空より遠くて愛せない

市來 茉莉

空より遠くて愛せない(本編)

1.機動追跡隊 ジェイブルー



 空には見えないラインが存在する。


 見えないラインは『その国の尊厳がある』と、元エースパイロットだった上官が言った。

 そのラインを越え、こちらの領域を侵すことは、その国の民の尊厳を敬わない行為だと彼は言う。




 五島列島、上空。


「今日はなんにも来ないな。このまま終わってほしいなあ。あと三十分も飛んでなくちゃいけないのかよ」


 機体の後部にいる相棒が溜め息混じりに呟いた。

 『ジェイブルー』という機体をコックピットで操縦している藍子も致し方なく答える。


「あと三十分で帰投、もう少しだから我慢しなよ」


 女性パイロットが誕生して久しく、いまは藍子のようにコックピットに乗り込む女性は珍しくもないが、多くもない。


 後ろにいる相棒のように『不明機データ採取の操作と管理』を担当するパイロットなら女性も多いが、藍子のように『機体操縦』を担当する女性パイロットはまだ僅かだった。


「ここんとこ静かじゃん。今夜さあ、結婚記念日だから早く帰らないとうるさいんだよ。わかるだろ?」

「あー、そっか。もうそんな時期なんだ。それは奥さんのために早く帰らなくちゃね」

「くんなよ、来るなよ。いま来たら、三十分で基地帰還は無理だろ。夕飯、間に合わなくなる」


 相棒の奥さんは、根っからの女性であって、だからこいつは惚れに絆され結婚したと藍子は思っている。


 女性らしいことこのうえないのは、女性ならこうして欲しいという要求が強い女性という意味。記念日は絶対、浮気はダメ、一年に一回の旅行も絶対。とにかくそういうことを夫に望む女性だった。


 だから結婚記念日に夫が留守だなんてあり得ないため、本日の相棒は絶対に帰宅しないといけないことになっている。


 相棒の斉藤祐也は藍子と同期生、一緒にパイロットになった。配属されたのも同じ岩国基地。配属された部署も二人で兼ねてから狙って希望してきた新飛行部隊『機動追跡隊』、同じ部署配属されただけでなく、同じ機体に乗ることになった。


 普通は男性パイロットが操縦を担当して、細かなデータ収集などの機材操作は女性パイロットというのが多い中、藍子と祐也の場合は逆を担当するように命じられた。


 ただ後部のデータマンが操縦を担当することもあるし、操縦担当のパイロットが後部座席に乗り込んでデータマンをすることもある。どちらも同じ資格を保有し、どちらを担当しても出来るよう叩き込まれる。


 それでもここ五年、藍子と祐也はこのスタイルで『機追隊』の任務をこなしてきた。


 コックピットに『ピコン、ピコン』と『認識通知音』が響いた。


「くっそ、来やがった。中央官制からの通知!」


 横須賀にある中央官制センターが全海域空域界隈で察知した領空接近物を確認した時に、上空をパトロールする『ジェイブルー』に通知するものだった。


 さらに横須賀中央官制センターからどの機体が国籍不明機を追跡するかの指令も届く。


 レーダーを確認すると指定位置が自分たちの飛行位置と近い。


「たぶん、私たちだね」

「そうだな。五島列島沖だ。俺たちの機体がいちばん近い。ADIZ(防空識別圏)からすぐこっちに来るぞ」


『こちら中央官制。ジェイブルー105に追跡指令――』


 ほら、来た。藍子は操縦桿を握りしめ、ヘルメットに装着しているヘッドマントディスプレイに映るデータを目で追う。


「旋回する。追跡開始、データ準備して」

「ラジャー。カメラ機動、衛星送信オンライン接続、データベース照会解析へアクセス開始」


『ホットスクランブル指令――』


 中央官制センターからスクランブルで駆けつける『戦闘機部隊』へ指令が出る。


「どこが来るかな」


 藍子の目の前にあるレーダーには、同じく五島列島沖に空母艦が一隻、護衛艦が数隻。戦闘機を艦載しているのは空母のみ。あとは沖縄か藍子と祐也のベースである岩国基地から飛んでくるはず。


『五島列島海域航行中の空母より、雷神が行きます。五分の予定』


「ラジャー、追跡中、待機する」


『ラジャー』


 管制からの報告を聞きながら、藍子の目は徐々に近づいてくる機体から離さない。


 ジェイブルーは『偵察機』と似た業務を行うが、特徴的なのは現場に駆けつける飛行部隊であること。警察で言うところの『機動捜査隊』と同じで、すぐに現場へ行き現場の状態を報告する。駆けつけてくる捜査一課を待機するかのように『戦闘機部隊』がスクランブルで到着するのを待つ。


 その間の仕事は見つけた不明機の分析と解析、そして牽制。しかしジェイブルーは追跡機のため戦闘機能はもっていない中等連絡機みたいなもの、スクランブル部隊が届くまで付かず離れずの追跡をするしかない。


「目視で確認」


 五島列島上空、晴れ渡るなかにも、うすい茜が差し始めている雲のむこうに優美な『赤朱雀』が尾翼に描かれている機体を発見。


「機体番号はまだ見えず」

「藍子、もっと近づけ」

「ラジャー」


 機体番号を確認し、どの国のどの部隊の『どのようなパイロット』が来ているかを確認し報告するのが機追隊の仕事。向こうも四機編隊で徐々に接近してくるが、藍子も怖じ気づかずに領空の端、ギリギリまで機体を寄せる。


