉浦さんが死にます」

「おい神崎、なんで俺が死ぬ前提なんだよ?」


 いやだってもう柳さん準備運動で既に何人か葬ってきたような雰囲気纏ってるし。


 こんなん杉浦さん即死だろ。アーメン。


「まあまあ。個性豊かなのはとてもいいことだよ。けんかするほど仲が良いって言葉もあるしね」

「「仲良くないです!」」

「ほら、仲良しだ」


 ほんとにぃ? 今も見えない火花が散ってるんだけど。俺の目の前でめっちゃ散ってるんだけど?


 こうなることを見越しての対角の配置か。物理的な距離が近かったらすぐ暴力沙汰になりそうだからな。


 今日は実梨の歓迎会なんだから、流血沙汰とか勘弁してくれよ。大学3年生だったら実名報道されっからな? 嫌だぞ。ニュースに知ってる人の名前出るの。


 杉浦さんと柳さんは結局お互い相容れないというところで決着した。篠宮とハカセより重症だよなこれ。この二人を見るとまだあいつらが可愛く見えてくるんだよな。あら不思議。


「そういえば、みんなはもうすぐ夏休みだよね」


 先輩同士のいざこざなど盛り上がりを見せた歓迎会。みんなで後片付けをしているさなかボスが言った。


 夏休み。なんと甘美な響きか。学校という勉学の園から解放され、1日中自由な時間がしばらく続く夢のような期間。


 ただ、その前に倒さないといけないものもあるが。


「夏休み……その前に期末試験を乗り越えないとですね」

「美咲から聞いたけど、神崎君は勉強はできるんだよね。じゃあ余裕なんじゃないかな?」

「まあ普通にしてれば赤点は絶対ないでしょうね」


 勉強にはそこそこ自信がある。ほら……去年は勉強が友達だったし。あれ、目頭が熱く。感動する要素どこにもなかったのになんでだろう。


「嘘だろ……神崎……お前はこっち側の人間じゃねぇのか……」


 さすがに留年と一緒レベルにされるのは心外だな。


 てかなに? 杉浦さんの中で俺はアホにカテゴライズされてたの? 本当に心外なんだけど!? 俺こう見えても優等生ですよ。いや、どう見ても優等生だな。こう見えてもだとまるで普段は馬鹿っぽく見えてるみたいじゃん。違うから。普段から模範的優等生だから。


「神崎さんをあなたみたいなゴミと一緒にしないでください。失礼ですよ」

「そうだそうだ。言ってやってください柳さん!」

「お前が俺をゴミ扱いするのは失礼じゃねぇのかよ?」

「ゴミにゴミと言うことのどこが失礼なんですか? 本当に頭が悪いですね。だから留年するんですよ」

「お前は俺に喧嘩を売るのが好きみたいだな?」

「はぁ……事実の指摘を喧嘩と捉えないでください。私はあなたと喧嘩するつもりなんてありません。人生の無駄遣いです」


 すんげぇ酷いこと言われてんなぁ。人生の無駄遣いとか言われたことねぇよ。


 杉浦さんは妹にも呼吸してるのが酸素の無駄遣いとか言われてるみたいだし、敵多いよなぁ。なんか同情するわ。


 俺はべつに杉浦さんを悪い人だとは思ってない。柳さんもきっと悪だとは思ってないはず。ただちょっと人間扱いしてないだけ。まあ柳さんの言いたいこともわかるから何も言うまい。


「試験と言えば、美咲はこの前結構ボロボロだったよね?」

「…………」


 ボスの一言に、美咲の動きが止まった。なんかボスの笑顔に影が見える。


 美咲は世界が止まったように、食器をもったまま微動だにしていない。まるで絵画。200年後の美術館に飾られていそうな神々しさ。タイトルは、『地上に舞い降りた神々の宝物』なんてどうでしょうか?


「学生の本分は勉強だからね。もし成績が低下するようなら店の手伝いは禁止にするよ」

「う……」

「ぐ……」


 美咲となぜかもう一人までダメージを負った。学生の本分は勉強だそうですよ杉浦さん。あらぬ方向からの攻撃で負傷した杉浦さんを、柳さんは満足そうに見つめていた。あ、これマジで嫌いなんだなぁ。


「や、八尋君……一緒に勉強しよ?」


 はい、潤んだ瞳で見上げてくるの最高です!


 高ぶる心を抑えつつ、なぜこの前の美咲がボロボロだったのか考える。あの時の俺と美咲はちょっと複雑な関係だった。


 美咲との水族館デートの後で俺が自暴自棄になって、美咲も色々頭の整理ができていなかったのかもしれない。だからもし美咲がそのせいで成績を落としてしまったのであれば、俺にも責任の一端はある。


「もちろん。一緒に頑張ろうぜ」


 つまりこれは彼氏として責任を取らなければならないということ。


 勉強会っていう甘美な響きに惹かれたわけではない。これは、義務だから。


「うん! よろしく!」

「じゃあ私も私も!」


 実梨が勢いよく手を挙げた。


「私も一緒に勉強会したい!」

「まあいいぞ。でも変な取り巻きは連れてくんなよ?」

「もちろん。そこは任せてください隊長!」

「ふふ……青春ですね」


 この日は柳さんのその一言で締められた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る