54.ロックオン


 彼が『男喰い』と呼ぶ、昔の恋人が夫と現れる。


 現れるなり、まるでここにいるはずだと確信していた彼を探して、エミリオを見つけた彼女が優美な笑みで手を振ってきた。



 エミリオと彼の相棒シルバーこと、柳田銀次少佐は、横須賀で女の悪行を知っているため、その眼差しは戦闘態勢。



「妻にも言ってある。あの女が近づいてきたら適当に流しておけと。ま、あの女のことだから、女性の輪は避けるだろう。こっちのことは任せておけ。では、俺は控える」


「ラジャー、シルバー」


 まるで仕事の打ち合わせを終えたようにして、エミリオと柳田少佐がすっと別れた。


 彼女が時々、こちらをちらちら見ている。あからさまな意識にエミリオが嫌悪感を抱いている空気が藍子にもひしひしと伝わってくる。


 それでもエミリオは落ち着いていた。


「あの女、どこまでわかってここに夫と来たのやら」


「どこまでわかっているかって?」


 よくわからなくて、藍子はただ不安になってくるだけ。そんな藍子を見てエミリオが急に申し訳なさそうに眼差しを伏せる。


「本当は今回のパーティーは藍子を誘うべきではなかった、なかったんだが……」


 ドレスを用意してくれていたのに、それを調子に乗ったと引っ込めてしまった彼のことを藍子は思い出す。


 一緒に行きたい、誘いたい、連れていって知り合いに正直に紹介したい。その気持ちもあっただろうに、でもこのパーティーでは御園が狙ったなにかにエミリオも協力していて使命があるともいいたそうだった。


「気にしないで、私だって軍人なんだから。エミルが私を本物として連れていきたいと言ってくれたこと、ほんとうに嬉しかった。自信を持って、もっと強い男を選べと言ってくれたことも……」


 エミリオが微笑んで藍子の腰を抱き寄せてくれる。そうすると本当に濃密な恋人の甘さが、二人の佇まいから漂う。しかもエミリオは藍子の耳元にいつものようにキスをする。


「そうだ。俺は藍子が選んだ強い男だ」


「もうやっぱりエミルらしい」


 藍子もだんだん慣れてきた。周りは日本人も多いが、アメリカ人が多いせいもあって、おなじように密着しているアメリカ夫妻も目につく。自分たちだけじゃない、ここはそういう恋人のやりとりもとけ込んで許されるところ。藍子とエミリオが密着していてもなんら気にせずに賑やかにパーティーを楽しんでいる。


 そうして嫌な気持ちも一時は忘れてしまうが、ふと気がつくと彼女がこちらを見ている。


 優美な笑みのままで、藍子はかえってゾッとした。藍子という恋人など見えていない、彼女が見据えて微笑んでいるのはエミリオだけ。彼しか見えていないような視線だけ。


 それでも夫に呼ばれ、彼女は無理矢理、二階へと連れて行かれた。


 そんな彼女を見て、藍子も決意する。


「私、強い男を選んだ女よ。もう、教えてエミル。私もパイロットの一員なんだから」


 女性として恋人として大事にしてくれることはよくわかった。でも藍子もパイロットに被害が出るようなことを聞いてしまったら、いくらプライベートで恋人として来ているからと言って知らぬふりなんて出来ない。


「しかし、あの女と藍子を接触させたくない」


 そう藍子は岩国ではエミリオが助けてくれないと、自分でなんとかすることが出来ない女だった。


「大丈夫。私は戸塚少佐の女で、ジェイブルーのパイロットなんだから」


 藍子がその時、どんな顔をしていたのかは自分ではわからない。でも、エミリオが少し驚いて、しばらく黙って躊躇っているようで。でも、やっと彼が背筋を伸ばし、藍子に向かってくれる。


「わかった。少佐として、准尉に話す」


 藍子が戸塚少佐と呼んでいる時の顔になる。


「そこらへんの小笠原隊員に理解ある妻たちはもう知っていて構えている。その空気と輪を乱さないように」


 つまり藍子は来たばかりだから、その輪に入れるには準備が足りず、ただそばにいればいいということだったらしい。


 しかしエミリオが藍子のことも、小笠原の一人の隊員として話してくれる気になったということだった。


 それなら藍子も准尉としての気持ちに切り替える。


「二階は、いま御園連隊長と御園准将が控えている」


「烏丸ご夫妻は、いまご挨拶に出向いたということですか」


「そういうことだな。まず、このパーティーの時は庭と一階は、パーティー会場。二階が御園家の家族の控え室みたいになっているそうだ。たぶん海人もいまそこにいる。それから……、これも暗黙の了解となっているが、このパーティーの裏の目的は『御園家との交流』。お近づきになりたい隊員がプライベートで御園と話せるチャンスなんだよ。その為には前もっての『話せる時間の申し込み』というのが必要になっている」


