53.アイアイという女の子
しかも。烏丸――と、自分より階級が上の人間を、まるで敵のようにフランク中佐が呼び捨てにしていた。
「馬鹿だな。敵陣地に踏み込んでくるみたいなもんだ」
エミリオも呆れた顔をしている。
「フランク中佐、烏丸准将のことあんなふうに」
「フランク中佐は御園家と親しくしているから、おそらく業務上でもいろいろ烏丸さんのことは知っていると思う」
「知っているって。なにを」
「悪い、藍子。できれば藍子はなにも知らない顔をしていてほしい」
話したくても話せないという口ぶり。そして藍子も察する。やはり今日はただのパーティではない。少佐としてなにか目的を課せられている気がした。
エミリオがふっと溜め息をついて、なにかを思い出したように藍子の腰を抱き寄せた。
「せっかくのパーティーなのに。こんな話……」
「やめて。私、なにからなにまで楽しみたくて来たわけじゃないから。エミルの、エミリオの力になりたいの。エミリオが私を、助けてくれたように……」
腰を抱き寄せてくれた彼の肩に、藍子もそっと額を寄せた。
「いつのまにか。エミリオと呼んでくれている」
いつのまにか。藍子もそれが自然に言えるようになっている。もう彼は少佐として遠慮していた男ではない。
「二杯目もシャンパンでいいか、ワインもあった」
「シャンパンがいい」
「少し食べておこう」
やっと二人でおいしい料理を眺めて、お皿にとって、同じものを味わって微笑みあった。
料理を味わっていたのもほんの数分、すぐにエミリオのそばに人が近づいていくる。
「みつけたぞー、クイン」
エミリオとおなじくライトグレーのスーツを着込んだ男性が現れる。
藍子は見覚えがあってまた驚いて彼を見上げる。
エミリオの相棒、サラマンダー3号機の『シルバー』、柳田少佐だった。
その彼が藍子を見つけてにやにやした。藍子ももうどうしてその顔なのかわかってしまい頬が熱くなる。
「地上の間近では、初めまして。アイアイ。サラマンダー3号機の柳田だ」
「はじめまして。いつも……素晴らしい飛行にドキドキしています。ジェイブルーの朝田です」
「俺にドキドキだって。どうするエミル」
この方はエミルのほうで呼んでいた。そしてエミルは面倒くさそうな顔をしている。
「ジェイブルー新部隊の演習初日に、俺たちであれをやったでしょう。あの時のこと、彼女がそういう」
シルバーの柳田少佐のほうが少し先輩のようだった。
「俺がやってやろうって言ったんだよ。どうせ背後から再侵入するなら、アイアイと坊ちゃんサニーを驚かしてやろうってね」
「あの時はもう、気がついたら真上にいたものですから。心臓が止まりそうなほど驚きました」
「雲を使って近づいたからな」
そいういうやり方が出来るのがサラマンダーらしいと、藍子はまた驚いて目を見開く。
「やっぱ近くで見るとかわいいな。おまえずーっと藍子ちゃんのこと気にしていたもんな」
絡んでくる柳田少佐に、エミリオは鳩尾にからかいの拳を受けたりして、されるまま言われるまま、ちょっと呆れた顔でむすっとしていた。
でもエミリオがさらっと話題を相手のほうになるよう上手く切り替えてきた。
「この人な。名前が銀次なんだ」
「それ言うなよ!」
「あ、だからシルバー……」
「もう~、マリンスワロー時代に隊長にそう付けられちゃったんだよ。愛着あるから使い続けているけど」
「俺だって、来るなりクインですよ。なんで女王様なんだって思いましたからね。もう受け入れるしかないでしょう」
「おまえ、女みたいな綺麗な顔していたからなー」
どうも二人揃って、マリンスワローに来るなり思わぬ名付けをされたらしい。でも使い続けている愛着も窺えた。
「ジェイブルーの私から見たら、お二人ともかっこいいタックネームですよ。私なんて、部隊長がアイダアイコと呼び間違えてアイアイみたいと言われたのがキッカケなんですよ。しかも……、戸塚少佐にはずうっとアイアイ、モンキーちゃんと言われて、もう……」
「そうだった、そうだった。おもしろいタックネームだから、どんな女の子か顔を見てくるなんてエミルが言いだして。普段は寡黙なクインが女の子に自ら近づくというあの時からもうおかしかった」
徐々にわかってくるエミリオの藍子に対する感情の過程、それを聞く度に、ほんとうにだいぶ前から、エミリオが藍子を気にしていていたことを知ってしまう。
「だってそうでしょう。どうしてアイアイなんだよ。画像検索してみろよ。とんでもなく恐ろしい顔の猿が出てくるんだから。あんな猿の名前を付けられるだなんて、よほどのことだと思ったら……、……。でも藍子が拗ねた顔にちょうど似ているかもと」
「もうやだ。信じられない。やっぱり少佐はまだ私のことモンキーちゃんと思っているんでしょう」
藍子がぷいっとそっぽを向いて拗ねても、大人の男性二人は『だけど懐かしい』と余裕で笑っている。
「だいたいさ、アイアイと言ったら日本では南の島のおさるさん~というかわいい唄のイメージなのに。エミルと来たら、妙に博識だから、そっちのアイアイをリアルに思い浮かべるなんておまえらしくて笑ったよ」
でもそれがキッカケで、藍子を見てみようとエミリオが思ったのだから。ある意味やっぱりご縁かもしれなかった。
