10.お花の町 美瑛へ

 御園家御用達のモーニングを食べ終えて、食後の珈琲や紅茶を楽しみながらのエミリオと会話を交わす。上空の雲を眺めて、パイロット同士『いい雲だ』とか『今日こそ訓練日和なのにね』と、また仕事感覚がなかなか抜けない会話をしていたが、藍子は少し眠気が襲ってきて微睡んでしまう。


 時々目が覚めると、エミリオはいつもどおりに文庫本片手に読書を勤しんでいる姿……。

 そんな彼のいつもの姿を知って、また藍子は安堵するかのようにうとうとしてしまっていた。


『現在、苫小牧上空。着陸態勢へと入ります。再度のシートベルトの着用をお願いします』


 コックピットからそんなアナウンス。ほんとうに旅客機並の飛行だった。

 藍子も目を覚まし、いそいそと離陸態勢へと準備を整える。


 夏の少しの雲間を抜けて降下、機体が少し斜めに傾き旋回を始めた。

 そのとたんに、窓の下に青い海と港がある街が見え始める。苫小牧だった。


「わーー! 海、ほっかいどーも海!」


 小笠原よりも濃く深い青緑色の海が見えると、機体後部でお兄ちゃんやママ、パパ、おじさんたちと、ずっとお喋りをしていた心美のかわいい声が聞こえてきた。


「えーー! ずっとずっとむこうまで、ひろがってる!!」

「すっげ、まじで、でっかいどーってほんとだったんだ」

「わー、ずっとむこうまで陸!!」


 城戸家の兄妹、心美、お兄ちゃんの翼、ちい兄ちゃんの光も窓に身を乗り出して、声を揃えている。

 小笠原育ちの子にはきっと、海ではない大地が遠くまで続いていることのほうが驚きなのだろう。


「俺も最初はそう思ったな。去年のいまごろか」


 エミリオも感慨深そうに窓辺を見つめていた。

 藍子にとっては『ああ、帰ってきた』と思える光景だった。

 ジェット機だと、苫小牧から新千歳空港まではあっという間だった。


・・・✈


 そんな空港でも、さっと着陸できるように手続きができてしまっている御園家のプライベートジェットが、なんなく空港に到着。

 そこからも御園家の黒スーツスタッフは、ものの見事に各荷物の搬送を迅速に終え、藍子たちは、これまた御園家のものだというマイクロバスに乗り換えることに。


 そこでやっと海人が藍子に声をかけに来た。


「藍子さん、お疲れ様です。やっぱり気が張っているのかな。ぐっすりお休みだったみたいですね」


 眠っていたことを知られていたようだった。藍子も、そんな姿を相棒に見られていて気恥ずかしくなりながら微笑む。


「あんまりにも乗り心地がよすぎて。あのシート素敵だった。凄いね、海人のおうちの飛行機」

「俺もあんまり乗らないですよ。朝飯は最高でしたけどね。あれ、エドのところの雇いシェフが、フレンチシェフである青地お父さんを意識して気張って作ったんだと思いますよ。明日の披露宴料理と比べられてなるものかってね」

「え、そうなの。すんごいお洒落でセレブリティなモーニングで、さすが御園家と思ったほどだったよ」


 藍子がうっかり微睡んでしまったのも、美味しくて豪華な朝ご飯でおなかいっぱいになったことも原因のひとつだった。とにかく、キラキラしたモーニングがワンプレートで出てきた。


 フランスパンで作られたふわふわフレンチトースト。しっかりと端が焦げてキャラメリゼになっていた。添えられているミニサラダには生ハムとフレッシュなチーズがすりおろされて、ブラックペッパーと一緒にトッピングされていた。それはもうホテルのモーニングそのもので、エミリオと一緒に、自分たちの結婚式なのに、御園家が手伝ってくれることになって、どうしてこうなっちゃったのかなと畏れ多い気持ちで味わったのだ。


「もう~。ロサ・ルゴサでは、もっと田舎風というか、ファーム風というか。あのキラキラ感は海人のおうちだからだよ」

「いやいや、普段機内で出してくれる食事は家族用で、あそこまでじゃないですって。もう、めっちゃ気合入っていたって。生ハムも最高で、父が『うわ、めちゃくちゃ良いヤツ持ってきたな』って驚いていましたもん。ご機嫌で母と頬張っていましたけどね」


 海人が親のことだから『やれやれ』と呆れた顔を見せた。だが彼も『えへ、俺もほんとはめっちゃ美味くて、おかわりしちゃった』と最後におどけたので、藍子も笑ってしまった。


「あ、それでですね。美瑛に到着してからなんですけど、藍子さんとエミルさんは、明日の主役なので、ご実家のいつものお部屋でゆっくりしてくださいね。俺たちは『チーム瑠璃』に統括されちゃうんで、到着後も別行動です」


 またもや『チーム瑠璃』が出てきて、藍子はため息をついた。妹が統括しているとかいうチームの動きを見せられているのに、なにをしているのかはまったく透けて見えてもこずに、かえってモヤモヤさせられているからだ。