 つまり御園に取り入ることが出来る日ということらしい。


「それを隼人さんが始めたんだ。だからこの家は隼人さんの誕生日だけ派手に行う。奥様の葉月さんのほうが上官なのに、彼女の誕生日パーティーは家族だけ、あるいは葉月さんが誕生日には無頓着でやらないそうだ。子供達も大きくなったからもうやらないのだろうな。つまり、隼人さんの意志が非常に左右する日なんだよ」


「連隊長の葉月さんが表立って動くのではなくて、葉月さんを支えている准将の旦那様が影で動く日なんですね」


 そこでちょっとエミリオが困った顔をした。


「藍子、いくら仕事関係で話すとしても、そんな話し方にならなくていい。制服ならしっくりするが、それでもいまプライベートだぞ」


「あ、つい。だってエミルが少佐の顔になったんだもの」


「藍子もだ。俺を睨んだ時の顔になっていた」


 うそ――と、そんな顔をしていたのかと、藍子は思わず頬を両手でつつんで恥ずかしくなる。


「そんな藍子の顔も、俺は好きだけどな。コックピットに乗る前のいい顔だ」


 また耳元にキスをされて、あっという間に恋人同士に戻される。


「もう、話の続き。それで今日は隼人さんが影で動く日なのね」


「そう。でも、そんなことを申し込まなくても、隼人さんは隊員の家族は大事にしてくれる。見てわかるだろ。パイロットの家族達は日頃の業務も夫を仕事を支えていることも忘れて仲間と楽しんでいる。二階でなにかやりとりするなら、ほぼ軍内の政治的なこと。隼人さんのパーティーを隼人さん自身が隠れ蓑にして。そういう噂を聞きつけた者は、三月ぐらいになると『招待されたい者』はあらゆる手を使って御園へコンタクトを取ろうとするんだ」


 すごい。そんな軍内の内部戦略を司っている目の前に、藍子はいま来てしまったということらしい。


「烏丸もそう。必死になってこのパーティーに誘われたいと、あちこちのツテを駆使してコンタクトしてきたらしい。キャッチしたのは御園連隊長の護衛官をしている、先ほどの園田少佐だ」


 あの、かわいらしい女性に見えていた園田少佐が横須賀からのコンタクトをキャッチした? つまりキャッチできる情報網を持っているということなのかと、藍子は驚く。


「心優さんは横須賀に沢山の情報網を持っているからな。いつのまにか構築していて、いま秘書室に入ってくる情報の是非の判断をしているのは心優さんになるそうだ。心優さんがこんな情報を調べたいと言えば、その情報網が迅速なデータアップをするらしい」


 あのかわいらしい奥様が連隊長秘書室の情報を管理するやり手だと聞いて、藍子は絶句する。やはりあそこまで上りつめた女性はなにかしら強みを構築している。藍子はますます園田少佐を尊敬する。


「その心優さんのところに、烏丸が招待されたいと希望していると来たらしくて。どうしてかということも、心優さんは部下を使ってすぐに突き止めた」


「烏丸准将が御園家に近づきたい目的があったのね」


「そういうことだ。だから敵陣に乗り込んでくるようなものということだ」


 もう開始時間を過ぎていた。


 広いリビングは普段はテーブルにソファーがあるのだろうが、今日は全て片づけられ、まるでホテルのパーティフロアのように開放されていた。


 その部屋の片隅には大きなグランドピアノが置かれているのも、御園家らしさなのだろう。連隊長も音楽の嗜みがあることを藍子は知っているし、杏奈嬢も音楽家であることも海人から聞いていたので、さすがのおうちだなと、また感嘆の溜め息。


 烏丸夫妻が二階に上がってから十五分ほどすると、そのグランドピアノが置いてある壁際の入口に清々しい青いスーツ姿の男性が現れた。


 その男性の顔を見て、藍子の背筋がピッと真っ直ぐになる。


 園田少佐のご主人、そしてパイロットなら誰もが憧れるエースでヒーローの『ソニック』、城戸雅臣准将だったから!


