13.ユキナオ、頑張る
小笠原の招待客がそれぞれでかけたので、朝田家の実家は静かだった。
父は厨房で明日の支度に勤しみ、母も瑠璃と一緒に買い物へ。その買い物も篤志の運転ででかけ、瑠璃のチームに配属されたユキナオ君たちも連れて行かれた。
荷ほどきを終えると、エミリオがベッドに腰をかけて、明日のスケジュールを真顔で眺めている。
その顔と来たら。やっぱり戸塚少佐の顔つきだったので、藍子はちょっと笑ってしまった。
「なんだよ。藍子」
「だって。また戸塚少佐の顔なんだもの」
「あ、いや……。なんだろうな。明日もある意味、俺たちの大事なミッションだよな」
「確かに。そういう意味では、私とエミルは『チーム クイン』だね」
「お、いいな。よし、俺たちは『チーム クイン』だ。結局、俺たちはミッションを命じられて、本気になる体質なのかもな」
やっと彼が緊張が解けた笑顔を見せてくれ、藍子もほっとする。
エミリオが座っているベッドに、藍子も一緒に並んで腰をかけた。彼が手元で眺めているプリントを藍子も覗く。
「明日のスケジュール?」
「そうだ。朝の六時から藍子の着付け、八時にラベンダー畑で撮影、十一時に教会で挙式。十二時半から披露宴だな。忙しいぞ。頭に叩き込んでイメージトレーニングを……」
「だから、それ! イメトレしちゃう感覚がクインになっているんだって」
「あ、なるほど」
「そろそろ皆も帰ってくるころだけど、ちょっと息抜きに散歩してみる?」
『いいな、行こう』と彼がやっとスケジュール表を手放した。
冬ならば外出する時は天候に服装に気を使うところだが、夏なので身軽に外に出られる。
だが藍子の帰省部屋を出た途端だった。目の前を、ユキナオの双子が通り過ぎていったのだ。『え、実家宅に双子君がいる!』と、藍子はギョッとした。
ふたりもちょうど通り過ぎるところで、藍子とエミリオに遭遇してギョッとしている。
「あ、准尉のご実家にお邪魔しております」
「お邪魔しております」
二人がいつものクセで藍子に向かって敬礼をしたから、よけいに呆気にとられる。
二人の片手には、レモネードのグラスがあった。
「ユキ君、ナオ君。ちゃんとお母さんからもらえた? 早く来てよ。時間ないよ!」
おなじ二階の奥から瑠璃の声が響いた。
奥は妹夫妻の部屋がいくつかある。ふたりの寝室に、書斎部屋に、若夫妻用のリビングルーム。そのリビングにしている部屋から瑠璃が顔を出していた。
「あ、お姉ちゃん。どこかでかけるの?」
「うん。エミルと農道を散歩しようと思って」
「夕食には帰ってきてよ。ユキナオ君、早く早く」
瑠璃に急かされ、ユキナオ君たちが慌てるように藍子の前を通り過ぎようとしている。
「ユキ君、ナオ君。うちの妹が無理を言ったりしていない?」
ふたりがこれまた揃って慌てた顔を見せた。『やっぱり無理させられているのかな』と藍子は案じたが、妹がそんな無茶をするとも考えられない。だが、どうも瑠璃はユキナオ君たちに妙に用事を言いつけまくっているような? 彼らが突飛な行動をしないように見張るのが狙いだとわかってはいるが、だった。
「藍子さん。大丈夫っすよ。俺たち、このミッションが終わったら、ご褒美があるんです」
「ご褒美……? 瑠璃から?」
「そうっす。俺たち、それめちゃくちゃ欲しいんで、だから頑張ってます!」
大丈夫デッス! ふたり揃ってレモネード片手にそそくさと去って行く。
ユキナオの二人が妹夫妻のリビングルームに入ると、そのドアが固く閉ざされた。
「瑠璃ちゃん、うまくコントロールしてるな。いまのところ、アクシデントなしだな」
「親友の海人も、叔父様の雅臣さんも、叔母様の心優さんもいないのに凄いね」
大丈夫そうだねと笑い合いながら階段を降りていると、今度は母親の真穂とすれ違う。
母は大きなトレイを抱えていた。そこにはカットメロンが盛られたひと皿が。
「ユキナオ君たちのおやつよ。うんとお手伝いしてくれているからね。ホールでランチに出していたメロンは、小さい子優先で遠慮していたみたいだから、ちょっとしか味わっていなかったみたい。ちゃんと気遣いできるお兄さんたちじゃない。聞いていた話と違うんだけれど。私のお手製レモネード、おいしい、おいしいって褒めてくれて、おかわりに来てくれていたのよ。エリートパイロットなのに、エミル君とイメージ違って、大きな身体だけどかわいいのね」
