70.クイン、参上!
夏が終わり、秋……、冬春夏、そしてまた秋と冬。
常春の島。気温が下がっても、なにかしら花は咲いている。
また今年も小さな桜の蕾がどこよりも早く見え始める。
『こちら小笠原司令部官制。ジェイブルー908に追跡指令――』
「こちらジェイブルー908、ラジャー。追跡開始する」
南の青は緑がかっている魅惑の青。本日は晴天、雲も少ない。その空を旋回し、レーダーに出現した不明機を追跡開始。
後部座席にいる男の声が、藍子の耳にも届く。
「カメラ機動、衛星送信オンライン接続、データベース照会解析へアクセス開始」
「ラジャー」
「16時の方向、南西15マイル、10分程度で到着予定」
「ラジャー。進行方向ではないため、旋回する」
「ラジャー」
アイアイとサニーとしての業務もすっかり馴染んできた。
東南海域の上空をカバーする追跡業務、本日も沖縄経由でこんな南の領空ギリギリのところへ、不明機が出現。
『ホットスクランブル指令――』
「さて、どこが来るかな。横須賀か、それとも……」
海人の声がちょっとからかい加減に藍子には聞こえるのは、気のせいか。
『東南海域、小笠原方面へと航行中の空母から、雷神が行きます。三分で到着の予定』
「はや! まあ、近くにいるなあと思っていましたからね。さて、誰が来るかなー。イエティかなー、ブラッキーかなー」
なにか言いたげにふざけている海人の言いぐさに、藍子は溜め息をついた。あの暴れん坊のイエティが来るから、ではない。
昨年の九月の異動で、長年雷神のベテランで、リーダーを務めていたゴリラ機のモリス中佐が現役を引退、シアトルの部隊へ指揮官として小笠原から転属。そしてイエティのお目付だったフジヤマの裾野少佐はアグレッサーに異動、銀次とエミリオと入れ替わることになった。
そして彼らはいま、雷神で航海任務中。藍子はここ二ヶ月、独りで暮らしている。いや、相棒がいるので二人で料理をしては美味しい晩餐を過ごしたりはしてきた。
新しい家は広くて、やはり一人では寂しい。でも、時折、藤沢の両親が遊びに来てくれるようになった。
ほんとうに気ままな生活を楽しむエミリオの両親は、藍子のところにやってきても、まったく藍子が気にかけることもなく、小笠原では新しい仲間を作りはじめて勝手に楽しんでいるし、空を飛ぶ藍子の生活を支えてくれる。
しかも藍子の手料理を気に入ってくれて、もうそれが食べたくてやってくると言ってくれるようになった。
「目視で確認」
あのイラストが見えた。
「また朱雀か」
海人の溜め息が届く。
「えー、イラストで判明してますが、いまから不明機の解析にはいります」
「ラジャー、接近する」
赤い朱雀のイラストがある機体と同じ高度を揃え、徐々に徐々に接近をする。
あちらは領空線も数分で目の前のADIZで停滞している。当然、こちら側には入ってこようとしない。
それでもこちらにジェイブルーがいるのをわかっていて、向こうも高度を揃えているように見える。
尾翼のイラストとTAIL NUMBERがかすかに確認できる位置に辿り着く。
「尾翼のTAIL NUMBERの撮影、解析に入ります」
「ラジャー」
「TAIL NUMBER撮影完了。16時31分、中央官制へ送信。解析開始、データベースアクセス中――」
解析待ちの時だった。
むこうの機体がこちらに接近してきた。
「アイアイ、気をつけて。あっという間に囲まれないように」
「ラジャー、サニー。すぐに降下出来るようにしておく」
そして向こうのコックピットの男が、藍子に向けてサムズアップサインを送ってきた。
「解析、照合完了。データベースより、大陸国機、通称、朱雀3、朱雀2と判明」
やはり、朱雀の3。また近頃、藍子と確信した時のみ、あのサインを送ってくるようになった。
「俺が操縦している時はしてこないし、アイアイが操縦していても送らない時があったのに。今日はこれだけ接近して確信しちゃったのかな」
これも本部と岩長部隊長が取った対策だった。海人と藍子がランダムに操縦とデータを担当する。それをすることで、朱雀3も今日は海人なのか藍子なのかわからなくなってきたのか、サインを送ったり送らなかったりするようになってきた。
男が操縦していることもある。それだけで線引きをする対国機のパイロット。そして今日は接近しすぎたのか藍子が、女が操縦しているとわかってしまったようだった。
それがわかったからなのか。途端に、朱雀3と朱雀2が侵犯ギリギリにジェイブルー908に接近してきた。
「あいつら、こっちが戦闘能力ないとわかってあんなことしてきやがって。見てろよ。悪戯であっても、国際的問題に発展してしまうかもぐらいの証拠を揃えてやる」
