16.結婚前夜に乾杯

 篤志がランプを配り始める。それぞれのテーブルに置き終えると、食卓はもう整っていた。


 柳田夫妻もそのころには宿のロサ・ルゴサに到着。富良野・美瑛の有名どころを隈無く回ってきた、花のファームに花の丘、青い池も見て回ってきたとのことだった。息子がいないことが心許なかったが、ひさしぶりに夫婦でふたりきり、新婚時代を思い出すようにのんびりできたと、幸せそうな笑顔を揃えて帰ってきた。


「お好きなところへどうぞ。では焼き始めますね」


 篤志の合図で、中庭に集まっていた小笠原一行がそれぞれの席を選んで行く。

 まだレストランの『お花チーム』でなにかをしているようで、藍子とエミリオは立ち入り禁止にされてしまった。

 瑠璃がいない分、手が足りないかと思った藍子だったのだが、やっぱり御園准将が『ユキ、これ。ナオ、次はこれだ』と、瑠璃のかわりにユキナオをコマネズミのごとく動かしまくっていた。

 篠田氏も葉子もエプロン姿で手伝いに回ってくれている。


 そのうちに篠田氏と葉子はアルコールの準備にとりかかっていた。そこにはおなじくエプロン姿の双子がいる。彼らの目の前には、アルコール用のテーブルが設置されていて、氷がいっぱい入れられたクーラーボックスにビール瓶などが入れられ冷やされている。アイスクーラーも置かれ、そこにはワインボトルが冷やされている最中。葉子が温度計などを持って、管理をしている姿が見える。

 そこでユキナオが真剣な顔つきでレクチャーを受けているところだった。


「いいですか。ユキ君ナオ君、ワインにシャンパンは温度が大事なんですよ。しかもそれぞれ適温が異なりますから覚えてくださいね。いま葉子がしているように、温度調整をする氷は必須です。BBQであれば、氷を入れたクーラーボックスそのものにボトルを入れておくといいでしょう。赤ワインは冷やしすぎはダメですよ。でも暑い夏の野外であれば、常温と言われている『14~20℃』にするため、僅かに冷やすと口当たりがよくなります。ライトボディと書かれてあれば低めに、フルボディと書かれてあれば高めにが目安でいいかな。葉子ちゃん、温度計、余っているのがあったらお裾分けしてあげて」

「うん、わかった。そろそろかな。ちょっと味見しますね」


 ソムリエ修行をしているという葉子が、銀色の小さなお皿のようなものを指にひっかけ、そのテスターにワインを少し入れて味見をした。


「給仕長、赤ワインはOKです。シャンパンはまだですね」

「ここで仕事の呼び方しないで、葉子ちゃん」

「あ、つい。ユキ君とナオ君も味見してみる? ちょっと待ってね。冷やしていない赤ワインと比べてみようね」


 ユキとナオも『ふむふむ』とスマートフォンでメモを打ち込んだり、撮影をしたりして記録をしていた。


「女の子はね、うんとロマンチックにしてあげなくちゃダメですよ。ワインの扱いに慣れている男はモテます」

「まじっすか。篠田さん」

「フレンチ業界の給仕長がいうから間違いないってことっすよね」

「間違いないです」


 キリッとした顔で真剣な眼差しを向けてくる篠田氏を見て、双子も大人の男性がいうことだから絶対とばかりうんうん頷いている。

 フレンチ業界の知識だからモテるなんてあるのかなと藍子は思ったりしたのだが。確かに、ワインの扱いに慣れている男性にロマンチックにワインを注いでもらえたら、女性はうっとりするかもしれないと見入ってしまっていた。そのうちにエミリオまで『俺も知りたい』とか言って、双子のレクチャーに参入してしまった。

 適温に冷やす前のワインを開けてきた葉子が、グラスに『適温じゃないワイン』と『適温のワイン』を入れて双子とエミリオに飲ませている。『ちがう、こんなに?』、『ええ、こんなに変わるの』、『ほんとうだ、勉強になるな』と双子とエミリオが唸っている。


