第108話 途切れた糸

 それから何日か経った学校。実梨の一件から翌日は少し元気がなかった篠宮もすっかり元通り。


「というわけでねざっきー。私は今日土曜日の夢を見てたんだよ。最悪だと思わない?」


 こんなクソどうでもいい雑談に興じるくらいには元通り。


 でも言わんとしていることはわかる。金曜日に土曜日の夢見ると起きた時最悪の気分になるよな。わかるわかる。でも今日は木曜日だからな。ちょっと夢見るには早いんじゃねぇか?


「木曜に土曜の夢を見るのか?」


 ハカセが残念な奴を見るような悲しい目で篠宮を見る。


 篠宮だって真面目に話してるんだ。そんな目をしてやるなって。真面目ではねぇか。


「べつにいつ土曜日の夢見たっていいじゃん。休みだと思ったら平日でした~って話なんだから」

「ふっ、さすが篠宮だな。その感性は見習うべきかもしれん」

「なんか全然褒められてる気がしないんですけど~」

「それはお前の受け取り方次第だ」

「じゃあポジティブ方面で受け取っておくよ」

「そうするといい」


 話しながら、ハカセは横目で机に突っ伏してる委員長に目を向けた。


 相変わらず表情がわかりづらいけど、なんとなく心配しているような。まあ最近の委員長を見て心配しない奴の方が少ねぇか。授業の合間と昼休みはほぼ寝ている委員長。


 さすがに心配になるわな。


「どうしたハカセ?」

「いや、次は移動教室だと思ってな」

「ああ、そうだったな」


 見ればみんなそそくさと移動の準備を始めていた。


「じゃあ委員長起こさねぇとな」


 可哀想だと思いつつ、俺は後ろから委員長の肩を揺すった。


 最近不機嫌だから正直ちょっと嫌だけどこればっかりは仕方ない。許してくれ委員長。


「起きろ委員長。次は移動教室だぞ」

「ん、んん……もう昼?」


 うめき声。とても年頃の乙女が発するものとは思えないレベルのだるそうな声。寝起きはみんな無防備ということか。


 ということは……もしかして美咲の寝起きもこんな感じになったりするのか? そもそも美咲の寝顔すら見たことないんだけど。いやめっちゃみたいな。普段クールな奴も寝てる姿は可愛いとかよく言うし、それなら普段から天使な美咲の寝顔とかもうとんでもなく可愛いんじゃぇねの? 


 見たいなぁ。どうやったら見れんだよ。学校での美咲は居眠りなどしない。遊びに行った帰りに寝ることもしない。じゃあそんな美咲の寝顔を見るということは、美咲が家で寝ている状況に居合わせないといけないのか。


