17.ファイヤー!BBQ!!
篠田氏がステーキ肉の下ごしらえをカッティングボードの上で処理をして、塩コショウで下味つけ。コンロの編み目に脂をひいて、トングで炭火の上に置く。
「コンロも場所で温度が異なるんですよ。まずですね……中央の温度が高い場所で」
両面焼き色をつけたところで、ワインボトル片手に軽やかに降り注いだ。そこでボウッと立ち上がる炎に、皆が『わっ』と驚きの顔を揃えたが、篠田氏は余裕の笑みを湛えたまま。その動作全てが綺麗でこなれたものだった。
フレンチレストランに勤めているサービスマンは、お客様に食べていただくためのおもてなしは、なんでも器用にこなすものなのだろう。藍子もエミリオも『凄いね!』と顔を見合わせて微笑んだ。
海人も隼人さんも『素晴らしい』と歓喜の声を揃えていた。
「だいたいわかりました。次、やらせてください」
「はい。どうぞ、准将さん。そばでアシストしますよ、僕」
「よーし、タイミングも分量もだいたいわかったぞ」
御園准将が『見極めた』とばかりに、篠田氏の次にステーキ肉を焼く準備に取りかかった。
焼き上がったステーキ肉も、篠田氏はナイフとフォークで綺麗に切り分けている。その技も手慣れたものだった。
「キッズたちから配るのがいいね。僕たち、お皿もっておいで」
城戸家が揃っているエリアへと篠田氏が声をかける。ステーキステーキとそわそわしていた翼と光が『やった』と立ち上がる。心美はママと手を繋いで、お兄ちゃんふたりの後を追ってくる。
ステーキを焼いていたグリルに子供たちが集まる。
「わー、ステーキだ!!」
「火でぼわって燃えちゃったかもと思ったけど、お肉おいしそう、いい匂い!!」
翼と光がわくわくと目を輝かせて、グリルで焼き上がったステーキを見つめている。
「いっぱい食べたらいいよ。でも、少しずつだよ。またおかわりにおいで」
二枚同時に焼いてカットしたものを、篠田氏が子供たちのお皿にのせていく。
お兄ちゃんの後ろには、心優ママと手を繋いで待っている小さな心美。
とても低い位置に居る女の子を、篠田氏が優しい眼差しでにっこりと見下ろした。
「おや、明日のフラワーガールさんですね」
優しい目線を落としてくれる見知らぬおじさんに、心美がにこっと笑いかける。そんな篠田氏は、後ろに控えていた葉子になにかを耳打ちする。
「葉子、シェフパパから、……を、もらってきて」
「うん、わかった」
葉子はそれを聞き届けて頷くと、レストラン厨房へと向かっていった。
篠田氏は再度、焼けた肉を小さくサイコロサイズに切り分けている。それも器用で淀みのない手業を見せてくれる。
「小さなお子様だから、小さく切り分けておきますね」
「ありがとうございます。お兄ちゃんたちのようには食べられないだろうから、どうやって小さく切ろうかと思っていたところです」
「フレンチレストランでもそうしていますから大丈夫ですよ。あ、フラワーガールさんは、もうちょっとそこで待っていてくださいね」
幼児の食事対応も慣れているようで、スマートな対応に園田少佐も安堵の笑みを浮かべている。藍子も、ほんとうにプロのサービスマンだと実感している。明日の父の料理も食事会接客も安心して任せられるという手際だった。
しかも篠田氏のサービスはそれだけではなかった。
「蒼君、持ってきたよ」
「ありがとう、葉子ちゃん」
白い皿を持ってきた妻の葉子は、それを夫の篠田氏に見せる。
「お母様、ちょっとお嬢様のお皿を拝借いたしますね」
「は、はい」
戸惑う心優ママから、サイコロステーキを乗せたお皿を篠田氏は受け取る。小さな心美の目線に合わせるためなのか、篠田氏が地面に跪いた。
心美もキョトンとしながら、目の前に来た篠田氏へと首を傾げている。彼はそのまま、預かった皿を心美の目の前へと差し出す。そして、葉子が持ってきた小皿をそばに寄せるように指示をすると、葉子もそっと小皿を目線を合わせている二人のそばへと寄せた。