 シャンパンも適温になったようで、葉子と篠田氏が、またプロ並みのサーブをしてくれる。

 その頃になると、女性陣も『夕食の準備が出来たから』と、レストランから中庭に集まってくる。


 招待客がそれぞれの席につく。各々のグラスへと、黄金色のシャンパンを注いでくれる。


 全員に回ったところで乾杯となるのだが、音頭は誰ということになった。

 少将に准将に中佐と揃っているのに、上官たちが顔を見合わせ戸惑っている。こんな時も遠慮なく発言できるのは双子。


「隼人さん、だよな」

「え、連隊長で葉月さんだろ」

「えー! 嫌よ! こんな時まで連隊長なんて嫌」


 ユキナオの発言に、今日は優雅な奥様スタイルの葉月さんが『やだやだ、仕事じゃない』とそっぽを向けた。


「じゃ、隼人さんだ」

「BBQリーダーしているし!」

「えー、BBQリーダーはやってみたいからやってるだけだからなあ。准将だからっていうなら俺もヤダなー。少将が嫌がるんだったら、俺も嫌でーす」


 隼人さんもエプロン姿でトング片手に野菜を焼き始めながら、プンとそっぽを向いて拒否をしてしまった。


「だったら叔父ちゃんやれよ」

「新郎のさ、大ボスじゃん。大隊長なんだからさ」


 甥っ子たちの視線が一気に叔父へと向けられる。城戸准将が何故かびくっと硬直した。

 自分の上官二名が拒否したため、いきなり自分に回ってきて驚いたようだった。


「え、俺? いや~俺なんか~」

「だって。ここでのトップは葉月さんでしょ。その連隊長が降りて、その次の叔父ちゃんより目上の准将の隼人さんが降りたら、次は叔父ちゃんじゃん」

「そうだよ。雷神のクインのお祝いに来たんだからさ、飛行隊大隊長の大ボスがそれぐらいやっていいじゃん。ていうか、明日もやったら」

「やめろ。そういう役を回してくんな」

「叔父ちゃん、プライベートになるとマジヘタレ」

「うん。准将って役がつかないと、ダメダメ」


 甥っ子、しかも双子に次々と追撃され、あのソニックがあたふたしている。

 そんな姿、滅多に見られないので藍子は目を丸くしていたのだが、隣に座ったエミリオは笑っていた。


「最近さ、雷神にいると、あんな光景を見ちゃうんだよ。それでも、業務中はきちんと大隊長と若い海曹として弁えているけどな」

「そうなんだ……。私から見ると、城戸准将は、ほんとうに凄腕のエースパイロットで近寄りがたかった上官だから。ヘタレなんて絶対に見えないし想像できないよ」

「それだけ、今日は皆がここでくつろいでくれているということだよ」


 そうであれば藍子も嬉しい。そのうちに城戸准将の両脇にいる息子たちが『パパ、はやく始めてよ』、『早く食べたいよ』と騒ぎ始めたので、ついに城戸准将がグラスを持って椅子から立ち上がる。


「雅臣、頑張って。噛むんじゃないわよー」

「臣さん、頑張って」


 彼も敵わない上官の葉月さんと奥様の心優さんが楽しそうに茶化す。城戸准将も『あーもう仕方がないな』とばかりにグラスを掲げた。


「珊瑚礁の海ばかりが見える島から、今日は美しい緑と花の丘が折り重なる美瑛へ。島に住む私たちには別世界に舞い込んできたかのような一日でした。明日、ここにいる一同は、戸塚少佐と朝田准尉の誓いを見届けるのです。互いに日々、過酷な上空で防衛に勤しむパイロット同士。そして私たちもです。ですが、ここには、優しい時間と空気しかありません。穏やかな美瑛の風にただ身を委ねて、皆と一緒の思い出になりますように。たくさんのおもてなしの席を整えてくださった、瑠璃さんと篤志さん、ありがとうございます。ハマナスに囲まれるこのロサ・ルゴサ、結婚式の前夜に乾杯――」


