69.白銀に還ろう


 二泊三日の美瑛帰省も最終日。


 その日の朝、藍子が目覚めるとまた隣のベッドにいるはずのエミリオがいなかった。


 一階のリビングへ降りると、もう妹夫妻も母もレストランのほうに出掛けてしまい、三人分の朝食だけがダイニングテーブルにある。


 海人もまだ寝ているのか起きているのかわからない。


 それでも藍子はパッチワークの丘が見える庭を眺めた。


 すると庭の向こうの、この高台の細い農道に、エミリオとコックコート姿の父が並んでいた。


 朝焼けに染まる緑の大地を見下ろして、二人が微笑みながらいつまでも話している姿……。


「ふあ、おはようございますー。ああ、皆さん、早いですね。ペンション経営て大変」


 木の手すりがある階段から、海人が姿を現した。


「おはよう。こっちも自然と目が覚めちゃうね」


「わー、今日も綺麗な大地ですね」


 海人も藍子がいる窓辺へとやってきた。そして父とエミリオがパッチワークの丘陵を見下ろしていつまでも話している姿に気がついた。


「きっとお別れ前にいろいろ話しているんですね」


「そうなのかな。あんなに気が合うだなんて思わなかった」


 この二泊三日、父が自宅にいる間は、エミリオと話してばかりいて、エミリオばかり気にして、父のほうが離さなかった。


 料理人の父、元は一流商社マンの篤志とは、職種は違えど非常に話が合うようで、食事の後は男三人が額を付き合わせて楽しそうに談話していた。


 藍子はそれを見て、エミリオが読んでいた小説の世界が、きっとあの男三人の中で通じて感じられるんだと思っていた。


 そこにでは海人も入れるのではと思ったが、海人はどうしたことか母と妹の瑠璃が気に入ってしまい、キッチンでお手伝い、妹の家事のアシスタントばかりしていて、なるほど、岩長中佐の奥様が気に入ったはずと藍子は唸ってしまった。


「市場に仕入れに連れていってもらったじゃないですか。あの時、お父さんのほうがアグレッサーとか雷神の役割とか仕事とかいっぱい質問して、きちんと少佐の仕事のことを理解しようとしていたみたいですよ」


「そうなの、知らなかった」


「娘の仕事、ジェイブルー部隊のことには興味を持って娘の仕事を理解しようとしたけれど、もっと最前線でリアルに戦闘をする戦闘機部隊のことや、その戦闘機部隊やジェイブルーを守るための仮想敵を担うアグレッサーの役割は知らなかったと言っていましたもん。きっとお父さんは、戸塚少佐のこれからの役割と使命と責任の重さを、娘のジェイブルー以上のものだと痛感したんだと思います。でも、それって……。選ばれた男しかやれないことじゃないですか。特に国を護る仕事、誰でもやれるわけではありません。だから、男としても辞めろなんて言えないはずです」


 危険な仕事をする男は娘の夫になって欲しくない。父はそう思っていたことだろう。でもエミリオという『人を大切にするからこそ国を護る使命感を人一倍に持つ男』なら、危険な仕事をする男でも娘を大事にしてくれる。それを知ってくれたのだと藍子も思う。


