48.バンビ入隊

 初心者用の緩やかなゲレンデに到着。

 まぶしく輝く白い斜面には、子供がたくさんいる……。

 大人もいるが、子供に付き添って教えている親のようだった。

 そしてエミリオは、初心者用ゲレンデの入り口にある看板を見てぎょっとする。


「バンビ……ゲレンデ?」

「まあ、子供が多いからね。かわいい子供らしい名前を付けているだけだよ」


 元サラマンダーで雷神の俺が、空では無敵の火蜥蜴の俺がいまは……『バンビ』!


「初心者だから、子供が多いってわけか」


 今日は子供に囲まれての訓練ということらしい。思わずため息をついた。


「兄さん、初めて飛行機に乗って操縦したのって、やっぱり浜松?」

「ああ、そうだよ。いま藍子が操縦しているような中等機で練習するんだ」

「その時のことを思い出してよ。どうだった?」


 エミリオは首を傾げる。戦闘機で上空に行くことが当たり前になってしまい、もう記憶の彼方だった。


「その様子だと、初飛行も緊張しなかったんだろうね。だったら大丈夫。エミル兄さんは今日の午後にはこのバンビのてっぺんから滑れるようになっているよ」

「もちろん。そのつもりだ」

「さすが。このまえまでアグレッサーだっただけある。気高い」


 篤志が笑った。ではこの斜面を少しのぼってみようというところから始まる。

 斜面に対して横向きになり、山側にエッジを傾け、カニ歩きのように斜面を登る。五メートルぐらいのところで、篤志が直滑降と、ハの字で最後にスピードを緩めるブレーキのやり方を教えてくれる。

 義弟のコーチでエミリオは低い位置からまっすぐ滑ることから始める。


「さすが、ファイターパイロット。感覚がいいってすぐわかるよ。やっぱり筋がいいね、エミル兄さん!」


 板を履いてすぐにすっ転んだが、篤志のわかりやすい説明とお手本滑りを見せてもらって、少しずつ慣れてきた。


「では、まっすぐが出来たから、次は左右にスラロームみたいに曲がる滑り方をしてみようか」


 直滑降と、ハの字で滑るボーゲンが出来たので、左右に交互に曲がる『プルークボーゲン』をしてみることになる。

 これもすぐに出来た。低い位置からの短距離で慣れたところで、篤志がついに告げる。


「板を揃えてのぼることも出来るようになったから、では、リフトに乗って、てっぺんから滑ってみようか」

「おう、やっとだな!」

「午前中でなんとかできそうだね。瑠璃たちを呼び戻してランチをしようか。午後はこのゲレンデでもう少し慣れて、目標は夕方までに、一度は、大人ゲレンデのてっぺんから滑れたらいいかなってかんじだね」

