55.幸せ三重奏
招待客が集まるまで一時間強、頃合いの時間にパーティーの主役、御園隼人准将が奥様の御園少将と優雅に現れる。
隊員達やその家族の拍手につつまれ、橘准将から『隼人君、おめでとう』の声が響くと、皆が口々に『准将、おめでとうございます』、『隼人さん、おめでとう』と祝福した。
進行もなく、乾杯もなく、砕けたムードで、御園准将がグラスを持ってそれぞれの招待客と談話を始めたのがスタートとばかりに、いままでの空気のままパーティーが始まる。
「な、気楽だろう」
「ほんと。乾杯ぐらいあると思っていたのに」
「仕事以外で親しい隊員や部下と気楽にやりたいだけなんだよ。隼人さんらしい。だから俺たちも今日は近所のエミルと藍子でいいんだよ」
やっとパーティーの空気に慣れてきた藍子も、盛大なお祝いムードで空気が変わらなかったのでほっとする。
みんな、主役の俺に気遣うなよ――という雰囲気を御園准将は醸し出していた。
まずは長年の仕事仲間であろう橘准将とパイロットたちの輪で、そこで初めてそれぞれの顔を見ながら乾杯をしていた。
誰もが笑顔で御園准将に話しかけ、取り囲み、祝福している。どれだけ隊員達に信頼されているかが窺える。
「あ、やっと海人が出てきた」
エミリオが両親が登場した後にそっと会場に入ってきた海人を見つけた。
海人も今日は紺色のスーツに水色のシャツ、ネクタイは若々しい白黒のストライプ。
「海人も水色のシャツなのね」
「どうもご両親が結婚した頃から水色をお揃いに選ぶようになったとかで、いつのまにか小笠原御園家のファミリーカラーになっているようだな」
「だから。鈴木少佐も水色のシャツだったというわけね」
「そう。御園家の一員の証しだ」
それでも海人は若いわりには上質なスーツを着ているようで、今日も栗毛の貴公子。きらきらしている。
「ああ、やっとユキナオも到着だな」
黒スーツをきっちり着込んだ大人の顔の双子もやっと発見。やっぱり仲が良いのか海人と三人でなにか話している。
いつ藍子も声をかけたらいいか戸惑っていると、海人がグランドピアノの蓋を開け、置いてあった椅子に座った。
そしてユキナオもなにか手伝っている。グランドピアノの屋根蓋を開け、突上棒で支えて整えたり、楽譜スタンドをピアノの前にふたつ用意したり。
会場がまたざわめいた、しかも奥様達が嬉しそうにグランドピアノに座った海人を見ている。
『始まるわね』
『海人君のピアノ、久しぶり』
そんな奥様の声も聞こえてきて、藍子は驚く。
「え、海人。ピアノも弾けるの!」
「なんだ、海人から聞いていないのか。母親の葉月さんがピアノもヴァイオリンもやっているだろ。妹はチェロの演奏者。海人も小さな頃からそれなりに弾けるようになっていたようだぞ」
相棒がまた凄いお坊っちゃんに見えてきた。
その上、海人がピアノを弾く準備を進めている中、水色のドレスを着ている杏奈も奥からやってきた。彼女はチェロを抱えて、雅幸が整えた椅子に座った。
そして母親の御園少将も。雅直の手伝いでケースからヴァイオリンを出して、海人のそばに立った。
「これも毎年恒例な。隼人さんへのご家族からのプレゼントだ。海人が千歳勤務になってからはピアノは代役かナシだったが、今年は揃ったようだな」
「これが恒例なの……?」
家族の誰もがどれかは弾ける。軍人一家のプライベートは音楽一家? 思わぬ相棒のもうひとつの姿に藍子は釘付けになる。しかも栗毛の母子と黒髪の娘、水色カラーで揃ったそこはとてもエレガントで華やかな空気に包まれる。
海人が鍵盤をひとつ叩く。少将と妹が弓を構え弦に置き音を出す。音程の調整をしている。
それが終わると一瞬だけ静かになり。海人が頷くと母親と妹も目線を合わせ頷いた。そこで息がひとつにまとまったのか、演奏が始まる。
杏奈のチェロから伴奏が始まり、次に海人のピアノがメロディを奏でる。序盤のメロディーが兄妹でまとまると、お母様がヴァイオリンを構えた。
その曲は『カノン』。藍子も聞き覚えがあるクラシックメロディー。
「このカノンも御園家では恒例。というより、隼人さんが好きなんだよ。この曲。今日もお母さんがコンマスみたいだな」
子供ふたりがまず伴奏で整え、お母さんが主旋律を乗せる。美しい本物の楽器の音が重なる。
その優雅なファミリーの姿も素晴らしい音も藍子は感動だったが、海人が何食わぬ顔で美しいメロディーをなんなく奏でていることにも感動。
「すごい、海人ったら」
「だろ。俺もサラマンダーの一年目に帰省してきた海人がこうして演奏したのを聞かせてもらってからカノンが好きになったしファンなんだ」
エミリオだけではない。奥様達のときめいている微笑み。そして母親と娘とお日様君の巧みな演奏を見入っている隊員達。
なによりも橘准将と肩を並べている御園准将の嬉しそうな笑顔、そしてうっとりと聴き入っている満たされた表情。
カノンは追復曲。お母さんが奏でている主旋律のメロディーを、妹のチェロが追いかける、次は海人のピアノも伴奏と共に主旋律のメロディーを妹の後に追いかける。
お母様がサビに入ると、遅れて妹が、そして。
「ここで母と兄と妹が重なる。隼人さんはこの瞬間がいちばん好きなんだそうだ」
母のヴァイオリン、娘のチェロ、息子のピアノが同じメロディーで揃った。その時に演奏を邪魔しないぐらいの小さな拍手が起こる。
