14.BBQ指揮官、降臨

 午後は富良野・美瑛観光ということで、それぞれでかけていたチームがロサ・ルゴサに帰ってきた。


 一番乗りは『海人チーム』。

 篠田氏の車が中庭に到着。

 十和田家の若夫妻と、御園家の夫妻と海人もすっかり打ち解けた様子で車を降りてきた。

 そんな葉子の片手にはギターがあることに藍子は気がついた。


 だが、どうしたことか御園准将が『ささ、葉子さん、こっちで一緒にひと休みしよう』と、あっという間に海人と葉月さんと囲んだ。さらに中庭を出てレストランホールに行ってしまう。篠田氏もにこにこした笑顔のまま、そそくさと一緒について姿を消したのだ。


 まだ中庭でBBQディナーのセッティングを手伝っていた藍子は、わざと妹を探るように見つめる。

 瑠璃も姉がなにを言いたいのかわかったのか、目をそらした。

 だが藍子も『明日の結婚式と披露宴のために、皆がナイショで動いているのだから』と、やはり知らぬ振りをする。


 だが、そこから御園准将だけが、レストランの勝手口から出てきた。

 つまり、父を始めとした料理人たちが仕込みをしている場所を通過して、父の許可を得て、裏口から中庭にやってきたということだった。


「ただいま。いやー、息子のチームについていってよかったよ」


 眼鏡の笑顔がきらきらと輝いていた。基地では、なんとなく人を食った笑みを浮かべている准将殿だが、そうではなく、本当に夫と父親という一人の男性としての顔だと藍子には感じられた。


 そんな御園准将が、テーブルをセッティングしている妹夫妻へと、急に頭を下げた。


「瑠璃さん、篤志さん。ありがとうございました。息子と妻のわだかまりをご存じだったのかと……。フレンチ十和田の葉子さんと篠田さんが、うまく仲立ちをしてくださって。穏やかな母子の時間を少し、取り戻せたと思いました」


 チーム海人。いったいなにをするチームなのか、藍子はやっぱり気になる! 御園准将がそこまで『よかった。ありがとう。息子と妻のために――』と感謝されるほどのこと?? 妹と海人が決めたことはいったいなんなのか。しかもどうしたことか、御園准将の目が潤んでいるのを見てしまう。


「退屈するのではと瑠璃さんが心配されたけれど、私は大丈夫でしたよ。むしろついていって良かったです。素晴らしい瞬間に立ち合えました。……ちょっと、目頭熱くなって来ちゃって……」


 ほんとうにハンカチを取り出して、その瞬間を思い出すとまた泣いちゃうと言わんばかりに、御園准将が目元を抑えている。


「でも。あれなら、湊は退屈だったでしょうね。海人が『ほんとうに退屈になるよ。城戸家と一緒に観光しておいで』と、あちらへ入れたのも正解でしたね」


 瑠璃と篤志も、海人と母親の確執をすでに知っていたので『よかった』と笑みを浮かべている。もしかすると、妹夫妻はそこまで見越して『チーム分け』をしてくれたのかもしれないと、藍子はひっそりと思いつつ、やっぱり知らぬ振りを通す。

