77.空高くゆけ
夫はクイン、妻の私はアイアイ。
夫妻揃ってパイロット、空を飛ぶ、防衛をする職務。
空は快晴、気温は低め。いまここは北の海、苫小牧上空。
『こちら雷神2、クイン。そろそろ降下を始める』
「こちらジェイブルー908、アイアイ。ラジャー」
いま藍子が操縦するジェイブルー機の少し先、目の前に、翼にネイビーラインがある白い戦闘機が飛んでいる。そこに夫の戸塚中佐がいる。
「いよいよですか、緊張しちゃうなー。初めての展示飛行ですもんねー」
藍子の後ろにいる相棒のサニーがそういったが、次には嬉しそうな声で話し始める。
「でもでも、これが終わったら、またロサ・ルゴサですもんね。あー、楽しみ。早く、終われっ」
「もー、わかったから。降下するよ」
「あ、もう千歳が目の前。よっし、やるぞ」
「まずは私から。アイハブ」
「ユーハブ!」
『こちらクイン、千歳基地、滑走路を目視で確認。アプローチに入る』
「ラジャー、こちらアイアイ。同じく千歳基地、滑走路を目視で確認。雷神2と並びます」
『ラジャー、アイアイ』
降下しながら、藍子は千歳基地上空までリードしてくれていた夫の雷神機のすぐ隣へとポジションをキープする。
本日は千歳基地の航空祭。広報部の企画で、領空国境で戦闘機部隊とジェイブルーが力を合わせて防衛していることを感じてもらうために、共演飛行をして欲しいと提案された。
顔出しはしない。しかし、夫が戦闘機部隊、妻が追跡部隊で、結婚後も共に防衛に勤しんでいるというアナウンスと前もってのパンフレット紹介をさせて欲しいとの企画だった。
厳しい部署でも、夫と妻が協力して任務をこなしていること、女性も働ける軍隊だというイメージアップをしたいとのことだった。
藍子は戸惑ったが、エミリオが即答でOKを出してしまった。
そこで藍子とエミリオの機体が二機揃って併走飛行にスピードを揃える。
もう千歳基地の滑走路誘導灯がチカチカ光っているのが見えてきた。地上と会場がコックピットの目の前に――。
『紫苑、いるかな』
夫のそんな声が無線で届く。
「見てますよ。みんな揃って」
『では、行くぞ。アイアイ』
「イエッサー、クイン」
大きさが違う機体が並ぶ。白い戦闘機とジェイブルー色の中等ジェット機。翼を揃え、高度を揃え、目の前は滑走路。ポイントも見えてきた。
『Go、Now!』
夫の掛け声に藍子は操縦桿を動かす。片翼が下へ、機体が90度傾く。コックピットが観客に見えるように横向き飛行、でも藍子のコックピット斜め上には、白い戦闘機がピタリとくっついて、同じ傾きで飛行している。そして夫の顔も見えた。
傾けている時間は短い、その後はすぐに一回転をして滑走路を抜けて上空へ。
『こちらCTS(千歳)管制、ソニック。綺麗に決まっていた。観客の沸く声を聞かせてやりたいよ』
地上で広報展示飛行の監督にあたっている城戸雅臣准将、大隊長からの声に、藍子はふっと少しだけ微笑む。
「ふー、さっすが夫と妻! 息が合っていましたねー。それにクイン機がぴったりと向こうから寄せてくるのも流石です」
小笠原で何度も夫とタイミング合わせの訓練をしたが、やはりリードをしてくれるのは繊細な飛行を得意とするクインのほうだった。当然だが、そこのあたりはもう思い切って頼れる。藍子の角度に合わせて、彼が接近し角度を合わせてくれるから綺麗に見えるようになっている。
「それにしても、すごい人でしたね。シオン、大丈夫かなー。初めての航空祭でしょ」