すでに母が双子パイロットにメロメロになっていて藍子も驚く。
でも。そう、あの双子君たちは、そんなところあると納得もできる。それでも、まさかの実家の母の心をすぐに掴んじゃうとか思いもしなかった。
「お母さん。瑠璃が無理に手伝わせたりしていない? 城戸准将の甥っ子さんたちでもあるから」
「ううん。瑠璃がお願いしたこと、キビキビとこなしてくれて、お母さんも買い出し助かっちゃった。もう、篤志君とも仲良くなっているみたいだし。いまお部屋でしていることも、ユキナオちゃんがいないと仕上げられないことなのよ。あ、……これ以上はお母さんもなにか言っちゃいそうだから。ここまでね。お散歩に行くの? いってらっしゃい」
母にもスパッと切られ、やっぱり新郎新婦の二人は当日まで蚊帳の外に置かれてしまうらしい。
もう今度こそ気にしないと、エミリオと一緒に農道への散歩へと外へ出た。
丘の上にある実家から見渡す夏のパッチワークは、緑と土色。夕方になってもまだ日が高い季節だけれど、強い西日は黄金色に美瑛の丘を染め始めた。
徒歩でゆっくりと美瑛実家のまわりを歩くのは初めてだと、エミリオも楽しそうだった。
いつも基地では二人とも制服にフライトスーツ。特にエミリオは気高い面持ちを保ち、常に空を見据えて気を抜かないファイターパイロット。もちろん藍子もフライト業務は常に安全第一を保つために気を張っている。
でも、いまは。ラフな普段着で、常に朗らかに微笑んでいる。表情も普段着のエミルだった。ふたり肩を寄せ合い、ゆったり農道を歩いている。
いつの間にかお互いの手は繋がれて、エミリオがぎゅっと握りしめて藍子を離さない。
「明日は、藍子のお祖母ちゃんも来るんだろ」
「うん。札幌から、従姉と伯母さん夫妻も一緒に来てくれるの。お母さん側の親戚ね。あとの親戚は遠くに住んでいるからなかなか来られなくて。エミルのご親戚ももっと呼べたら良かったんだけど」
「こちらも、俺たちの日程に合わせることができなかったのと、北海道はやっぱり遠いこともあったからな。しかたがない。宿の確保も難しい時期だろ。それもあって、最初から両家家族だけの式にすれば、親戚も気兼ねないとは思っていたんだ。それでも駆けつけてくれるなら、嬉しいよな」
「お父さんが、冬の休暇に顔合わせの食事会をしようと言ってるの。ほんとうはみんな、エミリオに会ってみたいらしいんだよね。金髪のハーフで海軍のファイターパイロットというだけで、もう大騒ぎらしくて」
「そうか。俺もご親戚には、きちんと会っておきたいよ。俺の親戚はアメリカにもいるからな。戸塚側の親戚はまたの休暇だな」
エミリオの母親エレーヌの兄妹はアメリカにいる。ハーフであるエミリオと家族になることで、藍子は海外にも親族ができることになる。特にエレンママの兄はエミリオに似ているらしいので、いつか必ず会いたい人になっている。
「ライアン伯父さんも藍子に会いたがっていたよ。女性パイロットだなんて凄いなと、いつも言ってる。父方の叔母もだよ」
「機会を逃さずに、ご挨拶いかないとね」
「まあ、親戚一同、俺が任務で留守が多いことを知っているから急がなくても大丈夫だよ」
夕の陽射しが、さらにエミリオのブロンドの髪を輝かせる。もっと奥まで澄んでいく翠の瞳に、ずっと藍子が映っている。そこに映る自分も、幸せそうに微笑んでいるのがわかる。
二人揃ってロサ・ルゴサの中庭に戻ると、今度は瑠璃チームの四人がバーベキューのセッティングを始めていた。
グリルを組み立て、人数分の椅子を揃え――とテキパキと作業をしている。
「ただいま。瑠璃。私たちも手伝おうか」
「篤志、俺もできることあったら手伝うぞ」
二人揃って声をかけると、エプロンをしている妹と義弟が帰宅に気がついてくれる。
「ダメダメ。明日の主役は、のんびりゆったりしていて。火傷とかしたら大変。もう、お姉ちゃんは上げ膳据え膳のお姫様でいてちょうだい」
「そうだよ。義兄さんも任務から帰ったばかりなんだから。ゆっくりしていてよ」
「いや。そこのユキナオも、俺と一緒の任務で帰還したばかりなんだけどな」
『その理屈なら、毎日一緒にいる後輩も、ゆっくりすべきでは』と、エミリオが生真面目に返した。だが双子はまたもや揃ってキリッと整列して、エミリオへと敬礼をしてくる。
