11.ロサ・ルゴサの中庭で

 ハマナスは北海道の道花、シンボルの花になっている。

 バラ科の植物なので、秋に実る赤い実はローズヒップとして用いられる。


 色は濃いピンクの紅と白色。園芸種に八重咲きもあるが、基本はオールドローズらしい一重咲き。


 そんな様々な種のハマナスを、自分が独立して開店させたオーベルジュのシンボルに選び、建物のまわりに植えようと決めたのはオーナーの父だった。


 そんなハマナスがたくさん咲いている店裏、実家宅前の広場にマイクロバスが到着する。


「ついたの? パパ、もう降りていい?」

「はあ、疲れたー! でも、すごい。丘がいっぱい見える」


 もうじっとしていることに疲れた城戸家の翼と光がさっそくうずうずしている。そんな息子たちに、今日はずっとパパの顔をしている城戸准将が答える。


「お店をしているお宅だから、走り回って迷惑をかけるなよ。ユキナオ、頼む」

「オッケー、叔父ちゃん」

「ほら。兄ちゃんたちと降りるぞ。自分の荷物を持ったか」


 ユキナオ兄ちゃんがお目付であるなら、パパママから離れても自由行動をしてもよい――というふうに城戸家の男子キッズは決められいるらしい。

 そんな、しっかりお兄ちゃんのユキナオたちを、何時間も間近で見たのは藍子は初めてで『ちゃんとお兄ちゃんなんだな』と何回知っても二度見していた。


 でも。そうだよね? 海人のほうがしっかり男子に見えるのに、いざとなるとユキナオ君たち、海人も支える兄ちゃん的親友なんだよね? 今回の旅でイメージを改めようと藍子は思ってしまっている。


「パパ、ココも行きたい!」

「シー君と離れないならいいぞ。パパ、あいちゃんのお父さんにご挨拶したいからな」


 今日はポロシャツでカジュアルな服装をしてパパの顔をしている城戸准将が、フランク中佐に『シド、悪いな子守りばっかりさせて』と、娘を預けている。『大丈夫だよ、臣さん。ユキナオと一緒だから』と、ほんとうにあの警備隊隊長が『子守り専属』でついてきてくれたことにも、藍子は目を瞠っている。


 子供たちは一斉にリュックを背負って『やった』とバスを飛び降り、ロサ・ルゴサの中庭へと駆けだした。

 招待客一行の上官たちも、藍子の実家レストランの中庭へとバスから降り立つ。

 藍子とエミリオも最後に降りると、懐かしい美瑛の風にさっそく包まれる。


 隣にいるエミリオが嬉しそうに目を閉じ、微笑みを浮かべている。


「美瑛の夏の風だ」

「うん。緑と花と、土の匂い」

「ハマナス、ロサ・ルゴサの色、ラベンダーの色、畑の緑、土の色、そして青い池。朝田家の青い娘たち――。俺の新しい、大切な世界だ」


 それを明日、俺は誓うんだ――と、彼が藍子を見つめて呟いてくれる。

 エミリオにとって、ここは癒やしの世界。だからここで結婚を誓いたいと言ってくれたのかもしれないと、藍子もそう思えた。


 そんな実家の風をしあわせに感じてくれたのは、彼だけではなかった。

 実家前の農道から見渡せる丘陵。御園夫妻が、そこからそよぐ風を見つめるように呟く。


「まあ、ほんとうに素敵……。お父様が『ロサ・ルゴサ』と名付けたままの世界があるのね」

「これは……。なるほど。海人が気に入るはずだな。心美が言っていたとおり『お花のレストラン』だ」


 また、おふたりで見つめ合って穏やかな笑顔のままだった。

 長く連れ添った夫妻だから? 素敵素敵とはしゃがず、多くの言葉を交わさず。じっと見つめあって微笑み合っている姿が多いと藍子は気がついた。

 いつもは緊張拭えぬ防衛の現場で、さまざまな判断を迫られる厳しい立場がご夫妻の日常。基地でもこんなふうに優美に夫妻で過ごせることなどないのだろう。

 今日のおふたりは、いつも以上に綺麗に藍子には見えた。そして、長く連れ添った夫と妻はこんな姿なんだなと、教えられた気もしていた。


 それは藍子の隣にいるエミリオも同じようだった。


「葉月さんと隼人さんにもそういっていただけて、俺も嬉しいですよ。すげえ気に入っている彼女の実家なので」


 普段は真面目で礼儀正しい戸塚少佐が、普段着の砕けた口調で話しかける。

 それでも、あの基地では最高上官であるご夫妻が、楽しそうな笑顔をエミリオに向けてきた。


「おいおい。クインが彼女だけじゃなくて、義実家もご自慢ののろけか。いや、でも納得したよ。これは素晴らしい」

「舅のこだわりいっぱいのレストランです。俺もそうだったから、葉月さんと隼人さんには、日頃の任務は忘れて、素のままでくつろいでほしいです。舅はそう願って、ここにこのオーベルジュをつくって、ハマナスの花をたくさん植えたのだと思いますから」

