17.あなたから断って
ずっと一緒にやってきた相棒の、もっと言えるなら親友とも言えた男に邪魔だと思われるようになってしまった。
「じゃあ、祐也だけ行けば」
そんなつもりもなく、ペアで行かねばならないはずだとわかっているのに、破れかぶれで言ってしまう。
「そんなこと出来るわけないだろ。俺たち二人揃って選ばれたんだ。だから、考えたんだ。こうするのはどうだろう。一緒に小笠原に転属はする。でもペアを組み替えてもらうんだ」
これもまさかの申し入れだった。そして藍子がここ最近、ずっと胸に秘めていたこと。
あの時は保留だと言った祐也だったが、家族と一緒に転勤するために、彼もそこまで考えられるようになったようだった。
小笠原に一緒に転属はする、お互いにキャリアアップ出来る。でもペアは解消、他のペアと組み替えてもらう。これで妻の不満も解消できると考えたらしい。
「でも。同じ部隊に私がいるだけでも不満なんじゃないの、里奈さんは」
「だから。そこ、これから譲歩してもらうんだよ。今夜提案する。その前に俺たちも河原田部隊長にそれが出来るかどうか相談してみないか」
「駄目だよ。ペアで合格したんだよ。ペアを組み替えるなんて簡単にできないよ。どこかの相棒を別れさせるかもしれないし、不慣れな新人をつけられたら、あちらが望んでいる経験あるジェイブルーペアという条件ではなくなってしまうんだよ」
「だったらどうするんだよっ。おまえだってペアを解消しようと言い出したくせに。俺じゃないパイロットと組んでも良くなったということだろ!」
焦っているのか祐也が、周りには悟られないよう憤った。
「それは小笠原でエリミネートになった時のことでしょう。思わぬ合格とキャリアアップの異動がペアで来たんだよ。ペアを解消するなんて断るみたいなものだよ」
「だったら、他に方法はあるのか。二人一緒に円満に行く方法だ」
藍子の頭の中は『ない』、あるなら妻に了承してもらって欲しいだったが、きっと祐也の頭の中はペア解消なのだろう。
それってもう祐也も『藍子とのペアはお終い』でもいいと思えるようになったということ。
「私は反対。もしペア解消になるなら小笠原の話は撤回されると思ってる。それでもいいなら、部隊長に相談してみたらいいじゃない」
「わかった。ランチを終えたら一緒に行こう」
ああ、もう。この話は駄目かもしれない。残念だけれど、藍子はどっちに転んでもいいよう覚悟を決めた。
「ペアを組み替えての転属にして欲しいだと?」
当然の如く、ジェイブルー105ペアの妙な相談に、河原田中佐も眉をひそめている。
だけれど、そこで中佐はじっと黙り込んでなにかを考えていた。
「カープ。もしかして奥さんが反対をしているのか」
「いえ……、夫である自分のキャリアアップだと知って、離島へ行く気持ちもあるようです。ですが離島でどう生活できるかは案じています」
「だったら。ペアを組み替える必要はないだろう。なにが理由で組み替えたいんだ」
「アイアイとも長く組んできたので、新天地で新しい相棒という新環境でのレベルアップがあってもいいのではないかと思っただけです」
またじっと中佐は祐也を見ていた。
「わかった。俺のところでその話を預かっておく」
頭ごなしに却下はされなかったので藍子は驚き、祐也も安堵の微笑み。
だが河原田中佐は、そんな祐也を冷めた目で見ているように藍子には見える。
藍子はふと一抹の不安を覚えた。河原田中佐がすんなり受け取ってくれたが、あの質問の仕方。祐也には聞いたけれど、藍子にはなにも聞かなかった。しかも祐也への問いは『家族の反応』だった。
そして奥さんが反対しているかどうかを選んで聞いていた。そこが気になる。だから藍子からも聞いてみる。
「中佐。もし、小笠原がペアの組み替えは出来ないと返答してきた場合、私と斉藤は一緒に転属しなければいけないということなのですよね。ペアで合格したのだから、ペアで行くのが妥当ですよね」