「大丈夫です! 戸塚少佐」
「これは俺たちに必要なミッションなんです! 俺たちが希望してやっているんです!」
あまりに聞き分けがいい双子に違和感があったのか、エミリオが眉をひそめた。
「んん? なんかおかしいな。よっぽどオイシイご褒美を瑠璃ちゃんと篤志からもらえる約束なんだな。『信念』があると、おまえたち、脇目もふらない状態になるから、目標のために無駄なく冷静に動ける質だもんな。今回もよっぽどの信念があると見た。なんだ、それは」
またもやふたりがギクッとした顔を揃え、上官であるエミリオから視線を逸らした。
そんな軍隊の空気を醸し出す上官下官の様子を見ていたせいか、まさかの瑠璃が慌てて間に入ってきた。
「エミル兄さん。双子ちゃんたち、しっかりやってくれているの。ほんとうに、いろいろしてくれたの。私より、功労者なの」
「いや、瑠璃ちゃん。別に怒ろうとしているわけではないんだよ。ほんっとに、思わぬ騒動を起こしたりするから、いつもは柳田中佐とキツい監視を心がけているし、ほんっとにびっくりするぐらいに、子供っぽいことを思いついて実行したりするから油断できないだけなんだよ」
「でも! 要領も心得ているし、お願いしたことは間違いなく遂行してくれたの。やっぱりエリートなんだなって感じられたもの」
「それならまったく問題はないのだなと、上官としても安心はするけどな。珍しいなと感心しているんだよ」
瑠璃ちゃん、凄いな――とエミリオがますます感心している。
だが、そこで双子が規律正しい姿勢を解いて、いきなり『むふふ』と意味深な笑みを揃って浮かべた。
「少佐。このバーベキューセット、このミッションが終わったら譲ってもらえるんですよ~。ロサ・ルゴサさんでは新調されるとかで、こちらをお古でもらえることになったんです」
「……それが、ご褒美なのか?」
「あとA5ランクの富良野牛のステーキ肉セットとか、」
「富良野ワインとか、富良野メロンとか、美瑛のお野菜セットも、希望する時に小笠原に送ってくれるっていうのが褒美なんですよ」
なんと。『富良野・美瑛おいしいものセット』で釣ったのかと、藍子も眉をひそめた。食い気? 食い気だけで釣れるのかと。だがユキナオ君たちの目的はそれだけではなかった。
「そうか。おいしいもの一式がご褒美なんだな」
「いえ、少佐違いますよ。これらはですね、俺たちの『合コンセット』なんっすよ」
「俺たちが合コンを主催するときに、富良野美瑛BBQセットとして食材もどーんと送ってくれるご褒美です」
「んで! 女の子たちに、超超ご馳走BBQコンパするぞと呼びかけて、めっっっちゃ集まってもらう作戦です!!!」
「……そ、そうか。ご、合コンセット……なのか」
あのエミリオが力説する双子に気圧され、引きつった笑みをなんとか浮かべている。藍子もなんとなく……納得した。小笠原でユキナオ主催の『ご馳走BBQ合コン』をして、なんとか女の子を集めることを夢見て一生懸命に手伝っていたのかと、すとんと腑に落ちた。
「あ、戸塚少佐は俺たちの苦労わからないっすよね!」
「なんたって。美しすぎるパイロットですもんね。合コンとかしなくても、女の子が寄ってきますもんね!」
「はあ? 寄ってこられても相手なんかしなかったぞ」
「うわー、贅沢、贅沢!!! 女性パイロットで美人で有名だった藍子さんを射止めただけありますよね! 俺、藍子さん、狙っていたのに~。あー、目の前で『恋人だ付き合っている』って言われたあの日のこと、忘れていないっすよ。俺!!!」
「おい、ユキ。俺は藍子が美人だから好きになったわけじゃないぞ。それにおまえたちだって、若手パイロットナンバーワンの双子じゃないか。将来有望で女の子たちだって、寄ってきているじゃないか」
「でも! 少佐が愛しているって告白した時、藍子さんは喜んでくれたんでしょ!」
「いや、そうだけどな……」
「俺とユキは、いざとなったら『なんだか違う』って言われてばっかなんっすよ」
「ナオもなのか? そ、それはだな……。なんでだろうな……?」
なにげに雷神の先輩後輩で思い切った『男の会話』をしていると、藍子は目を瞠って聞き入っていた。あのエミリオが『藍子に愛していると言った時にどうしたこうした』と双子に勢いよく突っ込まれてタジタジしているのも珍しい!
