第49話 天使はどこでも人気者

 順路に従い先へ進むと、一際大きい水槽に辿り着く。他の水槽とは違い、水槽の前に座れるスペースが用意されている。


 そこには家族であったりカップルであったりがそれぞれの楽しみ方をしていた。俺と相原は1番前の席に腰を降ろす。


 水槽を照らす光が座席まで届き、ここは周りに比べてだいぶ明るい。


「やっと落ち着けるところに来たな」

「ここは1階で1番大きな水槽だから、こうして座ってゆっくり眺められるようにしてるんだね」


 腰を落ち着けられたところで、入り口で貰ったパンフレットを開く。1階は海の生きものがメインで、2階は川の生きものと一部海の生きもの。そして外にはアシカ、イルカ、ペンギン、カワウソなどの人気な生きものがいる。


「相原は見たいイベントとかあるの?」


 外にいる生きもの達は決められた時間にパフォーマンスをする。いわゆるイベント。


「やっぱりペンギンの餌やりは見たいかな」

「イルカショーじゃないんだ? 水族館と言えばイルカショーってイメージだけど」

「私、水族館でペンギンが1番好きなんだ。だからペンギンだけで1時間は潰せる自信があるよ」

「じゃあそれは絶対に見ようか」

「うん、いい場所知ってるんだ! 楽しみにしてて!」

「ああ、楽しみにしてる」


 そんな会話をしながら、頭では別のことを考える。さっきから俺はこの水族館に対して不思議な既視感を覚えていた。初めて来るはずなのに、初めてじゃないような感覚。ルリスズメダイは偶然かと思ったが、歩けば歩くほど、魚を見れば見る程にこの不思議な感覚が強くなってくる。


 俺はここに来たことがあるのか? 記憶にはないが体が覚えているのか? この空気、この景色、俺は知っている気がする。


「真面目な顔で水槽見てるけど、なにか気になる魚でもいた?」

「⁉︎」


 考え事をしていると、唐突に相原が俺の顔を覗き込んでくる。


 天使の顔がこんなに近くに⁉︎  か、可愛すぎるうううう。


「急に目の前に相原の顔が現れてびっくりしてるところ」

「そうは見えないけど」


 相原はもっと顔を近づけてくる。ふおおおおおおおお⁉︎ 相原の顔がドアップに。もう魚なんて目に入らないレベルで相原の顔があるんですけどってかすごく良い匂いするんですけどおおおおおお。


 これが天界の香り? 同じ人間から出ているとは思えないほど幸せの香りなんですが、合法ドラッグですかこれ?


 内心ではこんな感じで狂い始めているが、表はそれを完全に切り離して、努めて冷静にしている。デートの雰囲気を壊さないようにするのも良い男の秘訣。これ授業じゃ教えてくれないから。


「少し、考え事をしてたんだよ」

「考え事? どんな?」


 今考えていたことを言うべきか否か。こんな突拍子もない話をされても反応に困るだけではないだろうか。いきなり、俺ここ初めてのはずなんだけど、来たことあるような気がするんだよね。と言われてもどう反応すりゃいいのって感じだ。


「あのエイは食べられるのかなって」


 俺は小さな嘘をついた。やっぱり、本当のことを言っても相原を困らせるだけだしな。


「ふふ、真剣な顔でそんなこと考えてたんだ」

「相原は食えると思う?」

「どうだろう。でも食べられたらいいよね!」


 多少の罪悪感は残るが、相原が笑ってくれたならこの回答は正解だったってことか。


 しばらく並んで談笑をしながら水槽を眺めて、再び館内を周る。


「ちょっとトイレ行ってくるわ」


 このままだといろちろと余計なことを考えそうになったので、一度トイレの便座で瞑想する。用もないのに便器を占領するのはよくない。さっさと出なくては。大きく深呼吸をしてから顔を2回叩く。


「よし!」


 便座で意気込んで何がよし! なのか全くわからないが、とりあえず目的は思い出した。今日は相原と純粋にデートを楽しむんだ。急に決まったわりには相原も積極的だし、俺が彼女のテンションを下げるわけにはいかないだろ。


「今日を楽しめ八尋」


 そう自分に言い聞かせてトイレを出る。大便器で何もせず気合いだけ入れる男はこの水族館で俺だけだろう。本当に大きい方がしたかった人には申し訳ないが、携帯をいじって無駄に長く居座るやつよりはマシだとポジティブに考えた。許してくれ。