 そんな御園准将が、中庭でバーベキューのセッティングが始まっていることにも、目を輝かせた。


「おお。凄いな! 野外バーベキューと聞いていたけど、本格的だね!」


 本格的な野外キャンプ道具が出そろっていることを知って、嬉しそうに近づいてきてくれた。


「もしやこれが、ジンギスカンを焼くための鉄板かな」


 真ん中が盛り上がっている丸い天板。ジンギスカン鍋を見て御園准将が興奮し始める。


「そうです。焼き網の上に置いて、ここにラム肉と野菜を一緒にのせて焼きます」

「うわー、初めてだな。まえに札幌に来たときにランチでジンギスカンを食べたけれど、その時は鉄板皿で出てきただけだったんだ」

「ジンギスカンも道内の地域でそれぞれの食べ方がありますからね。今夜はこの鉄板も使いますし、皆様がお馴染みの網焼きBBQもしますから楽しんでください」

「それにしても、道具が素晴らしいね。大人数のキャンプBBQ並で、それを裁けそうなセッティング。これは妹さん夫妻の趣味かなにかかな」


 海人のお父さんが気さくに話しかけてきたので、瑠璃も最初は物怖じした様子だったが、すぐにいつもの明るさで答える。


「ロサ・ルゴサでも、夏だけBBQディナーを季節イベントとして開催することがあるんです。その時の道具です」

「いいねえ。ここで黄金に染まる美瑛の丘の夕日を見ながらのBBQということか。爽やかな北国の気候の中、外での食事は、またいい味わいになるだろうね」


 そんな御園准将が、まだ支度途中のBBQセッティングを、ざっとひと眺め。

 眼鏡の目線が一気に引き締まったのを藍子は見る。せっかく肩の力を抜いてくれていると思っていたのに、基地にいる准将の目に戻ってしまっている。

 片隅では、ユキナオと篤志が三人で固まって『あそこは城戸家、あそこは柳田夫妻――』と、バーべキューコンロ配置の確認を始めていた。


「篤志君。食材はどうなっているのかな」


 唐突に尋ねられて、篤志はきょとんとしていたが、海人の父親の顔つきを見てすぐに察したらしい。


「厨房で下ごしらえをしています。自宅キッチンで義母も」

「野菜をカットしたり、肉の仕分けかな。私も手伝うよ」

「いや、そんなお客様ですし」

「海人に料理を仕込んだのは私だし、はっきり言って、妻より作るしキッチンは『俺の城』なんだよね~。お父様の厨房のそばを通ったけれど、もういろいろ話を聞きたくてうずうずしちゃうぐらいだよ」


 忙しそうだったから遠慮したけれどと、御園准将がおどけた。


「隼人さんのメシ、どれも美味いんだよ。隼人さんがエプロンしたらプロだから、プロ!」

「海人のビーフカレーの師匠だもんな! 御園家の主夫なんだよ。しかもベテラン主夫!」


 ユキナオが囃し立てる声に、御園准将も『そうなんです』と得意げに胸を張る。

 それならばと、篤志が朝田家実家棟へと御園准将を案内してしまった。実家キッチンで、母と共に下ごしらえしてくれることに。


 だが。さすが隼人さん。藍子の母とテキパキを下ごしらえを終えたら、ぱっと外へと出てきて、今度はセッティングの『指揮』を始めたのだ。


「はい、ユキ。城戸家へ連絡をして、あとどれぐらいで帰宅できるか聞いてくれ。それに合わせて火入れをするぞ。ナオ、『エリア分け』をして、野菜をそれぞれ取りやすいところに置くぞ。すぐそばには肉を置くスペースも確保だ。ミミル、その横にトングを置いてくれ。アイアイはグラスだ」


 軍人気質なもので、上官からの指令にはつい『ラジャー』と反応してしまう部下一行。

 ひとつの司令塔を得て、さっと動きだす軍人たち。いつの間にかBBQ指揮官が降臨して、瑠璃と篤志が驚いている。


「わ、御園パパ。凄いな。俺たちチーム瑠璃、助かります」

「准将ってこういうことなんですね。指示、的確!」


 隼人さんもハッと我に返ったようだった。


「あ、勝手に申し訳ないことを。いえ、やっぱり染みついているといいますか。部下を無駄なく動かしてしまいたくなったりしますね……」


 そんな手際の良い軍指揮官を見て、篤志がなにかを思いついたのか、御園准将をじっと見つめていた。


「あのですね、准将――」


 エプロンのポケットから折りたたんでいる紙を取り出し、それを広げて隼人さんに見せる。


「いまからですね、瑠璃がこのチームと、これをするんです。ちょっとここBBQ準備の手が足りなくなるんです。……お任せしてもよろしいですか」

「もちろん! 役に立てることならなんでも言いつけてください。息子がどれだけお世話になっていることか。父親としても、お手伝いさせてください。どれどれ、これからのスケジュールをちょっと拝見いたしますよ~」

「それで明日のこともですね……」

「ふんふん……」


 海人パパの手際を見てしまった篤志が、ついには頼りたくなってしまったようだった。

 御園准将もすっかりその気。スケジュールを眺める目つきがまた、基地でいる准将そのもの。パパの目ではない。


 准将という司令塔を得た現場、大人数のBBQディナーの準備は滞りなく進んでいく。

 時間的にも、ココちゃんチームと柳田夫妻も帰宅する頃。各チームが到着後、休憩三十分を挟んでディナーを開始する予定だった。


 そこへ、私服姿の篠田氏と葉子が中庭に姿を現した。


「朝田さん、僕たちもディナーのお手伝いをしますよー」


 朗らかな笑顔を絶やさない篠田氏が現れて、規律正しい軍人の現場だったようなその場が一気に和んだ。


 篠田氏と葉子は両手にワインボトルを持ってきていた。


「こちら、フレンチ十和田からの差し入れです。うちのソムリエのセレクトですよ。シャンパンもありまーす。お時間を教えてくだされば適温の準備しますんで」


 すらっとスリムで長身の男性なのに、よく通る声が響いた。

 だが準備をしている一行も『ソムリエセレクトのワイン』と聞いて、笑顔が揃う。

 特にユキナオが嬉しそうに飛び上がる。


「わー、ソムリエさんが選んでくれたって! 俺、そういうの初めて!」

「どんなのを、どうやって選んだのか知りたいです! このセットで合コンする予定なので! いいお酒の選び方も知りたいでっす!!」

「はい? 合コン??」


 篠田氏がきょとんとした。

 そこへ篤志が篠田氏に『お手伝いのご褒美を合コン用のBBQセットにしているんですよ』と耳打ちすると、彼も面白そうと目を光らせた。


「そこの双子パイロットちゃん! 承りましたよ! 富良野ワインでセレクトしちゃえばいいんだよね」

「そうです! 完璧な合コンをしたいんでっ」

「女の子が喜びそうなセレクトでオナシャスです!!」

「オッケー、オッケー。この篠田さんに任せなさい!! 君たちの恋のチャンスをフレンチの力で引き寄せちゃいましょう!! そういうの得意よ、得意!!」

 