おなじ飛行隊になってから随分馴染んでいることを、目の当たりにした気分だった。
それは瑠璃も篤志もおなじだったのか、海軍パイロットの男たちが『もてない、もてる。愛していると言った時どうのこうの』と人目も気にせずに話し出したことに、ぽかんとした顔をしていた。
だが瑠璃が急にニヤニヤとした笑みを浮かべはじめる。
「いいこと聞いちゃった! エミル兄さん、お姉ちゃんと付き合いだしたころ、ユキナオ君にそんな牽制していたんだ~」
「エミル義兄さんって、クールに見えて本当は情熱的だよな。藍ちゃんは異性には積極的ではなかったから、兄さんから押しに押して口説いたってことだろ」
「うわ、もう勘弁してくれよ。あれこれ必死だった俺のことを思い出してしまうだろ」
瑠璃と篤志に恋する男の姿を暴かれて、エミリオがまたたじろいでいる。
今度は双子たちがニヤニヤしていた。
「やっぱ俺もがんばろ。本気で好きになった女には押して押す。少佐を見習います。俺たち!」
「諦めずに、熱い思いの丈を彼女に叫びます!」
「いや、叫ぶまではしてないぞ。彼女の気持ちをよく考えてぶつけろよ。というか、おまえたち、ほんっっとに、この彼女でなくちゃだめだ、絶対に彼女と一緒になりたいと思える女性に出会ったことがあるのか? とにかく誰でもいいとかやっているんじゃないか?」
「なんすか。いま、めっちゃ惚気ましたよね。俺は藍子しか欲しくないから、全力で墜としにいったと聞こえるんすけど」
「さすが。サラマンダーだった男っすね。ロックオンまで完璧機動でキルコールっすもんね。外すわけがない」
もう、やめてくれ――と、ついに戸塚少佐が顔を赤くして、双子の攻めに陥落。
そんなクインを見られるだなんてと、藍子はついに笑い出してしまっていた。瑠璃も篤志もだった。
「よし。ユキナオ君たちが合コンで成功するように、美味しいものいっぱい送るからね。そのためにも、今日はおいしい調理の仕方も覚えていってね」
「そうだな。今日は火起こしに、道具の使い方も覚えような」
「はい、お願いします!」
「頑張ります!!」
まさかの『富良野美瑛BBQ合コンセット』がご褒美で、ユキナオ君テキパキ現象が起きているようだった。
「もしかして、俺たちってあれかな。叔父ちゃんがさ、ハンサムなわりには三枚目で、いっつも女の子からフラれていたっていっていたじゃん。俺たちもあのパターンなんか??」
「え、城戸家の血筋とか言い出すなよ。でも、心優ちゃんと出会えたじゃん。俺たちも諦めちゃだめだ!」
「叔父ちゃん、三枚目で恋にはヘタレ。心優ちゃんに一度フラれて全速力出し始めたんだもんな。やっぱ本気になったときの全力が大事ってことか!」
甥っ子だからって、あの城戸准将の若い時の苦労の恋バナなんかを平気で話し始めた双子たち。尊敬する上官のことだから、藍子は笑うことなんてできないから、聞かなかったふりをする。
「あ、あはは。まあ、だから本気で好きだと思った時に頑張れって」
エミリオも苦笑いを浮かべて聞き流していた。
でも。そうだよね。ユキナオ君が言うとおり、『いつか素敵な人に出会う』。藍子は最初から諦めていたから、よくわかる。その扉を開けてくれた人が、隣に――。
あなたの空に、私も明日から一緒に飛べるよね。きっと。
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