 さあ、相原と残りの時間を楽しむぞとトイレを出たところで俺は固まった。


「ねぇねぇ君可愛いね。一人? よかったら俺たちと一緒に回らない?」

「いえ、あなた方には興味ないので結構です」

「そんなこと言わないでよ! ね、ちょっどだけでもさ」


 俺はトイレに行っていただけだ。そう、ものの数分程度。なのに出てきたらこれ。見るからにチャラい男二人組が大天使に向かって慈悲を求めていた。ナンパってやつ。


「いや、センス無さすぎるだろ……」


 ここは水族館。水族館にどういう人たちが来るかこいつらはわからなかったのか。トイレの近くで一人でいたらそれは相手を待ってるんだよ。


 だいたいナンパってのはこういうデートスポットじゃなくてもっと煌びやかな街に一人でいる女の子をターゲットにするもんだろ。ここは基本相手がいるやつしかいねぇんだよ。センスねぇな。


 しかもお前ら相原の顔ちゃんと見ろ? かつてないほど感情が死んだ目をしてるぞ。思わず近づくのを躊躇うくらいに死んでるぞ。あんな冷たい目初めて見たんだけど。


「はいはいそこまででーす」


 チャラ男から守る様に相原の前に立つ。これ以上天使の死んだ顔は見たくないんでね。


「え? 彼氏?」

「いや、俺は友達ですよ」

「そっか、じゃあこんな冴えない奴より俺たちと行こうよ」

「そうそ、こんな奴君の隣にいるには釣り合ってないって」

「……おい」


 俺が冴えないのはわかってるがうるせぇなこいつら。水族館なんだから女の子じゃなくて魚見ろ魚。あとそっか、じゃねぇよ。相手いるなら引き下がれや。釣り合わないとか自覚はあるけど誰かに言われるとムカつくんだからな。


「誰と、誰が釣り合ってないんですか?」

「あ、相原さん?」


 声のトーンが暗い。かつてないほど目が死んでいる相原が俺の前に出てチャラ男に話しかける。


「教えてください。誰と誰が釣り合ってないんですか?」


 見たことないほどに相原の圧が強い。アルミ缶なら秒で潰れそうな感じ。たぶんコーヒー缶もいける。立っているのがやっとだ、と言ってみたくなる強さ。自分から仕掛けたはずのチャラ男達も思わず一歩引き下がっている。それでも黙っている相手に相原は続けた。


「釣り合いなんかあなた方が決めることではないです。それでも、私の大切な友達をそんな風に言う人こそ私と釣り合うような人間ではありませんので、どうぞお引き取りください。これ以上無駄に時間を使わせるなら係員呼びますけど?」

「そ、そんな怖い顔しなくてもいいじゃん。わかったから落ち着いて。もう消えるからさ」


 ひきつった笑顔で、チャラ男達はバイバーイと手を振って逃げる様に去っていく。まあ言葉の通り相原の圧に負けて逃げたんだろうな。悪は滅びるのだ。でも俺なにもしてなくね?


 何回でも言うけどナンパする場所普通に間違えてるからな。根本から見直した方がいいぞお前ら。尻尾を巻いて逃げる背中に、せめてものアドバイスを心の中でしてあげた。そんな俺は何様だろうか。


「俺は相原にとって大切な友達だったんだ?」

「今更気づいたの? 私はずっとそう思って接してたよ」


 まだお怒りが収まらないようで、相原の口調はどこか棘があってちょっと怖い。


 でも、それはわからないと思う。大切かどうかなんて、日常を過ごす上では簡単にはわからない。声に出して初めて気がつけるもんだろ。


「まだ会ってからそんな時間経ってないしなぁ」

「大切に時間は関係ないよ。たとえ初めて会った人でも、私が大切にしたいと思えたならその瞬間からもう大切なんだよ」

「なんかむず痒い」

「素直に受け取って欲しいんだけどな〜」


 口を尖らせる相原には悪いが、ストレートに大切と言われて嬉しい気持ちがある反面、むず痒い気持ちがあるのも事実。


 何を感じて相原は俺を大切な友達と思ってくれているのか。聞きたいけど、聞きたくないような。そんな心の二律背反。

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