第165話 これ以上のこと

 夜空に大きな花が咲いた。黒い景色を背景に、多種多様の輝きを持った花が。


 近くの川で始まった花火大会。神社からでも見えるだろ。なんて甘い考えを持っていた俺であったが、現実は美咲が食べているわたあめのように甘くはなかった。


 六花を連れ戻した俺たち。花火の音が聞こえるけど見えない現状を憂いていたら、小春がとっておきの場所があると言うのでついて行った。


 案内されること少々。神社の奥へ進んだ先にあったのは、人気のない高台だった。


「実はここ、隠しスポットなんですよ」


 ドヤ顔で言っても許される。まさか神社の裏にこんな抜け道があるとは思うまい。普通裏に行こうとか思わねぇからな。小春の探究心に感謝だな。


 花火は直近ではないけど、ここにいるのは4人だけ。俺たちの貸切空間が出来上がっていた。


 ご丁寧にベンチっぽいものもあり、今はそこに腰掛ける。


「足、大丈夫か?」

「うん……今は平気」

「……そうか」


 会話が途切れる。


 でも今まで感じていた気まずさは存在しない。無言の時間さえ今は心地いい。


「お兄ちゃん……花火、綺麗だね」


 視線は花火を捉えたまま、六花はそっと呟いた。


「そうだな」

「私……話したいこと、聞きたいこと、たくさんあるんだ。お兄ちゃんの高校での話とか。相原さんのこととか」

「たぶん一晩じゃ語り尽くせないぞ?」

「いいよ。それなら毎日聞くから」

「じゃあ、その前にちゃんと病院行くぞ」

「わかってる。お兄ちゃんは心配性だね。そこは変わらないんだ」

「お兄ちゃんは妹が大好きだからな」

「そっか……うん……」


 お兄ちゃん。六花はまた俺をそう呼んでくれるようになった。たぶん、またあいつに助けられたんだろう。


 美咲たちと別れて六花を探し始めた俺。手がかりは何もなく、闇雲に会場を探したけど六花の姿は見当たらない。会場を全部見て回っても見つからず、いよいよ外に行こうかと思った矢先に、胸の奥から声が聞こえてきた。六花はここにいるぞと、導かれるように林に入れば、本当に六花がいた。


 以前にもあった。あれは体育祭の終わりに美咲と帰っていた時だ。俺にだけ聞こえる、昔の俺の幻聴。確信はない。だけど、そう思った方がロマンチックだよな。


 新旧お兄ちゃんの共同戦線。妹を助けたいって気持ちは記憶があろうとなかろうと変わらないってことなんだろうな。


「お兄ちゃん? なんかニヤニヤしてるけど、どうかしたの?」


 お兄ちゃんという甘美な響きに酔いしれていると、六花が不思議そうな顔で俺を見る。


「幸せを噛み締めてた」

「ふふ……なにそれ……」


 これはきっとお兄ちゃんにしかわからない。妹からお兄ちゃん呼びされるのがこんなに幸せだったなんて……。ずるいなぁ。昔の俺は六花からずっとお兄ちゃんって呼ばれてたんだろ? 破壊力エグすぎだろ。あの時と違って、ちゃんと俺へ向けられたお兄ちゃんにこんな破壊力があったなんて……最高かよ。


 この気持ち、誰かに共有してぇ。今度杉浦さんに自慢してやろ。俺の妹は兄のことを歩く環境汚染とは言わないんだって。


 それにしてもお兄ちゃん……か。六花の中で何があったのか俺にはわからない。どうして急に俺をまたお兄ちゃんと呼び出したのかわからない。


 でも、それでいい。俺は六花の兄で、六花は俺の妹だ。


 理由なんかどうでもいい。もしかしたらまだ本心では兄と完全に認めたわけじゃないかもしれない。俺と六花の過ごしてきた時間は短く、前の俺とは圧倒的な差があるのはわかってる。


 だけどいいんだ。六花が俺を見てくれた。それだけでもう、十分だ。


 なにせ俺と六花の時間はこれからたくさんあるんだからな。


 すぐに全部じゃなくていい。ゆっくりでいい。俺たちの間に壁はなくなった。だったらあとは兄妹の時間を積み重ねていくだけだ。目を逸らしている間に失ったものを含めて、これからゆっくりと。


「お疲れ様。お兄ちゃん」


 言ったのは六花ではない。彼女は小春と談笑しているから。


 どこか煽るように言われても気にならないのは相手が最強の天使だからだろうか。煽りすら褒め言葉に聴こえてしまう様はまさに寵愛の化身。彼女の口から発せられたらウンコでさえ神聖な言葉になりそう。