「お祖父ちゃんお祖母ちゃんに、叔母ちゃんも叔父ちゃんも一緒だから大丈夫よ。次はサニーの番よ、そろそろ交代」
「ラジャー。アイハブ」
「ユーハブ」
操縦桿を握っていた力を緩めると、勝手に動き始める。海人が後部座席で操縦担当になる。
『こちら雷神2 クイン。サニー、準備はいいか』
「こちらジェイブルー908、サニー。準備はOKです」
上空で旋回し、再度同じ方向角度から降下アプローチにはいる。今度はサニーとクインの共演。4ポイントロール。
こちら同じく異種機であっても平行して回転とタイミングを揃えての演目演技。また滑走路を抜けて上空旋回。
「さあ、最後。アイアイの演目です」
「ラジャー、サニー。アイハブ」
「ユーハブ……」
操縦桿の主導が藍子に戻ってくる。でも少し海人が不安そうに手放したのがわかる。
「大丈夫よ、サニー」
「わかっています。何度もチャレンジしていましたもんね」
「出来る分だけでいいの。どうせ、ネイビーホワイト機の出力と馬力には敵わないのだから。そういう戦闘機とジェイブルー機の差を知ってもらうのも広報だと思うの」
「勿論です。それ以上に、これはアイアイという女性パイロットのプライドの挑戦だと俺も思っていますから」
そう、これはチャレンジ。藍子のプライド。
息子が見ているから。見て欲しいから。父や母に、舅に姑に、妹、義弟、そして姪っ子にも見て欲しいから。
『こちら雷神2、クイン。再度、アプローチ開始。……アイアイ、健闘を祈る』
「こちらジェイブルー908、アイアイ。大丈夫です。クインはクインらしく、真っ直ぐに雷神らしく、……いいえ、私が知っている火蜥蜴の如く駆け上ってください」
『勿論だ。シオンが見ているからな。ではグッドラック。行くぞ』
「ラジャー」
再度、上空旋回後、千歳基地の滑走路を目指して降下、だいぶ低空飛行にしての滑走路進入。
『Go、Now!』
クインの声を合図に、藍子は操縦桿を思いっきり倒す。機首がぐんと上を向く、滑走路が見えていたのに、観客が見えていたのに、あっという間に上空に跳ね上がるかの如く、ぐんぐんと上昇を始めるジェイブルー機。
いま観客は、白い戦闘機と青いジェイブルー機が共に急上昇するのを見上げてくれていることだろう。
二人揃ってのハイレートクライム。
呼吸が苦しい、胸も潰れそう、でも藍子は上空を目指す。
でも……。夫はもうあんな高いところにいる。コックピットのもっともっと向こう遠く、空高く。
でも行って。クインは果てまで行けるパイロットでないといけない。行って。追いつかなくても私は追いかけるし、こうして見届ける。
遠い空の果てまで。あなたを愛して。
『こちらソニック。アイアイ、よくやった。目標高度までクインと揃っていて美しかった。また凄い歓声だ』
城戸准将の声に、藍子はやっと満面の笑みを浮かべる。
紫苑、ママの挑戦。見てくれたかな。まだ小さいからきっとわからないね、覚えていないね。でも飛べるうちに残しておきたかった。
展示飛行の担当演技終了後、エミリオと藍子の機体は揃って千歳基地の会場とは離れた滑走路に着陸する。
海人とコックピットを降りる。エミリオも梯子を伝って下りてくるところだった。
「藍子、よくやった」
あのクールなエミリオが笑顔で駆けてくる。でも藍子は構えた。待って、その笑顔は待って待って。
「わー、絶対に……、藍子さんしか見えてない……ぽい」
海人の勘も当たった。
「藍子、素晴らしかった!」
ジェイブルー機の真下で、白い飛行服の戸塚中佐に藍子はぎゅっと抱きつかれた。そしてまさかの黒髪にキス!