そこには小さな赤い花びらが乗っている。
「これは、エディブルフラワーといって、食べられるお花です。明日、フラワーガールに変身するおまじないをしておきますね」
心美の皿へ、ステーキの上へと、篠田氏は指先に抓んだ赤い花びらをはらはらと降らせた。
怪訝そうだった心美の顔に、笑顔が広がる。
「お花の、ステーキ!? このお花食べられるの!?」
「そうですよ。これを食べたら、お花の妖精になれます。明日、目が覚めたらお花の妖精ですよ」
「ママ、見て!」
「素敵ね、ココちゃん。よかったね」
赤い花びらが乗ったステーキを、心美はずっとキラキラとした目で見つめている。
心優ママも感激したのか、篠田氏に『ありがとうございます。この子、女の子らしいことが大好きなので嬉しいです』とお礼を述べている。それでも篠田氏にすれば、これも日常なのか『いえいえ。フラワーガールをされるとのことだったので、思いついただけです』と笑っている。
「あの人、本物のサービスマンだな。凄いな。俺たち軍人は、あんなふうに気が回らないかもしれないもんな」
「常日頃、お客様ひとりひとりのことを思いながら接客しているのがわかるね。本当に……、そんな素敵なギャルソンさんが来てくれて、またお父さんが繋がっていて嬉しいよ」
「本当だな。十和田シェフがそれだけのギャルソンを引き寄せる力があるということだもんな。そしてそのシェフと交流を残している青地パパのおかげでもあるよな」
ふたりでジンギスカンとシャンパンを味わいながら、自分たちのために素晴らしい人々が集まってくれたことを噛みしめる。
美瑛の丘が宵闇に消え、今度は星が瞬き始めた。
ロサ・ルゴサの中庭はBBQの煙が漂うが、小笠原の一行は思い思いの食事を楽しんでいる。
藍子とエミリオが座っているテーブルのそばに、ステーキを焼くコンロがあるから、そこで隼人さんが、そして海人が、篠田氏を見習って器用にフランベをして、次々と肉を焼き上げてくれる。
富良野牛のサーロインステーキが藍子とエミリオの手元にもやってきて、一緒に頬張り『うまい!』、『おいしい!』と声を揃えた。葉子が持ってきてくれた赤ワインもすごく合っていて、明日もご馳走なのに、今日も凄いご馳走と藍子も気分は上々。
そのうちにステーキコンロではついに、『BBQ修行』に真剣なユキナオのふたりが準備を始めた。
海人と隼人さんも『こうして、ああして』と下味をつけている双子に指導している。
篠田氏が『次はブランデーで焼いてみましょうか』と厨房から持ってきてくれた。
篠田氏の監督で、双子がグリルコンロの前に立つ。
二人揃って、篠田氏の声かけに合わせて、両面を焼いて――と真剣な顔つきだった。
「お、真剣だな。おまえたち、いまからスクランブルっていう時とおなじ顔をしているぞ。美味しくできそうだな」
エミリオがそんな茶々を入れたので、双子が『からかわないでください』と文句を揃えた。
「では、双子ちゃんたち。フランベをお願いしますよ。ユキ君はワインで、ナオ君はブランデーで」
二人がそれぞれのアルコールボトルを手にしたのだが。
「えい、超超フランベ、特級技!」
「燃えよ、富良野牛!!」
二人揃って、コンロに顔を背けながら、ボトルからバシャッとアルコールをふりかけ……、いやぶっかけたのだ。
そばにいたエミリオの表情が、一気に凍り付いたのを見る。
「あいつら……ッ。だから、気が抜けない!!」
彼が一瞬で藍子を強く抱いて、後ろへと引っ張っていく。
楽しく食べていたのに、藍子は小皿を落とし、椅子から離される。
目の前に高く登る火柱。中庭にいた大人も子供も『うわ!』、『キャー!』と声を上げるほどだった。
なにが起きたのか。エミリオに抱きしめられ退避することができていて藍子は呆然としていたが、もう火柱はなくなっている。
どうやら盛大なフランベにしてやろうと、双子たちが適量ではないアルコールを派手にぶちまけたらしい。
