第93話 これも一種の恩返し①

 委員長に余計なおせっかいのような言葉を残した数日後、放課後の教室ではいつも元気なポニーテールが珍しく真剣な顔で机に向かっていた。


 本格的に夏へと移行していくこの季節。学校ではクーラーが解禁されたが、時たま換気のために窓を開けるとムワッとした風が肌にこべり着く。嫌な季節になってきたなぁ。


 とはいえ制服が夏服になったことで、一部の男子は喜んでいるようだった。これだから欲望にまみれた男はいけない。もし美咲をそんな目で見るやつがいたら藁人形で呪ってやるから覚悟しろよ。


 そして、せっかく珍しいものを見た俺はなんとなく篠宮にちょっかいをかけたくなった。


「篠宮なにしてんの? 反省文?」


 こいつならうっかり校長先生のカツラふっとばしてもおかしくないからな。大いに反省してほしい。


「違うわ! 見てわからないの!?」

「いやべつにそこまで内容に興味なかったから全然わかんね」


 ただちょっかい出そうと思っただけだし。


「ちょっとは興味持ってよ!? 私さっきから困ってるアピールしてたよ!?」

「え、あの真剣な顔って困ってるアピールだったの? 誰も気づいてねぇみたいだけど?」


 今教室に残っている人は俺含めて数人しかいない。


 美咲は今日は先に店に行くと言って一足先に帰った。


 俺もこの後バイトがあるけど、今日は待ち人がいるから少しここで時間を潰そうとしていたところ。待ち人は日直の仕事が残っているらしい。


「私はざっきーにアピールしてたの!!」

「え、俺狙い撃ち?」

「だって隣にいるのざっきーしかいないんだから!!」

「まじかよ……急に用事思い出したから帰るわ」


 よく考えたら俺が待ち人を迎えに行く選択肢もあるわけで。面倒くさいことになる前に迎えに行くのも悪くない。


 そう思って横を通り過ぎようとしたら、篠宮にガッチリ腕を掴まれた。


「動けないんだけど?」

「ざっきーは困っている美少女を見捨てるの!?」

「美少女……」


 俺は携帯のカメラをインカメにして篠宮に向けた。


「何してんの?」

「いや、鏡の代わりになるかと思って。美少女どこにいんの?」

「ふんっ!!」

「おおっ……」


 腹部に強烈な痛み。見ればもう片方の篠宮の腕が俺の腹に思いっきりめり込んでた。


「相変わらず暴力に訴えるのか貴様は……」

「私だって結構モテちゃう美少女なんだからね!!」

「ええ……嘘だろ……」

「ざっきーはみさっちばかり見てるから感覚がバグってるんだよ」


 言われてみれば確かに。俺の中の美少女言えば美咲だ。あの麗しき天使様以上の美少女なんて存在しないし、美少女の基準は美咲と同等であるかになる。


 それはつまるところ世間一般のそれとはかけ離れているということか。ふむ。一理ある。


「いや、そんな真剣な目で見つめられるとさすがの私も少し照れちゃうんだけど……」


 どこか目を泳がせている篠宮を改めて観察する。


 確かに、近くで見れば篠宮も中々に整った容姿をしている。マスコット的な可愛さ。


「たしかに篠宮もよく見たら可愛いな。さっきの言葉はなかったことにしよう」

「か、かわ!?」

「なんで顔赤くしてんだよ篠宮。お前が最初に自分のこと美少女とか言ったんだろ。それに答えただけなんだが」

「いや、だって急に素直に褒めるから!?」

「事実を言っただけだろ」


 美咲フィルターを除外して見れば、篠宮は可愛いと思ったからそう言っただけ。


「はわっ!?」


 だけど篠宮はなぜか顔を赤くして唇をわなわな震わせていた。


「どうした? 日本語喋れないくらいゴリラに侵食されたか?」

「ふ、ふぇ!?」


 あれ、マジで言葉通じてねぇな。これはゴリラ語で話した方がいいってことか?


