第117話 今度は俺が②
「ちょっと口が出ないだけでそう断定するのは早いんじゃないかな?」
やがて実梨が口を開く。
「じゃあ歌ってくれよ。それなら俺も納得するわ」
「恥ずかしいからできないって言ってるんだよ?」
「一節だけでもいいから歌ってくれ。そしたら俺はこれ以上追及しねぇよ」
「どうしても私を歌えないことにしたいんだね」
「ああ。もうわかってるからな。
俺の言葉に実梨が固まる。浮かぶのは驚愕。なぜ、お前が知っているのかと。そう言いたげに。
ひとつ。また俺は彼女の心に土足で踏み入った。
「精神科とか嘘つきやがって。普通に騙されたわ」
「騙してないよ。私が通ってるのは精神科だよ?」
「悪いな実梨。もうその嘘は効かねぇんだ。今度はちゃんと、最後までお前を尾行したから」
週に1回。実梨は学校が終わると足早に姿を消す。一度は篠宮に巻きこまれるかたちで尾行した先でやってきた病院。
「大変だったよ。お前ずっと警戒してるからさ。いやほんと大変だった」
美咲とのお忍びデート。デートの目的は中村実梨の尾行。今度は最後まで。
「どうして精神科が嘘だとわかったの?」
「……違和感があったんだよ。お前が病院に向かうまでの警戒と、俺たちと会って話した時の温度差がさ。ま、最初はちょっとした違和感だけだったんだけどな」
一度は精神科に通っていると言われて終わった冒険。だけど、どうしても違和感が拭えなかった。
佐伯の言った取り繕っているという言葉とあの日の実梨の表情。
実梨は間違いなく最大限の警戒をしていた。わざわざ病院の前で俺たちを迎え撃つくらいに警戒していた。
なのに実梨はそんな雰囲気を感じさせない明るい調子で自分が精神科の通っていることをバラした。あれだけ周りを警戒していたのに、なぜ? 本当に隠したいことはそんな軽い口調で話せない。話せるわけがない。俺は絶対に無理だ。
実体験に基づく予感。そして佐伯の助言。それらを合わせて考えるとたどり着く結論はひとつ。
実梨はたぶん嘘を吐いている。だから確かめに行った。今度は絶対に見つからないようにこちらも最大限警戒をして。
「そしてお前が耳鼻咽喉科に通ってると知って、俺の中で色々繋がるものがあった」
実梨との思い出をひとつずつ頭の中に再現する。
「…………」
「思えば、ことあるごとにのど飴を舐めてたよな? 俺も結構気に入ってたけどさ」
「…………」
「みんなで遊びに行って、お前は篠宮にカラオケって言われた時、一瞬困った表情をしてたよな?」
耳鼻咽喉科。考えられる選択肢はいっぱいあった。
耳が悪いのか? いや違う。彼女は普通に聞こえている。
鼻が悪いのか? いや違う。鼻如きで彼女はあそこまで病院通いを警戒しない。
「レモネード。あれ調べたら喉にいい飲み物らしいな」
その中でなにが一番しんどいか。そう考えた時に真っ先に浮かぶのは喉だ。
アイドルにとって声は命。歌って踊ってみんなに楽しさを届けるのがアイドルの仕事だ。
でも、実梨は普通に喋っている。
「考えれば、お前はずっと喉を気にしていた」
俺は静かに淡々と、俺が今日まで考えてきた推理を披露した。
「アイドルが面倒くさくなって辞めたってお前は言ったよな? あれもなんかおかしいと思ってたんだよ。そして、お前のライブ映像を見てそれも嘘だって確信したよ」
「どうして?」
「ステージで歌っていたお前は、素人の俺が見てもわかるくらい輝いていた。自分は今楽しいんだ。だからみんなも楽しんでほしい。生で見ていなくてもわかるくらい、お前の楽しいが溢れていた」
画面越しにみてもわかる空気感。ステージに立っていたアイドル、中村みのりは応援に来ていたファン以上に、そこにいる誰よりもライブを楽しんでいた。表情から見てもそれがわかる。輝く、純粋な笑顔だった。
「そんな奴が、多少ライブよりテレビに傾倒したくらいで辞めるなんて思えなかった。だからかな、なんとなく予想できたんだよ。ああ、実梨がアイドルを辞めた理由は喉、それに歌だってな」
実梨はしばらく無言で俺を凝視した後、急に「あーあ」と気だるそうな声を出して背筋を伸ばした。
そして彼女は机の上に腰を降ろした。諦めたような、どこか切なげな瞳が揺れる。
「やっぱり……やっくんにバレるのかぁ」
「やっぱり?」
「初めて会って、その次に学校で会って、一緒にバイトをして、私は君を警戒した。この男の子は、馬鹿っぽいフリしてるけど頭はいいって思ったから」
ん? 俺いま褒められてる? 馬鹿っぽいけど実は頭いいってどんな反応すればいいの? いやあ、バレたかとか言えばいいの? なんかその反応が馬鹿っぽいんだけど。全然頭良くねぇな。じゃあ過大評価じゃん。でもそうしたら馬鹿だけ残るんだが!? プラス全部消えたんだが!?
