第119話 今度は俺が④
俺は実梨に自分の全てを語った。
ある日突然記憶を失くした凡人は、ひたすらに過去の自分を求められていると錯覚し、今の自分は必要ないと思い込んでいたこと。
それが嫌で逃げ出して、そこでも過去が追いかけて、絶望して塞ぎこんで、自分は誰なのかわからなくなったこと。
だけど一人の天使が俺の隠していた絶望を掘り起こして、ぶん殴って、でも最後に手を差し伸べて救ってくれたこと。
俺は俺。過去も全部ひっくるめて全部俺。そんな簡単なことに気づかされた凡人が、過去を清算して前に進むまでの話を。
一人の天使に救われた優しい幸せの物語を。
「その凡人っていうのは?」
「もうわかってるだろ? 俺だよ」
「やっくんが記憶喪失?」
実梨は信じられないといったように俺を見る。
「言われないとわかんねぇだろ? こう見えても俺、中学3年生以前の記憶が全部ねぇんだよ。だからアイドル中村みのりのことなんて知らなかった。まあ2年分の記憶があるのに知らねぇのは、俺があまり周りに目を向けてなかったのもあるけどさ」
「そうだね。全然わからなかったよ……」
「そうだ。言われないとわかんねぇんだよ。お前が本当は絶望していたこともな」
「…………」
「実梨。お前の失敗はそれを一人で抱えようとしたことだ。一人で抱えられる重さなんて限られてんだよ。お前はさっさと周りに頼るべきだったんだ」
「そんなの……言えないよ」
本当の悩みだからこそ、下手な人には相談できない。その気持ちはよくわかる。
こんなこと言われたってどうしようもないだろ。一度その思いが湧き上がると動けなくなる。
俺がそうだった。相談したって、みんな困るだけだろ。そう思って動けないでいた。こんなに悩み誰にもわかるわけないって、そう思ってた。
「そうかもしれない」
だけど、実梨は俺とは違う。
「でもお前には、一人だけいたはずだ。いつでも味方になってくれる心強い人が」
「……まゆちゃん」
実梨はポツリと漏らすように囁いた。
「そうだよ。お前はもっと早く委員長に全部打ち明けるべきだった。お前だってわかってるだろ? あいつお前のこと大好きだぞ? そうしたらあるいは……まあ結果論だけどな」
だから、と俺は続ける。
「とりあえず、まずは俺が委員長の代わりになるわ」
俺は腰を上げて実梨の前に立つ。
今度は俺が、彼女を見下ろす。
「居場所を探してる? 何馬鹿なこと言ってんだよ。お前は、とっくに居場所があるだろ」
「そんなの……わからないよ……」
俺は実梨の肩を掴んで腰を落とし、実梨と視線の高さを合わせる。
「実梨、俺を見ろ。今お前の目の前には誰がいる?」
不安そうな瞳。全ての鎧が剥がれた、ただのか弱い少女の瞳。
「やっくんしか見えないよ」
「そうだ。俺がいる」
俺は続けた。
「美咲がいる。篠宮がいる。佐伯がいる。ハカセがいる。杉浦さんがいる。柳さんがいる。ボスがいる。そして、委員長がいる。学校でのあの空間は、バイト先でのあの空間は、誰がなんと言おうと、実梨がなんと言おうと、とっくのとうにお前の居場所だよ」
「みんなが優しいのは知ってる……だから怖いの。いつアイドルだった頃の私が、みんなに迷惑をかけるか……みんなの居場所を私が荒らすか怖いの。だからみんなのところを私の居場所にしちゃいけないんだよ」
「くだらねぇ。アイドルの中村みのりの影? そんなものはお前が勝手に思い込んでるだけだ」
「そんなことない! だって多くの人は、私と話す時に萎縮してる! こんなの普通には程遠いよ! バイト先にだって変な人が来た! 私は、いつか私のせいで、みんなのいる優しい世界が壊れるのが怖いの!」
「馬鹿か!」
俺は実梨の叫びを蹴り飛ばす。
「お前みたいな可愛い奴に話かけられたら、男でも女でもだいたい萎縮するに決まってんだろ! 可愛い子に話しかける時、話しかけられた時、大抵の人間は不快に思われないかビビりながら話すんだよ! そこにアイドルも一般人も関係ねぇ。世の凡人たちのクソメンタル舐めんな!」
俺だって最初美咲と話すときは心の中で何回も会話のシミュレーションしたんだからな? 知らねぇだろ?
凡人は往々にして可愛い子と話すときはどこかキョドるクソメンタルなんだよ。芸能畑にずっといて、周りも美男美女に囲まれてばかりで、一般人に対する知見が足りねぇんだよお前は。
それにいつもいるのが一般の枠を外れたイケメンとイカレ眼鏡だからそう思うんだよ。あの中で常識人は俺だけだからな?