海人の闘志に火がつく。あのカメラ、このカメラ、角度と動画モードを駆使して、こちらにプレッシャーをかけてくる姿を撮影している。
『雷神1 シルバー 到着』
『雷神2 クイン 到着』
ジェイブルー908より少し下の高度に白い戦闘機が二機やってきた。
「きたー! クインとシルバーのリーダーエレメント!」
海人が興奮気味に、コックピットの下を見下ろした。
しかし藍子の視線は、もうすぐそこ、パイロットの顔の雰囲気がわかりそうな位置まで接近してきた朱雀3を凝視。
『侵犯措置、警告アナウンスを開始する』
シルバー、柳田中佐の落ち着いた声に藍子も安堵して頷く。
国際緊急チャンネルを利用した退去勧告の英語アナウンスが聞こえる。なのに朱雀3は藍子をじっと見てじりじりと近づいてきた。
「あいつ。本当にアイアイが女性かどうか確認するつもりなんだ」
近頃確信が持てなくなった機体に見覚えのある女がいるかどうか。そんな男の視線を感じるが、藍子は決して怯まない。こっちが男だろうが女だろうが関係ない。このコックピットにいられるのはジェイブルーのパイロットと呼ばれる者だけ。
「退去勧告、聞かないわね」
「なにか目的があるのかも」
その時、ジェイブルー908と朱雀3の間に、ふっと白い戦闘機が割り込んできた。
エミリオのクイン機だった。
間に割り込んだエミリオがこちらを見た。藍子が操縦しているとわかっていて、彼もサムズアップサインを送ってきた。
海人がクスクス笑う声が聞こえてくる。
「朱雀は知らないもんなー。あの白い雷神機のパイロットの奥さんに仕掛けていただなんて」
俺の妻に仕掛けてきた男、妻の機体には近づけさせない。だから割り込んで、そして、彼女にサインを送れるのは俺のほう。そういうエミリオの意思表示。
『こちら雷神2、クイン。いまから対領空侵犯措置、牽制飛行に入る。ジェイブルー908、後退するように』
「こちらジェイブルー908、アイアイ。ラジャー、後退してデータ撮りをする。雷神2、クイン。健闘を祈る」
『あたりまえだ。俺はクインだ』
ヘルメットのヘッドマウントディスプレイで顔が隠れていて見えないけれど、藍子にはわかる。夫の翠の眼がきらりと光って朱雀に向けられたのを。
クイン機が仕掛けていく。朱雀もムキになって接近してきた。それでもあっという間にお互いに機体が急降下していく。ロックオンの牽制が始まったのだ。
シルバーも朱雀2を追いかけていく。
「戦闘機部隊の追跡をする」
「ラジャー、こちらも撮影準備OK!」
ジェイブルー908も急降下。クインとシルバー機がドッグファイトを始めた高度へと向かう。
雷神からベテランの二人が抜けたことで、シルバーとクインが雷神入り。シルバーの柳田少佐がリーダーを務めることになり、この時に中佐に昇進。エミリオは2号機でサブリーダーを任命された。
いま雷神の最強エレメントは銀次とエミリオ。若いユキナオを指導しながら、フライトを牽引している。
アグレッサーも務めた、男盛り最盛期のパイロットふたり。熾烈なドッグファイトを仕掛けられ、朱雀3と朱雀2があっという間に対国へと消え去っていった。
「うわ、あんな朱雀の去り際、なかなかないっすよ。クインさんを怒らせたからなー。奥さんが乗っているとも知らないで、あんなことするから」
よっぽど旦那様に恐ろしい目に遭わされたみたい……。藍子もどれだけ怒ってやったのかと唖然としてしまうほどの、いつも余裕だった朱雀3の撤退だった。
『こちら雷神1 シルバー。対象機は退去した。ジェイブルー908、解析、追跡ご苦労』
「こちらジェイブルー908、アイアイ。お疲れ様でした」
『うちの元気?』
気にするお父さんの声になっていたから、藍子も笑顔で応える。
「何ごともありません。先日、一緒に食事をしました」
『そっか、ありがとうな。また十日後』
シルバー機が旋回して降下していく。
そして、ジェイブルー908と同じ高度に、雷神2の白い機体が並んだ。
『こちら雷神2、クイン。追跡ご苦労』
前の夏に美瑛で結婚したばかりの夫。エミリオだった。
『何ごともないか』
「ジェイブルー908、アイアイ。大丈夫よ……」
追い払ってくれてありがとう。そう言いたいのに。業務中だから言えない。
『もうすぐ帰還する。それまで』
「お疲れ様でした。クイン。ジェイブルー908、帰投します。……雷神2お見事でした、……お気を付けて」
しばらく、平行飛行で見つめ合う。
ヘルメットで彼のブロンドは見えないけれど、藍子には見える。
還ってきたら、あのブロンドを抱きしめて、一晩中愛しあうの。
今度、帰還したら約束していることがあるから。
結婚して半年。彼が帰還したら、冬の美瑛にまた帰る予定。
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