16.これはチャンス
祐也がまた隊長に問いつめる。
「異動とは小笠原に転属になるということですか」
「そうなる」
「待ってください。自分には家族が……」
祐也がはっと我に返り言葉を止めた。軍人の転属に家族は理由にならない。理由にするとしたら、それは隊員個人の判断となる。
「そうだな。カープは広島出身、奥さんもだったな。だからこそ、よく話し合ってくれ。アイアイもだ。これから女性としての道もあるだろう。小笠原はここよりもさらに最前線、南の重要基地だ。もう一部隊増員するほどの状況があるのだろう。今回の訓練内容を見ても、岩国よりも対国との接近が過度なのだと思う。女性としての生き方も考慮してほしい」
そこにはこれから結婚出産もあるだろう。大変な部署へ行けば、女としての人生が遠のくと仄めかされていた。
「返事は急がない。意志の確認であって合格者からいい返事が集まらなければ、第五回の研修を実施するそうだ」
「では、もう返答済みで転属が決まっている方もいらっしゃるということですね」
いままでの研修三回ですでに決まっている者がいるということだった。
「そういうことになるな。喜んで転属する者もいるだろうな。あの基地にいてミセス御園やミスター御園、さらにはソニックこと城戸准将の目に留まれば、パイロットとしてレベルアップ出来るチャンスがあるだろうからな」
本州にある連合軍基地よりも、小笠原はとくに国際色も強く、さらには任務に特化した重要拠点となっている。軍人ならばエリートコースの最前線に行けることになる。
「本日はこれまで。異動について相談したいことがあれば、声をかけてくれ」
了解です――と、藍子も祐也も力なく返答してしまう。思わぬ状況になった。
特に祐也は表情が強ばっていた。祐也はいままで運良く地元に近い岩国の赴任だったため、地元の女性と出会って結婚もできた。夫婦そろって両親は広島市内にいて、いまも頻繁に孫を間に会っている。その生活ができなくなるということだった。
藍子は独り身。行こうと思えば身軽に行ける。いまその話を聞いて、間違いなく『転機』だと思った。答は決まっている。キャリアアップの道になるなら行きたい。ただそれは、また祐也と共に飛び続けなくてはならない道でもあった。
これはペアで合格した話だ。片方だけが行きたいと言っても、小笠原側は望んでいないことだろう。
祐也が行くと言えば、いまの状態を継続して、なんとか妻を宥めて仕事をする道を、再度、選ぶことになる。
それでもこれは祐也にとってもチャンスではないのか。里奈がどう受け取るかだった。
家族を選んで断るかもしれない。里奈を説得して小笠原に行くというかもしれない。
もし、家族を選んで小笠原行きを祐也が諦めたら。その時は藍子が岩国から出て行こう。
祐也以外のパイロットとまた息の合う仕事ができるかどうかはわからない。
それでも、心を奮い立たせ藍子は旅立たねばならない。しかし、それは祐也の返答次第だった。
その日も業務を終え、祐也と別れ、藍子は官舎への道を辿る。もう夕暮れも春の色。
ひとり道を歩いていても、あの妙な研修がもたらしたもの、小笠原転属のことばかり考えてしまう。
そうして藍子ははっと気がついた。
「あれ、クインさん……。点数なんか気にするな、って私に……教えてくれた?」
え! それって教えちゃいけない、仄めかしちゃいけないことじゃなかったの? アグレッサーでコーチする側の情報は教えちゃだめなんじゃなかったの?
もちろん、気がつくことなど藍子には出来なかったが、すべてがわかって振り返ると『自信がなさそうな藍子が気にしないよう教えにきてくれた』としか思えなかった。
「え、え。ちょっと待って。クインさんがよくわからないっ」
藍子にちょっかいをかけて意地悪ばかり。でも……。またあの匂いがする。もう髪も身体もシャツも洗ってしまってあの匂いはしないのに。
あのトワレの名前だけ聞いておけば良かった……。と思って、藍子はハッとする。
「ばかじゃないの、私! あの人はもうただのアグレッサーさんなんだから!」
一欠片も思い出にしてはいけない。あの一夜の熱さが藍子を前に向かせたことだけ覚えておけばいいのだから。
―◆・◆・◆・◆・◆―
案の定、この降って湧いた転属話は、藍子と祐也の間に波風を立てるようになった。
本日のシフトは午後から日没まで、二時間飛んで一度基地に戻り、機体整備確認の後、さらに二時間飛ぶシフトになっている。その後、数時間の休養を挟んで、夜間飛行が一回ある。明日は非番になる。
スクランブル指令を受けてから飛ぶ戦闘機部隊と異なり、ジェイブルーは常に空を飛ぶ業務。管制より早く発見することもあれば、領空付近に国籍不明機を管制が確認したらすぐに駆けつけ、不明機を分析するのが役目。
これも昨今の対国との摩擦と国力軍力の増大を恐れ、ようやくこの国が防衛費軍事費を増やしたから出来たことだった。
戦闘機部隊の負担も、少ない機体で賄っていたそこに、ジェイブルーという戦闘能力はないが24時間、空をパトロール出来る飛行機部隊を作ることが出来た。軍人の増員もあり、その人手も増えた。
だからこそ藍子のような女性パイロットにもコックピットに乗り込めるチャンスが増えた。これがミセス御園の時代だったらあり得ないことだったのだろう。
飛ぶ前に藍子はカフェテリアでランチを取る。
その隣に久しぶりに祐也が座り込んだ。
いままで一緒にランチも取っていたが、これからは仕事以外には関与しないと研修終了後に話し合ったとおりに、業務以外は別行動になっていた。
なのに祐也が隣にきた。
「業務の話だ。いいだろ、隣」
「どうぞ。小笠原への話?」
「俺たち相棒だぞ。話し合わずして、勝手に転属話を決断できないだろ」
当然、祐也は家族に相談したとのことだった。
「やっぱり反対された?」
「藍子、おまえはどう考えているんだよ」
「行くつもり」
だよな。と、祐也が溜め息をついた。
「千歳組が合格したということは、ガンズさんとジュニアも小笠原に来る可能性があるんだよな」
「そうなんだろうね。あちらもどう決断するかわからないけれど」
祐也が暫く黙り込んだ後に、話し始める。
「両親は戸惑っている。でも俺が防衛パイロットであることは理解しているから、俺の気持ちで決めろと言われた。里奈の両親は『なんとか残れないか』と言っている。娘が慣れない離島でひとりで子育てをするのが心配だそうだ」
よくある親心かなと藍子も頷く。
「里奈は……、泣いた」
「そっか」
「だが、藍子と別れるなら……、行ってもいいと言ってくれた」
また藍子の胸に鉄の杭を打ち込まれたような痛みが起きた。
「なに。それって私にはチャンスかもしれない話を断れってこと」
「そうは言っていない」
「私が断るということは、ペアでの転属が不可能になって、祐也も諦めるってことなんだよ。それでもいいわけ」
「いや、出来たら行きたい」
「私だけ断ったとして、祐也だけ行く方法を探しているの? これ仕事の話だよ。私情を挟む話じゃないよね」
祐也が黙った。もう藍子は気が遠くなりそうになる。
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