カクヨム先行 おまけ④ かくれんぼのお手伝い(エミリオ視点)


 その住まいは、一目惚れだった。

 こんな離島、たいした借家はないと思っていたが、近年、御園家の不動産会社が隊員用にと開発を始めた海辺の住宅地に、エミリオは一人住まいを決めた。

 住まいが決まるまでは、宿舎暮らしだったが、若い者に気を遣わせたくないため、住まいが早く見つけられてホッとしている。


 さざ波に、潮風、青い景色に、庭の花の香りがする静かな住宅街で、環境も気に入った。

 既婚者用のファミリータイプの借家に、既に土地を買い一軒家持ちにしている上官もいるため、その家々の庭にも表情があり、道を歩いているだけで癒やされる。


 見事だと感動したのは、城戸家だった。

 近所に越してきたから、大ボスにご挨拶をしておこうと訪ねたら、見事にバラが咲く庭だったのだ。

 この家だけ、香が違う……。


 そこでエミリオは、制服姿のまま茫然と見とれていた。

 白い柵に、花に溢れる庭。なんて理想的な一軒家なのだろう――という感動だった。


「だれ」


 足下からそんな声が聞こえてきて、ぼうっとしていたエミリオは驚き、固まる。


「あっち、いって。バイバイ」


 白い柵の下から聞こえてくる。

 身をかがめて覗き込んでみると、百日紅さるすべりの木陰とマーガレットの植え込みの中に、小さく丸まって座り込んでいる女の子がいた。


 彼女がちょっとむくれた顔で、でも、エミリオの目をじっと見つめていた。


「シー君、いる?」

「うーん、誰もいまは見えないかな」


 シー君って誰のことかと首を傾げながらも、エミリオはまともに返答してしまっていた。


「わかったぞ~。ココはお庭が大好きだからな~。ここかな~」


 そんな声が家の中から聞こえてきた。ウッドデッキがある窓から金髪の男性が出てきた。

 彼を見て、エミリオはハッとして背筋を伸ばした。

 彼もエミリオに気がつき、滅多に見せない笑顔だったのに、真顔に固まった。


「クインじゃないか」

「近所に越してきたので、ご挨拶にと思い訪ねました。お邪魔しております」


 彼がチッと舌打ちをして、表情を固くしている。

 ああ、基地では恐れられている海兵中佐殿が、小さな女の子を探している時は笑顔なのかと知ってしまったが、ここでエミリオは素知らぬふりを通した。

 しかも足下にちょこんと隠れたままの女の子がまだじっとしている。


 なるほど。シドというネームだから『シー君』か。微笑ましい以上の笑みが浮かんでしまうエミリオだったが、そこは挨拶の笑顔と見せかけてなんとか誤魔化した。


 そして、わかっているのかわからないのか、シー君、こと、シド=フランク中佐が庭へと靴を履いて降りてきた。


「おまえもついに、この住宅地の住人か。気に入った女を連れ込み放題だな」


 失敬な。そんなイメージなのかと、ちょっとエミリオは頬が強ばる。むしろ、そちらのほうが、そういう噂が多いでしょうにと言い返したい。

 しかも、こんな、あどけない女の子がいるところで、それをいうかという気持ちだった。


 ――ということは、気がついていない?


