第88話 呼び方、呼ばれ方
そしてなんとか命を保ったまま迎えた放課後。教室。
「やあやあやっくん。待ち合わせとかしてないことに気づいたからまた来ちゃった!」
元気いっぱいのみぃさん…いや、もう名前も知ってるし中村さんの方がいいかもな。
そういえば集合場所とか決めてなかったなと思い、どうしようか考えていたタイミング。
まるで計ったかのように中村さんはやってきた。
まだそれなりに残っているクラスの視線をまた独り占めしている。
本人がどう思ってるかは知らないけど、勝手に注目を集めてしまうのも難儀なものだな。
「あれ、なんか疲れてない?」
中村さんが俺の顔を覗き込んで言う。
「はは……命があるだけ感謝しないといけない立場なんでね。こうして五体満足で立っているだけで儲け物なんだよ……」
ぐったりと肩を降ろして疲労をアピールする。
「やっくんも大変なんだねぇ」
お前のせいだよ、と心の中で呟く。ほら、教室に残る男子たちの熱視線……うっかり人を殺してしまいそうな殺気が俺に。
中村さんもそれには気づいていると思うが、あえて気がつかない様にしているのか全く歯牙にも掛けない。
ニコニコしながら俺と向き合っている。
その笑顔が晴れやかになるほど、俺の命の光がくすんでいく。来世はタンポポかな。争いのない世界がいいなぁ。
「本当にそう思ってるか?」
少し悪態をついてみた。
「もちろん! でも、それは人気者の宿命だから仕方ないよね」
「人気者、か……俺は人気者じゃないんだけどなぁ」
人気者ってのは勝手に周りに人が集まってくるやつのことを言うんだ。
例えば、美咲であったり。例えば佐伯であったり。目の前の元アイドルであったり。
俺の周りには人が勝手に集まらないわけで、到底人気者とは言えないだろう。
「そうかな? やっくんだって人気者だと思うよ。だってほら、みんな凄い熱い視線を送ってるよ!」
「それはお前のせいなんだよなぁ」
「おやおや、私ただの一般人ですから。そんな周りに影響を与えられるような人間ではございませんよ」
「もしかして、根に持ってたりする?」
「いやいやまさか」
中村さんは意地の悪い笑みを浮かべた。
「私はこれでもやっくんのことかなり気に入ってたりするんですよ」
「いや俺たちまだ1回しか会ってないんだけど」
「やっくんはまだまだだね。1回会えば、合うか合わないか、気に入るか気に入らないかはわかるものだよ!」
「へぇ……そっか」
ちょっと何を言っているのかわからず、気のない返事をしてしまった。
いやはや、俺のどこに気にいる要素があったのか。
「さてさて、ここに長居してるとやっくんもっと疲れちゃいそうだから早速行きたいんだけど……」
中村さんは俺の横に視線を向ける。彼女が入って来てからずっと俺の隣にいた女の子へ。
「俺の彼女の美咲です。二人きりだと本当に殺されかねないので、俺が頼んで助っ人を用意しました」
隣でむくれている彼女を紹介すると、美咲は警戒心丸出しなまま無愛想に会釈をした。
普段学校では見せていない表情だ。珍しい。何をそんなに警戒しているのか。
まあ、本当は俺が頼んだってのはちょっと違うんだけど。
「彼女……本当にいたんだ……」
「午前中もいるって言ったけど⁉︎」
女関係でそんなに信用されてないの俺⁉︎
「うーん、美咲ちゃん……美咲ちゃん……」
中村さんは何かを考えるように小声で美咲の名前を繰り返し呟く。
「よし、じゃあみっちゃん! 今日はよろしくね!」
「よろしくお願いします」
笑顔の中村さんとは裏腹に未だ表情が硬い美咲。ただ差し出された手を振り払うことはせず、二人は握手を交わした。
中村さんの、じゃあ早速レッツゴーの掛け声と共に教室を後にした俺たち。
とりあえず適当に紹介してくれればいいよ、とのことだったので本当に適当にぶらつくことにした。
「こっちは特別棟。物理学室や理科室に音楽室とかの特別な授業で使う教室が集まってる場所で、あとは文化系の部室が一部ある」
中庭を通り過ぎてやって来たのは特別棟。
この学校は大きく分けて3つの棟に分けられているんだよ。というざっくりした説明をしたところ、中村さんはまず特別棟を見たいとのことだった。
「渡り廊下を移動するんだねぇ。風が気持ちよかった〜」
「前いた学校にはなかったのか?」
「なかったね〜」
「そうなのか。でも今は暑いだけだぞ?」
「そうだとしても、学校の中にいても外を感じられるスペースがあるのはいいものだよ」
「まあそれはそうかもな。つってもこれからのシーズンは暑くて中庭を通らなくなるかもしれないけど」
一階は特別棟と地続きで繋がっているため、一階に降りればわざわざ渡り廊下を歩く必要はない。
そうでもしないと、雨の日とかえらい目に遭ってしまうからな。当然の造りと言える。
「風情がないな〜」
「現実主義なんだよ」
