19.パパママは元気いっぱい
しかしエミリオが帰宅してしまったからなのだろう。藍子はそこから妹の瑠璃との挨拶をさっと済ませて、電話を切ってしまった。
「夕飯は? 汁なし担々麺を作ったの。食べるでしょう。私もまだなの」
これまた暑い夏に美味そうなものを作るなあと、思わず頬が緩るんでしまった。
そして彼女も、エミリオと義弟が任務を案ずる会話を交わしていたことを聞いていたはずなのに、そこをさらっと流していつもの笑顔でいる。
きっと彼女も不安になるに違いない。エミリオが新人で初めて航海に出て行くとき、いまは余裕になった母親のエレーヌは非常に悲観的になって、神経質になっていたことを、急に思い出す。軍人の生業で使命であることは、藍子なら家族よりもよくわかっている。きっと、そういう心積もりでいてくれるのだと、エミリオは知る。
彼女がキッチンで準備をしているそこに、エミリオはネクタイを締めている制服姿のまま近づく。いつもどおり、彼女を背中から抱きしめた。
「藍子、ドレスはどんなものを着たいのか決まっているのか?」
「うーん。まだかな。冬に実物を見て決めようと思ってるの。最初からイメージを決めちゃうと、なかったときにがっかりするじゃない」
藍子らしいなとエミリオは思う。義妹が案じているとおりだったかもしれない。
「瑠璃が変なことを言っていたでしょう。気にしないでね」
麺をゆでる湯を沸かし始めた彼女を、エミリオは『気になんかしていない』というつもりで、さらに抱きしめる。
「美瑛の花畑で撮影が、向こうではスタンダードなのか?」
「ほら~。瑠璃が、エミルがそれをしなくちゃと生真面目に考えるようなことを話したんでしょう」
「俺はかまわない。美瑛の花畑は美しいし、夏に美瑛で結婚をしたことを残そうじゃないか」
「まあ、そうなんだけれど……。向こうの町での『ウェディングプランでのウリ』なのよ。瑠璃と篤志君は美瑛に住んでいるんだから、美瑛らしい結婚式をしただけだって。富良野に美瑛に旭川から十勝に上川管内、花畑が多いの」
「藤沢の両親が喜びそうだなあ」
息子の俺ではなくて、『自分たちが撮影したい』とか言い出すんじゃないかとエミリオは一人、笑いが込み上げてきて仕方がなくなった。思わず、抱きしめている彼女の肩先に顔を埋めて笑いを抑えようとしたが無理だった。
「やだ、エミルったら。なに一人で笑ってるの?」
「いや、うちのパパママのことだから、俺たちが私たちが撮影したいとか言い出しそうだなと思って」
すると藍子もちょっと視線を宙に泳がせる。先日、会ったばかりの藤沢の両親の姿を想像しているのだろう。一時して彼女もくすりと笑みをこぼした。
「うん。あの素敵なご両親だとするっていいそう。だって、パパもママも気持ちが若くて生き生きしているんだもの」
美瑛挨拶の帰りに、藤沢の実家に立ち寄り、やっと両親に藍子を紹介することができた。元々、エミリオがきちんと彼女のことを伝えていたため、両親も手放しで喜び藍子を大歓迎で迎えてくれた。
一泊二日だったが、彼女を交えた楽しい食卓を囲むこともでき、両親と彼女が意気投合したのを見て、エミリオも安心をしたばかり。
「ほんとうに一緒に撮影したらいいかも」
彼女がとんでもないことを言い出して、エミリオはぎょっとする。
「やめてくれ。俺と彼女の結婚撮影に、まさかの両親も一緒だなんて」
「え、私は別に構わないよ」
「いやいや、藍子は知らないんだ。うちの両親はなんでもチャレンジャーで……」
父が息子に負けない燕尾服を着て、母が花嫁にも負けないドレスを選んで、しかも息子より先にお姫様だっことやらを、父と母がきゃっきゃと恥じらいもなくやりのける姿が浮かんできて、エミリオはついに藍子から離れてふらふらとよろめきたくなってきた。
それを藍子が笑っている。
「お堅いクインがそんなになるなんて、ほんとうに藤沢のパパママ最強ね」
「笑い事じゃないぞ。ほんとうにやるし、これからも藍子、びっくりするようなことが連続で起きるかもしれないから覚悟しておいたほうがいい」
「でも……。そんなおおらかなご両親だから……、エミリオみたいな真っ直ぐな息子が育ったんだよね。なんでも挑戦させてくれたでしょう。しかもどんと構えて見守ってくれたし、なんでも応援してくれたでしょう。それに、弦士パパは凄く堅実だよね。エミルが生真面目で堅実で誠実なのも、お父さんの男子教育がちゃんとしていたからだと思うよ」
