68.空と大地は繋がっている


 二階のベッドルーム、帰省したらいつも準備してくれる部屋で藍子は眠りにつく。


 エミリオは父や篤志と話が盛り上がっているようで、藍子は先に就寝させてもらった。


 朝、南の島から出てきて富良野で渋滞、人混みの観光の後に、実家で彼と相棒を紹介。父の覚悟に思う気持ちに触れて……。藍子はもう力尽きてぐっすり。


 それでも。微かな香りに藍子はふと目覚める。


 どれぐらい時間が経ったのだろう。その匂いが徐々に濃くなる。


 部屋は暗く、その香りだけが際だっている。


 起きあがると。隣のベッドにエミリオが風呂上がりの姿で座っていた。


 濡れたブロンドは少し黒めの色になっていて、首にバスタオルを掛けて、そしてエミリオの手にはラベンダーの花束。


「エミル……、長かったね、男同士の話」


「ああ、藍子、起こしてしまったか。楽しかったよ。お父さんも篤志君も色々なことを知っていて話が尽きない。見てくれ。お父さんから本をもらったんだ」


 エミリオの傍らには数冊の本が重ねられていた。写真集に料理本に小説様々だった。


「藍子のお父さんも本をいっぱい持っているじゃないか」


「ああ、うん……。料理人は本も読むべきと言っていたから。私と瑠璃はまったくそうならなかったんだけど」


 それで本棚のところで、二人で話し込んでいたのかと気がついた。


「大事にする」


 嬉しそうなエミリオが、手に持っているラベンダーの束に鼻先を近づけて匂いを吸い込んでいる。


 灯りもついていない部屋、外から入ってくる夜明かりだけ。その中にブロンドの男が花を大事に見つめている横顔、端正なその顔は美しく、真っ直ぐな翠の瞳も綺麗に輝いている。


「藍子の香りだ」


「え?」


 彼が唐突に言いだした。


「青い花、心が落ち着いてくるのに強い香り。藍子だ」


「そ、そうなの?」


「この香りをそばに、俺は海に行く。美瑛の大地にまた還ってきて、この香りを求めて、お父さんの料理を食べる。お父さんと約束した」


 男同士、そばで聞いていなくても、どんな話をしたのか藍子にはわかる。


 男と男のプライド、職種は違っても通じるもの。エミリオは父の料理からそれを繊細に嗅ぎ取り、父は海へと防衛に行く娘婿の使命感を思って背を押してくれたに違いない。


「お父さんが言ったんだ。エミルや藍子が領空国境で防衛をしてくれるから、なにごともない青い空の下、思うままに料理に励める。逆にまた、そんな仕事で帰ってくる者に何事もない世界で磨いたものに触れて癒されて欲しい。そういう循環と繋がりがあるんだと言ってくれた。俺もそう思う。俺とお父さんは繋がっているんだ」


 父も、そしてエミリオも、とても互いを気に入ってくれたよう。藍子もほら気が合ったでしょうと嬉しくなる。


 藍子は自分が寝ていてたベッドを降りる。そして隣のエミリオのベッド、彼の隣に座った。


「このお花、ほぐしてサシェにしてあげる」


「サシェ?」


「ポプリを布の袋に入れたものをサシェというの。枕の下に入れたり、タンスに入れたり、バッグにいれたり好きなように使うの。空母のベッドで使えるよ」


「いいなそれ。絶対に持っていく」


 俺にとってもう藍子の香りだから――と彼が微笑んだ。


 いつのまにか彼がつくった藍子のイメージがラベンダーになってしまったけれど、藍子も嬉しい。


 小さな青紫の花、強い匂いでも安らぐ匂い。藍子もそうありたいと思う。


 二人でその花の匂いを嗅いでいると、彼も眠くなってきたと横になった。一人用のベッドは狭いけれど、藍子もエミリオに寄り添って同じベッドで眠った。


 ラベンダーの香りはすぐに眠りを誘う。夏の、美瑛の、香り……。





 朝、目覚めると、藍子はまたベッドルームに一人。


 エミリオがいなくなっていた。


「もう~。落ち着かないんだから」


 小笠原でもそう。静かな時はとことんじっとしているのに、少佐として動くと忙しくテキパキしている人。


 今朝もこの家やオーベルジュにそこら辺りの風景が気になってじっとしていられなかったに違いない。


 それでも藍子も随分早く目が覚めた。北国の夏の日の出は早い。東にあるので夜明けも早い。まだ朝の五時前だった。


 着替えて二階からリビングに降りると、もう妹も義弟も出掛けたところで、母だけがキッチンにいた。


「お母さん、おはよう。昨夜は仕事が終わってから遅くまでありがとうね」


 母の真穂が笑う。


「いいのよー。それよりゆっくり休めたの? 昨日の富良野は大変だったでしょう」


「そうなんだけれど、男二人がはりきっていたから。それに体力なら私よりあるからね」


「もう~、お母さん。エミル君のファンになっちゃった。話してみると男らしくて芯があるのね。あの広報誌を見た時には、こんなファッションモデルみたいに紹介されてどうなのと思っていたんだけれど」


