2.相棒の妻に嫌われて…


 案の定、雷神のやんちゃパイロット『イエティ』と、大陸国からやってきた『朱雀3』の牽制しあうドッグファイトは四十分も続いた。


 その間、藍子の追跡機ジェイブルー105号機も、彼の背後や併走でほどよい距離で追跡、ドッグファイトの様子を無事に撮影。


 イエティと一緒に来た『フジヤマ』こと、裾野少佐のおちついた警告アナウンスと、こちらも絶妙な牽制飛行にて他の三機は早々に撤退、イエティといつまでも張り合っていた朱雀3も去っていった。


『ジェイブルー105、ご苦労様』


 雷神2号機フジヤマ、大人の声に藍子もほっとする。


『お疲れ様でした。フジヤマ。ジェイブルー105、帰投します。撮影映像とデータは中央官制へ送信済みです。空母でご確認を』


『ラジャー。お疲れ様、aiai カープ』


 藍子と祐也のタックネームにて労ってくれる。あの雷神のサブリーダーの少佐に労ってもらえれば、やんちゃなイエティに苦労させられても癒されるというもの。


 空の茜は消え、ジェイブルーが飛ぶ空は紺碧の夜空に染まっていく。星が瞬き始めていた。

 翼のナビゲーションライト(航行灯)も赤と緑にチカチカと暗闇にはっきりと見えてくる。


 岩国基地に帰投し、業務報告と交代業務を済ませると、もう夜も更けていた。


 祐也は急いで官舎に帰ろうとしていた。


「お疲れ! まだ日付が変わっていないから間に合うな。じゃあな、藍子」

「お疲れ様。急げー! 結婚記念日、おめでとう!」

「おう、サンキュー!」


 妻とかわいい息子が待つ官舎へと帰路を急ぐ同期生。


 藍子も一人になり、徒歩で基地を出た。


 基地のそばはアメリカキャンプに日本人官舎の敷地が続いている。藍子も日本人官舎に住んでいるが、今夜はいきつけのバーへと向かう。

 基地の男たちが良く通うその場所で、藍子はいつも一杯のカクテルを嗜む習慣があった。


 女が一人で呑んでいるとろくなことがない。寂しくて声をかけて欲しいのだと思われて、隣の席にすぐに男がやってくる。

 でもそういう男はこのあたりに来たばかりの新入りに違いない。ここは岩国基地、軍人の溜まり場。ジェイブルーの藍子が一人で飲みに来るのは知られていて、知っている男は大人で信頼ができてそっとしてくれる。


 知らない男が来たら藍子は適当にあしらう、しつこいと、マスターが前に立つ。顔見知りの厳つい兄貴やお偉いさんが上手にはね除けてくれることもある。


 そんな親しみある安全な場所だった。そこで一杯だけ……。


「マスター。今夜はもう一杯だけ、お願い」


 藍子が飲みたいものを頼む日もあれば、マスターおまかせの一杯を飲む日もある。基本は一杯だけ。


 なのに今日は二杯目を頼んでしまった。


「どうしたんだよ。アイアイ」

「ここでタックネームで呼ばないで」

「苛ついてんな」

「まあね、むかつく男に空で会っただけ」


 マスターと言っても、彼はまだ若いマッチョな男。きっと藍子より少し兄貴。元軍人だと聞いている。


「魅惑の泣きぼくろの目元が尖ってる。少しきつめで行くか」


 藍子の目元にはぽつんと黒子がある。そのことはよく男たちに触れられる。めんどくさいポイント。ひさしぶりにドライマティーニが出された。 


「寂しい女にうってつけってわけね」

「よくおわかりで。ぐっと飲めば、あっというまに夢の中。かっこつけて飲めよ」


 二杯目のカクテルを味わうのでもなく、ぐっと一気に煽った。


 むかつく男。今日の空での記録を見れば誰もが『生意気なイエティ 城戸雅幸』のことだと思うだろう。

 そうじゃない。藍子が今日、もう少し酔いたいのは、『結婚記念日』だからだ。


「はあ、望みないのに。ずっと前から」


 同じ道を目指し切磋琢磨、どんな時も一緒で、どんな時もお互いに案じて支えてきた。同期生の祐也。

 ずっとまえから、藍子は片想いのまま。振り向いてもらえず、女に見てもらえず、いつか私の気持ちをともたもたしている内に、祐也は一般民間人の彼女と結婚してしまった。子供も産まれた。良き夫で良きパパ。藍子が入る隙はもうどこにもない。


 しかもなにかを察してか、あるいは女の勘か。藍子は祐也の妻『里奈』に警戒されて嫌われていた。いちばんの相棒である男の家族と付き合いもできない雰囲気になっていて、基地を出ると祐也との接点がなくなってしまった。


 彼と一緒にいられるのは空の上だけ。


 機体を降りたあとの侘びしさを、いつからかこうして一杯のカクテルに慰めてもらうようになっていた。




 ―◆・◆・◆・◆・◆―




 ジェイブルーのパトロール飛行もシフト制になっている。


 朱雀3に遭遇してから半月が経った頃。基地へ行くと、岩国のジェイブルー部隊長に呼ばれた。


「小笠原基地の訓練校へ研修に行ってもらう。サラマンダーとの実習だ」


 アグレッサーとの実習? 藍子と祐也は顔を見合わせた。


 小笠原にいる『サラマンダー』、火蜥蜴ひとかげと言われる飛行部隊は、仮想敵を担う訓練をする凄腕パイロットの部隊、所謂アグレッサー飛行隊。


 彼らは仮想敵となって演習を行う。普段は戦闘機部隊の演習をしているが、ジェイブルーも定期的に、不明機との距離取りに撮影テクニックを向上させるための訓練は行っていた。