それはそうなんだが……と、エミリオは口ごもる。
「麺が茹であがったらすぐ食べられるから。着替えてきたら」
「そ、そうだな」
彼女との夕食のために、彼女の部屋へと着替えに向かう。部屋に入って『あ、両親の話題に気を取られて、彼女にただいまのキスをするのを忘れた』と気がついたときに、またもやあの活発な両親に全ての気力を奪われていたことに、息子として驚愕する。
それでも、愛すべき敬愛するパパとママなのは変わらない。
すっかり居着いている彼女の部屋で、すっかり自分の物が置かれているそこで着替えをしていたら、彼女のベッドになにげなく置いたスマートフォンが鳴る。
噂をすれば? そのパパからの電話だった。
「ハロー、パパ」
『おう、エミル。藍子も元気かな』
既に息子より、彼女の心配をしてくれることに、エミリオは微笑んでいた。
「元気だよ。俺も、最後の演習の打ち合わせ中で、それがけっこう難しいオーダーで、気合いを入れているところ」
『そうか。アグレッサーの最後の仕事もきっちり終えて、雷神に異動しても気をつけるんだぞ』
「うん。わかっているよ。ママは? また心配しているだろ」
『うーん、そうだなあ。母親だからな。エミリオが帰省してきたときは平気な顔をして頑張っていたけれど、なにもうちの息子にそこまで優秀になってほしかったわけじゃないとか泣いていたかな。でも、国防のために最前線に行くほどの男になったことは生んだ母親としてこれ以上の誇りはないと思うことにすると、気丈にふるまっているよ』
そんな話を聞くと、息子として胸が痛む……。優秀になろうとして頑張ってきたわけではない。ただ、パイロットとしてのプライドを維持してきた結果だったとも言いたいが、プライドだけでそこまでなれるものではない、だから選ばれた俺たちが行くのだというのは、飛行隊長のクライトン中佐にさんざん言われてきたことでもあった。
『大丈夫。エレンには父さんがいる』
「そうだな。父さんがいれば、安心だよ。俺もちゃんと帰還する」
『そうだ。もう、俺と母さんだけの息子ではなくなるんだ。おまえに何かがあると、藍子が哀しむ。美瑛のご家族もだ』
「わかってるよ、パパ」
すっかり息子に戻って、静かに笑む。いろいろと驚かされる活発な両親だが、父は頼りがいがあるし、母は優しく温かい。エミリオの大事な帰れる場所だった。
『で、なんで連絡をしたかというと。ついさっきなんだけれどな。なんと。美瑛のご実家、ロサ・ルゴサの予約が取れたのだ! パパとママでご挨拶に行ってくるな』
「はあ!?」
ついさっき? ついさっきなら、俺も義妹夫妻と話をしていたのに、そんな知らせは一切なかった。ということは、話していたその時か、すぐ後に、父が連絡をして人気で予約一杯の彼女のご実家オーベルジュの予約をもぎ取ったのかと、エミリオは仰天した。
「予約、とれたのかよ!」
『おお、九月のオフシーズン手前になるけれどな。ちょうど予約が緩くなる頃で、空いていたそうで。十月か十一月のつもりでいたんだが取れちゃったので、来月のうちにご挨拶しておくな』
アグレッシブな両親のすることに、エミリオはやっぱり唖然としていた。
「まさか。無理矢理……」
『だよなあ。そうだと困るから、お客様優先でと伝えたけれど、そんなことはないと朝田のお父様が仰ってくださってな。いやー楽しみだな。今回はバイクではなく飛行機で行くんだ。久しぶりの北海道で楽しみだよ~』
じゃあなーと父が軽快に電話を切ってしまった。
「これだから油断できない」
しかし。すぐに行動を起こしてくれる両親でもあった。あちらのご家族がなかなか外出できない仕事柄とわかって、自分たちが出向く。
元気いっぱいな両親で、あちらの静かなお父さんとお母さんが圧倒されて驚かされないといいが……と思いつつ。でも……。両親にも彼女の実家の素晴らしさ、美瑛の素晴らしさを知ってほしいとも思う。
「いや……。絶対に花畑で、一緒に撮影するとか言い出す……」
ちょっと覚悟しておこうと、いつものクインとしての落ち着きをすっかり崩される息子になっていた。
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