65.デカ姉妹


 北海道の夏は、特に富良野・美瑛は観光最盛期。


 パッチワークの丘が見える高台に、父が営むオーベルジュ『ロサ・ルゴサ』がある。


 ロサ・ルゴサは『ハマナス』のこと。


 実家玄関の周りには、白と薄紅のハマナスも花盛りだった。


 オーベルジュは、農作物が手に入りやすい地方や郊外にあるレストランで夜にゆったりと飲食をすると、帰る時間が遅くなってしまうために、そのレストランに泊まらせてもらうことから始まったとされている。


 しかしいまはレストランとペンションが併設しているのが一般的。父のロサ・ルゴサは美瑛のファームレストランとペンションがコンセプト。


 お客様用の棟と家族用と従業員用の棟は別になっている。


 裏側の玄関に到着し、久しぶりに藍子は実家の玄関を開ける。


 しかし静かだった。


「ごめんね。いつもこんななの。ほら、お客様がチェックインする時間で、もう厨房は下ごしらえなどで準備が始まっているから」


 静かな家の中に、エミリオと海人をあがらせる。


 北海道らしい造りのリビングにまずは荷物を持ち込んで、男二人をソファーに休ませた。


 迎える家族は誰もいなかった。それが自営をしている家族をもつ藍子には当たり前。そしてそれはエミリオにも海人にも伝えていた。


「食事はなにか運んでくれると、妹が言っていたから。それまでくつろいで。あとで二階のゲストルームに案内するね」


 あまりにも静かで、かえってエミリオも海人も居心地が悪そうだった。


 藍子はよく知っている実家。しかし育った家でも暮らした家でもなかった。藍子が高校卒業をして浜松航空学校に入隊して、パイロット候補生としてジェット機操縦に四苦八苦している時に、父が独立。家族が美瑛に移住した。


 藍子が知っているいまの実家は、帰省して過ごす実家というものだった。


 それでも徐々に我が家になっていく空気と慣れていく家の匂いは確かにあった。


 キッチンで勝手にコーヒーを淹れていると、リビングに西日が差してきた。


 高台にあるため、夏の緑に彩られたパッチワークの丘陵畑が茜に浮かぶ。庭のハマナスに、ラベンダーが夕陽と夏風に揺られている。


「うわ、やっぱり素敵なご実家ですね!」


 海人が感動して庭の窓辺まで歩み寄る。


「……ほんとうだ。いままでいいなと眺めてきた北海道のスナップ写真そのままだ」


 エミリオまで美しい微笑みで海人がいる窓辺まで。


 そこで男二人が動かなくなった。


 藍子もその窓辺に寄る。


「こんな美しい丘を藍子と見られて嬉しいよ」


 彼の濃いブロンドも夏の明るい夕陽に輝いている。いつものように藍子の腰を抱き寄せてくれ、藍子も一緒に寄り添った。海人もまたまたという顔をしても、彼ももう綺麗な丘陵を微笑むだけで見つめている。