「海人がものすごく自慢してくれたんだけれど。今度は私が横須賀の父と母に自慢したくなっちゃうわね」


 娘の藍子ではなくて、婿になるエミリオの激推しに、ご夫妻がそろって声をたて笑っている。

 だが、藍子も息子の海人同様に、少将と准将が基地での鎧を脱いでくれたように見えてホッとした。



 見渡すとバスを降りた招待客一行は、農道からオーベルジュを見渡して写真を撮り始めていた。

 心美はママとパパの手をひっぱって、ハマナスが咲く壁際ではしゃいでいる。

 ユキナオ君と城戸家ボーイズの男子たちは、農道から広がるパッチワークの丘陵を遠くまで見つめて楽しんでいる。

 柳田夫妻も、ロサ・ルゴサの看板のところでレストランを見上げ、こちらも夫と妻で仲睦まじく微笑みあっている。

 海人はどこへ――と、藍子が探すと、いつのまにかレストランの厨房がある勝手口のドアをノックしているし、その隣にはスマートフォンで撮影ばっかりしている湊がひっついていた。

 海人のノックで、コックコート姿の父が姿を現した。娘の藍子を探すよりも先に、まずは青地父を呼んでくれた海人を見て、嬉しそうな笑みを浮かべたのを藍子は見る。


 あれ。もう一人? と藍子は『警備隊長』を探した。

 御園家のマイクロバス到着から遅れて、もう一台の車両がロサ・ルゴサの前に到着した。中型のトレーラーだった。姿が見えないなと思ったら、その車両を農道の真ん中で誘導しているのがシド・フランク中佐。


「え、あんな大きなトラックもついてきていたの??」

「なんだろうな。でも、……あの人が、運転しているってことは……御園の車両ってことだな」

「あの人って?」


 エミリオは知っているようだったので、藍子は運転手の姿を確かめる。

 栗毛の初老女性だった。でも綺麗でキリッとした女性。それこそミセス少将のような『キャリアレディ』の威厳をバリバリ放っている空気を藍子は感じ取る。

 しかもシド・フランク中佐が妙に真顔で緊張しているようにも見えた。

 その女性が、丘の上にある狭い農道に一時停車した後、運転席から顔を出した。


「シド、きちっと誘導しな。へましたら承知しないからね」


 険しい声でシド中佐に指示を投げつけている。

 フランク中佐が面倒くさそうに顔をしかめた。チッと舌打ちをしたにはしたが、真面目に中庭の入り口に立って『ラジャー』と返答をしている。


「……フランク中佐が……言うことを聞いてるって……」

「まあ、実母だからなあ」

「ええ!? フランク中佐の実のお母様!」


 フランク家の養子だというシド中佐だが、今回はフランスの母親もお手伝いに同行しているらしい。そう聞いて、藍子は驚きおののく。


「黒猫の最上位幹部の一人だし、運輸業の女王とヨーロッパでは言われているみたいだな。ジェット機のパイロットの資格も持っているし、あのように大型車両の運転もなんのその。物を運ぶことに関してはプロ中のプロだからな。御園家があれこれ仕事が早いのも、あのお母さんあってのことらしいよ。そりゃ、ハンパな仕事したら許さないって、中佐も育てられたみたいで頭があがらないそうだよ」


 そんなエミリオの説明を聞いていたら、その通りのことが目の前で起きる。

 狭い農道の脇にある小さな中庭。そこへバックで入ろうとしている。

 え、こんな大きなトラックをこんな狭い農道から中庭へ? お母様が? だが藍子の心配など申し訳なかったほどに、ハンドル捌きもバシッと決めて、フランク中佐の誘導で狭い中庭へ。トレーラートラックは、バックでマイクロバスのそばに簡単に駐車した。


「さて。あのトラックはなんのために持ってきてくれたのやら。俺もまったく聞かされていないんだよ。ささやかな結婚式のつもりだったんだが、いったい御園のお家はどうしてここまでしてくれているのか……まったくわからない」


 エミリオも事情がわからないらしく苦笑いを浮かべている。

 藍子も、なにを積んできたのかと不思議で仕方がない。もちろん、あのトラックに皆の旅の荷物も含まれているだろうが、それでも、なんでトレーラートラック!