「じゃあやっくんはなんで普通なの!? 言ってること全然あってないよ!?」
「それこそ愚問だな。俺には美咲っていう超絶大天使がいるんだよ。いくら実梨が可愛かろうと、普段からそれを凌ぐ可愛さを目の当たりにしてりゃお前如きでは萎縮しねぇ」
そう、俺には大天使がいる。あの世界を揺るがす可愛さを毎日目の当たりにしていたら、国民的アイドル如きで萎縮するわけない。まあ、ちょっとドキッとすることは多いけど? でも萎縮はしてないから。ね?
「お前が勝手に、お前を決めつけてる。ちゃんと周りを見ろ実梨。お前が思う以上に、みんなちゃんとありのままのお前を見てる。お前一人が入ったところで壊れるような場所でもねぇ。それから目を背けてるのは他でもないお前だ」
「でも……」
「お前の絶望はお前のものだ。だから最終的にはお前自身でケリをつけるしかねぇ」
俺の時だって、最後は自分の意志で過去を振り払った。
歌を失い、居場所を失い、全てを失った実梨が立ち直るには、彼女自身でケリをつけるしかない。そこに俺が立ち入ることはできない。最後は自分で。そうしないと傷はずっと残ったままだ。
「それでも、一人で立てねぇなら俺が支えてやる。迷子だって言うなら、本当に居たいと思える場所ができるまで俺がお前の居場所になってやる。生きがいを見失ったなら、見つかるまで俺も一緒に探してやる。お前が絶望の淵から抜け出すまで、俺も一緒に悩んで苦しんでやる。だから覚悟を決めて顔を上げろ中村実梨。いつまでしけた面してんだ? それでもアイドルか?」
俺は実梨に手を差し出した。
俺は美咲にはなれない。だから誰かを引っ張ることはできない。後ろから背中を押してやることはできない。心を光で照らすことはできない。
でも、支えることはできる。居場所になることはできる。何かを一緒に探すことはできる。辛いとき、一緒に悩んで苦しむことはできる。美咲にできたことができなくても、俺にしかできないことがある。
同じく絶望の淵にいたからこそ、俺は引っ張れなくても、背中を押せなくても、一緒にいてやることができる。
これは、俺にしかできないことだ。
「もう一人で抱えるな。これからは俺も一緒に背負ってやる。知ってるか? 二人で背負えば、一人分の重みは半分になるんだぜ? お前ほどの重さなら効果絶大だ」
「なにそれ……そんなの当たり前じゃん……あと女の子に重いとかデリカシーなさすぎだよ……」
「悪かったな。でも、そんな当たり前のことに気づいてなかったんだよ。俺も……お前もな」
思えば、救いの手を差し伸べてくれたのは美咲だけじゃなかった。佐伯、それにハカセ。俺が塞ぎ込んでいた時、あいつらは俺を屋上に誘い、そして俺を助けようとしてくれていた。なのに俺はそれを振り払ってしまった。今になってこそ思う。あの時その手を掴んでいれば、あいつらに頼っていれば、また少し違う解決の道もあったのかもしれない。
でも結局、そんなことは終わってからしかわからねぇんだ。だからこそ、反省したからこそ、実梨には俺と同じ道を辿ってほしくはない。
一人で抱えたって、何も良いことなんかねぇんだから。
「やっくんは、私の不安を、悩みを一緒に背負ってくれるの? 最後まで一緒に付き合ってくれるの?」
「当たり前だろ。友達が困ってたら、助けんのが友達なんだよ。そんでお前は、救いの手を差し伸べられたら黙って掴んでありがとうって言えばいいんだ。迷惑とか気にすんな。それが友達なんだよ」
「……私、結構重いよ?」
「それぐらい覚悟してる。そうでなきゃこんな酷いことはしねぇよ」
実梨は迷うように手を出しては引っ込める。だけど最後には小さな力で俺の手を掴んだ。
そして、実梨は自分の意志で机から降りた。地面についた拍子によろけた実梨の体を支える。
目と目が合う。実梨の儚げな瞳には、僅かにだけど光が見えた。
「本当に……やっくんは酷いやつだ。私の全部、さらけ出されちゃった。もう……容赦しないよ?」
「任せとけ。それに、俺以外にも頼れる味方はいる」
「え……?」
俺は空き教室の入口を指させば、そこには人影が二つ佇んでいた。
一人は我が最愛の大天使美咲。
そしてもう一人は、
「お姉ちゃん……」
「まゆちゃん……」
すれ違っていた姉妹の片割れ。われらがクラスの委員長。
さあ、ここからはバトンタッチだぜ委員長。
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