サラマンダーの仲間にはどうもエミリオの感情はだいぶ前から暴かれているようだった。でもからかいながらも、きっとそっと見守ってきてくれたのだと藍子は感じている。
研修に来る度にエミリオにからかわられてきた。そしてちゃんと飛べよと渇も入れられて。そんなエミリオが実は頑張る藍子を密かに大事にしてくれたこと、いまはもう藍子にも伝わっている。
恋ではない。パイロットとしての男気が、女の子パイロットを支えてくれようとしたその気持ち。きっとサラマンダーのパイロットたちも、恋をしていると安易にからかってきたのではなく、エミリオのそんな生真面目なパイロットの先輩としての愛情をわかって見守ってきてくれた。今日、初めてそう実感している。
「銀次さんは奥さんと息子さんはどうしたんですか」
「あっちでパイロット妻たちと子供の面倒みながら食べて呑んで楽しんでいるよ。毎年恒例の隼人さんのパーティーだ。そりゃあ楽しみにしていたよ」
庭のテーブルでは確かに華やかな奥様達があつまって、落ち着かない子供達を注意しながら楽しんでいるのが見えた。
「だが、エミル。今日は気にするな。ほらあそこも。橘さんが雷神とサラマンダーのパイロットを集めているだろう。既に注意喚起も回っているから安心しろ」
シルバーの柳田少佐が言う『注意喚起』がなにかわかって、藍子も驚いてその方向を見る。
来てから一時間ほど。そろそろ庭も室内も人々でいっぱい。あちこちに広報誌で見たことがある名の知れた将軍もいる。
特に向こうに、現在、小笠原航空訓練校の二代目校長を務めている橘准将が見えた。パイロットならソニック共々知っている『憧れるパイロット』のひとり。横須賀のマリンスワローをいまの技巧品質に高めてきた第一人者である男性だった。
白髪交じりの頭で渋めの男性だったが、若い奥様とかわいらしいお嬢様と楽しそうにしている。雷神のパイロットたちと楽しそうに騒いでいる。そのそばにサラマンダーのパイロットたちも集まっていた。だがそういう雰囲気に見せかけて、橘校長がパイロットたちに密かに伝令をしている模様。
藍子の表情が堅くなったのを知ったのか、エミリオも柳田少佐も顔を見合わせ、真顔になった。
「藍子。銀次さんも元はマリンスワローの先輩パイロットで、俺と一緒に三年前、サラマンダーに転属してきたんだ。だから、知っているんだ。あの女のこと」
それにも驚いて、藍子は柳田少佐を見上げていた。
もう彼も海の向こうを睨んだ恐ろしい男の顔になっていた。
「あの女、俺も許さねえ。烏丸さんもだ」
同じパイロット、同じ横須賀から来たエミリオの先輩も怒っている。
海にはすでに漁り火が見えて、淡い藍の空になっていた。ライトアップされた庭も奥様達の声にさざめいている。
柳田少佐も腕時計を見た。
「そろそろ開始だな。来ていないじゃないか」
「怖じ気づいて来なかったかもしれませんね」
銀次先輩とエミリオはなにもかも通じて、事情もわかっているようだった。
その賑やかで華やかな庭に、ひと組のカップルが現れる。
その時、女性も、男性も、そろってそちらを見た。
藍子の目も惹かれていく。でもそばにいるシルバーとクインの僚機ペアはもう表情が険しい。
「来たぞ、エミル。烏丸准将と」
「あいつだ」
整った優しい顔立ちの烏丸准将は紺色のスーツで、その隣に付き添っている女性は真っ白でシックなドレスを着こなす大人っぽい人。
彼女がリビングに入るなり、男性達の視線を一気に引きつけたのが一目瞭然。しかしそれは女性も。
そこに彼女がいるだけで、ほんとうに妖艶な甘い空気が漂っていた。それにほんとうにハリウッド女優のように艶があって美しい人。日本人? 藍子はまずそう思った。
その女性があちこちを見渡している。そして、柳田少佐と藍子とエミリオがいるそこで彼女の目線が止まった。
彼女が優美に微笑み、エミリオに手を振ったのだ。
「ほら、おまえロックオンされているぞ」
「ロックオンなんてされない。こっちが撃墜してやる」
シャンパングラスを口に付けたエミリオの目が、サラマンダーのクインの目になった。
あちらは優雅に微笑んでいるのに、こっちの男ふたりは戦闘態勢という異様な空気。
「あの美魔女、人妻のくせに、さっそくエミリオに目をつけやがって」
「大丈夫ですよ。銀次さんは奥さんと楽しんでいてください。部隊長にもそう言われているでしょう」
「わかった……」
そういって柳田少佐が相棒から離れようとしたのだが、彼が藍子を心配そうに見た。
「私も大丈夫です。パイロットや隊員を食い物にする人間は許しません」
彼がびっくりした顔をした。藍子もわかってきた。あの女性は食べたい男性を常に探していて、今日も夫を伴いながらも餌を探している。そこに懐かしくも麗しい大人に成長したクインを見つけたのだろう。
「私、恐ろしい小猿のアイアイですよ」
藍子が笑うと、シルバーとクインが揃って『ついに自分で言うのかよ』と笑い出す。
もちろん、藍子は緊張している。あんな綺麗な人をエミリオが心の傷にしているとわかってしまったから。
切なさもやるせなさも入り交じっていた。でも負けない。
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