「一応訊くけど褒めてるんだよな?」
もう訊き方が馬鹿そのものな気がしてきた。俺たぶん頭良くないよ実梨。
「もちろんだよ。やっくんがその気になったらいつか私が本当に隠したいこと全部ばれちゃうかもって思った。だから色々種まきをしてたんだよ?」
「種まき?」
「そう。それらしい理由でのど飴を舐めてる説明してやっくんにも渡したし、病院の前で精神科に通ってるって言ってそれ以上踏み込まれないようにしたし、アイドルを辞めた理由を面倒くさいってことにして、その内容もしっかり考えて変にならないようにしたし、色々してたんだよ? 気づいてる?」
「いや全然。お前結構黒いことしてたんだな……」
「それでもやっぱり、やっくんは真実にたどりついた。たどりついちゃった」
「だったら俺から距離を取ればよかったろ?」
ずっといたら真実がバレそうなら、いっそ俺から距離を取ってしまえばよかったんだ。
なのに実梨は俺から離れるどころか、むしろ積極的にそばにいたように思う。そのせいでどれだけ美咲が嫉妬の炎を燃やして可愛くなったことか。
「お前の言ってること、矛盾してるぜ?」
「そうだね。でも、私はやっくんの近くにいたかった」
「どうして?」
「だって、やっくんは……やっくんだけは最初からただの私を見てくれたから。君の近くは……とても居心地がよかったから」
とても嬉しそうに言って、実梨は俺から視線を外して窓の外を眺める。
「ねぇ、やっくん。なんで急にこんな話をしようと思ったの?」
視線を窓の外に向けたまま、実梨は小声で伺うように呟いた。
「お前を助けるためだよ」
彼女の質問に、俺は笑いながらそう答えた。かつて、俺を助けてくれた一人の女の子のように。
「どこが? 隠したかったことを暴かれて、私の心は結構ボロボロだよ? むしろ悪役だよ」
「俺も最初はそう思ったよ。でもさ、前に言ったろ? 心と心で話すのが大事だって。それには一度お前の悩みとか、不安とか、本音とか、全部さらけ出してもらわないと助けられねぇからさ」
上っ面だけの救いに価値はない。気持ちのいい上辺だけの言葉で救われた心はいつか歪んで壊れる。だって大事な部分はずっと壊れたままなんだから。上辺だけ治したってそりゃ完全に治るわけがない。
必要なのは心と心のぶつかり合い。殴り合いだ。その先にしか本当に救いはねぇんだ。
俺は……かつて一人の女の子に救われた。絶望の淵に沈んでいた俺の顔面を本気で殴り飛ばして、俺も殴り返して、それでも最後には手を引っ張って、背中を押してくれた女の子がいた。
そして俺はこうも思った。次は俺が、彼女のように誰かを助けられる男になりたいと。
大事な友達が困ってたら、真の意味で助けられる人になるんだと。
それが、今だ。
「もう今日ここに来た時点でお前に逃げ場はない」
俺は椅子を引っ張り出して実梨の隣に座る。
見上げる俺と見下ろす実梨。また俺が見上げるポジションか。でも、今回はあの時とは立場が逆だ。
俺は美咲にはなれない。だから彼女みたいに優しく心を照らすことはできない。彼女のような立ち回りは俺はできない。
でもそれでいい。俺が美咲になる必要なんてない。美咲は美咲。俺は俺。
「全部話すまで帰さねぇから思い切って全部話せよ。どんなお前の悩みでも、俺が全部受け止めてやる。だから、一人で抱えるのはもうやめにしようぜ?」
俺は、俺のやり方で実梨と向き合うんだ。
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