「よかったね。六花ちゃんと仲直りできたみたいだし」

「そうだな……全部美咲のおかげだよ」

「私の? 私はなにもしてないよ?」

「そんなことない。俺はいつでも、美咲に助けられてる」

「まあでも……うん、何はともあれ八尋君の力になれたのなら嬉しいな」


 天使はどこまでも謙虚であらせられる。


 昔の俺はみんなの中で生き続けている。美咲が言ってくれた言葉があったから今があると思う。


 俺は俺だ。だけど、それが全てじゃない。誰かの心の中には俺じゃない俺が居たっていい。比較されることもあるだろう。前はそれが怖かった。


 でも今は違う。俺はもう、俺の道を歩き始めている。比較されたっていい。むしろ比較して今の俺を見てくれと言いたい。


 過去の俺も今の俺も、全部ひっくるめて神崎八尋なんだ。そんな俺を見てほしい。美咲にも、六花にも、俺を知ってるみんなにも。


 それに、俺の中にいるあいつにも。


 全部抜け落ちたと思っていた。誰かの中にいても、俺の中にはいないと思っていた。だけど違った。俺の中にも、ちゃんといた。


「ねぇ、八尋君」


 美咲が伺うように俺を見る。


「今……結構いい雰囲気だと思わない?」


 小声で俺だけに聞こえるように顔を近づける。


「っ……⁉︎」


 視線は自然と美咲の艶やかな唇に吸い寄せられる。忘れられるわけがない。


 花火大会。誰も知らない秘密のスポット。雰囲気的には満点。


 美咲が俺に何を求めているのか。簡単すぎて考えるまでもなかった。


「まあ……今はほら?」


 視線を後ろに投げかける。六花と小春は俺たちのことなど気にせずに花火を見て楽しそうに笑っていた。とても微笑ましくていい光景だ。


 六花のケガを見た時は小春も慌てふためいていたけど、すっかり元通り。じゃなくて。


 いや、まあ? 俺もね、したくないわけじゃないんだよ。でもね、さすがにね。仲直りしたばっかりの妹の横ではね、気がひけるわけですよ。


 お兄ちゃんは欲に塗れた猿だなんて思われたくないからね。妹の前ではまだ紳士でいたいわけ。


 だから俺は断腸の思いでそれとなく今は辞めましょうと目でアピールをする。


「大丈夫……花火に夢中だから気づかれないよ」

「……」


 ど、どうした美咲。誰かに見られるかもしれない状況でいけないことをする背徳感に目覚めてしまったのか!?


 いや、べつにキスは悪いことじゃねぇな。いや違くて! どうした? この前から積極的過ぎるぞ? 俺の心臓の音聞く? そろそろ器から飛び出すよ?


 期待感を持った美咲の瞳が俺を射抜く。


 美咲の顔がどんどん近づいてきて、俺はそれを拒絶することができない。


 美咲はずるい奴だ。俺が拒絶できないって知っててやってる。初めから拒否権なんてなかったじゃないか。この前は自分から来なかったくせに、今日は来るのか?


 いや、この前のパターンもある。


 美咲のことだ。最後は恥ずかしがってまた俺から行くパターンだろう。そうに違いない。


 もし美咲が止まったらここではやめておこう。


 ほら、キスシーンは六花にはまだ早いから。六花はいつまでも純粋でいて欲しい兄の心よ。


 さあ美咲。今日は俺から行かないぜ!


「……ん」


 大きな花火が打ち上がった。


 それと同時に、何かが唇に触れた。当然美咲の唇だ。


 時間にして一瞬。今度は体感時間も一瞬だった。


 それでも確実に、美咲の艶やかな唇が俺のしょうもない唇に触れたんだ。


「うん……やっぱりドキドキするね」


 花火に照らされた彼女の頬は薄く朱に染まっている。呆然とする俺に彼女は笑いかけ、そして耳元でそっと囁く。


 俺にしか聞こえない声でそっと。


「八尋君が望むなら……私、いつでもこれ以上のことをする覚悟はあるよ?」


 妖艶で、それでいて釘付けになるような不思議な魔力を持っていた。


「あ、あぁ⁉︎」


 不意に後ろから空気をぶっ壊す声が響く。


「お兄さんたち、い、今キスしてましたよね⁉︎」

「き、キス⁉︎ お、お兄ちゃん! 私たちの横で何してるの⁉︎」

「え、あ、いや! 見間違いじゃないか⁉︎」

「一瞬でしたけど、ちゃんと見逃しませんでしたよ!」

「お、お兄ちゃん……」


 そんな蔑んだ目で見ないでよ六花ぁ。お兄ちゃん今回は悪くないと思うよ?


 いやほんとにね。だからマジでその目やめて。お兄ちゃんを軽蔑しないで⁉︎


 とまぁ、そんなこんなで今年の夏祭りは騒がしいままに幕を閉じたのだった。



――――――――――――――――――

次回、3章エピローグです。

明日の8時過ぎ更新予定です。

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