篠田氏も妻の葉子を火から遠ざけようとしていたようで、エミリオ同様しっかりと守って下がっていた。だが二人とも茫然としている。
しんとした中庭。最初に正気に戻ったのは篠田氏。彼の声が響き渡った。
「ちょーっと双子ちゃんたち!! 限度ってものがあるでしょう。びっくりしちゃったんだけど!! 僕とか御園准将とか海人君が焼いていたの見ていたでしょ。そんなにふりかけていなかったでしょ。わあ……、もう……、取り返しがつかないことになったかと……! マジ、マジで? え、君たち、戦闘機パイロット……なんだよ、ね? え、ええ!?」
『俺まだドキドキしている』と、篠田氏が胸を押さえて呼吸を整えている。
なにごとにも冷静に対処するクセがついているだろうメートル・ドテルも、度肝を抜かれたらしい。
「うっわ。ユッキーにナオ、おまえたち、またやっちゃったのかよ。あーあ」
海人も呆れて、ステーキ肉を確認している。眼鏡の御園准将も『ひさびさに、ヒヤッとした』と珍しく茫然としていた。
やがて、鬼の形相になっている城戸雅臣准将が登場。トングをもったまま唖然としている双子の目の前に、腕組み立ちはだかった。
「雅幸、雅直。ちょっと来い」
いつもは朗らかな大隊長叔父さんのその顔は、ある意味、大魔神……。
シュンとした様子の双子を、中庭からレストランがある建物の中へと連れ去っていった。
「油断ならないんだよな。まったく。双子がいるんだと頭の片隅においておかないといけないんだよ。忘れかけて、気を抜いたときに、いつもこんなことが起こるんだよな」
おなじフライトチームで常に一緒にいるようになったエミリオもげんなりしていた。
「特に『遊びの時間』になって、二人揃ってスイッチがオフになった時に、あんなことが起こるんだよ。仕事はできるんだよ。なのに思いもよらぬことをしでかすもんだから、俺も銀次さんも気が抜けなくて――。いや、俺、油断していた」
「でも任務でも訓練もない、プライベートの時間だもの。仕方がないじゃない」
「あ~もう、あいつらが振りかけたアルコールの分量を見た時、心臓が止まるかと思った……。藍子は明日の花嫁なのに、燃え移ったら大変だと思って乱暴に動かしてしまった。悪い」
藍子の足下にある小皿は中庭の土で汚れてしまい、食べようとしていたステーキ肉に野菜が散らばっていた。でも藍子も、なにごともならずにホッとしている。
「藍子さん、大丈夫だったかしら。ごめんなさいね。花嫁さんになにかあったかもと思ったら、申し訳なくて――」
すぐに『ユキナオ監督者』のひとりでもある叔母の園田少佐が来てくれる。
「大丈夫です、心優さん。ココちゃんも大丈夫ですか。びっくりしたんじゃ……」
「我が家の席は離れていたから、子供たちは何が起きたかわかってないかな。もう~、わたしも久々にヒヤッとしちゃった。ほんと気を抜いた時にびっくりすることしてくれるのよね。うちの息子たちと変わらなくて、でもしっかり者のお兄ちゃんでもあるから、うっかり気を抜いちゃって」
「いや、心優さん。常日頃、一緒に仕事をしている俺も、おなじように気を抜いていたから同じですよ」
葉月さんもそっとレストランがある建物へと消えていった。
心優さんが『たぶん、助け舟を出しに行ってくれたのね』と苦笑いをこぼしている。
雅臣叔父さんがめちゃくちゃに怒鳴り散らかしても、彼が敵わない上官で姉貴の葉月さんが間に入れば、彼は怒りを収めるしかないからだと言う。
それでも子供たちは何事もなかったかのように、またステーキコンロへと駆けてくる。
城戸家のキッズが兄、弟、妹と、篠田氏を取り囲む。
「おじちゃん、おかわり! 俺も妹が食べた花びら食べてみたい」
「ユキナオ兄ちゃんの肉、どうなったの? 丸焦げ? 食べられる??」
「お兄ちゃんは食べちゃダメなんだよ。お兄ちゃん、お花の妖精にならなくていいでしょ。お花は心美のおまじないなの」
「花を食って、妖精なんかなれるかって。バカじゃねーの」
