3.美しすぎるパイロット(男)


 瀬戸内海を飛び立った輸送機は、アクアマリンの珊瑚礁の海へと目指す。


 小笠原と呼ばれる部隊は、いまは二つの島に別れる。


 藍子が生まれる前に海底噴火で突如できあがった『新島』という大きな島が、いまは自然保護区域の観光街と、激化する領海領空侵犯の防衛に重きを置いた『東南諸島司令部』という大型の基地をおいている。


 もう一つは、この小笠原の軍事の礎となった初期時代の『小笠原総合基地』が小さな島にある。


 古い基地には元々あった『空部隊』がそのまま残っている。そして近年出来たばかりの『航空訓練校』。

 藍子と祐也が研修に向かうのは、小さな島、古い基地の『小笠原航空訓練校』だった。


 そこに日本国内に所属する国際連合軍のパイロットたちの仮想敵を担う『アグレッサー』が所属している。その最強パイロットの男たちから訓練を受ける。


「なんの訓練なんだろうなー」


 輸送機の座席、隣に座っている祐也が呟いた。


「わからない……、私のせい、かもね」

「おまえのせいなら、俺のせいでもある。ジェイブルーに乗るなら二人で一人だ。そんな言い方するな」


 こんな時、藍子の胸がきゅんとなる。なにもかもが噛み合っている相棒。祐也じゃないと飛べない。


 だからお願い。女としては諦めているから、パイロットとしては一緒にいつまでもいさせて。そんなささやかな願いも許されないのだろうか。

 舞い上がるときめきの後に、近頃は苦い思いも襲ってくるようになった。


「あー、それからさ。えっと、こんな話、おまえに申し訳ないんだけれどさ。うちの里奈が悪かったな」

「え?」


 祐也がうつむいた。


「俺のスマホ、勝手に弄ってなんか送ったんだろ。二度とやるなと言っておいた」


 ああ、だから。『おまえのせいじゃない』と妻がやってしまったことを詫びるように言ってくれたのか……。そう気がついてしまいまた藍子は落胆する。


「いいよ。里奈さんの気持ち、同じ女だから良くわかるんだよね。旦那が女と、しかも訓練校時代から所属基地に部署まで、飛ぶ機体まで一緒で腐れ縁だったら気にもするよ」


 いや、気にして欲しくなかったのに、残念なことにいまはそうなってしまった。


「失敗だったな」


 祐也がぽつんと呟いた一言に藍子は首を傾げる。


「失敗て……?」

「婚約した時。おまえの紹介の仕方を間違えていたかもな」

「そうかな。祐也はきちんと紹介できていたよ。でも、私と祐也は付き合いが長すぎて、もしかすると気がつかない馴れ馴れしさを里奈さんに見せていちゃったのかも」

「かもな。俺もそう思っている」


 それも苦い思い出かもしれない。祐也が結婚するショックを隠して、祐也が婚約者を相棒のおまえをに紹介したいというので泣きたい気持ちを抑えて会った。


 しかし里奈は会ったその瞬間から不機嫌な顔をしていた。祐也も気がついていたのだろう。それを取り繕う祐也の様子が余計に彼女を傷つけたのかもしれない。


 女同士仲良くしてくれよ。こいつ、ほんっとに凄いんだよ。男顔負けの操縦をしてさ。もう同期だから俺たち遠慮もないんだよ。男とか女もナシ!


 藍子を上げつつ、彼女にこいつは女じゃないと気遣いつつ。男ばかりの職場で生きてきた男がやっと手に入れた若くてかわいい女性。祐也もどことなく扱いに慣れていなかった。


 その紹介をされた後にも一悶着あったらしい。里奈が結婚式には藍子を呼ぶなと言い張って、祐也も『それだけは勘弁してくれ。相棒のパイロットを呼ばない、しかも女のパイロットだから余計に意識して呼ばなかったと思われるし、基地内での仕事に噂が立って支障が出る』と訴え、渋々里奈が了承してくれたという話を他の同期生から聞いてしまった。