「ちゅ、中佐。ここではダメですってば」
「あ、しまった。気が抜けてつい、」
「あー、もうまた千歳基地でも噂になりますよ。クインの愛妻ぷりが。まあ、もう知れ渡っていますけれどね」
呆れた海人の顔も毎度のことになってきて、でも藍子も無事に終えられたことに気が抜けてきた。
「パパ、ママっ」
そんな声が遠くから。
隊員達しか出入りできない滑走路脇の通路に、黒髪の小さな男の子。
「おーい、エミル。藍子。素晴らしかった」
「凄かったわよーー、感動しちゃった」
その男の子をだっこしている弦士パパとブロンドのエレンママが家族証を首にかけてそこにいた。『お姉ちゃん、お兄さん、海人も凄かったー』と瑠璃と篤志が姪っ子を連れて手を振る姿も。美瑛の家族もやってきて、父と母は静かに微笑んでくれている。今日の日のために、オーベルジュの予約を取らずに休んできてくれた。このあと、両家の家族と海人と一緒に、三日の休暇で一緒に過ごすことになっている。
そして白い飛行服姿の城戸雅臣准将もそこに。彼がここまで家族を連れてきてくれたようだった。
雷神の飛行隊長で大隊長でもある城戸准将がこちらにやってくる。
いつもの陽気で愛嬌ある笑顔が彼の特徴で親しみやすい。でも隊長、艦長、エースパイロットとしてはシビアな上官。
それでも城戸准将が明るい笑顔で労ってくれる。
「ほんとうに良かったぞ。アイアイもジェイブルー機で、その細身でよくやった。クインもだ。あれでこそ、マリンスワローにいた男だ」
尊敬するソニックにそう言ってもらえて、夫のクインも満足そうで、そして藍子も嬉しい。
「パパ、ママ、どこいたの」
黒髪の男の子がついに走ってきて、白い飛行服のパパに抱きついてきた。エミリオはやっぱり嬉しそうな笑みで抱きついてきた息子を抱き上げる。
「紫苑。ママと一緒に空にお仕事、おでかけしていたんだ」
三歳の息子にはまだわからないと藍子は思う。
「じいとエレンと、白いのと青いのいっしょに高いところいっちゃったのみた。パパとママ?」
「そうだ。白がパパで青がママと海人だ」
「白いのうんと早く行っちゃったよ、パパ、ママおいてった」
エミリオがちょっと困った顔をした。
藍子はそんなパパにだっこされている小さな息子の黒髪を撫でる。
「紫苑、あれぐらい速く飛べる飛行機だから、パパはすぐにママがいるところまで助けに来てくれるのよ」
「おいてった」
「えーっと……」
「やっぱり紫苑はママの味方か」
それでもエミリオが楽しそうに笑う。
息子の紫苑は黒髪ではあったけれど、藍子より少し明るく感じる。瞳は褐色のはずなのに少し青みがかっている。そしてなによりも顔つきはエミリオによく似ていた。
そして気がつけば、また白い戦闘機が轟音を切り裂いて上空へ駆け上がっていく白いスモークが空に描かれていた。
回転しながら上昇していくバーティカル・クライムロールの雲が二本並んでいた。
「イエティとブラッキーだな。評判の双子アクロバットだ」
こちらにも観客の歓声が響き渡ってきた。
「パパ、あれ。くも、ひこうきのくも」
エミリオが抱いている息子が空を指さした。
「あれ、ユキナオがやってるんだぞ」
「ええ!? ユキナオちゃん!?」
息子がものすごくびっくりした顔をした。パパの時と反応が違って、藍子もエミリオも目を丸くする。しかしそれもそのはずで、ユキナオ君の双子にも紫苑は可愛がってもらっていてよく知っているからだった。
「すごーい、すごい。ユキナオちゃん、すごーい」
そんな息子の目がキラキラ光った。藍子の色を引き継いだはずなのに、透き通るその瞳の奥には密やかな碧がある。
「はあ、パパより人気者だな、ユキナオには負けるか」
エミリオがパパ凄いと言われなかったのでちょっとがっかりしている。そんな戸塚中佐は滅多に見られるものではないから、藍子はちょっと笑いたくなる。
気高いクイン。意地悪な火蜥蜴でサラマンダー。雷神の白昼の稲妻の如く、空を駆け上がっていく人。
でも息子にはまだわからない。
「そのうち物事がわかってきたら、絶対にパパの凄さがわかると思うから、もうちょっと待ってくださいね。戸塚中佐」
「はあ、そうだな。ありがとう、朝田大尉」
「ユキナオちゃん、すごーーい」
タッククロスを決めたアクロバットにも息子が拍手をしていて、パパは完全に諦めたようだった。
「パパ、青いそらと白いの、きれい」
千歳の空は青く、そして、白いスモークに白い戦闘機。
それを藍子とエミリオは紫苑と一緒に見上げる。
藤沢の家族と美瑛の家族も一緒になって、空を見上げた。天高く。
遠い空に行っても、あなたは還ってくる。ここに。貴方を愛している私がいるところに。
◆ 空より遠くて愛せない 完 ◆
本編はこれにて完結ですが、引き続き、続編も連載していきます。
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