64.初めてのラベンダー畑



 藍子の実家がある美瑛へと、相棒と恋人と向かう。

 運転は海人が、後部座席ではエミリオがじっとして眠っている。


 そのままそっとして藍子と海人の相棒ペアで美瑛を目指して来たものの、今度はラベンダー畑の手前で渋滞に巻き込まれる。


「ん? まだ到着しないのか」


 エミリオが目覚めた。藍子も助手席から振り返る。


「だからラベンダーが開花すると全国からどっと観光客が押し寄せるからなかなか到着しないよと言ったでしょう」


「明日、青い池に行ってからファームに寄ってもいいんじゃないですか」


「青い池もいまは混んでると思うわよー」


「俺も富良野・美瑛の夏は覚悟してでかけていましたもん。むしろちょっとシーズンを外して行っても、秋でも充分花盛りで楽しめたものです」


 ただ。と海人も溜め息をつく。


「ガンさんが、初めての夏に連れていってくれた富良野のラベンダー畑もこんな感じでしたからね」


「他にもお花畑の丘はいっぱいあるけれどね」


「やっぱりあのファームはここに来たら行っておかないと、ですよね。でも結婚するならまた来る機会あるかもしれないですね」


「どうかな。だって戸塚少佐はこれから海の上だもの」


 ねえ、エミル――と、海人とばかり話してしまい、静かな男に振り返ると、目覚めたばかりの彼は冷たい水を飲みながら、じっと渋滞の窓の外を見ている。


 一本道の田舎の農道。お店があるような道ではない。農家が並ぶその道脇を彼がじいっと見つめている。


「エミル、どうしたの」


「藍子、あれはなにをしているんだ」


 彼の目線の先を確かめると、道脇の農家が倉庫でラベンダーの花を乾かしている。


「このあたりラベンダー畑を持っている農家が多いの。収穫したラベンダーを乾かして、そのまま直売しているのよ。ほら、奥様が立っているでしょう」


「買ってくる」


 藍子と海人が『え』と思った時には、目覚めたばかりなのに機敏に動き始めたエミリオが、ワゴン車を降りてしまった。


 今日も彼は爽やかな麻の白シャツにブラックデニムという、シンプルでも妙に男っぽい色香を漂わしている雰囲気で、そのまま渋滞をしている道脇を行き、見つめていた農家へと入っていく。


「うわー、あの花。車に入れておくとけっこう匂いが強くて、眠くなるんだよなー」


「あー、でも買っちゃったみたい」


 初めてのラベンダー農家を見て、居ても立ってもいられなかったらしい。


 ブロンドの背が高い美形男が日本語であれこれ話しかけている姿、農家の奥様と会話をしているのが見えた。


 するとエミリオが藍子を見て手招きをしている。首を傾げていると、藍子の手元にあったスマートフォンが震えた。


 電話だったので取ってみる。


『藍子。こちらのお宅が庭先に車を駐車させてくれるそうだ。どうする』


 ええ、本当に!? 藍子は驚いて海人に告げると『歩いたらそうは遠くないからそうさせてもらいましょう』とお言葉に甘えることにした。


 ワゴン車を駐車させてもらい、渋滞の車が並ぶ舗道をファームまで歩いた。その途中も澄んだ青い空の下、丘陵の斜面に植えられた紫のラベンダーが愛らしく揺れている畑がちらほら並ぶ。


「いい香りだな」


 微かなラベンダーの香りが風に乗ってきて、エミリオが嬉しそうに空を仰いだ。


「あれですね、ブロンドの美しすぎる男性がラベンダーを買ってくれたから駐車させてくれたんですね。エミルさんのおかげかなー」


 そういいながら、海人も麗しい栗毛を夏風にきらきらとそよがせて、綿シャツに麻のカーキーパンツと若々しいラフな姿。


「そんなわけないだろう。お買いあげいただいた方にそうしていると奥さんが言っていたからな。海人が買いに行っても同じだっただろう」


「そうですかー? でもなあ、少佐は大人の男の色気があるからなあ。制服とかフライトスーツを脱いでもぷんぷんさせているってかんじで」


「馬鹿言うな。俺は至って普通にしている」


「その普通が、普通じゃないんですよ。少佐はー」


「海人もだろ。ほら見ろ、向こうにいる若い女の子がこっちを見ている」


「少佐のほうでしょ」


「俺はオジサンだ。あれぐらいの子が気にするなら海人のほうだ」


 藍子の両脇で、ブロンドだの栗毛だの翠の目だの琥珀色の目だの、きらきらしている男二人が『俺たちは普通』みたいに会話をしていたが、間にいる藍子は『彼らは普通だと思いたいだろうが、そうではない』と言いたかった。


「それに俺には藍子がいるからな」


 なんて油断していたら、エミリオが藍子を両手でぎゅっと抱き寄せて来たので、人前なのにと藍子はびっくりする。


「はいはいはい。色気を振りまいておきながら、ちゃーんと恋人がいることアピールってわけですねー。あ、違った。フィアンセでしたね。もう、毎日毎日、今日は数時間置きにご馳走様も慣れちゃいましたよっ」


