47.クイン、滑ります!

 少し吹雪くぐらい当たり前。エミリオの心配は杞憂に終わる。

 翌日も朝は青空で、美瑛の景色は輝いていた。


「きゃーー! なに、エミル兄さんったら、ほんとなにを着てもかっこいいの!!」


 買ったばかりのスキーウェアを着込んで、集合場所になっているリビングへ行くと、待っていた瑠璃がまた快活な声で出迎えてくれる。

 黒とグレーのバイカラーというシンプルなスキーウェアだったが、金髪がとっても映える素敵――と瑠璃がまたスマートフォンでエミリオを撮影している。


「もう~、私もエミル兄さんのフライトスーツ姿、見てみたいよ!」

「それなら、篤志と一緒に航空祭でも来たらいい。今度はそんな広報もする飛行隊だから、千歳にも来ると思う」

「ほんとにー! ぜーーーったいに行く! 声かけちゃう。私、妹って叫ぶ!」


 ほんとうに藍子とは正反対で明るい子だなと、エミリオも明るい気持ちにさせてもらえるのだが、びっくりの連続でもあった。


「その時は家族証を申請してやるから、俺と話す時間ももらえると思う。俺も待っているから、おいで」


 そのうちに海人と藍子もいろいろと話し合いながらスキーウェアでリビングにやってきた。

 いつも仕事で一緒のせいか、なにかをする度に確認しあうのはプライベートでも一緒なんだなとエミリオも微笑ましく眺めている。


「きゃーー、海人も素敵!! うちにモデル級のパイロットメンズがふたりも!!」


 海人は水色と黒色が柄模様になっているウェアだったが、さすが御園、水色が栗毛によく合っている。海人らしい爽やかさだった。

 藍子は女性らしくラベンダー色のジャケットにグレーのビブパンツ、いつもヘルメットを被っている彼女がかわいらしいニット帽も被っていたので、今度はエミリオがスマートフォンを構えてしまった。


「やだ、エミル。撮らないでよ」

「いつもジェイブルーのフライトスーツでキリッとしている藍子が、そんな女性らしい優しい色を着ているのは珍しいと思うぞ」

「そういうエミルだって。ちょっとゴーグルしてみてよ」


 言われて、昨日買ったばかりでお気に入りになった黒いシールドのゴーグルをブロンドの頭に装着する。


「えーーー、もう、兄さんったらいちいちかっこいい。なんなのもう!!!」


 目の前で瑠璃がまた声をあげて、今度は姉妹で並んでエミリオを撮影している。


「俺も撮っておこうっと」

「海人は海曹連中に俺のプライベートショットを回覧するの禁止だぞ」

「いえいえ。心美に届けてあげようと思って」


 南の島にいるかわいい親友の名を聞いて、エミリオは我に返る。


「それなら、私も送信しているわよ。園田少佐と連絡取り合っているから」

「わ、藍子さんいつのまに!」

「それって、フラワーガールをしてくれる女の子なんでしょ! 兄さんのことミミって呼ぶんでしょ。かわいいー。送っちゃおう送っちゃおう」


 姉妹と海人でワイワイしているばかりで、あまりにも楽しそうなので、エミリオも諦める。

 もう俺のプライベートショットが、海人経由で双子に回って若い連中に見られたり、園田少佐から葉月さんやら隼人さんやら、夫の雅臣さんとかに見られてもいいことにした。


『ミミ! ココもいっしょにスキーしたい!』

 ふとそんな声が聞こえた気がして、エミリオは微笑む。

 いつか彼女にもこの雪原の世界を見せてあげたいなと思ってしまった。


「集合完了かな。準備もOKのようだね。さあ、行こうか」


 こちらもスキーウェアできめた篤志の登場で、義妹夫妻と共に、ゲレンデへと出発する。


 


 そのゲレンデに到着。幸いにこの日も青空が広がり、太陽の光で真っ白な雪が眩しいくらいだった。

 篤志と瑠璃がレンタルですべての装具を揃えてくれ、レストハウスのロッカールームでスキーブーツから履き替える。


「藍ちゃんと海人は経験者だから大丈夫だよな」


 篤志の指示で『経験者はそっちで準備、初めての兄さんは俺とこっち』とそれとなく引き離してくれた。

 経験者の二人のそばには既に瑠璃が付き添っていて『海人はいつが初めてだったの?』『ジュニアスクールの三年生ぐらいかな』と、いつもの調子で明るく話しかけて盛り上げてる。