「そのチームでなにをしているの――と聞いても、絶対に教えてくれないよね」

「明日のお楽しみですよ。俺たちが出かけたりして、見かけなくても心配しないでくださいね。あ、ちなみに、『チーム瑠璃』には、うちの母も入っているんで」

「はあ!? 御園連隊長も!?」


 藍子はぎょっとして、今日はまだ機内で遠く挨拶を交わしただけの御園葉月少将へと、思わず視線を向けてしまった。

 今日は、ゆったりとしたシルクの夏らしいトップスに、綺麗になびく白いワイドパンツを着こなしていて、いかにも上流階級の奥様というエレガントな空気を纏い、これまた品が良いカジュアルスタイルな夫と微笑み合っている。いつも以上に二人一緒に並んでくっついていて、基地で見かけるよりずっと距離が近くなっていることが藍子にもわかる。


「えーっと、母のことは俺が引き入れちゃったんですよ。ついでに。ロサ・ルゴサの厨房とホールサービスのお手伝いに来てくれる、青地パパの後輩さん一家も引き入れちゃいました」

「ん? ええ!? 函館大沼から来る十和田おじさんのレストランスタッフさんまで!? ちょっと待って! 函館から美瑛まで来てくれるだけでも大変なのに! うんと遠いんだよ、北海道だと距離感覚は本州と違うんだから、本職だけで大変だって」

「それが、あちらの、娘さんの旦那さん? めっちゃノリがいい人なんですよ。なんだろう、瑠璃さんと意気投合したとかで、協力してやってくれること全てにおいて、すんごい仕事が早い人みたいなんですよ。俺もいくつか頼んだんですけど、さっと了解してくれたと思ったら、さっと連絡が返ってくるんです。うん。俺、いまその人に会うの凄く楽しみにしているんです。まだ電話でしか話したことないけど、あの人、軍隊にいたらきっと、柳田さんみたいな中佐隊長クラスの人だと思いますよー」

「えええ……。大沼のおじさんの娘さんと結婚したとかいう新しいお婿さんが……。というか、巻き込みすぎ!!」

「いやいや。そのお婿さん、根っからのサービスマンなでしょうね。ほんっっとにノリノリで迅速に動いてくれて、俺、めちゃくちゃ楽でした。で、その方たちとも到着後、行動一緒にするので、俺がいなくても心配しないでくださいね。俺の宿泊部屋も、今回はロサ・ルゴサの宿泊棟でユキナオたちと一緒なんで、ご実家側のお部屋では、おふたりでごゆっくり。それでは、まだユキナオと打ち合わせしなくちゃいけないんで、バスでも別行動です。よろしくお願いいたします!」


 スパッと言い切ると藍子からさっと海人が離れていく。もう少し話していたかった藍子は『あ、待って』と呼び止める手が伸びたが、海人には届かなかった。


 休暇に入る少し前から、ゆっくりおおらかなお喋りができなくなっていたので、藍子は置いていかれ寂しさを感じてしまっていた。

 そんな時も、すぐに察して隣に来てくれる彼がいる。


「なんだろな~。俺たち蚊帳の外にされているよな。とくにユキナオ。あいつら航海前は俺も藍子も避けていて、航海中も妙に無口な時があって逆に心配になったからな」

「ユキナオ君たちが無口って……」


 それでも守っているの凄いな、いや、もしや私の妹が凄いの!? と、藍子は身内ながらおののいている。


「その大沼の後輩シェフさん、俺も楽しみだな。それとお婿さん? 海人があんなに褒めるだなんて余程だな。また青地お父さんに篤志のような、男気ある異業種の男に出会えるなら、俺も楽しみだな」

「大沼でレストランをしている十和田のおじさんも、お父さんに負けず劣らず頑固だよ。北海道の食材でもてなすという理想を掲げているの。ワインも北海道産がほとんど。娘さんもセルヴーズで、お婿さんは神戸から来たプロのサービスマンで、有名レストランで給仕長をしていたみたい」

「へえ。ますます楽しみだ。というか、そのレストラン。今度は藍子と行きたいな」

「素敵なところなんだよ。そちらはね、夏になると火山の麓に広がる湖に睡蓮がいっぱい咲くの」

「いいな……。俺たち新婚旅行はお預けだから、来年の夏旅行は美瑛を経由しつつ函館もいいな」


 それで、そちらのレストランに行ってみたいという話になり、知り合いのおじ様シェフが開業したレストランはまだ行ったことがなかったので、藍子もそうしたいと、エミリオと一緒に旅行をする夢を見ることに。


「さて。『チーム瑠璃』のお手並みも拝見だな」

「いったい、なにしてるのやら瑠璃ったら。軍の海曹に少将に、プロのメートル・ドテルを巻き込んで迷惑かけていないといいんだけど」

「俺は楽しみだな。瑠璃ちゃんの立ち回り、どうなるか見たいんだ。絶対背後に、篤志もいるだろ」


 そうだ。瑠璃だけじゃない。やり手の義弟もいたんだわと藍子はますますおののく。

 その中に、ユキナオ君たちも混ざってるわ、ココちゃんもいるわで、やっぱり藍子は落ち着かないまま。エリーが『バスへご案内します』と迎えに来てくれたので、彼女のエスコートでプライベートジェットからマイクロバスへと移動する。