「里奈が言うんだよ。藍子は色気があるから、藍子がその気になれば俺は一発で落とされると思ってるらしい」

「色気? どこが? 汗まみれで空を飛ぶだけのパイロットだよ。むしろ、里奈さんのほうがやわらかくてかわいいくて女らしい匂いがあると思うけど」


 祐也が藍子を女と見ずに、里奈に惚れたのはそういうことだと藍子もわかっている。どんなに彼女の目で、夫の相棒が色気がある女と見えても、祐也の目にはただの相棒。


「でも、里奈はそう思っている。藍子だってそうだろ。女として見てもらえること多いだろ。時々その色気につられるのか、男を簡単にひっかけてくるだろ」

「簡単にって、失礼な。きちんと婚活とか、他の女性隊員が持ち込んでくれたコンパで気があった人と出会っただけじゃん。色気じゃないって」

「ほら、そういうところで、結局、男がおまえにちょっかいは出してくれるだろ。俺はおまえにはその気にならない」


 もう死ぬほど泣きたい会話になっていて、藍子は祐也から顔を反らした。


「おまえもさ。なんでそうして気に入ってくれた男とちゃんとしないんだよ」


 祐也のことが好きだからじゃん! だから他の男とは長続きしないんだってば! そう叫びたい。


「こっちが常に防衛で空を飛んでいることを知れば知るほど引かれちゃうんだよ」

「けっ、情けねえ男ばっか。防衛で疲れて帰ってくる女を癒してくれる懐でっかいヤツを探せよ。ああ、そうだ。やっぱ隊員同士がいいだろ。俺の知り合い、紹介しよか」

「祐也の知り合いは、私の同期生ばっかで紹介にならないでしょ。違う部署に勤めたこともないから顔見知りばっかり」

「はあ……、そこなんだよな。よっし、ジェイブルーの後輩の同期に頼んでみる!」

「余計なお世話!」


 男を探せ。そこまで言われてもう藍子の絶望は頂点……。ふだんここまで色恋と各々の異性関係についてつっこなくなっていたため、今日の祐也のぶっちゃけ具合が盛大すぎる。


 それだけ妻の里奈に『女の相棒との関係をなんとかしろ』『妻の私の気持ちをなんとかしろ』とせっつかれていることが透けて見える。


「ま、ともかく。結婚する時に疑わしくなければスマホのロック解除は妻にも教えろと言われて、そうしちゃったんだよ。俺だけしかできないロック設定なんてした日には発狂されてさ。つまり、またやるかもしれないから、やったら内密に俺に報告しろよ」


 もう、やだ。なにその嫁に尻敷かれっぱなしなの。スマホは夫と妻でも個人の所有物なんじゃないの。まあ、でも、奥さんががっちり管理しているのは別になんとも思わない。でもその管理が藍子と夫のコンタクトを見張るためだとなると、どれだけ藍子を目の敵にしているかとビシバシ伝わってくる。内密に教えたことがばれたらさらに恨まれそうで、それも怖い。もうほんとやだ。


 ほんとうは奥さんとも生まれた赤ちゃんとも仲良くしたかった。そっと想いを秘めたままでいい、あなたたちの幸せは壊したくない、そっと見守る。でも空は彼と飛ぶ、これからもずっと。そう思い描いていたのに……。やはり彼女に嫌われるなにかがあったのだろう。こんなに毛嫌いされたらもう修復もできない。


 いつまでも諦められない私が悪いんだ……。頭でわかっていても割り切れない思い。なるべく彼女の目に入らないようにしていたのに、離れていても、毎日目の前にいる夫からどうしても女相棒の影を見てしまうのだろう。


 もしかすると、彼女を嫌な女にしているのは藍子のせいなのかもしれない。


 彼が結婚して三年。もうこじれるだけこじれているんだとこの日、藍子はやっと自覚した。





 輸送機はゆっくりと珊瑚礁の海を降下していく。窓の真下はもうアクアブルーの海。その透明度に驚かされる。小魚が泳いでいるのは見えるほど。


 まぶしい太陽の光、真っ白な滑走路が見えてきた。鬱蒼とした緑に包まれている島山の麓に、小さな街のようなアメリカキャンプと基地がある。

 何度も見てきた研修先だけれど、来るたびにその青さと明るさに心が洗われる。


 片想いの相棒と荒れた心も束の間、優しく穏やかになる。




 ―◆・◆・◆・◆・◆―




 到着した当日。小笠原航空訓練校内にある講義室ですぐに研修の顔合わせがあった。


 研修は十日間。その間は基地内の寄宿舎に宿泊する。


 講義室に集まってきたパイロットは二十名ほど、つまりジェイブルーの搭乗ペアが十組ということだった。


 その中で女性パイロットは藍子ともう一人。あとは男性パイロット。渋い風貌のベテランから、若手まで幅広い人選になっている。


 室内は張り詰めた空気。若いパイロットは緊張している。それは藍子も祐也も同様だった。何故なら、この小笠原は業務とは別に『最高のパイロットが集められる』基地になっているから。