 そこで藍子は初めて知る。


「え、戸塚少佐が紹介された広報誌……、あるの?」


 確か二年ほど前のことだったと藍子は振り返る。


「お父さん、きちんと取っておいてあるの。発行されるたびに基地に申し込んで取り寄せてね。藍子がいる環境とか軍隊の状態、情報を把握していたんだと思うよ」


 知らなかった――、藍子は父の密かなる思いにまた泣きそうになった。


「でね。今回、エミリオ君の画像を藍子が送ってきたでしょう。広報でも紹介された人って。そうしたらね、お父さん、一冊一冊確認してね。エミリオ君が【美しすぎるパイロット】と紹介されているのを見てから、すっごい機嫌が悪かったの」


 それだったのか……! と、藍子もやっと納得。普段は穏やかな父があんな人を試すようなことをするなんておかしいと思った。


「あれはね、戸塚少佐も仕方なく、広報の企画に従っただけだから。すごく嫌だったと言っていたもの。それでも最近は民間に親しみやすいようにライトな企画で広報するようになっているの。エミルだって、アグレッサーを知ってもらう為って……」


 そこで母がクスクス笑い出した。


「必死ね、藍子ったら。本当にエミル君が好きなんだ」


「もう、お、お母さんたら」


「大丈夫よ。お父さんももうちゃんとエミリオ君がどんな男性か知ることが出来て安心していたわよ。見た目で心配して悪かったと昨夜、寝る前に言っていたもの。あんなに真剣に俺の料理を味わってくれるだなんてと喜んでいたわよ」


 さらに母が驚くことを教えてくれる。


「そうそう。エミル君と海人君、お父さんといっしょに市場に出掛けているから」


「え! だからいないの!」


 もの凄い早起きをして出掛けたことになる。


「ほら、帰ってきたみたい」


 外から車のドアが閉まる音が聞こえてきた。藍子も急いで玄関へ。


 ドアを開けると、父が使っている業務用ワゴン車から、仕入れてきた食材の段ボールを降ろしているエミリオの姿が。


「エミル、なにしているの。海人も」


 ブロンドと栗毛の麗しい男二人が振り返る。


「藍子さん、おはようございます! もう美味しそうな食材ばっかりでいっぱい買ってしまいました! お父さんに選んでもらったんです。市場から小笠原に直送してもらっちゃいました」


「俺もだ。いや、やはり北海道だった。そうだ、藍子。とうもろこしがいっぱいあったんだ。いまからお父さんが茹でてくれるんだ」


「エミル、北海道ではトウキビと言うんだよ。よし、こっちに運んでくれ」


「ラジャー、シェフ」


「そこはウィーシェフですよ、少佐ったら」


 男三人が楽しそうに笑う声が、ロサ・ルゴサの裏庭に響く。


 男三人仲良く市場へ仕入れに出掛けたようだった。


 鍛えているパイロットの男ふたりが、勇ましく段ボールを担いで厨房へと運ぶお手伝い。


「さすが軍人、ファイターパイロットだな。助かる」


 父がほくほくの笑顔になっていた。


「さあ、エミル。とうきびは朝摘みのうちに早く茹でて食べるのが美味いんだ。これは郵送しては味わえない地元の醍醐味なんだよ。さあ、おいで」


「楽しみです」


 すっかり婿殿と舅みたいになって仲良くなっていて、藍子はひとり驚いているだけ。


 茫然としている藍子のそばに母の真穂が並んだ。


「ね、もう大丈夫。見かけが綺麗な男性だけれど、昨夜、いろいろお話しを聞かせてもらったけれど中身はもっとしっかりしていて、お母さんもエミル君に任せられると安心したよ。ただね、お互いに危険な仕事だから、そこは気をつけてね」


 そして母も藍子に言ってくれる。


「藍子、おめでとう。どこかで諦めていたでしょう、良かったね」


 その言葉に、藍子はついに母に抱きついて涙をこぼしてしまった。

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