「兄さん、サイズ大丈夫かな」


 篤志の言われたとおりに履き替えたが、履き心地が初めてでよくわからない。


「足首が緩いと危ないから、がっちりと固めておくぐらいがいいんだ。歩きにくいけれど頑張って」


 篤志が経験者組へとちらりと視線を向ける。瑠璃と視線があって、夫婦でアイコンタクトを交わしたのがエミリオにもわかった。


「海人、私と勝負しよっ。私とお姉ちゃん、学校でもスキー上手い組だったの。お姉ちゃんとも競争しよ。負けないよ」

「俺だって負けませんよ~。あの母親仕込みですからね。あの人、めっちゃ運動神経良すぎて、理系畑の父が『俺はもうおまえとはゲレンデに行かないっ』と泣き言を言ったぐらいですからっ」


 これまた、基地ではあり得ないお二人のエピソードが出てきて、エミリオも藍子もぎょっとしていた。


「じゃあ、海人は、お母様……、御園少将から直々に教わったの?」

「はい。あの人、海兵隊みたいな訓練も受けているんで、ああいうのは男並みというか……。海に潜るのも上手いし、子供のころ、すげえ長く潜っているなと思ったら、海中から貝殻とか拾ってきたりするんですよー」


『あの人』と言う割には『俺の母親、こんなところスゲー。子供のころのこんな思い出がある!』とハキハキと話す海人を見て、エミリオは安心する。軍人に囲まれている時より、ずっとリラックスしているようだった。


「海人のママさんってパイロットだったんでしょ……。なんか凄いね。そんなお母様に教わったんだね。でも、私は道産子だから、負けない。お姉ちゃんにも負けないからね!!」

「はいはい。瑠璃にはいつも勝負を持ちかけられるんだから」

「エミル兄さんは篤志君が準備してくれるから、ひとまず、一滑りしてこようよ。行こう!! ね、行こうよ。お姉ちゃん」


 元気な妹に圧されると、やっぱり姉の藍子は弱くなるようだった。

 その気になった海人と妹には敵わない姉を、瑠璃がさっと引き連れていった。


「さすがでしょ。うちの奥さん」


 篤志の言葉に、エミリオも感嘆のひと息をつく。


「いや、瑠璃ちゃんがあんなに積極的な子だったなんてな。妹だからなのか? 藍子と似ているようで、まったく違って」

「でも。俺と出会ったときは、瑠璃も、エミル兄さんが藍ちゃんと出会った時のように、『私なんて……』というコンプレックスの塊だったんだ」


「そうなのか? あの明るさに篤志が惹かれたのかと思っていたんだが」


「もちろん。あの明るさを知ったからだよ。ほら、姉妹揃って身長があるだろ。瑠璃は札幌で派遣社員をしていて、俺が東京から札幌支社に出張で行くとそこにいたんだ。気が良く回る子で仕事もしっかりしていた。それに、お弁当がさ、手作りで綺麗で上等で。それ素人の弁当じゃないだろっていうのを作っていたんだよ。彼女が嫌がっていたのに、食べさせてくれーって無理矢理作らせちゃったのがキッカケかな。ま、よくある胃袋つかまれちゃったのと、青地父さんとロサ・ルゴサにも惚れちゃったんだよね」


 うわ、俺と一緒かもしれない!! と、エミリオは義弟と恋をした過程が似ていて驚愕する。


「俺も胃袋がっつりだったぞ。もちろん、藍子の慎ましい雰囲気も気に入っていたんだが。それにお父さんにも惚れたし、ロサ・ルゴサという実家が出来てもう嬉しくて嬉しくて。長い航海をしていても、ここに帰省する楽しみが励みだったんだからな」


「エミル兄さんも! そうか~。瑠璃が俺を男として心を許してくれたのも、瑠璃より背丈があったせいもあるんだけど。瑠璃は大抵の日本男児とはそこそこ身長が並ぶだろ。藍ちゃんは軍隊にいるから、それでもまだ華奢に見えるだろうけど、一般社会だとあの身長は女子にはコンプレックスなんだよ。それを除けてあげるのに苦労したよ。いまは実家の手伝いをしているから、生き生きしているんだよ」


「なるほど。いや、藍子も付き合う前は自信がなさそうで、パイロットとしても優秀なのにそこが上官としてもどかしかったもんだよ。そうか……。瑠璃ちゃんもだったのか。じゃあ、いまは瑠璃ちゃんには良い環境なんだな。篤志が用意してげたようなものなのかもな」