「ああ言えばこう言う」
「はいはい、着いたぞ特別棟。ここは美術室だな」
扉の窓から中を見れば、美術室の中では美術部員が談笑をしながらお絵描きの準備をしている光景が見えた。
俺もあんまり来ないから実のところ詳しくなかったりする。
「美術部とかあるんだ」
中村さんが興味深そうに中を覗いている。
「前にいた高校にはなかったの?」
先程からずっと俺の隣に張り付いている美咲が言う。
今日の美咲はなぜかいつにも増して物理的な距離が近い。そのせいかさっきからずっと女の子特有のいい香りが鼻を掠めて冷静さを保つのが大変だったり。
ましてや超絶天使の美咲だ。油断をしたら表情が緩んでしまいそう。実はもう緩んでるかも。
「どうかな? 私全然高校行ってなかったからわからないや!」
中村さんはそれについて寂しがるわけでもなく、あっけらかんと事実だけを述べる。
「え、そうなの?」
美咲は驚いた様子。
「芸能人が通う高校だからね、芸能活動が優先なんだよ。仮に仕事で授業に出れなくても、レポートとかで単位を出してくれるの。私は色々仕事が忙しかったからさ、最後の方は週に1回でも学校に行けたらいい方だったね」
中村さんはどこか昔を懐かしむ様に言う。
全然高校に行かなかった。普通に考えれば色々な事情があって学校に行き辛くなってしまうことが考えられるが、こと芸能人にとってはまた別の話だろう。
芸能人に大人も子供もない。一度踏み込めばそこは一つの戦場だろう。
先輩は大人たちの中に切り込んで仕事をし、対価をもらう。高校生でありながら社会人でもあった。
そのせいで仕事が最優先となり、例え学校に行きたくても仕事で行けないことが相当あったのだろう。
ただの一般人にはわからない世界。だから想像することしかできない。
「はぁ……本当に超有名アイドルだったんだな」
「やっくん本当に私のこと知らないの⁉︎ なんかショックだなぁ。私これでも相当有名なんだけどなぁ」
中村さんはワザとらしく落ち込んで見せた。
「実際どれくらい有名なんだ?」
隣の美咲に小声で耳打ちした。
「ソロで全国ツアーを埋めるくらいには有名だったと思うよ」
美咲も小声で耳打ちを返してくれる。
「まじかよ……」
それができるアイドルってこの世にどんだけいるんだろうと考えれば、目の前の人は本当に超有名アイドルだったんだとわかる。
その姿を俺は知らないけど。
「だからみんな中村さんのことを神様みたいに崇めてたのか」
「…………」
おや、俺は今中村さんに話しかけたのに無視されているぞ。
なぜか目を細めて俺をジッと見ているぞ?
「中村さん?」
問いかけても反応は帰ってこない。
「中村?」
「…………」
「実梨さん?」
「…………」
「実梨?」
「いやぁ、私はみんなにも普通に接して欲しいんだけどね!」
「…………」
「おや、どうしたんだいやっくん? そんな死んだ魚の目をしてさ」
「……実梨って結構めんどくさい人間だな」
「なんですと心外な⁉︎」
「いや、だって、ねぇ……」
満足いく呼ばれ方するまで反応しないとか子供かよ。いや俺含めてまだまだ子供だけどさ。小学生かよ。
俺は助けを求めるように美咲を見た。
美咲なら俺の言いたいことを理解してくれるはずだ。
「わかるよ中村さん。相手からの呼ばれ方って大事だよね!」
あれ?
「私も本当は八尋君からもっと早く美咲って呼ばれたかったのに色々考えて我慢してたんだから」
美咲は感慨深そうに頷く。
「そうだよねみっちゃん‼︎ 呼ばれ方は大事だよね‼︎」
「だよね‼︎」
「実梨でいいよみっちゃん‼︎」
「うん! 実梨ちゃん‼︎」
「あれぇ……」
さっきまで警戒心マックスだった美咲が実梨と意気投合している。
まあいがみ合うよりは仲良くしている方が俺としてはほっこりするのでいい。
天使と元アイドルが仲良さそうに話すのを特等席で眺めているだけで幸せを感じられる男なんでね。
とはいえ話の流れ自体には異議を申し立てたい。
呼び方ってそんな大事なのか。俺としては実梨の本名を知ったからこそ正しい距離感から始めようと思っただけなんだけどなぁ。
名前呼び捨てとか冷静に考えたら知り合って1日のやつが呼ぶには馴れ馴れし過ぎるんだよなぁ。
「全然おかしくないよ八尋君。これはとても大事な話だよ」
美咲が詰め寄るように俺を覗き込み、少し仰反る。
「そうだよやっくん。とても大事なんだよ‼︎」
そんな美咲に同調する先輩。
「と言われてもなぁ。さすがにいきなり実梨は馴れ馴れし過ぎるって」
「私がいいって言ってるんだからいいんだよ!」
「俺がよくないんだよなぁ……」
本当に殺されちゃうよ? 俺まだ死にたくないんだけど。
もうあまり考えないようにした。
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