15.いま、この一瞬

 ラベンダーの花束を背負って帰ってきた心美が帰宅し、そこでバーベキューの支度をしていた大人たちが皆、ふわっとした笑顔になったのだ。


「ミミ、藍ちゃん。ただいま!!」


 リュックにさしているラベンダーを揺らしながら、心美が小さな身体でこちらに走ってくる。


「ココちゃん、転ぶわよ」

「だいじょぶ、ママ」

「転んじゃって擦り剥いたら、明日のドレス、綺麗に着られないわよ」


 園田少佐からの『ドレス』のひとことで、心美は全速力をやめて、ちょこちょこ走りに。そのまま懸命にエミリオへと向かってきている。


 金髪の彼とラベンダーの女の子が向き合う。

 エミリオも微笑みを湛え、 いつもどおり彼女の目線に合うように地面に跪く。


「ミミ、みてみて。お花、ほんとうにいっぱいいっぱい、いーーーっぱいだった! これね、藍ちゃんパパのお友達の畑でもらってきたの」

「ココ。おかえり。な、ここのお花畑は凄かっただろう」

「ラベンダーだけじゃなかったよ。いろいろなお花が、クレヨンの箱みたいに並んでた。すっごいの、すっごいの。ママとパパとシー君と、お兄ちゃんと、写真いっぱいとったよ。あ!! ココ、ミミのパパとママとも写真撮ったの。ミミのママ、ミミとおなじキレイ!!!」


 リュックからはみ出しているラベンダーが小さな彼女の背中でふりふり揺れている。エミリオも目尻をさげて、心美の黒髪を撫でている。

 お花の妖精のうしろに、ブロンドの強面男が立ちはだかっていた。フランク中佐がラベンダーの束を抱えて、エミリオを見下ろしている。エミリオも気圧されたのか、上官なのでそっと立ち上がる。


 今度は夕暮れの中、色合いが異なるブロンド同士の男が向き合う。


「ちゅ、中佐……。似合っていますね」

「おう。さんざんこの花を刈らされたぞ。めちゃくちゃ仕事をさせられているぞ。でもよ。心美の手伝いだからな。そうでなければ、おまえの結婚のためにここまで俺はやらないぞ」

「あ、ありがとうございます。はは」

「シー君、怒ってるの? いっぱいシー君ママのお手伝いしてたから、途中からお花畑に来てくれたんだよね。お腹すいてるの? ココと一緒に食べよう」

「お、おう……。そうだな。……なんでかな、俺、母親に捕まって2時間ぐらいいろいろ……。エドが後で差し入れもってくるよ。その買い物に駆り出されたり、運転させられたり。助手席でエリーが、後部座席で母が、女ふたりで結託したみたいに『あーしろこーしろ』って、うるせえのなんの」

「そうだったんですか。かえって申し訳ないです。ほんとうに、俺と藍子の結婚式のために、フランク中佐までありがとうございます」

「いや、城戸家と御園家がしたいことを手伝っているだけだ。つーか母が、いや、もういいや。俺っていまだに『黒猫になれないガキなチャトラ』扱いだからよ」


 あの怖いお母様に『あれやれこれやれ』と手伝わされ、城戸家とは花畑で合流したとのことだった。


「ミミ、シー君、いっしょうけんめいお花をあつめてくれたんだよ。ここみと一緒にね、お花の中を歩いて、いっしょにあつめたの。シー君がいちばんたくさんあつめてくれたんだよ。これね、結婚式でつかうの。あとはナイショ」

「いや、ココ。ナイショじゃなくなってる」

「あ。でも、あとはナイショ」

「そうだな。あとはナイショだな。ということで、ミミルも知らん顔しておけ」


 ブロンドの男ふたりが、お花を背負った小さな女の子を間に微笑ましい顔を見せている。

 日頃、軍隊で気を緩めない男たちの安らぎのようだと、藍子もそっと眺めている。

 やがて、そんな金髪の男ふたりが女の子といる場がさらに華やぐ。

 エミリオの両親だった。体格が良くワイルドな無精髭スタイルの弦士と、金髪ロングヘアの美しいエレーヌが、やっと息子へと辿り着く。


「エミリオ、おかえりなさい」

「エミル、待っていたぞ。いよいよだな」


 エミリオもさらに優しい笑顔になっていく。


「ただいま。父さん、母さん」

「今回も任務ご苦労だったな。お疲れ様、エミリオ」

「おかえりなさい。エミリオ――」

「ただいま、母さん。無事に帰ったよ」


 そこで父親と母親が揃って、大人になった息子でも、愛おしそうに抱きしめる。エミリオも嫌がらず恥ずかしがらずに、そのまま父と母の抱擁を抱き返していた。

 やっぱりアメリカンなご家庭なのかなと、藍子はこんな時に思う。それに全然、おかしく見えない。幾つになっても息子を案じる両親と、幾つになってもそんな両親の思いを大事に受け止めて返す息子の姿を、そこにいる誰もが静かに見守っている。


