第66話 天使の旅路⑦(美咲 side)

 そうして中学校を卒業して迎えた春休み。卒業式では周りが別れを惜しんで涙を流している中、私は未来への期待感に胸を膨らませていた。


 高校1年目は八尋君と同じクラスになれなかった。こればっかりは運だから仕方ない。でも、時折廊下ですれ違うと自然と視線は彼の姿を追ってしまった。


 あっという間に1年が過ぎた春休み。家のリビングでお父さんが何かを眺めていた。近づいて覗き込むと、それは履歴書らしきものだとわかった。光の反射でところどころよく見えないけど。


「ん? ああ美咲か」


 お父さんは振り返って言う。


「それどうしたの? 新しいアルバイト?」

「そうだね。来年から高校2年生で、美咲と同じ高校だよ」

「へぇ、そうなんだ」


 お父さんは飲食店を経営している。小さい頃はよくお手伝いと称して店に顔を出していたけど、最近はめっきり顔を出さなくなっていた。


「そういえば、杉浦さんはまだいるの?」


 昔よく面倒を見てくれていた杉浦さん。見た目は少し怖いけど面倒見のいいお兄さんという印象だった。


「大学卒業まではいるって言ってるね。こっちとしてもありがたいよ」

「それなのに新しいバイト募集するの?」

「先を見越してもう一人くらい長くやってくれそうな人が欲しくてね。それに最近お店も繁盛してきてるし、高校生ならうまく馴染んでくれれば長くやってくれそうな気がするんだよね」

「じゃあ採用するの?」

「うん。彼の名前を見た瞬間、僕は採用しか考えてなかったよ。運命ってあるんだね」


 そう言ってお父さんは私に履歴書を見せてくれた。


「……絶対採用した方がいい‼︎」


 履歴書に載っている名前と写真を見た瞬間、私は食い気味にお父さんに進言した。


「美咲ならそう言うと思ったよ」


 偶然とは、こうも連鎖的に起こるものなのか。私はさらに未来への希望に胸を躍らせる。


 神崎八尋。履歴書に書かれた名前をもう一度見て、私は人知れず笑みを溢した。


 高校2年生の新学期初日、登校する道の途中。真新しい制服姿の人たちをたくさん見かけるけど、それとは別に彼の姿を探す。クラス替え。今日は1年で一番大事な日だ。


 クラス決めの張り紙で自分の名前を探す。相原美咲は大抵最初の方にあるから、上澄みだけを見ればすぐに自分のクラスを把握することができた。


 それとは別に、彼の名前を探す。同じクラスじゃないかな。


「いた!」


 見つけた瞬間に小さく拳を握ってしまった。同じクラスだった。今年は幸先が良すぎるスタートだ。


 教室の入り口には座席表が貼ってある。私は窓際の1番前の席。大抵いつも1番前で少し嫌だったけど、今年は違った。私の隣の席に座る人の名前を見て、私はまた人知れず幸せを噛み締めた。


 クラスではみんなどこか落ち着かない様子だった。私はそんな空気を感じながら、まだ空いている隣の席をじっと見つめた。


 彼は時間ギリギリにやってきた。教室に入ってきた彼は、座席表を見てがっかりした様子で肩を落としていた。たしかに1番前の席だとそんな反応になるのはわかる。


 彼は眠たそうにあくびをしながら席に座った。


 入学試験以来、至近距離でしっかりと見る彼の姿。水族館の時や試験の時とは違い、同じ制服に身を包んだ彼が隣にいる。これからは一緒のクラスで同じ時間を過ごせるんだと胸が高鳴る。


 とはいえ、彼の記憶に私はいない。いちから関係作りを始めないと。


 話しかけたいのにどう話しかければいいのか考えてしまう。おはよう、かな。それとも試験の時に消しゴムを貸したこと覚えてる、かな。いきなりおはようって話しかけられたらビックリしないかな。