 仕方ねぇな。やったことねぇけど試してみるか。


「ウホ、ウホホホホウホウホホ?」

 訳。篠宮、お前の好きなバナナの品種は?


「は?」


 しかし篠宮には響いていない様子。


 なんかやばい奴を見る目で見られている。おかしいな。


「ウホウホ、ウホホウウホホホウホホウホホ」

 訳。おいおい、お前がそんな目をするのはおかしいだろ。


「何してんの?」

「いや篠宮と会話できねぇからゴリラ語で話せば通じるかと思って」

「ゴリラ語?」


 おいおい篠宮、そこはしらばっくれるところじゃねぇだろ。


 お前の仲間の言葉だぞ? 忘れたのか仲間の言語を? 俺は何も知らねぇけどさ。


「すぐに手を出すからゴリラの末裔かと思ってさ。通じなかった?」

「あん?」


 やっぱり使ったことねぇ言語は使うもんじゃないな。たぶん文法とか違ってたんだろうな。もしくは単語。


 英語もそうだけど、文法と単語をしっかり理解してないと文章を書けないし読めないからな。ゴリラ語もそう。しっかり文法と単語を理解せずに語ったから意味が通じなかったんだろう。俺の訳テキトーだしな。ウとホを適当に繋げただけだし。


「ゴリラ語って奥が深いんだな」

「ふんっ!!」


 またも篠宮のこぶしが俺の腹にクリーンヒット。さっきと同じ場所。スズメバチなら俺は死んだ。


「なんで!?」


 なぜまた殴られなければならない!? 会話ができなかったからこっちは頭ふり絞って会話の方法考えたのに酷い!!


「自分の胸にきいて」

「さっぱりわかんねぇなぁ」

「なんで私の扱いはそんなに雑なの!? みさっちと全然違う!!」

「そりゃお前を美咲と同等に扱うわけねぇだろ。美咲は天使だぞ?」

「じゃあ私は?」

「ゴリラ」

「ふんぬっ!!」

「ごふ……」


 同じ場所に三回目の攻撃。スズメバチだったらオーバーキル。


 怒る篠宮をよそに、俺は彼女が格闘していたプリントを見る。数学の問題だった。まだ空白が多い。それに回答を記入している部分も半分以上間違えている。


「ここ、公式の使い方間違えてるぞ」

「え、うそ!?」

「そんなことで嘘ついてどうすんだよ」


 やはりゴリラには理数系が一番難しいか。全部バナナの本数で計算できればいいのに、高校の数学はそこまで優しくねぇからな。


「で、篠宮のそれはなんなんだ?」

「これはあれだよ。中間検査が赤点だった科目の救済課題ってやつ。これをちゃんと終わらせたら赤点をなかったことにしてくれるって先生が私に慈悲をくれたの。これが普段の人徳だね!!」

「なるほどなぁ」


 赤点の課題か。中間試験の時に魂が抜けてたから出来は悪いとは思っていた。ここまでだったとは。


 まあ普段の人徳とかその辺の話は無視してもいいだろう。


 俺は篠宮の前の席に座った。女子の席だけど許してくれるよね? もう教室には俺と篠宮しか残ってないし、「神崎が座ったとか勘弁」とかこのクラスの女子は言わねぇだろ。きっと。それになんか最近よく女子に話しかけられるようになったし人権はあると思いたい。


「ほれ、じゃあさっさと終わらせるか」

「え……?」

「なんでお前が驚いた顔してんだよ。手伝ってほしかったんだろ?」

「いいの?」


 だからなんでそんな及び腰なんだよ。お前が助けを求めて来たんだろうが。


 待ち人はまだ来ないし、ただ無為に時間を潰すよりはこいつを助ける方が気分もいい。なんだかんだ困ってる友達は放っておけないしな。


 それに美咲との一件では篠宮も裏で暗躍していたし、その時の恩は返さねぇとな。

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