 海人の呆れ顔もお構いなしに、エミリオがまた藍子の黒髪にキスをしてくる。


 それでも海外からの観光客も多い時期。誰もなにも気にしていない様子は小笠原と一緒だったので、藍子もついエミリオの愛情に微笑む。


 丘陵いっぱいに紫のラベンダー、そして季節の白い花、ピンクの花、黄色の花で出来たストライプ畑のファームが見えてくると、エミリオが感激する。


「素晴らしい、Great!」


 手元にあったスマートフォンでいっぱい撮影を始めた。そしてすぐさま、藤沢にいる両親に送信しているのも相変わらず。


 すぐに返信も来たらしい。


「見ろ、藍子。うちの両親も喜んでいる。結婚式は絶対に夏にして欲しいだってさ」


 藍子もトーク画面を見せてもらう。お父様とエミリオがかわしている画面。そこに『美しすぎる、Great!!』とあった。なんとなく言葉の使い方がやっぱり父子。


「私、まだご挨拶していないのに……」


 もうあちらのご両親は『結婚OK』と言ってくれている。それでも藍子が美瑛に行くより先にご挨拶をしたいと申し出たところ、エミリオが『うちの父親は、お嬢さんをくださるお父様の許可を先に得てからうちに来いと言っているから、美瑛に先に行けと言われている』と譲らず、先に北海道の実家に来ることになった。


「大丈夫だ、安心しろ。藍子の写真も見せたし、なによりも防衛の女性パイロット、俺の仕事にも理解がある。料理も美味くて、毎日、藍子が癒してくれて、俺が幸せと言っているんだから、そりゃ許してくれるよ」


 アメリカ人のお姑さんだと、気にならないのかなと思ってしまう?


「うちの両親は、二人で楽しく暮らしていけたらいいという親だから。俺はひとりっ子だし、自立したなら自由にやれって主義だよ。その俺が選んだ女だからと信頼してくれている」


 もう素晴らしすぎる家庭と藍子は思う。そういう深い愛情をいつもエミリオだけでなく、ご両親を通して感じてる。


 そんな戸塚のご両親に早く会いたいのは藍子のほうになっている。


「お、あれはラベンダーソフトクリームですね!」


 ファームにはいろいろな店が入っている。そこで海人がさっそく食い気を発揮。


 エミリオも店先のガラスケースに並ぶスイーツに興味津々。


「ラベンダーゼリーもあるな。綺麗な色だ」


「わー、夕張メロンがある! 食べたい、食べたい。いまちょうど時期ですもんね」


「そうね。夕張メロンも時期が短いからいまが食べ頃だね。エミル、食べてみる?」


「藍子。北海道米もいっぱいある。買っていこう。よしメロンは藤沢の両親に送る」


「あ、俺も! ガンズさんと両親に送りたいです」


 よし、行こう――と男二人が富良野マルシェに突入。


「ちょっと。まだ初日なんだから、そんな買い込んだら荷物が増えるでしょう」


 聞いていない。栗毛とブロンドの男二人が藍子よりも夢中で食材を眺めて楽しそう。


 あの二人が実は、空を飛んで防衛をしているパイロットだなんて。この人混みの中、容姿は目立っていても誰も知らないこと。そして、彼らもそれを忘れて楽しそうな笑顔。


 藍子はもうそれだけで微笑ましくなる。


 夕方には美瑛の実家に到着する予定。


 家族とエミリオがついに対面する。


 そう思うと藍子はドキドキするばかり。父は料理人だけあって頑固な部分がある。娘には優しいけれど、エミリオのことをまだ『会ってみないとわからない』と言って、戸塚のご両親ほど手放しで喜んではない。


「はー、緊張しちゃうな」


 なのにエミリオは海人と一緒にもうカットメロンを買って、美味しそうに頬張っていている。


 そりゃ、アグレッサーで今度は最前線へ往く雷神のファイターパイロット。肝が据わっているのだろう。それとも気を紛らわしているのかとも思えた。


「藍子。こんなメロン、食べたことがない。ほら、藍子も食べてみろ」


 また人前なのに口元にカットメロンをつんつんとされてしまい、藍子はもうどうでもいいかなと『あーん』と口を開けていた。


 やっぱり夕張メロン、実が柔らかくて香り高くておいしい! 藍子もすっかり頬がほころんでしまう。


「いま藍子にキスをしたら甘そうだな」


 ほんとうに目の前まで鼻先と口先を近づけてきた。


「ダメだからね、ここでは」


「わかっている。後でもらう」


 後でて、どこで?? いつもの藍子にくっついてばかりの彼でびっくりするばかり。


 富良野の美しい花を堪能して、その日の夕、藍子は相棒と彼を連れて実家に辿り着く。

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