「もちろん、ペアで行くのがベストだ。だからこそ、ペアで研修に呼ばれたことをよく考えて欲しい。ただ組み替える意志があることはわかった」
だがそこで、河原田中佐が藍子を見てふと笑った。
「なんだ。アイアイは行くつもりなんだな。もう気持ちが決まっているじゃないか。カープと一緒に転属しなければならないと気にしているということは、行きたいということだろう」
「いえ、まだはっきりと心が決まったわけではありません」
「いや、よくわかった。あとは、カープの家族だな」
そこは河原田中佐は微笑みながらも、ふっと溜め息を吐いて見せた。
祐也がかえって青ざめていた。あとはおまえが妻を説得すればいい話と中佐は思っているのだと、祐也には感じられたのだろう。
「斉藤。そろそろ妻にも理解させなくてはいけないのでは。軍人と結婚した以上、妻にもその役割を担うことは否めない。夫の業務に不満があっても、任務に口は挟めない立場であることを教えておくべきだ。そして後は夫と妻で話し合うこと。どちらが不満でも、この仕事を続けていくなら折り合いを付けていくべきだ」
初めて、上官が妻について言及してきた。やはりなんとなく知られているのだと藍子は確信した。上官にも噂と状況はその耳に及んでいた。
もう祐也は唇を震わせていた。上官に妻のことをこんなふうにはっきりと釘を刺されるとは思わなかったのだろう。
―◆・◆・◆・◆・◆―
それから数日がまた経った。あれから祐也は無口になり表情が堅くなった。
お互いにプライベートのことは関わらないことになったので、夫と妻の間でどのような話し合いがされているのか全くわからなかった。
その日の業務を終えた。この日のシフトは午後の昼下がりで終了。そのまま帰宅する。
制服に着替え、官舎へ帰宅する。藍子が住まう棟に到着。部屋がある階段へと辿り着いた時だった。
「やっと帰ってきたか。藍子。待っていたぞ」
登ろうとした階段口、集合ポストの前にエミリオ戸塚少佐がいる。
「えっ、ど、どうして!?」
「会いに来たに決まってんだろ」
濃紺のシンプルなシャツに白いデニムパンツ、杢グレーのニットコートを羽織っているお洒落な彼がにっこりと微笑んでいる。
「正午の便で岩国に来ていたんだよ。プライベートだから岩国の誰にも挨拶をせず、そこらを散策してから藍子の部屋を探しに来た」
「だ、だから、な、なんで」
ひと晩だけの関係だったはず? もうあの朝で元のカケスと火蜥蜴に戻ったはず? 藍子は動転していた。
「ま、なんか予感がしてな」
藍子はドキリとする。予感? なんの予感。もしかしていま藍子に起きているごたごたを知っていて来た?
そう感じた時だった。
「その人、誰」
後ろからそんな声が聞こえてきて、藍子は振り返る。
「その人、藍子さんのなんなの」
祐也の妻、里奈だった。イマドキの若奥様らしいワンピース姿で、藍子のことも、そばにいる少佐も睨んでいる。
「小笠原の、先輩よ」
つい躊躇いがちに戸塚少佐を紹介してしまう。いまもその関係で間違いない。
だが里奈の表情が一変した。
「小笠原の人がどうして藍子さんに会いに来てるの!? もしかして転属のこと、こっそり相談して自分だけ行く気!?」
どうやら藍子がなんとかして小笠原に行こうとするために先輩を呼び寄せたと思いこんだらしい。
「違うわよ。里奈さん。私一人だけで行くなんてことは、」
しないから――と言おうとして、そうだ彼女は祐也と藍子を解体させた状態で行かせたかったんだと思いだし口をつぐんだ。
そして里奈が藍子を睨みながら言った。
「あなたから断ってよ。小笠原転属の話」
やっぱり、絶対に近寄ってこない藍子に会いに来るだなんて、そのことしかない。
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