 うん、無理だな。俺の家泊まる? とか言えるわけねぇし、美咲の家に泊めてよ、とも言えねぇ。俺たち健全な高校生だからな。


 やべ、美咲のこと考えてたら妄想はかどり過ぎたわ。ってことで立ち上がって委員長の隣に立つ。


「おはよう委員長。残念ながらまだ午前の授業だ」

「じゃあなんで起こしたのよ……」

「次が移動教室だから。それともサボって寝かしてた方がよかったか?」


 若干ビビってたのは秘密。最近の委員長マジで怖いんだって。


「ああ……ありがと神崎。なら移動しないとね……っとと」


 委員長はゆっくり立ち上がるが、立ち眩みなのかフラフラとバランスを崩しかけた。


 自分の机を掴んでなんとか踏みとどまる。


「おい……大丈夫か?」

「……大丈夫よ」

「嘘つけ。お前今相当やばい自覚ある?」


 目の下にはハッキリとした隈。委員長の顔は見るからに疲れている。


「自覚ならとっくにあるわよ」


 委員長は力なく笑う。


「だったら休めよ」

「そんな暇ないのよ。私は……早くスターになるんだから……」


 こいつ……もろアイドルっぽいこと自分で言ってるのに気づいてねぇのか? 学校では秘密なんだろ? そんな簡単なことにまで頭が回らなくなってるってことじゃぇねぇか。


 疲れると思考力が低下する。その影響がもろに出てるってことは、委員長の疲労は相当なものだ。


「スターになる……委員長の趣味ってなに?」

「秘密」

「むぅ……相変わらずか。ざっきーは知ってそうな感じなのが腹立つ」

「なんでだよ。俺も知らねぇよ。ただ心配なだけだ」


 本当は知ってるけど、知らないフリした方がここは正解だろ。下手に探られても委員長に迷惑かけそうだしな。それに今の委員長に余計な負担をかけるのはまずい気がする。


「心配はそうだよね。委員長さ、ちょっと休んだら?」

「俺も同感だ。中村は少し休むべきだ」


 篠宮とハカセも委員長を心配そうに見ている。


「ありがと。でも私は大丈夫だから」


 だけど、委員長はそんな二人にも俺に向けた時と同じ笑みを浮かべる。


 力のない笑み。まるで俺たちの言葉を拒絶しているように感じる笑み。私に構わないで。口で言う言葉とは裏腹に、どこか壁を作っているような虚構の笑みだ。


 私の言葉は届かない。実梨がそう言っていた意味がなんとなくわかる。今の委員長に俺たちの言葉はしっかりとは届いていない。雑音として処理されてそうだ。


「でも……しっかりしないとね……」


 委員長は授業の準備をして歩き出す。だけど――


「みんなに……心配かけてちゃ――」


 瞬間。委員長の体は突然糸が切れたかのように力を失くし、ゆっくりと後ろに倒れこむ。


 転ぶとかそういんじゃない。本当に力なく、ただ重力に従って倒れこむ。


 まるで非現実的な光景に、ただ茫然と成り行きを眺めてしまった。


「委員長!?」


 このままでは地面に頭をぶつける。それはまずいと咄嗟に我に返った俺は慌てて委員長の体を支える。


 重い……力が抜けた人間はこんなに重いのか。ずっと支えきれず、仕方なしに地面に寝かせた。


「委員長!! おい委員長!! しっかりしろ!!」


 肩を叩いても、声をかけても反応がない。


 おいおい。これはまずいとかそんなレベルじゃねぇぞ。俺のどうにかできる範疇を超えている。


 自分の手を見ると小刻みに震えていた。やべぇな……突然のことで俺の思考も乱れている。


 どうすればいい。考えろ。焦る脳内を必死に落ち着かせようとする。


 まずは先生に連絡か? それと保険の先生か? でもこんなの救急車呼ぶレベルだよな?


 思考がまとまらない。落ち着け。落ち着け。よし。


「ふん!!」


 両手で思いっきり自分の頬をぶっ叩いた。いってぇな。でもよし、痛みで少し冷静になれた。


 先生に連絡は必要。委員長の顔に耳を近づけると、呼吸はしていた。気を失っているだけか? これはもう救急車か? そうだよな?


 クソ……完全に冷静にはなりきれてねぇな。


「篠宮! だれでもいいから先生を呼んできてきてくれ!」


 一番近くにいた篠宮に声をかける。


「え……あ……え……」


 だけど篠宮は目の前の現実にうろたえるだけで動かない。


「篠宮! 聞いてるのか!?」

「え……いや……」


 ダメか。でも篠宮を責めるつもりはない。こんなの動けねぇのが普通だろ。俺だってなんとか必死にやってるだけだ。


 だったら、


「ハカセ!! 先生を!!」

「…………」


 ハカセは微動だにしない。ただ呆然と委員長を見ていた。こんなハカセの表情を始めて見た。


「ハカセ!! ハカセ!?」

「…………」


 らしくねぇぞハカセ。何ずっと呆けてんだよ。お前はいつでも冷静沈着じゃねぇのかよ!?


 誰か……動けそうなやつは!?


 顔を跳ね上げて辺りを確認する。移動教室の前に残っている生徒はまばら。俺が大声を出したから注目を集めている。だけど大半がハカセや篠宮みたいに目の前の非現実にフリーズしている。


 誰か……だれかいないのか!?


「……!!」


 目が合った。その瞳はこの突然のことに驚いてはいたけど、俺と目が合えばすぐに意志の強い瞳を返してくれた。


「美咲!! だれでもいいから先生を呼んできてくれ!」

「わかった! 任せて!」


 美咲は走って教室を出て行った。俺の彼女は頼りになるな。


 まだ震える手を動かして、俺は携帯電話を手に取り電話をかける。


 まさか警察より先にこっちになるとはな。後で大げさだって怒られたって構わねぇ。今はこっちに頼るのが正解だろ。


 数回コールの後、すぐにつながった。


「もしもし、人が倒れました。意識不明です――」


 その後委員長は慌ててやってきた先生と一緒に救急車で運ばれていった。

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