第143話 私がお願いしたの

「八尋さん……そうか、今日帰ってくるってお姉ちゃんが言ってたもんね。思ったより早いんだね」


 六花は俺と目を合わせないまま、控えめな声で言う。さっきリビングから出てきた時より声のトーンが数段階小さい。


 もうそろそろ夕方なんだけどそれでも早い? お兄ちゃん深夜に帰って来た方がよかった?


 神崎六花。今年で中学3年生になる俺の妹。少し複雑な関係であり、今年俺が実家に帰って来た目的の一人でもある。


「なんだよ相変わらず他人行儀のままか? 昔みたいにお兄ちゃんって呼んでくれていいんだぜ?」

「私はもうそこまで子供じゃないから」

「俺が呼ばれたいんだよなぁ」

「……八尋さんは私より子供なんだね」

「ぐ……言葉がきつい……」


 久しぶりに帰って来たお兄ちゃんにその仕打ちは酷いんじゃない? お兄ちゃんの胸は今悲鳴をあげてるよ? 妹の辛辣な言葉の攻撃でだいぶダメージを受けてるよ? もしかして家に帰らな過ぎてお兄ちゃんもっと嫌われちゃった? そこは反省してるから。


 しっかし、相変わらず八尋さん、か。六花は徹底してるな。


「そっちの人は?」

「八尋の彼女の美咲ちゃん」


 姉貴が答える。


「ふーん。じゃあ私は行くから」


 美咲を一瞥してから、六花は心底興味なさそうに階段を上がって行った。その先にあるのは俺たちの個室。


 こいつ……美咲を見て動揺しないとかメンタル鋼かよ。大体のやつは美咲の天使の輝きを前にして一度はひれ伏すんだが?


 実家にお兄ちゃんの彼女が来てんだぞ。少しは興味持てよ。


「まったく、六花もまだまだクソガキね。だだをこねてる子供のまま」


 ため息交じりに、姉貴は六花が去ったあとを見る。


 姉貴が言うのはどうなんだろうか。姉貴も俺からすれば歳食ったクソガキだからな。人の機微に気がつく以外は自分本位で横暴だし、すぐ俺のことボロ雑巾みたいに扱うし、なんなら六花より子供じゃね? 神崎家の子供で一番大人なのは六花では……次点で俺な。姉貴は最下位。


「まあそう言ってやるな七海。六花はまだ自分の感情に折り合いがつけられていないんだ」

「あんなの思春期拗らせてるだけじゃない」

「それでも、これは六花自身で答えを出さなきゃいけない。俺たちは見守るだけだ」


 親父は含みのある表情で俺を見た。


「そのために八尋は帰って来たんだろ?」

「……ま、そうだな」


 全てお見通しなのが鼻について、俺は素っ気なく返事をする。


 ここで正直になれないあたり、俺もまだまだクソガキだな。


「ところで、母さんは?」


 六花の姿も確認したし、残すところは母さんだけだ。どんな反応になるかはわからないけど、ちゃんと挨拶はしないとな。


「母さんはリビングにいるわよ」

「了解。じゃあ荷物置きに行くついでに挨拶だけはしとくわ。んで、美咲はどこに泊めるの?」


 いい加減玄関に留まっても仕方ないので、靴を脱いで家に上がる。


 俺の記憶の中にある神崎家マップを開いてみても、余っている部屋など見つからない。1階はみんなの共用スペースであるリビングやダイニングキッチンがある。そして風呂やトイレ、ついでに親父と母さんの部屋。


 2階は俺たち子供の部屋。客間と呼べる部屋はその実存在しない。じゃあ美咲はどこにいればいいの? 順当に行けば姉貴の部屋に居候か。


「美咲ちゃんはあんたの部屋に泊めるわ」

「なるほど、俺は1週間リビングで寝てればいいってわけな」


 さすがに客をリビングに住まわせるわけにもいくまい。その点姉貴の提案は妥当なところであった。


 今はこの家に住んでいない俺を自室から弾き飛ばし、そこに美咲を入れる。俺のプライベート空間を隅々まで見られる恥ずかしさはあるけど、もう美咲にはいっぱい恥ずかしいところを見せてるから問題ないな。


 リビングには人が寝れるソファもあるし、まあ1週間くらいならなんとかなるだろ。


「なに言ってんの? 二人でいればいいじゃない」

「……ん?」


 姉貴今すごいこと言わなかった?


「もっかい言って?」

「だから、美咲ちゃんと二人部屋にすればいいでしょ。余ってる布団は貸してあげるから」

「え待って? 布団とかそういう問題じゃなくない?」

「寝る場所があるんだから大丈夫でしょ」

「だからそういう問題じゃねぇって!?」


 布団の前にもっと気にすることあるだろ?


「じゃあ何が問題なのよ?」


 え? 本当にわかんねぇのお前? 嘘だろ?


 ひとつ屋根の下どころじゃねぇところで一緒に住むけど、それはわかってる? わかってたらそんな軽い調子で言えねぇよなぁ?


「男と女が小さい部屋に一緒に住むんだぞ? いいのか?」

「は? あんたまさか実家で美咲ちゃんに手を出すつもりなの?」

「んなわけあるか!」


 マジで引いた顔すんなよ! しねぇよ! 節度は守るよ!


「美咲……お前からもこの奇天烈野郎になんか言ってやってくれ!」

「その……」


 美咲はもじもじと困ったように手をすり合わせていた。


 ほおらやっぱり美咲もどうしていいかわかんなくなってるじゃねぇか。そういうことだぞ姉貴。青春を謳歌してる男女の関係はピュアなんだって。そこんとこちゃんと理解しろ?


 惰眠を貪る大学生とは違うんだよ。


「ほら美咲……ちゃんと言ってやれ」


 美咲から言えばさすがの姉貴も折れるだろ。天使の正論を説いて悪魔を祓ってくれ。


「あの……実は私が七海さんにお願いしたの。八尋君と一緒の部屋がいいって」


 最愛の天使から出たセリフは、俺が全く予想だにしていないものだった。

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