 わ、凄い声が大きい人だなと藍子は一瞬目を瞑ってしまった。給仕をしている時は品が良く佇まいもスマートなメートル・ドテルだと思ったのに。ギャルソン制服を解除しちゃうと、すごく賑やかな男性! しかもユキナオの騒々しさに負けていなくて、逆に一人で押し返しているのが凄い。

 篠田氏はそう叫んだ後、また厨房へと戻ってしまった。

 元気な篠田氏とは対照的に、妻の葉子は表情も静かでクスクス笑っているだけだった。

 どうなるのかなと藍子も黙って眺めていると、篠田氏が男性をひとり、厨房勝手口から中庭へと引っ張って連れてきた。


 ランチの時に給仕をしていたスタッフの一人を連れてきた。

 そちらの男性はまだギャルソン制服のまま。戸惑いながら、篠田氏のそばに並ばされている。


「こちら。フレンチ十和田のソムリエ、西園寺君です」

「西園寺です。よろしくお願いいたします」


 エミリオに負けず劣らず美形の男性だった。だが表情が硬い。そのぶん崇高な雰囲気を纏っている。真摯な仕事が信条と窺えるものだった。


「西園寺君、あちらが双子のパイロットちゃん。城戸雅之君に城戸雅直君、だったよね。だからユキナオ君と呼ばれているのかな」

「すっご。俺たちの名前、覚えてくれているだなんて」

「俺たち、ユキナオで済まされてばっかなのに!」

「それはもう。明日、サービスを担当させていただくお客様ですからね。で、西園寺君。あちらの双子ちゃんがね……」


 篠田氏がソムリエの彼に事情を伝えると、西園寺氏の目が真っ直ぐ双子へを向けられた。


「かしこまりました。食材にする肉と野菜、メニューに合わせ、ワインも富良野で揃えること。かつ女性向けを考慮すること、ということで、よろしいでしょうか。できれば開催する季節も教えてください。温度も関係しますので」

「は、はい! 季節は……南の島なので、だいたい春ぽい気温が多いです」

「準備の仕方も教えてください!」

「わかりました。葉子さん、アルコールの準備は教えられますよね」

「はい。チーフ」

「あ、ちなみに妻の葉子ちゃんは、ソムリエ修行中です。西園寺君は直属の上司になるんです。ソムリエの先生ってところですね。ということで、アルコールの準備は僕と葉子でしますね」

「そういうことなら、給仕長。資料を作成して、メールなどでファイルを送る手はずを整えますので、城戸様の連絡先をあとで教えてください」

「了解、了解。そんじゃ、一足先に、甲斐さんと神楽君と宿に帰っていていいよ」


 フレンチ十和田のスタッフは、近所のペンションに宿を取ってくれていた。

 今日は篠田氏と葉子が手伝いに残り、他の男性三名のスタッフは、今日はもう宿に戻るとのことだった。


 バーベキューの支度が終わるころ、美瑛の丘に日が暮れていく。

 そんな夕暮れの中、城戸家『ココちゃんチーム』が帰ってくる。大きなワゴン車が庭先に駐車を終えた途端にドアが開き、またもや男子キッズが『ただいまー』と飛び出してきた。


「わ、すげえ。バーベキューの準備できてる!!」

「椅子もいっぱい!! どこに座っていいのかな」

「おい、こら。すぐに走らない!」


 キッズの後ろからはすぐに城戸准将が慌てるようにして降り、息子達が走り出しそうなところを襟首掴んで止めている。

 お兄ちゃんたちが降りた後に、心美がちょこんと姿を現す。でかけた時と、出で立ちが変わっていた。お気に入りの小さなリュックに、たくさんのラベンダーをさして背負っていたのだ。

 その様は、まさにお花畑から帰ってきた妖精のようだった。


 小さな彼女の後ろには、いつもの『護衛さん』フランク中佐もラベンダーの花束を抱えて降りてくる。行方をくらましていたはずだし、でかけるときは城戸家のワゴン車には乗車してもいなかったのに、いつのまにか合流して一緒にいる。


 夕暮れの陽射しに柔らかに煌めくブロンドのおじ様と、黒髪のラベンダー妖精ちゃんといった感じで、藍子はもうそれだけで感動。『かわいい!』と思わず声に出ていた。

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