63.女性パイロットの未来


 なにもかも手に入れたいなんて贅沢だと藍子もわかっている。


 信頼している上官が『女の幸せを選んでほしい』ということは、コックピットを降りる決断も考えて欲しいと暗に仄めかしていると藍子は取ってしまった。


「つまり。いつ辞めるか考えておいて欲しいと言うことですか」


「ああ、いや。すまない、藍子。女性の道を選んで欲しいうえで、これからもジェイブルーパイロットとしてどうして行きたいかを聞きたかったんだ」


 どうして行きたいか? 藍子はそれを今、はっきり自覚したところだ。


「欲張りなのはわかっています。出産も子育てもしたいし、彼が航海で留守の間はきちんと家庭を守りたいです。そして、パイロットのキャリアも……、捨てたくありません」


 欲深い返答をはっきり告げるのは躊躇いがあったが、岩長中佐は真っ正面から藍子を見つめてしっかり頷いてくれる。


「それで頑張れ。協力は惜しまない。それを、美瑛に行く前に伝えておきたかった」


 無茶を言っていると気後れしていた分、藍子は驚いて岩長部隊長に返す言葉がなくなってしまう。


「いままで部下に後輩、この年齢まで様々に指導をしてきた。事務官なら女性の後輩もいた。だが、女性パイロットは初めてだ。今回、小笠原に来たことで、私の大ボスは御園葉月連隊長となった。女性の大ボスだ。ちょうど良いバックアップだと思っている。私の最後の仕事は、若いジェイブルーを中堅にして地盤を引き継ぐこと。そして、藍子と出会った。女性パイロットの働く環境を考えていくことだと決めた」


 岩長中佐という上官に出会えた幸運でもあって。御園連隊長という自分よりずっとずっと昔から女性としての道を切り開いてきてくれた上官がいる基地に来た幸運? 藍子は初めてそう感じている。


「あの、ですけれど。プライベートで皆様に負担をかけるわけには……」


「藍子。岩国でひとりきりで抱えていたことも、斉藤夫妻にあのような行動を許した原因だと私は思っている。もっと早く、上官に相談して欲しかった。おそらく藍子はこんなことを相談するのは甘えだと思っていたと思うがね」


 その通りだった。しかし小さな綻びをここほつれている、なんとかしてくださいと、あのときの藍子は大声では言えなかった。


「御園連隊長には、家庭を守る力があり、理解もある夫がいた。しかし護衛をしている園田少佐はそうではない。夫は海に出て行く艦長だ。彼女一人での子育ては、将軍を護る仕事をしながらは無理だったと彼女も話していた。もちろん、彼女にはご両親が島に移住してくれたというバックアップもあったから続けられたとも思う」


 自分より先にキャリアを手に入れて来た大先輩の話を持ち出されたが、彼女たちにはたまたま理解ある環境があっただけではと藍子は言い返したくなった。


 しかし、岩長中佐は違うことを藍子に伝えた。


「私が、藍子の小笠原の親になってやる。いつまでいられるかわからないが。だからこそ、きちんと相談して欲しい。そして諦めないで欲張って欲しい」


 また……、藍子は違う意味で言葉が出なくなった。


「あの、ですが、」


「ああ、それから。今回、御園連隊長に相談をして初めて知ったのだけれどね。女性隊員のための保育所を軍隊で増やしたり、保育士の資格をもつ隊員を雇ったり部署を開設したりを、御園ご夫妻と城戸ご夫妻で取り組んできているそうだよ。どちらも奥様が活躍されているからね。後に続く女性隊員のための組織改善に邁進されているようだよ。藍子が母親になる頃には小笠原でその設備が整っているかもしれない」


「ほ、本当ですか」


 それは初耳で、もしそうなれば心強い。そうなって欲しい。


「島だからね。それに、隊員同士の結婚も多いからじゃないかな。女性の連隊長だから出来ることだと私は思うよ」


 だから――と岩長中佐が笑顔で藍子を見つめる。


「欲張りなさい。それからジェイブルーには藍子のように操縦ではなくても、データで後部座席に乗っている女性も多い。彼女たちのこれからの働きやすさを整えていきたい。せっかくの人員だ。辞められてしまうと、またキャリア実績ある隊員を一から育てねばならず、そうなると大変なことだからね」


 それまで軍隊が育てたキャリアは女性だからこということで捨てさせないようにしていかねばならない。それが部隊長を引き受けた岩長中佐の新しい目標とのことだった。


「ただ。子供のことを考え始めたら、負担にならないよう働いていかねばならない。その時は、藍子には私の隣で勉強してもらう」


 それにも藍子は驚きを隠せなかった。それは岩長中佐の横で、地上での指揮を勉強しろと言われていると解ったからだった。


「いつか私は藍子や海人より先にいなくなる。後を頼める者が欲しい。そのことも、コックピットにいられない間の使命だと思って考えておいてくれないか」


 思わぬ申し出だった。戸惑いはある。ずっとコックピットにいられるような考えしか持っていなかった藍子だったが、結婚することになり初めて真剣に向きあって、そうは長くはないパイロット人生であることも悟ってしまう。


 でも。空は護っていきたい。どんな形でも。


「わかりました。戸塚少佐とも話し合って、よく考えます」


「頼んだよ。いつかは藍子や海人、そして菅野や城野たちがジェイブルーを牽引していくのだからね」


「はい」


 パイロット候補生の頃から飛行機を操縦するようになって藍子も十年以上が経つ。


 もしかするとこれからサポートする側になることを考えることも大事なのかもしれないと初めて思えた。


「そのことも、ご家族とよく話し合ってきなさい」


 七月の休暇を楽しんでくるように送り出してくれた。




 ―◆・◆・◆・◆・◆―




 七月下旬。


「藍子さーん。やっぱり動かないー」


「七月の祝日を挟んだこの開花最盛期はこうなるって。どこかで駐車して歩いてもいいんだけど」


 と言いながら、藍子と海人はいま乗車している車の後部座席へと振り返る。


「いいんですかー。フィアンセを置いて行っちゃって」


「起こせばいいじゃない」


「沖縄基地のアグレッサー演習で三日間の出張。沖縄から朝方帰ってすぐ飛行機で北海道だったんですよ。もう輸送機の中でもあんなだったじゃないですか」


 運転席には海人、助手席に藍子。レンタカーのワゴン車の広い後部座席には、足を組んで腕を組んでうつむいてじっと眠っているブロンドの男、エミリオがいた。


「俺はもう腹括りました。一時間渋滞頑張ります」


「ごめんね、運転させちゃって。疲れたら私が交代するからね」


「嫌です。久しぶりの北海道ですもん。運転も楽しみにしてきたんですっ」


 海人とエミリオと藍子の三人で無事に北海道に到着。千歳からレンタカーを借りて富良野美瑛に入ったが、有名なラベンダー畑を持つファームまでの一本道がわかってはいたがシーズンど真ん中で大渋滞。


 エミリオは長期休暇前のハードスケジュールをこなして旅に出たため疲れているようで、海人が進んで運転をしてくれている。


 藍子も助手席でナビゲーターをしているため、エミリオだけが後部座席。元々静かな男性だけれど、本当に静かだなと思ったら、千歳から高速に乗ってすぐに眠っていた。


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