 普段だったらこんなことで物怖じしないのに、八尋君と話そうとするだけで、どうしていいかわならなくなる。チラリと横を見ては、また視線を前に戻す。そうこうしている内にどんどん話しかけられなくなっていく。


 時間も時間だし、別にいまいきなり話さないといけないわけじゃない。そう自分に逃げ道を作って諦めようとした時、


「えっと……試験の時も隣だったよな?」


 不意に隣から声が聞こえた。


「え、あ、うん。覚えてたんだ?」


 話しかけてくれたこと、覚えてくれていたことが嬉しくてニヤニヤしそうになる心を律する。自然な笑顔を心がけなくては。いきなり変な人だと思われるわけにはいかないし、かと言って仏頂面だと印象が悪くなる。


「いやぁ、その、あれは忘れられねぇよなぁ」


 八尋君はしみじみと思い出すように言う。


「べつに気にしなくて大丈夫だよ」

「いやほんと、試験に受かったのはあなた様のおかげですよ」

「相原美咲」

「へ?」


 突然の自己紹介に八尋君は固まった。


「わ、私の名前!」

「あ、はい」

「これからよろしくね。か、神崎君」

「よろしく、相原」


 八尋君は柔らかく笑った。本当は名前で呼び合いたかったけど、今はまだ。これから時間をかけてまた仲良くなればいいんだ。


「ん? そういえば俺相原に名乗ったっけ?」

「教室の座席表に書いてあったから」

「あぁ、なるほど」


 よく見てるなぁ、と八尋君は感心した様子だ。本当はもっと前から知ってるんだよ。


 そうして私と八尋君の高校生活は幕を開けた。


 と、思っていたんだけど……。


 去年もそうだったけど休み時間になると私の周りにはいつも人だかりができていた。同じクラスで勉強をする仲間だ。それに友達じゃない人に話しかけるのは結構勇気がいることだと思うし、話しかけてくれたことを無碍にするのはいけないことだ。


 本当は八尋君に話しかけたいのに、朝と帰りの挨拶くらいが精々だ。なんとももどかしい。


 こうして人気者なのも今のうち。その内グループができあがればこの人だかりも落ち着くだろう。


 私は方針を変えて、まずは八尋君の人となりを観察することにした。


 みんなと話す合間で観察していると、八尋君は基本的に一人で行動をしていた。しかし、完全に一人と言うことではなく、話かけられれば普通に楽しそうに話すし、見る限りでは誰とでも分け隔てなく普通に話している。


 それなのに、昼休みになれば人知れず姿を消してしまう。昼休みの終わり頃にふらっと戻ってきてはいるが、やはり一人で戻ってきている。


 教室ではよく斜め後ろの席の結菜ちゃんが八尋君にちょっかいをかけていた。結菜ちゃんはクラスの元気印といった感じで、八尋君と同じで誰にでも変わらず明るく接している。その辺りの波長が八尋君と合うのだろうか。ちなみに結菜ちゃんはよく自分で付けたあだ名で私達を呼ぶ。私はみさっち、らしい。


 教室の中ではみんなと仲良くしているのに、教室を出れば一人で行動していると思われる八尋君。でも、別のクラスの誰かといる可能性はないだろうか。教室外での彼の行動は誰も知らないだろうから、否定しきれなかった。


 その考えが生まれると、私の中でどうしようもない不安がよぎる。今の八尋君の人当たりは抜群にいい。いつ他の人に好意を寄せられたってなんら不思議はない。現に今だって陰で誰かがアプローチしていたっておかしくはないんだ。


 バイトも正式に始めたらしく、お父さんが楽しそうに八尋君の話をしていた。物覚えが良く、接客も凄く丁寧だと。先輩にも早々に気に入られているみたいだ。私もいつかはお店に顔を出そう。今はまだ八尋君もバイトに慣れようとしている最中だし、余計なことはしたくない。


 だけど、彼が誰かにちょっかいを出されていないかは確認する必要がある。なので私は幼馴染に協力をお願いすることにした。

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