 いちばんは『雷神』という伝説のフライトチームを復活させ、年齢経歴関係なく腕前の見込みが有ればスカウトされ、ここに来ただけでエリートパイロットの仲間入りになる。元は藍子が非常に憧れた女性パイロットの先駆け『ミセス』と呼ばれる御園葉月少将が復活させ足下を固めた後、パイロットなら誰もが憧れた元エースパイロット『城戸雅臣准将』、通称『ソニック』がいま指揮をしている常に話題性に溢れたフライトチームがあること。


 第二に、雷神設立の後、さらにパイロットたちの技術向上のために、日本国専用のアグレッサー部隊を設立したことだった。


 小笠原の訓練校に『教育部』という形で所属するそのアグレッサー部隊は『伝説の火トカゲ サラマンダー』と呼ばれ、雷神の雷いかずちに打たれて燃えても火蜥蜴には通じない何食わぬ顔という意味を持つ。つまりトップフライトの雷神よりも実力実績を積み上げてきた本物の男たちが配属される。


 だいたいが一目おかれるフライトチームにいる経歴をもつ。岩国でいえば常にスクランブルを背負い対馬海域を護る要、護り人職人の『空海』だったり、横須賀で言えば古くからアクロバットチームとして有名な『マリンスワロー』でとことん精密な飛行を叩き込まれていたり、そして小笠原の『雷神』で過酷なコンバット1対9でガチンコで鍛え上げられていたり。そういう男たち。


 その彼らがいまからこの講義室の正面にやってくるから緊張している。


 アグレッサーの部隊長は昨年から新任、元雷神パイロットリーダーだった『スナイダー=ウィラード大佐』。雷神フライトで飛んでいた時は『スコーピオン』と呼ばれていた実力者。一昨年、コックピットを降りてからサラマンダーの現場指揮官、本部長として着任。藍子と祐也は彼の指導を受けるのはこれが二度目。


「ジェイブルーの諸君、小笠原までご苦労だった」


 金髪の渋い男性、ウィラード大佐が壇上に現れた。

 その後からアグレッサーの名の知れたパイロットが数名、大佐に続いて入ってきて、壇上横に設置されているパイプ椅子の前に並んだ。


 もう彼らを見ただけで、ジェイブルーのパイロットたちはさらに表情を硬直させる。藍子もだった。


 サラマンダー飛行隊長は『ジャックナイフ』の称号を持つ元雷神パイロット、フレディ=クライトン中佐。アグレッサーパイロットのリーダー。


 その隣にいる体格のよい日本人男性に、藍子は息を呑む。雷神で誰も到達ができなかったエースコンバットの称号をもらった『雷神エース』の鈴木英太少佐がいた。


 雷神時代からずっと相棒同士のクライトン中佐と鈴木少佐。この二人が対戦相手になると『瞬殺』されてしまうため、ミニッツキラーと言われている。


 相棒同士、タイプは正反対なのに息の合うエレメント飛行。どちらもエースコンバットで最後まで争ったライバル同士。しかもベテランパイロット。


 サラマンダーに移籍してから、さらにその凄腕を発揮し、国内のパイロットがいまいちばん恐れている男ふたりだった。


 その後に続く男たちもパイロットなら誰もが知っている男たちばかり。選りすぐりのファイターパイロットだった。


 さらにその男たちの中でもひときわ華やかに際だつパイロットがいる。


 藍子の隣に座っている相棒がふと笑った。


「ほら、藍子。『クイン』様がこっちを見ている」


 言われてアグレッサーの彼らがいる前方を見ると、本当に彼とばっちり視線が合ってしまう。


 クールなダークブロンドに翠色の瞳、タックネームは『クイン』。ハーフの男、戸塚エミリオだった。


 その彼が藍子と目が合うなりにやりと笑って、そっと手を振ってきた。


 そんなエミリオを見て、藍子はムッとする。いつも研修に来ると彼に『アイアイ、モンキーちゃん』と言われるからだ。


「相変わらずキラキラしてんなー、クインさん。だよなー、広報に『美しすぎるパイロット』と呼ばれてるもんなー」


 そう、彼は広報の売り込みで男なのに『美しすぎるパイロット』と名付けられ、広く知られている男。


 そんな男は藍子を見つけてずうっとニヤニヤしている。


 アイアイちゃん、今回も俺が木から落としてやるよ。そう言っていそうな眼差し。


 なにが美しすぎる、だ。なにが、クイン(女王)だ。綺麗な顔をしていても意地悪い男。


 藍子が気に入らない男の一人だった。

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