 素敵な音頭だったので、藍子も嬉しくなりグラスをエミリオと一緒に掲げる。

 小笠原の軍隊一行が『乾杯』と声を揃えて、金色シャンパンのグラスを掲げる。


「わー、びっくり。雅臣、素敵な音頭じゃない」

「なんですか葉月さんは逃げたくせに」

「そういう口の利き方するんだ、私に」

「いまプライベートですし。肉の汁を落として、白い服を汚さないでくださいよ」

「え……」


 まだなにも食べていないのに、よくあることなのか、葉月さんは白いワイドパンツを見下ろしてキョロキョロしはじめた。それを見た城戸准将は『まだ食べていないっすよ。今日もやらないでくださいよ』と笑い、葉月さんの護衛でもある心優さんが『しみ抜き持っていますから、葉月さんすぐに教えてくださいよ』と微笑んでいる。


「雅臣君と園田もすまないな。俺はいま手が空きそうもないので、葉月の世話、頼んだからな」

「イエッサーです。隼人さん」


 隼人さんがいなければ『葉月さんのお世話は城戸夫妻』みたいな布陣になっている。

 えー、あのお二人。プライベートだとあんな会話するんだと、またまた藍子は目を丸くしていた。エミリオは良くしているみたいな顔で『あはは』とシャンパングラスを傾けている。


 まずは北海道らしくジンギスカンを食べようと、特有の鉄鍋をBBQのグリルにおいて、それぞれの目の前で焼いてもらう。


「俺、このジンギスカン鍋で焼いて食べるのは初めてだ」

「うちでは、このお父さんの特製タレを回しかけて焼くんだよ」

「お父さん特製か。それ、かけるの俺やりたい」


 エミリオも嬉しそうにラム肉を、鉄鍋の山部分に置いて焼き始める。

 ラム肉に、キャベツにもやし、ピーマンにカボチャなどカットされた野菜も一緒に焼いて、頃合いを見てタレをかける。他のジンギスカン初体験の小笠原住民は、瑠璃や篤志、葉子や篠田氏といった道内住民の手ほどきで、楽しそうに焼いている。

 エミリオとひとまず肉をひとつ頬張ったところで、海人がいないことに藍子は気がつく。とにかく小笠原一行が結構な人数なので、気がつくと誰かがいなかったりして、気がつかなくて困る。

 だがそう思うのと同時に、海人が腕いっぱいの発泡スチロールの箱を抱えて中庭に現れた。


「父さん、持ってきたよー」

「お、来たか」


 発泡スチロールを抱えているのは海人だけではなく、フランク中佐も。その後にはエリーとエドもいた。

 その箱が御園准将の足下に置かれる。当主である隼人さんがその蓋を開けて確認。


「エド、ありがとうな」

「私ではなく、シドが駆け回ってくれましたので」

「そうか。シド、遣いに使って悪かったな」

「いえいえ……。隼人さんと奥様からの言いつけだと聞いたので……」


 いつもワイルドフェイスで睨みをきかせている警備隊長は、どうもご当主になる旦那さんと奥様には弱い様子を見せている。

 そんな黒猫たちがお遣いのものを置いて、すっと夕闇に消えていってしまった。

 エリーは明日は藍子の介添人として、朝早く着付けの手伝いに来てくれるとのことだった。


 箱の中身を隼人さんが皆に見えるように抱える。


「御園家からのステーキ肉の差し入れです。サーロインと赤身フィレ、それぞれあります」


 差し入れがあるとは聞いていたが、まさかのA5ランクの富良野牛を持ち込んできたので藍子はびっくり。


「御園准将、そんな高価な差し入れ困ります!」

「いやいや、なに言ってんの。これ自分たちの食い扶持みたいなもんだから」

「食い扶持って……。一応、招待をした私と戸塚少佐、それに両方の実家からも、今日の食費はだしていますから」


 一瞬、隼人さんが戸惑った顔をしたが、父親のそばで開封を手伝っていた海人がひょいっと入ってきた。


「藍子さん。ここにどれだけの大食らいがいると思っているんですか。城戸家だけでも相当なもんですよ。俺も母も食うし、ユキナオだって。それにこれ、ユキナオのBBQ修行の練習用でもあるから。ね、父さん」