 尾翼にもはっきりと朱雀のイラスト、パイロットの姿も見えた。向こうの男もこちらを見ているし、藍子も見ている。シールド越しでも目が合っているのがわかる。


「よし、機体番号を確認。撮影する」


 データマンの祐也がその担当。機影を撮影して、いつどこでどの番号の機体が接近してきたかを映像で記録、同時に中央官制センターへ送信する。


「えーっと、機体番号は……」


 撮影した映像から機体番号を解析、本部にあるデータベースで照会し、その機体がいままでこちらの国に対してどのようなアクションを取ってきたかを確認する。

 しかし衛星を通じたオンライン解析に時間がかかっている……。だが藍子は一目で判断出来た。


「機体番号確認、朱雀の3号機だね」

「いま照会が届いた。正解だ。朱雀の3号機だ。藍子はすぐわかったのか」

「最近よく見かける機体だから、それだけ。管制に報告して」

「ラジャー」


「雷神は誰が来るの? まずいよね。『朱雀の彼』ともし『雷神の彼ら』が来たら……」

「やめろ、そんな組み合わせになったら帰投まで三十分どころじゃなくなるだろ」


 しかし向こうも藍子と祐也が搭乗するジェイブルーであることを認識ているのか、さらに機体を領空ギリギリにまで寄せてきた。


 国際連合軍での通称は『朱雀の3』、燃えるような赤い羽根の優美な鳥。きっと彼らの国でも『朱雀』と呼ばれているはず。そのコックピットにいる男がまるで挨拶とばかりにサムズアップのハンドサインを見せる余裕。


「あいつ、絶対に藍子のことわかってやってるよな」

「女かどうかなんて知らないはずなんだけれどね」

「体格的に女てわかってんじゃねーの。どう見たっておまえは俺らより細身だもんな」


 そうだとしたら面倒くさいなと近頃『朱雀の3』が来ると藍子の心は穏やかではなくなる。


「早く来いよ、雷神」

「私たちから警告アナウンスをしなくちゃいけない距離になってきた」


 しかし中央官制から指令がなければ、ジェイブルーの追跡隊はひとことも発してはいけない決まりになっている。


『雷神2 フジヤマ 到着』

『雷神7 イエティ とうちゃーくっ』


 落ち着いた男性の声とふざけた子供っぽい男の声が聞こえてきて、藍子と祐也は一緒に溜め息をついてしまう。


「まじかよ~。イエティがシフトに入っていたんか~」

「悪い予感的中した。ほら、見て。もう始まってる」


 ジェイブルーの目の前に、真っ白な翼にネイビーブルーのラインがある戦闘機『ネイビーホワイト』が二機並んだ。


『侵犯措置、警告アナウンスを開始する』


 雷神2号機のベテランパイロット、タックネーム『フジヤマ』、裾野少佐の声が聞こえてきた。

 近づいてきた朱雀編隊4機、特にすぐそばまで接近してきた朱雀3に警告アナウンスをしている。


「きっと聞かない。だって、イエティが来ちゃったんだもの」


 先程まで藍子を意識していた朱雀3が雷神の7号機『イエティ』がやってきたことで、互いが引き合うように接近しているのが目に見える。


「藍子、撮影準備完了だ。朱雀とイエティがかち合ったら、ドッグファイトは必須だ。もう腹括った。さよなら俺の結婚記念日!!」


『はーい、ジェイブルー105。今日は岩国のお姉さん、aiaiさんだったんだねー。追跡と照合、ご苦労さーん』


 雷神の若いパイロット、イエティが無線で話しかけてきた。藍子は顔をしかめて、自分のタックネーム『aiaiアイアイ』と気易く呼ぶ『やんちゃ野郎』に返答する。


「うるさい。あっちに侵犯しちゃったり、朱雀にやられたら許さない」

『そっちこそ。俺を見失うな。きっちり、俺と朱雀のケツを撮影しておけ』


 急に男らしい声になる。彼がこの声になったら本気になった証拠。藍子は操縦桿を握る。


 ジェイブルーにはもう一つ役割がある。いままで2機のエレメントで行動してきた戦闘機の片割れが撮影をすることが多かったが、いまはジェイブルーが領空で接触があった場合の撮影をすることになっていた。


 この時代、領空領海侵犯はよくあることで、ドッグファイトもかつての時代より頻繁になっていた。『証拠を残す』ことを重要視したため、『データ収集と記録』など、戦闘機部隊が戦闘に集中出来るようなアシスタント的存在で設立された。


「藍子、イエティと朱雀が降下していくぞ」


 若く血気盛んなイエティはやんちゃだが戦闘能力は抜群だった。

 なぜなら、彼はかつて皆が憧れたエースパイロット『ソニック』城戸雅臣准将の甥っ子だから。


 しかも叔父様のソニックが指揮するトップパイロット飛行隊『雷神』に所属する。しかも双子の片割れで、もう一人の片割れ『ブラッキー』も同じく戦闘能力に関しては抜群の機動力を誇っている。


 海軍空部隊の誰もが『さすがソニックの甥っ子、双子』と賞賛し、広報のアクロバットショーに出すと、真っ白な飛行服に叔父様そっくりの精悍な青年ぶりを双子揃って発揮して男性マニアも女性ファンも虜にする。


 難点は、どこかいつまでも『子供っぽい』ことで、ベテランパイロットがついていないとコントロールが効かないことがある。


 それでも侵犯を頻繁にすることで煽ってくる対国の傍若無人なドッグファイトに果敢に応戦できるのも、ソニックの身体能力とDNAを引き継いでいる『城戸の双子』。


 今日はその片割れ『城戸雅幸』、双子の兄貴がやってきた。


『aiai、朱雀を追い払ってやるから、ついてこい!』

「生意気! 階級も年齢も私が上!」


 イエティと朱雀のドッグファイトを撮影する。それには藍子も抜群の機動をするイエティについていかなくてはならない。


 操縦桿を握りしめ、真っ白な戦闘機と赤い鳥を、青い海へと向けて追いかける。

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