 ふと嫌な予感がする藍子。『まさか。瑠璃……?』。ユキナオ君たちになにかお願いしていたみたいだし、ココちゃんは『ナイショ』がいっぱいだったし、海人は出発前には素っ気なかったし、いったい皆でなにをしようとしてくれているの??


「すごいな! うちの庭に一発でこの大きさのトラックが入ってきてくれるなんて」


 呆然としている藍子とエミリオのそばに、そんな声が届いた。

 コックコート姿の父だった。藍子の父も来客到着と共に急に賑わう庭を知って、興奮しているようだった。


「お義父さん、ただいま。今日からまたお願いいたします」

「エミル! おかえり! よく来たな。待っていたよ」


 また、前回のように父が婿になるエミリオをためらいなく抱きしめた。

 エミリオも嬉しそうな笑みを見せ、青地父の抱擁に甘えている。そんな姿を見ると、藍子も嬉しくなる。


「今回も任務、ご苦労様。今日からの休暇、また楽しんでいってほしい」

「はい。俺も楽しみにして来ました。俺と藍子の結婚式のために、いろいろとしてくださって、ありがとうございます」

「なに言ってるんだ。娘と息子になるエミリオのためなんだから。嬉しくてたまらなくて、どんなこともやってしまうよ」

「お義父さん……」


 まただった。会う度に、エミリオはほんとうの息子みたいな顔になる。

 もう父にはすっかり、気高いクインの心を解き放って甘えてくれているのだ。

 そんなエミリオからすぐに我に返って、娘の藍子がしなくちゃいけないのに、そばにいる上官を父へと紹介する。


「お義父さん。こちらが海人のご両親、御園葉月さんと、御園隼人さんです。お母さんが連隊長、お父さんが航空の防衛データを司る部署の管理長をしています。隼人さんの部署に、藍子が所属するジェイブルーで記録したデータが集結していくんですよ」


 父がまた感激の笑みを満面に浮かべた。


「いらっしゃいませ。やっとお目にかかることができて嬉しいです。朝田藍子の父、青地です。娘と婿がいつもお世話になっております。この度はふたりの結婚のために、お忙しい中、遠方から来てくださってありがとうございます。明日はせいいっぱいのもてなしをいたしますので、ご子息の海人君同様に、日頃の疲れを癒やすお時間にしてくだされば、宿主として嬉しく思います」


 コックコート姿で父が深々とお辞儀をしてくれた。御園ご夫妻も、藍子の父が先に丁寧な挨拶をしてくれたせいか、驚きながらこちらもお辞儀をしてくれる。

 頭を上げて青地父に話しかけたのは、夫である隼人准将。


「海人の父、御園隼人です。こちらこそ、息子が大変お世話になっていると聞かされています。……ご存じかと思いますが、妻も私も、海人が幼少のころから多忙だったため、また、おなじ職場でそれぞれの立場があるため、あの子が子供らしく安らぐようなことをさせてやれませんでした。ですが、藍子さんのご厚意でこちらへの帰省に同行させてくださって、息子も安堵できる場所ができたようで、感謝しております」


 こんな時は夫を前に出して、葉月さんは一歩下がって控えている。

 夫の挨拶の後に、母親として入ってくる。


「海人の母、葉月です。息子がいつも、素敵な場所だと生き生きと話してくれるのです。私と夫も、息子同様に、楽しみにしてまいりました。到着してすぐに、私たちも、ロサ・ルゴサの風に包まれて、息子が教えてくれたことを実感していたところです。素晴らしいところですね」


