第48話 天使と眺める海の世界

「わあ、やっぱり水族館は綺麗だね!」


 受付を済ませて中に入ると、そこは幻想的な空間だった。入り口を抜ければ明るく照らされた水槽。反対に、フロアは暗めの照明になっていて、それが逆に水槽を目立たせていた。水槽から離れれば、近くに居ないと隣の人の顔もよく見えない程に暗い。


 相原は早速水槽でのんびり泳ぐ魚を見ながら楽しそうにしている。


 よかった。さっきの話でテンションが下がっているかと思ったけど、そんなことはなかったようだ。俺はその姿を見て安堵する。


 こんな時、君の方が綺麗だよとか言った方がいいのか。いやでもなぁ。そんな歯の浮くようなセリフ恥ずかしくて言えねぇよなぁ。


 ふと周りの会話が聞こえてきた。


「見て見て小さい魚! 可愛い!」

「可愛いな。でも俺はお前の方が可愛いと思うぞ」

「もう! 今は魚に集中してよ!」

「はは、悪い悪い」


 なにこれ。楽しそうに笑うカップルを見て口があんぐりと開く。


 普通のカップルってそんな恥ずかしいこと言うの? 実は演劇部が俺と相原のデートをアシストしてるとかそんな展開だったりしない? 聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるんだが。お互い好き合っていれば、ああいう言葉も恥ずかしく無くなるとは、愛の力はすげぇんだな。完全に二人の世界だし。


「神崎君何見てるの?」


 俺が世間のカップルの会話に驚愕していると、相原が不思議そうに俺を見る。カップルは次の水槽に移って行ったので、俺は今何もない虚空を見ている。でも、そこにはピンクの空気がうっすら残っている気がする。


「甘すぎる空気、かな」


 いま見聞きしたものを語るとしたら、これに尽きる。


「あはは……」


 相原は苦笑い。ご理解いただけなかったようだが、キモ……と口にしないだけ彼女は優しい。俺はそこでキモ……と言う奴を知っているから。


 改めて水槽を眺めると、美しく積まれたサンゴ礁とくすんだ色の石。その周りをゆらりと泳ぐ小さな魚達。色んな種類の魚とサンゴ礁の組み合わせが一つの作品として成り立つように、綺麗に纏まっている。


「あれはアカネハナゴイだね」


 俺の視線の先、相原が赤い背ビレが特徴の魚を指差した。


「観賞魚として人気な魚なんだよ」

「詳しいな」


 あれ、でもなんか俺もわかる気がするぞ。


「あれはルリスズメダイか」


 アカネハナゴイの近くを泳ぐ青い魚を指差す。


「すごい正解! 神崎君も実は魚詳しい?」

「いや、水族館に来た覚えはないんだけどな。あ、上に魚の名前が書いてあるからそれのせいか」


 水槽の上には魚の名前が写真付きで紹介されている。相原が言ったアカネハナゴイや俺が見つけたルリスズメダイも大きな写真と共に掲載されている。さっきチラッと見た時に印象に残ってたのかもしれない。


「相原は全部知ってそうな感じだな」

「ふっふーん。私、実はこの水族館には詳しいんだよ!」


 相原は俺の隣で魚を指差しては一つ一つ名前を教えてくれる。


「あれはツユベラ、あれはニジハギ、あれはサラサゴンベ!」


 なんだろう。相原は水を得た魚の様に生き生きとしている。水族館が好きなんだなって気持ちがこっちにまで伝わってくるような勢いだ。LINEのアイコンも水族館ぽかったし、本当に好きなんだろうな。


「ゴンベはね、浮き袋を持ってないから基本的に浮力を持たないんだ」

「そうなのか。で、浮き袋ってなに?」

「浮き袋はね、魚がもつ器官のひとつで、そこで体の気体の出し入れをして自分自身の浮力を調整してるの」

「なるほど。だから浮き袋がないサラサゴンベは浮力を持たないから底の方にいるのか」

「その通り。ゴンベ科は浮き袋を持ってないってのも特徴なんだよね」

「勉強になります」


 魚の名前だけじゃなくて特徴まで知ってるとか、お魚博士じゃん。ただ水族館に来るよりためになるんだが。可愛いし魚にも詳しい。相原は最強か。


 その後も相原博士のお魚ウンチクを聞きながら次の水槽へ。ここではイワシが群れを成して円を描く様に高速で泳いでいた。


「マイワシか」

「口を大きく開けてプランクトンを食べてる姿は可愛いよね」

「可愛い……のか?」

「可愛いよ!」


 口を大きく開ける様はどちらかと言えばアホっぽい。さっきのカップルを見てる時の俺みたいな顔だし。いや、それだと俺がアホになるからたぶん違うな。でも、可愛いとは思えないよなぁ。これが感性の違い。女子の言う可愛いはわからん。


 相原は可愛い、くらいわかりやすいと助かるんだけど。


「体の側面に黒色の斑点があるとマイワシなんだよな確か」

「あれ、神崎君知ってたんだ。いま説明しようと思ってたのに」

「魚の神が降りてきたわ」

「ふふ、なにかの拍子に覚えてたのかもね」


 本当に自然と口にしていたので、これは神様からの天啓なのではと考えたが、相原の言う通り何かの拍子に覚えたんだろう。食える魚だし、さっきのサラサゴンベとかと違って知識を得られる場面は多いだろう。サラサゴンベの語感が良すぎてもう特徴と姿を覚えちゃったんだが。


「こいつらもいつかは食用になるのかね」

「どうだろう。でもそう考えると可哀想だよね」

「この世は弱肉強食。水族館の場所によっては水槽の中で外敵に食われるものもあるらしいし、イワシの宿命なのかもな」


 ここは円形の水槽の中をイワシが泳いでいるだけだが、もっと広い水族館ではイワシの群れがどのように動くかを楽しめる構造になっている場所もあるらしい。


 でも、海で捕まえられたら直ぐに食用にされてしまうんだから、いまここで優雅に泳いでる方がまだ幾分かマシかもな。天敵も居ないわけだし。広いけど危ない海か、狭いけど安全なこの水の檻か、イワシはどちらが幸せなのか。そう考えること自体、人のエゴか。


「他の水族館はそんな恐ろしいことしてるんだね。神崎君は行ったことあるの?」


 面白そう、ではなく恐ろしい、か。やはり相原は慈愛に満ち溢れているな。


「いや、なんかどっかで聞いたことがあるってだけかな」

「じゃあいつか別の水族館も行ってみようよ」

「そうだな、いつか行くか」


 一拍置いて答える。いつかの約束がまた増えた。


「うん、絶対だよ。嘘ついたら針千本だからね」

「針千本は嫌だなぁ」


 一本でも飲んだら最悪死にそうなのに千本とか、この約束始めて作った人は破った時は本気で飲ませたのかね。てかその言葉は知ってるけど記憶無くしてから初めて使う人見たわ。高校生も使うんだなと新たな発見。でも相原が言うと可愛い。


「なら、約束は守らないとね」


 相原は数歩先に進んだ後、クルッと軽やかに振り返って言った。これが天使の輝きか。


「善処します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る