「父さん、母さん。来てくれてありがとう。それに、俺の上官のご家族を観光案内してくれてありがとう」

「おまえの小さな親友なんだろう。そりゃ、父親としてエスコートするよ」

「とかいって。私たちもお花畑、楽しんできちゃった。ね、ココちゃん、いっぱいお花をみたものね」

「うん。エレンママ! なんかね、ミミにそっくりだから、ミミって呼んじゃったの」


 そんなエレンママとエミリオが一緒に並んでいる姿を見て、また心美がはしゃぎだす。


「そっくり! ミミのママが金色の髪だから、ミミも金色なんだね。いいなあ~」


 ほんとうに、母と息子で並ぶとキラキラと輝き始める。

 藍子も『ほんとうに、美しすぎる人たちだなあ』と、いつも見とれてしまう。


「明日、エミルは妻を迎える旦那さんになるのね。楽しみよ」

「俺は、ママのドレスもちょっと気にしている」

「ふふ、ゲンジと選んだのよ。安心して、ちゃーんと母親らしい落ち着きを弁えてきたから」

「なんだよ、それ。ほんとうは、もっと派手なヤツを着たかったみたいな言い方だな」

「あ、でもね。明日、エミルたちと一緒にフォトブックの撮影に参加する予定なの。その時にそのドレス着ちゃうの。楽しみ、パパにお姫様だっこしてもらう約束なの」

「マジかよ~。絶対やると思っていたけど、ほんとにやるのかよ~。主役は俺と藍子だぞ」

「ダブルで撮っちゃう? ね、親子でラブラブショットとかいいじゃない~」


 ほんわりしている母親に押し切られそうになっている戸塚少佐も見物なのか、バーベキューの準備をしているユキナオが、またもや『クインさんの弱み、発見』とニヤニヤしている。そしてエミリオもそれだけでは終わらない。


「姑が息子夫妻の写真撮影に乗り込むとか、日本ではめちゃくちゃ嫌がられるパターンだと思うな。気をつけろよ」


 確かに、息子夫妻のブライダル撮影に、姑が乗り込むだなんて、日本では以ての外なのだろう。でも、不思議だなと藍子は首を傾げる。嫌じゃないのは、どうしてなのかなと。


「私は平気だよ。エレンママ、一緒に撮りましょう」

「え、藍子ったら。冗談で言ったのよ。エミルが困るのが見たくって」

「はあ? やめてくれよな。いつもいつも。俺をからかって楽しむのは」

「だあって。エミルったら、いっつも堅苦しい顔をする大人になっちゃったわと思って、ちょっと驚かせて表情を変えてあげたくなっちゃうの」

「藍子を困らせるなよ。俺だけ困らせておけよ。いや、それもやめてほしいけどな」

「わかったわよ、もう。すぐ真に受けるんだから。私の子なのに真面目すぎ。あなたたちとは別に、パパと綺麗な写真を残すからいいわよ」

「そうしてくれ。まったく、知り合いの目の前でいちゃいちゃされるのも、本当は嫌なんだからな」

「もう~、なんなの。エミル、かわいくないっ」

「三十半ばの息子が、かわいいわけないだろ。いちゃいちゃも譲歩してやってるんだからな」


 ほわっとしているママが息子をからかっていたのに、息子に上位に立たれてプンプンと怒り出す。なのに、やっぱりかわいく見えるママって凄いなと藍子はくすりと笑みをこぼす。

 藍子の中でも『綺麗でやさしい、癒やし系のお姑さん』になりそうだと思っている。むしろ日本特有の『姑』という言葉が似合わないんだよなあとも感じてるのだ。やっぱりそんな感覚を忘れさせるのは、日本人ではないからなのかと不思議だった。

 大人たちのやりとりをきょとんと眺めていた心美だったが、なにかに気がついたのか、また走り出す。今度は、バーベキューの準備をしている瑠璃と篤志のところへと向かっている。


「瑠璃ちゃん、ただいま! ミッションしてきたよ」

「ココちゃん、お帰りなさい。いっぱい、ありがとうね。助かる~」

「おかえり、ココちゃん。疲れていないかな。なにか飲み物持ってこようか」

「ううん。このお花、どこにあつめたらいいの」


 背負っているリュックをちょこんと妹夫妻へと心美が見せる。

 どうやら、ラベンダーの花を集めてくることがミッションだったらしい。


「篤志君、ここ任せていいかな。私、お花チームに行くね」

「ああ、いいよ。御園パパさんが仕切ってくれているから大丈夫だ」

「じゃあ、ココちゃん。お花ミッションの仕上げをしようか。レストランに行こうね」

「しあげ、だね。ココ、ごはんの時間までがんばってやる」


 夫にディナーの支度を託し、瑠璃は小さな心美の手を握って、レストランへと向かい始める。

 藍子も知らぬ顔でやり過ごしているが、きっとあのラベンダーや集めてきた花が、明日のパーティーを彩ってくれるのだろう。


 姉の自分は遠い基地にいて、なんとか妹の結婚式に駆けつけるのが精一杯だった。

 なのに。瑠璃は姉の藍子のためにドレスを一緒に選んでくれたり、姉と義兄の親しい人々を精一杯もてなしてくれ、しかも、お祝いの準備にいろいろな人に協力してもらえるよう奔走してくれた。


『だって。私は夫とお父さんとお母さんと毎日一緒だけれど。お姉ちゃんは、いつどうなるかわからない仕事を、ずっと一人きり遠い基地で務めてきたでしょう。毎日一般人がわからないような国境へ行くんでしょう。これからだって、エミル義兄さんがいるけれど、お互いにいつどうなるかわからない。だからこそ、今この一瞬が大事。うんとお祝いしたいの。応援の気持ちなの。幸せってお姉ちゃんにもエミル義兄さんにも感じる瞬間を残して欲しいの。私の我が儘だと思って。気が済むまでやらせて』


 小さな心美と手を繋いで、楽しそうにレストランへと向かう妹。

 いつかあんなふうに妹にも子供ができるだろう。藍子は瑠璃の『母親』のような姿を見送る。

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