「よし。やるぞ」


 平地での前進も、スケートをするようにすいすいと前へ進めるようになった。

 さて。子供たちが列を成しているリフト乗り場へと、エミリオは篤志と向かう。

 目の前の列はスキー板を履いている子供たちと、大人が二名ほど付き添っていた。


 その男性と篤志の目線が合い、お互いが『あ』という顔になったのをエミリオは見る。


「朝田さん! 今日はお休みですか」

「こんにちは! 河合さんもですか」


 その男性が真後ろでわいわい騒いでいる子供たちを見下ろした。


「今日は小学校のスキー教室の日で、バンビスクールのコーチをしているから頼まれたんですよ」

「ええっ、スキーのコーチもされていたんですか」

「あはは、ウィンタースポーツの資格は一通り持っているんですよ。こうして初心者やキッズのスクールも承っているんです」


 篤志が驚き、エミリオに説明をしてくれる。


「スノーモービルのインストラクターさんなんだよ。今度、兄さんと海人と乗る日も河合さんに付き添いをお願いしているんだ」

「そうなのか!」


 それなら、俺も挨拶をしておこうと目を覆っているゴーグルを額にあげる。

 だが河合氏がエミリオを見てハッとしたように、篤志に尋ねる。


「も、もしかして。藍子さんの……!?」

「そう。俺と瑠璃の義理のお兄さんになる人」

「え、海軍の、戦闘機パイロットだったよね!?」


 その人の一声で、子供たちも急に驚きの目線をエミリオに集めてきた。


「おじさん。パイロットなの!?」

「海軍の!? 千歳にいる人??」

「え~!? どうして、バンビにいるの!?」

「おじさん、どこの人!? アメリカ!?」


 次々と飛んでくるので、さすがにエミリオもたじたじになる。

 しかもすぐ目の前にいる男の子に言われる。


「おじさん、滑れないの?」

 子供一同に『えーーー!?』というざわめきが広がった。


「うん……まだ上手く滑れないんだ。今日初めて板を履いたんだ。戦闘機より難しくて、おじさん、転びました」


 なのに子供たちは笑うどころか、河合コーチへと目線を向けた。


「コーチ、教えてあげられないの?」

「戦闘機より難しいって言ってるよ」


 いやいや、キッズスクールなのに、そんなところに一緒に入れるわけがない。事前申し込みも必要だろうし? と、エミリオはそんなことできるはずがないと思った。


「河合さん、よかったら義兄に教えていただけませんか。俺が教えるよりずっと的確だと思うんですよ。義兄さんもプロから教えてもらったほうがいいだろ? 料金は払いますので!」


 エミリオは篤志が言い出したことに、ひそかにぎょっとする。


「いや、篤志、それはコーチにも迷惑だろ……」


 河合コーチが、もうひとりの男性とひそひそと話し合っている。どうやらもう一人の男性は、この子達に引率している小学校の教師のようだった。


「かまいませんよ。この子たち、あと一回上から滑って昼食になるんです。あとで申込書などを書いていただければ、午後から一緒に。朝田さんのお義兄さんですから特別に……、いえ海軍のファイターパイロットのコーチができるなんて光栄だから!!」


 まさかの午後からはキッズスクール入りになってしまい、エミリオは絶句する。


「パイロットのおじさんもバンビスクールで教わるの!?」

「それなら一緒に行こう、行こう!」


 徐々にリフトの順番が回ってきて、子供たちがストックを持った手でエミリオをひっぱっていく。


「いや、だから、その、あのな、篤志――。俺は篤志に……」

「プロに教わったほうが、かっこよく滑れるようになるよ。兄さん」

「……かっこよく……」


 その言葉にエミリオは負けてしまった。


「パイロットのおじさん、上で待ってるよ!」


 小学校三年生ぐらいの子たちだろうか? エミリオよりはずっと上手に前に進んで、前を行く教師ひとりと、最後尾につくコーチに河合氏。子供たちを安全にリフトに乗せていく。


 河合コーチが先に乗って、次はいよいよ篤志とエミリオだった。初のスキー板を履いてのリフト搭乗。

 子供たちの様子を見ていたので、なんとかうまく、篤志と一緒に二人乗りのリフトに乗れた。


 青空に真っ白なゲレンデ。そして徐々にのぼっていく中、北海道の景色も見渡せた。


「晴れて良かったな、兄さん」

「うん、ほんとうに。そうか。スキー場はこんな綺麗なところなのだな」

「瑠璃と藍ちゃんが登っていったゲレンデは標高が一千メートルだから、もっと眺めがいいよ」

「あ~、俺も早く行きてぇ~、なのにバンビスクールってなんだよ」


 いつも落ち着いているエミリオが苦悶する様子を篤志が笑っている。


「でも、俺はそんなエミル兄さんを見られて嬉しいな。家族になった気がする。基地ではエリートの少佐でも、ここではスキーができないエミル兄さんで良かったなって。ごめん」


 そんなふうに言ってくれると、エミリオも笑顔になれる。


「そうだな。基地では気が抜けないが、ここならただの兄さんでいいな。兄弟がいないから、俺は弟が出来て嬉しいんだ」

「俺もだよ。まさかの戦闘機パイロットが兄貴になるなんて!」

「篤志は兄弟がいるんだろ」

「実家は兄貴がついているから、養子には入れたんだけどね。うちは千葉が実家なんだけれど、家族もロサ・ルゴサの大ファンなんだ」

「うちの両親もだよ。このまえ、親だけで挨拶に行ったときも、快く受け入れてくれてありがとうな。元気なパパママだっただろう」


 九月の末に、藤沢の両親がロサ・ルゴサに挨拶に出向いてくれた。その後に来た連絡も、いつもどおりに元気いっぱいで『すごかった、すごかった。素晴らしかった、グレート、グレート』と賑やかな電話が来たのをエミリオは思い出す。