 こちらもおなじ。最前列に新婚夫妻を乗せて、離れた後部座席に小笠原招待客一行。変わらずに、大人たちの軽快なお喋りと、子供たちのはしゃぐ声で賑わっている。


 やがて走り出したバスは、千歳周辺の牧草地を抜ける高速道路を軽快に走り出した。


「ね、ね、シー君! うしさんがいる!!」

「なんか、でっかい草のロールがある!!」

「めっちゃ転がってる! なにあれ」


 城戸家キッズの楽しそうな声。

 北海道ではよく見かける光景だった。牧草地に散らばっている物体。大きな筒型にまとめた『干し草ロール』が幾つも転がっているのだ。藍子は見慣れている。だが道外から来たキッズには珍しいものなのだと改めて思った藍子も、牧草地へと視線が向く。


「あれな。干し草ロールっていうんだよ。2種類あって、牛さんたちの冬のご飯用『牧草ロール』と、牛さんたちのふかふか干し草ベッドの『麦稈ばっかんロール』とあるんだ」


 北国生活経験がある海人が、子供たちに説明する声も聞こえてきた。心美の『うしさんのごはんと、ベッド? すごいすごい』とはしゃぐ声がかわいらしく響き、大人たちも微笑ましく車窓を眺めている。

 湊も『わ、早速撮影!』とスマートフォンのカメラを車窓に向けている。

 子供だけかと思ったら、うきうきしている大人の声も混じってくる。


「えー! 干し草ロールですって! 初めて見るわ。ね、隼人さん。撮って撮って!」

「はいはい。たしかに、俺も初めて見たな。干し草ロールか」


 北国慣れした息子からの解説に、ミセス少将も御園准将も楽しそうにしている。

 そこはもう、基地でクールに整えているアイスドールの上官ではなく、御園家の家庭の中でリラックスして過ごしているお母さんとお父さん、奥さんと旦那さんの横顔だった。それを知って、藍子はホッとする。この旅は、海人にとっても、いつしか遠くなってしまったパパとママとの気兼ねない疎通を取り戻すものであってほしいからだ。


 そんな北海道らしい緑の大地を、バスは駆け抜ける。

 走行すること一時間ほど。古びた車道に両脇は小さな白い花が咲く緑の畑ばかりが続くすっかりローカルな農耕地帯へと入っていく。

 長閑な風景がしばらく続き、やがて招待客一行はさらに車窓に視線を馳せていく。


「ここが美瑛か――」


 隼人准将がふと呟いたのが聞こえてきた。

 車窓に流れるのは、美瑛特有の小さな丘と丘が重なる風景。緑の丘には小さな白い花を咲かせているジャガイモ畑の丘と、収穫を終えた畑にトラクターの車輪がつけた筋が残る土の丘。それらが青い空をバックに波のように重なっている。それは本州では決して見られないここだけの風景だから、大人も子供も目を輝かせて外へと視線をむけたまま。


 そのうちに、ラベンダー畑の丘も通過する。

 ちょうど開花時期に今回の結婚式の日取りを決めたので、狙ったとおりに紫に染まる丘になっていて、またバスの中は一気に『わあ!』という声に包まれた。


 藍子の隣に座っているエミリオも目を輝かせている。


「また帰ってこられたな。ラベンダーだ。ああ、一年前から思っていた『この季節に結婚式をしたい』という俺の夢が叶うんだな」


 男性が結婚式に夢見るだなんてと笑う人もいるかもしれない。

 でも、この人の日常は神経と身体を酷使して、過酷な上空で日々任務に赴いている。そんな男たちは、穏やかな日常に夢馳せることを生き甲斐としていることがある。藍子は防衛パイロットの夫を持つ妻になろうとして、そう思うことが多くなってきていた。だから笑わないし、そんなエミリオを見られることが嬉しい。こんな時だからこそ逃さないで。一緒に並んで座っているそこでは、手を握り合って見つめ合ってる。


 ラベンダーや丘陵の畑を臨む農道を、マイクロバスがゆっくりと進む。坂を上がり始めると今度はその畑の丘を徐々に見下ろす高度になっていく。


 マイクロバスの車窓から、ひとつの小高い丘のてっぺんに紅色と白色の花に囲まれている建物がみえてくる。


 藍子の実家。『オーベルジュ ロサ・ルゴサ』が見えてきた。


「あれがロサ・ルゴサだよ。その名のとおりに、ハマナスに囲まれているだろ。レストランの名前の由来の花だよ」


 相棒の実家大好き海人が真っ先に指さして、皆に案内してくれている。


 その窓辺に目を向けた心美が車窓に身を乗り出したのが見えた。


「ほんとだ。お花のレストランだ!」


 小笠原基地招待客一行、ついに朝田准尉の実家『ロサ・ルゴサ』に到着です。



※次回は『チーム瑠璃』大集合です(ノ∀`)

 


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