71.妻としての働き方


「はーい、お疲れ様! 新島から広報の吉岡がやってきましたよ、待ってましたよ!」


 地上に戻ると、藍子と海人のデスクに大きなカメラを首に提げたその人がいた。


「光太さん、もう諦めてくれよー」


 海人のデスク、そこに座っているので、海人が座ることが出来ずに不機嫌な顔になった。


「アイアイもお疲れ様! もうすぐ旦那様が帰還だね。その時にご夫妻でどうかな、どうかな」


 カメラを向けられ、藍子も思わず顔を反らす。勝手に撮られることはないが、吉岡少佐ならやりそうで、藍子はいつもヒヤヒヤしている。


「もう諦めてよ、光太さん。嫌だていってんじゃん」


「なにいってんの。広報がミセス連隊長の息子を放っておくと思うかな? データ管理長准将の息子を放っておくと思うかな。女性パイロットとペアを組んでいる青年隊員を放っておくと思うかな。今日も綺麗な栗毛だねー」


 そうして捲し立てて、カメラを向けて、なんとか海人の広報記事を獲得しようとこまめな営業にやってくるのは、新島司令部広報課にいる『吉岡光太少佐』だった。


「もう、光太さん。どうして広報に行っちゃったんだよ。母の秘書官だったのに。心優さんのバディだったんでしょ。離ればなれになっちゃって」


「え、いまもバディだよ。俺と心優さんは永遠のバディ!」


 いつもそういう吉岡少佐を見ていると、先輩後輩、女性男性でも、部署が異なっても、永遠に相棒と言えることが出来るんだと藍子も嬉しくなり、また尊敬する。


 吉岡少佐は、海人の母親である御園葉月少将が、空部大隊長だった頃から護衛官として園田少佐とバディを組んで御園少将を護ってきた相棒同士。


 それがどうしたことか、御園少将が連隊長として異動したのと同時に、長く一緒にいた園田少佐と離れる部署へ、新島司令部の広報課に異動してしまったとのことだった。


 本人たっての希望で、どうやら、御園葉月校長室が出来た時に秘書室長として引き抜かれた駒沢中佐が広報畑の出身で、一緒に秘書室で働いているうちに感化されてしまい、広報部に行きたい思いを募らせていたとのことだった。


「それにね、海人君。広報部もいろーんな情報が入ってくるんだよー。情報は多方面から採取したほうが、園田情報網は完璧になるわけ」


 それを聞いて、藍子はなるほど――と腑に落ちた。いつだったかエミリオが『園田少佐は情報通』と教えてくれたが、その強みのひとつは、離れてはしまったけれど、最強のバディが他部署で活躍してくれているからだと気がついた。


 それは海人もとっくにわかっているようだったが、それでも新島からこうして用事でやってくる度に、ジェイブルー大隊のパイロット事務室で海人の帰投待機をしているので辟易しているのも毎度の光景になってきた。


 さらに吉岡少佐は藍子にも迫ってくる。


「夫は元アグレッサー、いまは雷神のサブリーダー、そして美しすぎるパイロット。奥さんも美人でジェイブルーの操縦パイロット。夫妻で頑張れるのは何故か。記事にしたいなー。絶対にそこに家族愛のバックアップに、隊員達の協力体制がある。そういう記事で働く女性に勇気を持たせたいし、夫はトップパイロットながら同じく空を飛ぶ妻を大事にしている男の生き方は、男性陣の参考になると思うんだよー、どうかな、どうかな、アイアイ」


 自分が頑張れるその向こうに、家族愛があるから。そう聞いてしまうと藍子も心が揺れた。


「だめだめ! 藍子さんの顔出しは絶対にダメ! ジェイブルーの女性パイロットなんて情報が公になったら、こっちの防衛に関わってくるからダメ。それは絶対に絶対に岩長部隊長に許可とって。それからうちの母にも! 広報よりも防衛リスクのほうが大事!!」


 海人の剣幕にやっと吉岡少佐がカメラを引っ込めた。でも今度は真剣な男の眼差しになったので藍子はどきりとする。


 いつもノリが軽くて明るい少佐が、そんな時にミセス連隊長の部下であった護衛官の雰囲気を醸し出す。


「へえ、そうなんだ。ということは、上空でまた朱雀に遭ったのかなあ。今日はどうだった。朱雀の3かな。アイアイだって気がついていたのかな」


「業務のことはノーコメント。そういうことは部隊長に確認してください」


「はい。御園海曹長、合格。お母さんにもしっかり出来てると報告しておくねー」


 最後に海人の真剣な顔をパシャリと撮影して、吉岡少佐が去っていった。


「くっそー。広報の営業と見せかけて、今日の空の具合を確認してきやがった。あー、もう喰えないおじさんになっちゃったよう。初めて小笠原に来た時は心優さんの後をひっついているだけのふにゃっとしたお兄さんだったのに~」