「なれるもん!! なれるって、レストランのおじさんが言ってくれたもん!!」
今度は城戸家の兄妹がわいわいと騒ぎ始める。
子供たちが食い気全開で賑やかにしてくれたので、大人たちにほっとした表情に緩んだ。
「はあ、ユキ君ナオ君だけじゃない騒がしさで、ごめんなさいね」
心優さんが謝ってくるのだが、藍子もエミリオもそろって首を振り微笑む。
「いや、かえっていい思い出になりますよ。あの時、ユキナオが~と語り継いでやりましょうよ」
「ほんと。……でも、ユキナオ君が、ずっと前に岩国の輸送機を上空待機させて、葉月さんを土下座に追い込んだって……。なんか実感しちゃいました」
エミリオと一緒に藍子も笑い飛ばそうとしたが、その時に現場にいた叔母の園田少佐は思い出してしまったのか『ああ、あれね。大変だった』とげんなりとした顔を見せた。
しばらくすると、ニコニコ顔の葉月さんに連れられて双子が戻ってくる。
またもや葉月さんに救ってもらって、叔父さんの怒りも収まったようだった。
「隼人さん。もう一度ちゃんと焼かせてあげて。一度、盛大にやったから、次は失敗しないわよ。この子たち、やるときは凄い子たちだから」
「すみませんでした。准将。いっぱいかけたら美味くなるのかなと」
「すみませんでした。准将。やりすぎました……」
「……いや、なんというか。おまえたち任務中は優秀なことはわかっているんだけどさ。国防を担う実力者も『気を抜くなよ』という
しょんぼりしているユキナオだが、プライベート休暇ではしゃぎまくった心もこれで落ち着くかも?
ファイヤーなBBQの夜は賑やかな盛り上がりを取り戻す。
エミリオもホッとしたのか、再度、赤ワインのグラスを片手に肉を頬張っている。
「ユキナオのトラブル厄落としだったということで。これで明日は慎重に動いてくれそうだな」
「トラブルの厄落とし……って……」
藍子も入れ直してもらった赤ワインのグラスを、苦笑いで傾ける。
気を取り直したユキナオは、BBQステーキに再チャレンジ。きちんと篠田氏の一言一句を漏らさずに集中。どうやら、今度は上手にステーキ肉を焼き上げられたようだ?
「え、できるじゃん。めっちゃ上手にできるじゃん。なんであんなことしちゃったのかな。焼くの初心者なのに、こんなにできるのに??」
不思議そうに騒ぐ篠田氏の声が響き渡る。
それを聞いたエミリオも『あー、わかるわかる』と笑い出した。
「そうそう、ユキナオはできるんだよ。凄くできるんだよ。ちゃんとコントロールすればな。ん? ということは。ここまでトラブルなしにコントロールできていた瑠璃ちゃんは、やはり凄いんだな。うーん」
瑠璃は、海人の母親である葉月さんと話したかったのか、あちらの席で食事を取り始めていた。妹と連隊長が対面しているって、藍子には不思議な感覚。
「戸塚少佐、驚かせて申し訳ありませんでした」
「これ改めて俺たちが焼きました」
ユキナオがお詫びがてら、焼き直したステーキ肉をもってきてくれた。
「お、また盛大にやってくれたな。でも篠田さんから『上手く焼けている』とお墨付きだから、美味しく味わうな」
「いっぱいふりかけたら、めちゃくちゃ美味しくなるかと思ったんですよ」
「いや、あの分量を見て、俺もヒヤッとしたからな。でも、これでBBQ合コンマスターになれそうだな」
ユキナオのふたりをからかいながら、また楽しそうにステーキ肉を味わうエミリオ。そんなブロンドの彼を藍子は見つめた。
さっきの、クインの顔になっていた。一瞬で危機を察知して、すぐに藍子を抱きしめて遠のけてくれた。彼が逞しい腕で、力強く抱きしめてくれた感触が残っている。
すぐに藍子を守ってくれる人。ちょっとびっくりトラブルだったけれど、それを実感することができた結婚式前夜の思い出になりそうだった。
明日はいよいよ、結婚式。
早朝に、藍子は白い花嫁姿になる。
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