 ただ、だいたいスケジュールが決まっていて、次の訓練はだいぶ先のはず。それがいきなり予定にない研修に行けと言われた。


「突然なのですね」


 隊長に藍子から尋ねたが、彼は表情をひとつも変えない。

 祐也も腑に落ちない様子。


「岩国のジェイブルー部隊のパイロットは自分たちだけなのですか」

「そうだ。ジェイブルー105のみよこすように言われた。内容はわからない」


 妙な不安が襲ってきた。私、なにかした? この前のイエティの撮影で祐也にヘマをさせるような追跡しかできていなかった? 

 もしかして他のジェイブルーのパイロットたちは、もっとばっちりとイエティについていけていて的確な追跡映像を撮影出来ているの?


 確かに、あの雷神パイロットの、いまいちばん若手でパワーも伸びしろもあるイエティについていくのはひと苦労。特に藍子は女、男のパイロットにくらべて『G(重力)』には弱い。しかしイエティもそんな過酷なドッグファイトは滅多にない。今のところは……。


 それでもイエティの城戸海曹やってくるたびに『岩国のお姉さん、ついてこい』といちいち声をかけられる。あれはイエティが、彼がユキ君が藍子に気合いをいれるため?

 そう思えてきた。見直すべきパイロットを名指しなのだろうか……。そうでなければ他のジェイブルーパイロットも呼ばれているはず。


 ともかく、藍子と祐也は数日後にその研修のために、小笠原総合基地へと行かされることになった。




 ―◆・◆・◆・◆・◆―




 五日後に岩国から定期で飛んでいる輸送機で小笠原入りする。


 泊まりの研修も慣れていて、藍子は独り身の三十歳なので身軽。よくあること。


 だが相棒はそうもいかないようだった。

 スマートフォンにメッセージが届く。相棒の祐也から。

 だがそのメッセージ内容を目にして、藍子は目を瞠る。


【 研修中に夫に気易くしないでね。二人で飲みに行くとかしないで。好き勝手したら許さない。そもそも105だけ研修ってなんなのよ。そっちに問題があるんじゃないの。うちの夫の足をひっぱらないで! さっさと他のパートナー探しなさいよ 】


 夫のアプリを勝手に使って、彼女がメッセージを送ってきた。こんな事は初めてだった。


 こんなことをしたらさすがに祐也だって黙っていないはず。怒られるのは彼女のほう。すぐにばれるのにどうして……と思っていたら、そのメッセージは藍子の既読がついたせいかすぐに消されてしまった。


 藍子の胸がとてつもなく痛む。最高の相棒である同期の祐也は、藍子が空を飛ぶには必要不可欠の存在。でも、現実の私生活では彼女にとっては夫の祐也もまた必要不可欠。


 藍子は祐也が幸せならばそれでいいと思っている。自分が勝手に片想いをしているだけで、彼は知らないし妻も本来は知らないはずなのに、女の勘で見透かされているようで、こうして毛嫌いをされている。


 時々こうした棘のある接触もされていた。官舎にいるとほとんどの世帯主は夫で男性、女性は妻であることがほとんど。藍子は夫達同様の軍人で防衛パイロットであるため奥様たちには敬ってもらっているが、彼女の周りにいる若い奥様たちには時たま敵視され、休日に外に出ると『女じゃない』といったような心ない言葉を聞かされることもあった。


 年配の奥様達たちがそれを案じて、藍子に『酷いなら上官に言いなさい』とアドバイスをしてくれるが、そんなことをしたら祐也の立場が悪くなるのではないかと思って言える訳がない。


 だが奥様たちからは言えないのだ。逆に祐也の妻である里奈も、上官に言いたいこと『夫と藍子を切り離す人事を望む』申し出は出来ない立場だった。


 妻のやることを上官に言えない夫の相棒パイロット、夫と長く親しい女を取り除きたいが叶わない妻。その険悪な空気は年々酷くなっていた。


 そして男たちは気がつかないふり。他の旦那さんたちも奥様たちから密かに聞いているけれど、業務上のことならいくらでも先輩として言えるが、人の家庭に口を出すことは躊躇うことなのか傍観しているといったところのようだった。


 ただ、ジェイブルーの部隊長はそれとなく『噂』は聞いているようで、藍子には『周りは気にするな、業務に徹しろ』と私情を挟まないよう諭し、逆に祐也には『妻には業務に口を挟ませるな』と釘を刺しているようだった。


 本当のところは祐也も『俺の長年の相棒を妻は気に入っていない』とわかっているはずだけれど、藍子にも妻にもこの話題に足を突っ込むと板挟みは必須で大変なことになるので、波風立てない、何事もない顔でやりすごしてきたに違いない。


 そうして妻も手口を減らされてきたため、ついに本日のような夫の私物であるものを利用して接触してきた。


 気が滅入る。そうだ、今日もカクテルを一杯、いや二杯、飲みに行こう。


 きりっとしたジンとレモンがいい……。こっくりと甘いコアントローが香るのも欲しい。

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