 父がそんな葉月さんを知って、見とれているように藍子には見えてしまった。

 栗毛の麗しい奥様、だから? なんて、そんな父らしくない反応に藍子は眉をひそめてしまう。だが違ったようだった。


「あ、失礼しました。……いえ、海人君にそっくりと聞かされていたのですが、ほんとうだと思いまして。ですが男らしい輪郭とか表情はお父様譲りなんですね」


 麗しい栗毛に、きらきらの琥珀の瞳。海人とそっくりな母親が現れて、父も『なるほど!』と感激しているようだった。


「娘の藍子が上官にもかかわらず、後輩である海人君のほうがいつも賢く立ち回って助けてくれると聞いています。厳しい軍隊の中で生きる娘を常に案じていますが、こちらこそ、海人君のおかげと感謝していることはたくさんあるのです。今回は、是非、ご両親とご子息で揃ってくつろいでくださいませ」

「お言葉に甘えて、そのようにさせていただきます。妻とともに楽しみにしていました。景色もですが、フレンチシェフであるお父様のお料理もです。妻は大食らいなので、よろしくお願いいたします」

「ちょっと。隼人さん。こんなところで、いつものそれ言わないでっ」


 基地ではトップであるミセス少将が、お嬢様のような顔で夫に文句を言ったので、父も『可愛らしい』と通じたのか、肩の力を抜いたように夫の隼人准将と笑い出した。


 そんな親同士の挨拶を、エミリオと眺めていたのだが、中庭はまだまだ落ち着かない。

 トレーラートラックの荷台ドアが開けられると、そこに招待客それぞれが向かい始める。スーツケースを取りに行くからだと藍子は思って眺めていたのだが。


「お待ちしておりました! いらっしゃいませ、皆様!」


 実家の玄関から、エプロン姿の妹、瑠璃が出てきた。

 そんな瑠璃の声が中庭に響くと、何故か招待客一行の視線がざっと瑠璃に集まった。


「藍子の妹、瑠璃です。よろしくお願いいたします! さっそくですが、チームに分かれていただきます!」


 瑠璃が『こっち注目ー』とばかりに片手を高々と掲げる。招待客が揃って、しかも黙って聞く姿勢を整えているのに、藍子は驚く! ほんとうに指揮官みたいに、軍人のお客様を操ってる!? 藍子だけではない、エミリオもいきなり始まった『瑠璃主導の指示号令』に唖然としている。

 しかも瑠璃の後ろには、なにやらレジュメらしきものを持って、真顔で段取りらしきものを目で追って確認している義弟の篤志までいた。ほんとうに黙って瑠璃の最強補佐を背後でしているようだった。


「チームで打ち合わせがてらのお茶を、レストランホールに準備しております。まずはチームで同席していただきますね。では……」


 チーム分けってなになにと藍子は目を瞠って眺めるだけに。

 瑠璃からチーム分けが発表される。それを知っていたかのように、招待客も真面目に瑠璃の言葉を待っているし!? 招待客、姉と義兄の上官だらけなのに、瑠璃はまったくなんのその。怖じ気づくことなく藍子の上官にも告げていく。


★海人チーム

海人と御園のお母様と、湊君

★ココちゃんチーム

城戸家ご一行様と、朝田母の真穂、戸塚のお父さん、お母さん

★柳田チーム

柳田中佐ご夫妻


「最後に。朝田チーム! 私と夫の篤志と、ユキナオ君です!」


 庭先で従弟の翼と光と一緒に走り回っていたユキナオがびくっと瑠璃を見た。


「え、どして。俺たち瑠璃さんチーム!? 城戸家じゃないの!?」

「てか。初対面……なのに。初対面ぽくない。え、やっぱり藍子さんに似てる」


 初対面のはずなのに、なんとなく既にわかりあっているかのような空気を醸し出す双子と妹に藍子は釘付け。


「初めましてじゃないけど、初めまして。ユキ君、ナオ君。基地での作戦決行、ありがとう! さあ、最後の仕上げを私と一緒にするからね。こっち来て来て」


 大きく手振りをして叫ぶ瑠璃を見て、ユキナオ君たちがちょっと引き気味に後ずさっている。


「似てるのに、なんか藍子さんと違う」

「いきなり連絡してきて、ぐいぐい俺たちに用事いいつけたの、あのお姉さんだって、めっちゃ実感……既視感しまくり」


『なんで俺たちは瑠璃ちゃん配下から逃れられないの』と戦慄いていた。


 そんな瑠璃のいきなりの統率に呆気にとられていた藍子とエミリオのそばで、ぽつりと呟く声が聞こえた。


「え、俺はどこのチームにも入ってない……なんで……」


 がっかりしている隼人准将がそばで項垂れていた。

 ほんとだ。なんでと、思わず藍子とエミリオは顔を見合わせてしまっていた。

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