「ほんっとに、エミルのお母さん、めちゃくちゃ美人だよな。そりゃあ、兄さんが美しすぎるパイロットと言われるはずだと、青地父さんと納得していたんだよ」

「まあ、母に似ているは否定しないが。うちの両親も、美瑛朝田家と親戚になれるだなんてと、おおはしゃぎだよ」

「そこのところはもう、青地父さんのおかげだよな」

「ほんとうだな。男としても尊敬している」

「俺も。エミル兄さんも青地父さんに惚れたと言ってくれて。やっぱりさ、仲良し姉妹が選んでくれた男同士で、俺と兄さんも似ているのかもしれないな」

「俺たちは、仲の良い義兄弟になろう」


 雪景色を楽しみながらのリフトで、義弟とも兄弟の誓いと拳をぶつけ合った。


「さて、そろそろバンビの頂上に到着。教えたように、タイミングを合わせてそっとそっと降りるんだ。ブレーキをかけながらのハの字滑りを忘れずに」


 篤志が『いちにのさん』と声をかけてくれるというので、エミリオも神経を集中させる。


『おじさんー』

 頂上でリフトを降りた子供たちが手を振ってくれていた。

 地面がある場所までリフトが到着。


「そろそろ行くよ。兄さん」

「ラジャー、篤志」

「いち、にの、さん!」


 篤志と一緒にリフトの椅子から腰を上げ、雪面にスキー板を降ろし着地! なのにエミリオはここで、またもや先に進みすぎる板に足を捕らわれ、後ろにひっくりかえり転倒してしまった。同時に、リフトががくんと安全のために停止する。


「リフト、初停止体験。おめでとう、クイン」

「あ~もう、空に帰りたい!!」


 しかも子供たちが『おじさん、転んだ!』、『リフト止めちゃった!』、『大丈夫!!?』とわらわらとスキー板をはいているのに集まってくる。


「なんで、君たちは転ばないんだ……」


 雪面に泣き崩れるパイロットのおじさんに、哀れむ目を向けてくる子供たち。

 午後は、この子たちのように俺も滑ってやるぞとエミリオは決意をする。



 ―◆・◆・◆・◆・◆―



 初のバンビ丘滑降は最悪だった。

 斜面下で短距離なら滑れるのに、真上から勾配がある斜面をずっと長く滑るということの難しさといったら……。


 転んで背中が滑ってそのまま数メートル滑落、板が外れて転倒、バランスを崩して転倒の繰り返しだった。

 その度に、かっこよく滑る篤志が転倒したエミリオのそばで、シャッと斜めに板を揃えて停止して助けてくれるの繰り返し。

 これはもう本当に、藍子にも海人にも瑠璃ちゃんにも見られたくなかったと、エミリオは痛感している。


 少しは滑れるのか、子供たちも、時折転びながらも、エミリオよりもさっさと行ってしまった。

 バンビゲレンデのいちばん下にやっとの思いで到着すると、子供たちがコーチと一緒に待っていた。


「おじさん、大丈夫?」

「お昼ごはんが終わったら一緒にがんばろう!」


 なんだか、かわいい励ましが心にしみてくるエミリオ……。雪まみれになったスキーウェアの滴を払って、ひと息ついた。


「では朝田さん、先にレストハウスで子供たちとランチを取っていますね。お申し込み待っています」

「妻と義姉が戻って来たら伺います」


 子供たちが手を振ってくれたので、エミリオも思わず手を振り替えしていた。


「瑠璃と連絡がついたよ。いま三往復目で中腹にいるらしい。あと少ししたらここに到着するよ」


 篤志と一緒に大人ゲレンデのリフト乗り場で待っていると、見覚えのある水色スキーウェアの男とラベンダー色のウェアの彼女が息が合ったように一緒に滑り降りてくるのが見えた。

 リフト乗り場の目の前で、水色の男がシュワッとパウダースノーを巻き上げながら、板を斜めに揃えてシュッと停止した。


「はあ! やっぱり北海道の雪、サイコー!!」


 海人がゴーグルをあげて嬉しそうな顔を見せる。

 少し遅れて、藍子と瑠璃の姉妹が、同じように雪をシュッと飛ばしながら綺麗なターンで停止。姉妹でも息が合っていた。藍子もゴーグルをあげて、エミリオを探している。


「藍ちゃん、ここだよ」


 篤志の手合図に気がついて、藍子が慌てるようにしてこちらにやってくる。その板裁き、さすが、北国育ちだった。


「エミル、どう?」

「どうもこうも。午後からキッズスクールに入隊することになった」

「え!? キッズスクール!?」


 その話は中でゆっくりしようということになり、ロサ・ルゴサチームもレストハウスへと向かう。


 板を外してレストハウスに入ると、子供たちがエミリオを見つけて『おじさーん』とまた手を振ってくれる。

 それを見て、藍子と海人が目を丸くしていた。

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