 そして、この別れの朝の語らい。なにを話しているのだろう。でも彼も父も笑顔だった。


「戸塚少佐は、これから柳田少佐と一緒に小笠原のパイロットを牽引していく人材です。父と母がそうしていくでしょう」


 海人もパイロットの顔になって、美瑛の大地を染める朝焼けを見つめている。


「俺は俺なりに、父と母がそうしてきたように、ジェイブルーでパイロットたちを護れるようになっていこうと思っています」


 父と母と歩む経路は違っても。海人もいずれジェイブルーのトップに立つように育てられていくのだろう。そして藍子も。


「ずっと海人と一緒に行くよ。私もパイロットを護っていく」


 どちらかがコックピットを降りても、地上に戻っても、相棒。そう誓った瞬間のように藍子には思えた。





 千歳基地へ向かう為、制服に着替えて別れの時を迎える。


「わー、お兄さんも海人もかっこいい!」


 夏服だったが、いかにもパイロットのような制服に、妹は大喜びで、エミリオと海人と一緒に並んだ写真を撮りまくっていた。


 エミリオと篤志もがっしりと握手を交わしている。


「エミル、気をつけて。帰還したらまたここに来てくださいね。今度は冬、スキーにスノーモービルを楽しみましょう」


「篤志、ありがとう。それを楽しみにして行ってくる」


 いつのまにか、エミル、篤志と呼び合う義兄弟になっていた。


 九月、エミリオはその時に異動、雷神と合流する。新しい部隊に馴染むまで数ヶ月の演習をこなしたら、十二月から二月まで航海任務に出ることになっている。


 次に休暇を取るとしたら、北国はまだ雪深い真冬。


 そして父とエミリオが向きあった。


「航海が終わった頃、藍子と海人と、また一緒においで」


「はい。お父さん」


 珍しく父がエミリオを抱いて背中をぽんぽん叩いた。


「エミル、気をつけて。無理をしちゃダメよ」


「はい、お母さん」


 母も父同様にエミリオを抱いて、何故か泣いていた。


 父からエミリオがどんな厳しい現場に行くかを聞いてしまったのだろう。


「またここに来たいので、必ず還ってきます」


 エミリオが父に母に敬礼をしてくれる。


「何度も航海をして帰還しているので大丈夫ですよ」


 涙をこぼす母に、エミリオは優美な笑みを見せて安心させていた。


 父は藍子にも。


「おまえも気をつけて。自分で選んだ人生だ。頑張れ」


 海人もな――と父がジェイブルーペアで並んでいる二人も送り出してくれる。


 今日の海人は神妙で、でも凛々しい青年の笑みを父に返していた。




 お別れの時。レンタカーのワゴン車で出発をする。


「海人、俺に運転させろ」


 一度も北海道の道を運転できなかったとのことで、帰りはエミリオが運転席、藍子は助手席、後部座席に海人となった。


 車がロサ・ルゴサの裏庭から発進する。家族が手を振ってくれる中、エミリオが運転する車は丘の農道に出た。


 よくある美瑛の丘陵の畑と一本、二本だけの木立の風景を眺めながら、千歳をめざす。


「はー、素敵な三日間だった。お別れかー。絶対にまた来る!」


 夏の陽射しに緑が映える美瑛の風景を見て、海人が叫んだ。


 エミリオも美瑛の道を気持ちよさそうに運転している。


 陽射しにきらめく濃いめのブロンドを風によそがせて……。


「もし、俺も藍子もパイロットができなくなったら、俺の店に来いて言ってくれた」


 ぽつんとエミリオがそういった。その横顔がとても嬉しそうだった。


「今度は冬に行こうな。海人も一緒だ」


「いいんですかーまた。でも俺、もう一人でも行っちゃうかも」


「それでもきっと、海人なら家族として迎えてくれるよ。特に母と瑠璃は喜んで迎えてくれる」


 次はスキー、スノーモービル。冬はなにが美味しいのか――なんて話に盛り上がりながら、美瑛を後にする。


「青い池も綺麗でしたねー。また行きたいです」


 海人も後部座席で撮影した画像をスマートフォンでいくつもいくつも眺めている。


 運転しているエミリオの笑顔も満ち足りていた。


「城戸家の心優さんが、よく言うんだ。ここには私たちの青があるんだって。小笠原も青い色がいっぱいあるだろう」


「うん、空も珊瑚礁の海もジャングルの緑も青いね」


「俺も感じた。ここには藍子の青がある。お父さんの青も、瑠璃ちゃんの青も……。ここにあったんだな」


 北の大地の、夏の青。そこに藍子の色を感じたと言ってくれる。エミリオのそういう繊細さ。きっと父にも通じたのだろう。


「だったら。冬の青も見ないとね。真っ白で探すの大変だよー」


「それはそれで楽しみだな」


 まずは無事に帰還しないとね……。


 北の大地からもらった力を糧に、彼はまた海と空へ往く。




 その数ヶ月後、エミリオは雷神に異動。


 藍子との結婚は帰還後、結婚式は来年の夏。美瑛の実家で行われることになった。


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