誰よりも喜んでみているのは、今日が主役のお父さん。御園准将だった。
そして母親から次のメロディーへと抜けていく。娘が息子が後を追う。
その音に藍子も家族の重なりを感じることができた。
「ほんとう、素敵ね」
「だろう。俺も……、家族を感じるんだ」
「うん、お父様の隼人さんが好きなのがとてもわかる」
寄り添ったまま、つい。エミリオの翠の瞳と目が合い、そのまま見つめ合う。
ここで二人きりならきっとキスをしている。藍子も、そう思えるように。
この男性の愛情深さがどこから来ているのか、藍子は彼の心の奥深くまでいま感じている。
「俺と藍子は気が合うな」
その意味さえも。もう多くは語らなくても通じている。
きっとそれが。私たちを結びつけた。たとえ『アイアイとからかう嫌な男』と『恋人のふり』から始まっていたとしても。
そんなエミリオがカノンの演奏がクライマックスを迎えている中、囁いた。
「藍子、今度、藤沢に行かないか。両親に会わせたい」
驚いて、藍子は目を見開く。そして身体の奥から熱いなにかが湧き上がってきて、頬が熱くなった。それは恥ずかしさや照れではない。正直な嬉しさだった。
「私も、一緒に美瑛に来て」
「わかった。約束だ」
藍子の頬にキスをしてくれる。もう人前でもまったく藍子も気にならなくて。この優雅で幸せそうな空気と匂いにつつまれるまま、微笑んだ。
彼がとても嬉しそうに笑った。その笑顔が……、カノンを聴いている幸せそうな夫と重なったほどに。
カノンの演奏が終わると、拍手が湧き起こる。奥様達もうっとりしたのか頬を紅潮させていたり、藍子とエミリオのように、夫妻で見つめ合ってやっぱり幸せを噛みしめて寄り添っているのもいくつか見られる。
そんな人に幸せを運んでくる御園ファミリーの演奏ということらしい。御園准将が誕生日の度に心待ちにしているのが良くわかる気がした。
だけれど演奏はそれだけで終わらなかった。
また母親と兄妹が視線を合わせ、音を合わせ。息を整え、もう一曲。
また妹のチェロがベース音を海人のピアノが序盤の伴奏で揃える。
奥様の御園少将が優雅な水色のスーツ姿でまたヴァイオリンを構える。
今度は少しテンポが早い楽曲。でも藍子も聞き覚えのある……。
「Every Breath You Take みつめていたい The Policeの曲だ。これも隼人さんが好きなんだそうで毎年恒例」
ずいぶん昔の洋楽曲だったが、誰もが一度は聴いたことがあるはずのもの。ご夫妻が出会った頃の思い出の曲とのことだった。
「これ。うちの父親も好きなんだ」
エミリオも子供の頃から聴いてたということだった。
それもメロディックでとても素敵な空気をつくり出している。
演奏が終わると会場が拍手で湧く。妻と息子と娘のところへと、感激した様子の御園准将が向かい、妻も子供達もそれぞれハグをして『素晴らしいよ』と嬉しそうにしている。
それを誰もが微笑ましく見守っているのも、藍子には素晴らしく思えた。
その幸せな空気に包まれたまま、パーティーはまたそれぞれのグラスを片手に、御園ファミリーを囲んで盛り上がっていく。
もう、あんなこと。すっかり藍子の頭から出て行ってしまう。
「藍子さーん。いらっしゃいませ、我が家へ」
やっと海人がシャンパングラス片手に、藍子とエミリオのところにやってきた。
「海人。もう素敵だったわよ。どうして教えてくれなかったの。ピアノが弾けるんだって」
「いやー、そのうちにわかることだと思って。どうせ今日、バレたでしょ。別にピアノはいつのまにか弾いていたことだし、俺は料理したり、美味い物を食べたり、パソコンいじくっているほうが好きだから」
「いつのまにか弾けていたって。もう、お坊っちゃんなんだから。でも、とっても素敵だった、感動しちゃった」
藍子が手放しで絶賛すると、さすがに海人もちょっと照れた顔を見せてくれた。
「海人。素晴らしかった。いい演奏だった。見ろ、みんなが幸せそうだ」
エミリオも褒め称えた。なのに海人がそんな寄り添っている藍子とエミリオを見てにやっと笑う。
「俺。ちゃーんと見ていましたからね。エミリオさん、藍子さんにキスしていたでしょう。もう、熱いなー」
あんな素晴らしいピアノを演奏していながら、しっかりと藍子とエミリオの様子を見ていたらしい。
今度は藍子が恥ずかしくて頬を熱くしたが、エミリオは余裕で笑っている。
「もうな。海人と杏奈と葉月さんの演奏が素晴らしすぎて、気持ちがあがってしまった」
「まあ、そこまで言ってくれると、俺より、母と杏奈が喜ぶかな。音楽家の気持ちはあの二人のほうが濃いから。俺も腹減った。なんか食おう!」
海人もやっと白い取り皿片手に、料理に向かう。
『藍子さん、どれが美味かったです?』、『これかな』、『海人、こっちのも美味かったぞ』なんて、藍子とエミリオの二人の間に海人もなんなく入って、三人であれこれ会話をしながらしばらく立食を楽しんだ。
そうして楽しんでいたのに。
「演奏、素晴らしかったです。感動しました」
いつのまにか。海人とエミリオと藍子のそばに、あの彼女が立っていた。
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