 しかも俺がちゃんと判断できるかどうか感情的に揺さぶって吐かせようとしていたと、あの海人が悔しがって、吉岡少佐がいなくなった椅子に座ってしばらくぷんぷんしていた。


 目の前のデスクからクスクスとした笑い声が聞こえてくる。


「おーい、海人。いい加減に広報に出てやれよ」


「そうしたら来なくなるんじゃないか。俺たちも見てみたいなー、坊ちゃんサニーのキラキラ記事」


「もう菅野さんに、城田さんまで。そっちのお二人も広報に出ればいいじゃないですかー。女性パイロットを護る上司先輩としてとかいいと思いますよー」


「おまえたちほど華がないもんな、俺たち」


「んなことない。ジェイブルー機でアクロバットなんか広報でやっちゃったカノン&キャシーも定着しちゃったじゃないですか」


「だって、それが俺たちの広報だもんなー、キャシー」


「そうそう。俺たちはキラキラじゃなくて、技術で勝負」


 元戦闘機パイロットのチームメイトの先輩にそう言われ、また海人が闘志を燃やした顔になる。


 ああ、もう、普段は大人で冷静なのに。どうして慣れている上官に先輩にはそうして子供ぽいお日様君モードになっちゃうかなと藍子は呆れて、自分もデスクにやっと座る。


 それでも、実家が力を持っているジュニア君にとっては、そうして素になれる居場所は大事だと藍子は近頃思っていた。


 そういう意味での、自分をありのままに接してくれる菅野少佐と城田大尉は海人にとっては大事な兄貴ふたりになりつつある。


「藍子、もうすぐだな」


 デスクの向かいになる菅野少佐に声をかけられ、藍子も微笑む。


「しばらくご迷惑おかけします。またの時にはよろしくお願いします」


「気にするな。その代わり、戻ってくる時も、俺たちのチームだからな。他の男共にアイアイは任せられない」


「そうだ。俺たちは女性と一緒に働ける先輩であることが、またキャリアのひとつになってきているわけだから」


「理解ある先輩と二年一緒にやっていけて本当に幸運でした。ありがとうございます」


 岩長中佐が部隊長になった時に決まったジェイブルーの新体制は浸透し、四人で1チームのシフト制で藍子は助けられてきた。


「さて。俺にも新人パイロットが来るから、初めてのボスとして頑張らなくちゃなー」


「海人がついに指導する先輩か」


「藍子さん藍子さんてずうっとアイアイにくっついていたのにな」


「そりゃあ、藍子さんと一緒にいると楽しいんですよ。大人の女性だし、いい匂いするし、飯は美味いし、料理の話は気が合うし、なんと言っても美瑛が実家、いつも帰省に連れて帰ってくれて俺も美瑛ステイのツテが出来てラッキー。そして俺、そこではもう家族同然。俺にとってはもう姉貴同然ですから。俺、長男であれこれしっかり者と言われてきたんで、がっつり受け止めてくれた藍子姉さんとは本当に気が楽だったなー」


 さすがに菅野少佐と城田大尉が呆気にとられていた。


「おまえ、それ、シスコンみたいだな」


「姉ちゃん自慢もほどほどにしとけよ。クインに睨まれるぞ」


「ないない。俺、クインさん公認の弟みたいな男だから。だってクインさんも俺のこと弟みたいだって言ってくれますもん」


「なんか、海人がだんだん、御園ジュニアではなくて、戸塚一派に見えてきたぞ」


「戸塚一派というより、銀次一派ですかね」


 御園家、城戸家と力を持つファミリーが生まれてきたように、いまは銀次とエミリオが御園家城戸家のバックアップを得て力を付け始めているのも本当のことだった。


 だからというわけではないが、菅野少佐や城田大尉が女性と働くことに心を砕いてくれるのも、上にいるファミリーに入るには女性も大事にすることが出来ない男だと認めてもらえない風潮が小笠原で出来ていたからだった。


 そうでなくても、菅野少佐も城田大尉も元から信頼できる男性先輩だったことは違いなく、藍子はこの二年、結婚する時からずっと助けてもらってきた。


 こうして一緒にいれば海人を通じて御園家と城戸家とのパイプもあるため、ジェイブルーのパイロットたちは海人や藍子と仕事ができないかと狙っている空気もよく感じることがある。


 そこも菅野と城田がまだ譲らないため、この二人が藍子を守るのにさらに力を入れてくれる環境が出来上がっていた。


「朝田少尉、こちらに来てくれるかな」


 やっとお喋りが落ち着いて日誌をつけ始めると、部隊長の岩長中佐に藍子は呼ばれる。


 いつもの部隊長室に一人で訪ね、彼の部屋にあるソファーに座り向きあった。


「お疲れ様、藍子。この書類を記入して提出してくれるかな」


「はい。かしこまりました」


「さっき、今日のフライトのデータを確認したよ。また朱雀3に会ったんだね。今日はサインを送ってきたか」


「はい、認識されていたようです。今日は女のほうが操縦していると。しつこく接近してきたので、確信を持つための確認飛行だったかもしれません。……もちろん、そこの判断は上層部にお任せいたします」


「で、クインに手厳しく追い返されたわけか。シルバーとクインのペアじゃあ、ひとたまりもないか。朱雀の仮想敵を演じてきた彼らだからこそ、彼らの癖を熟知しているからね。……そして、妻に近づいて危害を加える者は何人たりとも許さないクインの男気に火をつけちゃったんだね」


 真剣な声で話していた上司が、最後に楽しそうにクスクス笑う声。


 藍子もちょっと照れて頬が熱くなってしまった。


「あと十日で城戸艦隊が帰還だね。そして藍子はしばらくフライトは休業、私と共に地上勤務だ」


 いま藍子が手渡された書類は、パイロットとしてしばらくフライトを休業するための申請が通り、それを確かに――とサインするためのものだった。


「来週からよろしくお願いいたします。部隊長」


 結婚して半年、結婚した彼と約束したことがある。


 そのために、藍子はしばらく地上勤務となる。


「地上からフライトを護るための『いろは』を叩き込んでいくから、私も厳しくしていくつもりだ。空が見えない状態での指揮の判断、その難しさを藍子は知るだろう。部下がどうなっているかわからない恐怖も味わうだろう。はっきりいって、身体的に負担はかからないが、精神的に負担がかかるようになる。その点でもきちんと考えて取り組むように」


「はい。心得ておきます、中佐」


 その書類に藍子はさっそくサインをする。


 その期間が決まっていた。十日後から半年間。その間、飛行は休む契約。


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