「お姉ちゃん、ごめんねー」


「藍ちゃん、おかえり!」


 リビングの扉が開いてそんな声が聞こえ、藍子とエミリオ、そして海人も振り返る。


 エプロン姿の妹と義弟だった。


「瑠璃、篤志くん。ただいま」


 二つ年下の妹と、妹の夫との久しぶりの再会に、藍子もつい駆け寄ってしまう。


 その妹と義弟が、窓辺にいる男二人を見て驚きの顔を揃えた。


「ほんっとに美しすぎるお兄さん!」


 赤いエプロンをしている妹がエミリオに釘付けになった。


 エミリオも妹だと知って、ちょっと緊張した面持ちでこちらにやってくる。


「戸塚エミリオです。初めまして瑠璃さん、篤志君」


 義弟も感激の顔で、エミリオと握手をしてくれる。


「もうアグレッサーだと聞いただけで、すげえすげえと俺なんか騒いじゃって。しかも今度は雷神ですよね! 千歳の航空祭で見たことがあるんですよ」


 そこは男の感激でエミリオを迎え入れてくれた。


「妹の瑠璃の旦那さんで、篤志君。義理の弟になるんだけれど、私と同い年なの」


 妹の夫、篤志もエミリオや海人ぐらいの身長があって藍子より背が高い。


「ほんとうは一流商社に勤めていたんだけれど、篤志君、父のお店を気に入ってくれて、会社勤めを辞めて、うちに入ってくれたの」


「婿養子なので、俺も朝田姓です。よろしく」


 彼が家に入ってくれて、経営や経理をしてくれるようになってからだいぶ楽になったと両親が言っている。いずれ妹夫妻にオーナーを譲るとまで聞いていた。


 そんな凄腕の義弟であることにエミリオが『素晴らしい』とまた感嘆して、こちらも男同士気心知れたようだった。


「お姉ちゃん、そうしたらあちらの方が、お姉ちゃんの?」


「うん、そう。新しい同乗パイロット、相棒の御園海人海曹よ」


 海人もいつもの明るい微笑みで近づいてきた。


「以前、こちらに宿泊した時から大ファンです。御園海人です。ええ、凄い、妹さんも美人だ!」


 海人の唐突に言ったことに妹の瑠璃は面食らっている。


「いや、ほんとうだ。藍子に似ている。美人姉妹だったんだな」


 エミリオまで目を瞠って、妹の瑠璃をじろじろみる始末。麗しい男二人に見つめられて、妹もちょっと気恥ずかしそうに頬を染めていたが、最後には嬉しそうに笑っている。


「背丈も一緒ぐらいなんだな」


 藍子と瑠璃が並んでも、確かにそんなに大差がないことに、またエミリオが驚いている。


「そういえば、私たち、デカ姉妹とか言われていたよね。お姉ちゃん」


「そうそう。二人揃ってバスケ部に入れられそうになったよね」


「私たち、家庭科クラブ希望だったものね。お姉ちゃんとはいっぱい料理したもんね。デカいからモテるわけないの。だって男子が同じかちっちゃいんだものね」


 そうだった、そうだったと藍子と瑠璃はおなじ悩みを抱えてきた姉妹。そこは非常に気が合い、支え合ってきたと言ってもいい。


「そんなことはない。いまこうして並んでいると見応えがある。美人姉妹の夫で兄になれるなんて、俺に自慢がひとつ増えた」


 いつもより口が軽いエミリオにも驚きだったが、ほんとうに『似てる似てる』と藍子と瑠璃ばかり眺めている。


「やだー、お姉ちゃん。こんな素敵なお義兄さんが出来ちゃうなんて最高ね。私も嬉しい」


 瑠璃もエミリオを気に入ってくれたようだった。


「瑠璃さん、俺のことはエミルかミミルでいいですよ」


 もうエミリオが低い声でそう言っただけで、瑠璃はまた頬を染めて惚けた顔。


「えー、どうしよう。お姉ちゃんはなんて呼んでいるの」


「エミル、かな」


「じゃあ私も。エミル兄さん、よろしくお願いいたします」


「いや、兄さんは要らないかな。エミルで」


「そんないきなり呼び捨てなんて出来ないー」


 妹らしい気易さで元気いっぱいに接してくれるので、エミリオも緊張がほぐれて楽しそうな笑みを見せ始める。


 和やかな対面の中、爽やかな日本男児の篤志が藍子に言う。


「そうだ。藍ちゃん。こっちに来てくれるかな。エミリオ兄さんと海人君も是非」


 なんだろうと小笠原から来た三人で顔を見合わせるが、瑠璃が行こう行こうと藍子とエミリオをくっつけるように寄せて背中を押してくる。


 連れて行かれたのは、家族が住まうこの家、リビングと同じく一階にあるゲストルーム。そこに入ると、先ほどのパッチワークの丘と畑と庭が見渡せる窓辺に、テーブルがセッティングされていた。それもこのオーベルジュでお客様を出迎えるためのきちんとした正式なものだった。


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