「いや、俺も――。ロサ・ルゴサの経営に携わることになって、息が出来たような気持ちでいるよ。都会の競争社会に辟易していたんだ。俺もそういう性格だったんだよ」


 瑠璃の勢いに負けて、藍子がスキー板を履いているのがレストハウスのガラス窓の向こうに見えた。

 藍子がこちらを気にしていたが、男同士で語らっているとわかってくれたのか、そのまま手を振って妹と相棒と共にリフト乗り場へと向かっていく。


「二人きりになったから、俺も真っ向から聞くけれど。海人のこと。かなりのお坊ちゃんだろ。御園のこと、少し調べさせてもらった。東京時代の先輩や上司のツテがまだあるんだけれど……。いろいろな事業を持ってる実家なんだな」


「ああ……、うん。そうみたいだな。基地では皆がわかっていることだよ。だから、海人は軍隊の中では常に『御園の子息』として気を張っている。しかも両親が上層部の将官だろ。いまいる基地のトップが母親だ。つねに注目されている。美瑛を気に入ったのも、藍子についてくるのも、海人も軍隊の世界から離れて自分らしくいられるからだ」


「……御園葉月少将、お母様。辛いことがあったみたいで……」


 エミリオにブーツを履かせ終えた篤志が、自分のブーツを履きながら目線を落としてそっと呟いた。


「どこで、それを……」


「当時、取引先で気をつけるように言われていたらしくて――。新聞にも掲載されたけれど報道規制もそれなりにあったようで小さな記事で終わっていたらしい。軍の機密が絡むから、深入りするなときつく言われた。教えてくれたのは元上司で、当事者のご子息が俺のところと縁が出来たことで教えてくれたんだけれどね。その上司もロサ・ルゴサの常連になってくれたものだからいまも懇意にしてくれている」


 軍隊だけではなかった。様々な社会でそうして……タブーになっているとエミリオは初めて知る。


「瑠璃にもいちおう話している。藍ちゃんも、当然、知っているよな? まだ小笠原に来て一年経っていないけれどどうかな」

「夏に仕事を通じて知ることになったよ」

「だから瑠璃が、いつも以上に元気に振る舞っているんだ」


 ああ、そうなんだ。やっとエミリオにも腑に落ちた。初対面の時の第一印象より、妙に張り切っている気がしていたのだ。


「大丈夫だよ。兄さん。俺たちも、海人には日頃の窮屈さを忘れてほしいと願っているから。もともとロサ・ルゴサはそういう場所だよ」

「そうだな。俺もそうだ。なんだか俺は、ここに来たら役に立たない少佐になってしまうんだよな。さて、初スキー板を履いてみるかな」


 義弟も支度を終えたようなので、二人一緒にレストハウスを出て、スキー板を片肩に担いでゲレンデまで向かう。

 だが足首をがっちり固めるブーツが歩きにくい。

 これまた、よちよち歩きみたいになる。


「あはは。少佐、頑張って」

「ここで、少佐と言うなっ」


 歩き慣れている義弟の後を、元アグレッサーの男がゆっくり歩いてついていくはめに。

 やっとゲレンデに到着。ほんとうに子供ばかりが滑っているエリアに連れてこられる。

 ゆるやかな丘になっている麓で、義弟がエミリオの足下にスキー板を並べてくれる。


「この金具、『ビンディング』とそのブーツががっちりと組み合う形になっているから、この金具の上に乗せるようにして踏み込むんだ」


 ストックを両手に持たされ、それを杖にするようにして、エミリオはついにスキー板の上へとブーツを乗せる。

 片足だけ強く踏み込むと『ガチッ』と組み合う感覚があった。よし、もう片方もと同じくストックで支えながらスキー板の金具へとブーツを乗せ踏み込む。


「それで完了だよ。まず歩行してみよう。こう右左右左と雪面をこするように進んでみようか」


 隣であっというまに板を履いた篤志がその動作を見せてくれる。


「よし」

 右、左――とエミリオも板を滑らせるのだが。

「は……!? すごい、すべ……」

 想像していた以上に板が滑って、張り切った第一歩がすうっと前に行きすぎ大股開きなり、しかも戻せずに、ついにエミリオはそこで横へと倒れてしまった。


「おめでとう、クイン。初転びだね」

「ここで、タックネームで呼ぶなっ」


『金髪のおじさんが転んでる!』、『また外国の初めての人?』、なんて子供達の声まで聞こえてきた。


「ほんとうは、あの子たちの未来と平和を護っている凄いパイロットとは知らず――だね。でも、おじさん、すぐにあのてっぺんから滑れるようになるから、兄さん頑張ろう」


 ああ、瑠璃ちゃんと篤志に感謝するよ――と、気高いクイン、北国の洗礼をきちんと受けましたとエミリオはため息をついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る