 小笠原に来て遠くには見たけれど、まだ話したことはない。でも彼の顔つきが、いつもの爽やかで愛嬌ある素敵な男性の顔ではなかった。


 その表情は堅く、彼が現れると皆が視線を集め、それすらも彼はわかっているとばかりに、まずパイロットたちと固まっている橘准将に手合図を送った。


 橘准将も表情が引き締まり、鋭い目つきになって頷いている。


 城戸准将はさらに御園の黒スーツたちにも手合図を。先ほど、息子二人を連れていった園田少佐にも。一緒にいる心美ちゃんをだっこしているフランク中佐にも合図を送った。


 そして最後。彼が会場をぐるっと見渡し、エミリオを見つけ視線を留める。エミリオにも合図を送ってきた。そしてエミリオも頷いて堅い表情のまま。


「准将とあいつが来る」


 その合図だったようだ。藍子もそっと頷いて、シャンパンをひとくち。


 そしてソニックが会場に入ると『おとうさん!』と息子たちがすぐに駆け寄っていく。そこに園田少佐とフランク中佐が子供達と合流。ファミリーとして親しい和やかなムードを醸し出すと、ほかの隊員の輪に妻の輪も元の賑やかさに戻った。


 賑やかさが戻ると、城戸准将が姿を見せたその入口に、烏丸夫妻が姿が現した。小笠原の隊員ばかりで戸惑っているようだったが、先ほどは堅い表情で会場全体に指示を送っていた城戸准将が、いつもの明るい笑顔で烏丸夫妻をそばに引き寄せた。


 そこで妻である園田少佐と、子供達と一緒に親しくしているフランク中佐を紹介しているのがわかる。


「雅臣さんも元は横須賀のマリンスワローにいただろう。烏丸准将はスワローではなかったんだが、その頃の後輩のようだから、顔見知りだったみたいだ」


 しかし先ほど、あれほど『烏丸』と呼び捨てていたフランク中佐も結局は余裕の笑みを見せて、烏丸准将とその妻とも握手をしていた。


 その妻が。フランク中佐をじっと見つめて、なかなか手を離さない。ずっと彼になにかを話しかけている。


「俺じゃなくて、フランク中佐をロックオンしたかもな」


 エミリオを狙われても藍子の胸の内は荒れるが、だからってそんなに輝かしい気品を放つフランク中佐も狙うのかと、藍子はもう開いた口がふさがらない。


 なのに夫はへらへらとして妻が他の男に懸命にアプローチしているのも気がつかない様子で、城戸准将と妻の園田少佐に話しかけてばかり。


 夫と妻としてひと組で親交をしようという姿勢が窺えなかった。


「でも、フランク中佐なら簡単に落ちないし、手も出せないでしょう。出す方がリスクがあるんじゃないの」


「今までは喰えたから、これからも自分なら簡単に喰えると思っているんだよ。そしてもっとランクが上の、極上の男を喰いに来た。そんな顔だな」


 藍子は密かにゾッとした。どんだけ男を、隊員を? 食べてきたのだろうかと。


「それにあの女、ちっともわかっていない。烏丸さんが何故、御園に会いたかったのかを」


 それはどうしてなのか。藍子が聞く前に彼が教えてくれる。


「いま烏丸さんは窮地に陥っているんだよ。特に。横須賀の総司令になられた海東中将に嫌われて仕事ができなくなっている」


 藍子は絶句する。海東総司令に? それって余程ではないかと。国際連合海軍日本部隊のトップに見限られているということになる。


「だから、海東総司令に信頼されている御園夫妻に助けを求めに来たんだよ」


 それが園田少佐の突き止めた情報ということらしい。


「しかも、それを知って隼人さんが招待もしたくないのにワザと招待を許した。逆だ。隼人さんにロックオンされているんだよ」


 今日は隼人さんの気持ちで左右される日。その日に、このパーティーを隠れ蓑にしている黒幕のような御園准将から引き寄せた?


 やっぱりこのパーティーはただのパーティーじゃない。軍人の思惑が渦巻くそのど真ん中に藍子はいる。ここ小笠原はそんな場所、そして、相棒の海人はそんな家柄の長男。だから相棒の藍子もこうしてそんな空気を肌に感じる場所に来ることになっている。


 藍子が密かに震えていると、会場がわっと湧いた。


 入口に御園夫妻が姿を見せたからだ。


 春らしいベージュのスーツに水色のシャツ、紺のネクタイという爽やかな出で立ちの御園隼人准将が、栗毛の妻を伴って集まってくれた人々に手を振った。


 奥様も水色のシックなスーツを上品に着こなしていて、夫の隼人さんと腕を組んでいる。


 海人の母親、そして小笠原総合基地の連隊長、御園葉月少将だった。


 自分より背が高い黒髪眼鏡の旦那様と見つめ合って、優美に微笑んでいる。


 広報誌で見てきた『アイスドール』と呼ばれている冷たいお顔とは異なる、幸せそうな奥様にしかみえない佇まいだった。


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