「ま、そういうことでもあるな。父さんもBBQで一度ステーキ肉を焼いてみたかったんだ。炭火だもんな」

「俺も、ちょっとやってみたいと思ってさ。だから藍子さん、こっちのやりたいことの話だから気にしないでくださいね」


 エプロンをしている父と子がそこにならんで、既に『ステーキを焼く』準備に勤しんでいる。


「フランベしたほうがいいのだろうか」

「しなきゃ、美味くないっしょ。父さんがやらないなら、俺が先にやる」

「は? お手本がいるだろ。父さんがまず……」

「炭火でフランベしたことあるのかよ。お手本にならないじゃん。俺も父さんも未経験でイーブンな」

「では。じゃんけんで――」


 まさかの御園家父子が『どっちが調理をするかの権利』をかけて、じゃんけんスタイルを整えた。


「もう好きにさせてやろう、藍子。隼人さんがすることは、ご自分が好きでやってくれているんだから」

「う、うん。そうだね。『プライベートジェットを出すよ!』と申し出てくれた時点で、言い出されたことはもう『遠慮はいらない』と素直に受け止める。それに……」


 相棒の海人が、両親に素っ気ない態度ばかり取っていたのに『父ちゃんと一緒にやる』みたいな姿を見せてくれて、藍子も微笑ましく思えてきた。


 御園家差し入れのA5ランクステーキ肉。さて、料理好きの父と息子、どちらが先に炭の網焼きに挑戦するかのじゃんけん対決が行われる。


「くっそ、父さんに負けた」

「ははは、まだまだだな。おまえが最初にチョキを出すことはよく知っているのだよ。サニー君」

「ちっくしょ。でも父さんだって初めてなんだろ。火加減間違えて、眼鏡すすけても知らないからな」

「うるさい。んじゃ、海人はまずはアシスタントな。この肉にはワインかブランデーかウィスキーかどれがいいか、シェフに聞いてこい」

「えー、仕事の邪魔じゃん。どんだけ青地パパから盗みだそうとしているんだよ」


 それでも海人がやれやれとばかりに、エプロン姿で厨房へ行こうとしている。そこでまた、背高のっぽの篠田氏がひょっこりと行き先を遮った。


「それなら。いま残った、こちらのワインでどうぞ。あと炭火なので、かけ方に気をつけてくださいね。なんなら僕が最初の一枚を焼きましょうか」


 フレンチレストランに勤めるメートル・ドテルからの言葉に、隼人さんが一瞬躊躇ったのだが。


「焼いたことがあるってことですか」

「まあ、店でも余暇で部下といろいろイベントしていましたんで。神戸でけっこうBBQしてきまし。それにメートル・ドテルも調理はするんですよ。肉をお客様の目の前で切り分けるデクパージュも、クレープ・フランベも良くしますしね」

「では。まずはお手本を頼もうかな。実はなんとかなるだろ的な勢いだったこと白状しちゃいます」

「かしこまりました。准将!」


 朗らかな彼がビシッと背筋を伸ばして、御園准将に敬礼をした。

 またまた声が大きいし、やることに愛嬌が滲み出ていて、そこにいた小笠原の一同からクスッとした笑みが漏れ聞こえる。篠田氏も『えへへ、軍人さんたちが階級で呼び合っていて、僕もやってみたかった』とおどけている。


 なのに彼が腕まくり、BBQコンロの前に立つと、急にプロの品格を醸し出す。

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