「おまえ、恋人とかいるのか」


 これは足下に、女の子がいることに気がついていないなと、エミリオは判断した。

 そして、恋人とかの話題は避けたほうがいい気もするし、ちいさな彼女が恋人なんてわかるのだろうかと、思いあぐねる。


「そんな真剣に悩むところか? こういうときはさらっと答えて流すんだよ。噂どおり、見た目の割には生真面目だな」

「いえ、……はあ、申し訳ありません」

「というか、そうやって悩む――ということは、女がいるか、気になる女がいて、もうすぐ連れ込む予定ってことだな」


 凜々しくシビアな中佐殿かと思ったら、案外砕けた話ばかりで、エミリオは当惑している。

 しかもしつこいから、答えておこうと思った。


「いまは、おりません。一人が気楽ですね」

「……そっか。そこは俺と一緒か」


 どこが一緒なのかわからないので、また同意しかねるため、エミリオは戸惑う。


「なにかと噂になると面倒だもんな。フロリダの両親のところに変な話が耳に入っても困るし、実の親にも女はきちんと選べとか説教されるし」

「それは大変ですね。ですが、中佐は、フロリダで大将だったお方の子息ですから致し方ありませんね」


 その点、自分は気楽だとは思っているのだが、ここでやっと、エミリオのイメージどおりのフランク中佐が、青い目を鋭く光らせる。


「おまえの、噂。そこそこ聞いている。ま、見てな。おまえの腹の底に据えかねていること、そのうちにどうにかなるだろ」


 心臓をちくりとつつかれた感覚に、エミリオは陥る。

 俺の、いちばん痛い過去を知っていて、それを忘れずに上を目指してここまで来たことも、腹の底になにを沈めて腐らせているかも、この中佐に見抜かれていると思ったからだ。

 そして。その腐臭が少し吹き飛ばされた気もした。何故なら『小笠原の屈強なファミリー』が気がついてくれているという希望を見たからだ。


「それまでは知らぬふりをして、アグレッサーに精進しろ。文句も言われないくらいの最高のファイターパイロットになっておけ。そのうちに御園がチャンスをくれるだろう。逆におまえも汚点を作るな。その時のために。ま、おまえはそのあたり気高そうだから大丈夫だろうな。なにせ、クインだもんな」

「ありがとうございます。あの、今後も、この住まいでご近所だと思いますので――」

「その日本人じゃない顔で、そうやって硬いことをいうおまえなら、大歓迎だよ。臣さんはいま部隊に出勤中だし、心優は上の男子二人の習い事先まで迎えに行っているところで、いま俺が留守番頼まれていて不在だ。俺から伝えておく」

「そうでしたか。それで、末っ子の女の子と留守番――」


 いけない。それは素知らぬふりだったと、エミリオは慌てて口をつぐんだ。


「そうだった。末っ子と、かくれんぼごっこをしていたんだが。チビのくせに、たくさんの大人に囲まれて、これまたませた兄貴たちと毎日一緒で、ものすごいおませちゃんなんだよ」

「でしたら、目を離していては大変なことになります。自分はここで失礼いたします」

「おう。よかったら今度、女に悩めるブロンド同士で、メシでもしようぜ」

「ぜ、ぜひ――」


 なんか、おなじ括りにされたけれど、『同類』と認めてもらえたようで、エミリオはびっくりしている。


 ほんとうにどこにいったんだ?

 きっと仕事では、鋭い勘で敵を見抜いて、瞬時に制圧する力をお持ちだろうに……。女の子はみつけられないようだった。


「ね、ここみの、かち?」


 そんな声が足下から聞こえてきた。

 エミリオもそっと座り込んで、マーガレットの植え込みを覗き込む。


「勝ちだな。すごいな、あの中佐が見つけられないなんて、ここみちゃんは凄い」

「ほんと? ここみ、すごい?」

「凄い、凄い」


 彼女が植え込みの草影から、ちょこんと立ち上がって、白い柵に捕まって身を乗り出してきた。


「おにいさん、だれ」

「エミリオ。パパと同じパイロットだ」


 彼女と同じ目線で見つめ合っていたが、エミリオは思う。


「ここみちゃんは、ママに似ているんだな」


 ショートボブの黒髪、あどけない顔。園田少佐にそっくりだと感じた。


「シー君が探していると思う。おうちに戻ったほうがいいな」

「うん。かちっていってくる」


 バイバイと手を振り合っていたそこに、一度、リビングに戻っていた中佐殿がまた庭に戻ってきた。


「やばい。マジで見つからない。心優に怒られるじゃないか」


 そんな困り果てているおじ様のところへと、小さな彼女が駆けていく。


「シー君、ここみの、かち」

「は? ココ、おまえ、どこにいたんだよ」


 やばい。本当は俺の足下にいたと気がついてましたとかバレないうちに退散しよう。

 大人の話を聞かれていたなんて知ったら、あの中佐殿、どんな顔をすることやら。きっとエミリオには見られたくないはず。エミリオはさっと、城戸家の庭先から背を向けて去る。


 なのに、庭から小さな彼女の声が。


「ひみつ!」


 背中に届いたその声に、エミリオはつい頬を緩めてしまっていた。

 なるほど。ソニックと園田少佐の娘だけある。賢そうな女の子だった。





 その数日後だった。海沿いのこの新興住宅地の入り口へと、通勤で乗っているバイクで到着すると、そこに制服姿の園田少佐が娘を抱いて立っていた。こちらへ一礼をしてくれたので素通りできるはずもなく、エミリオはバイクを停車させた。


「お疲れ様です。園田少佐。先日、ご挨拶に出向いたのですがお留守だったので――」


 ご挨拶が遅れましたが――と続けようとしたら、彼女が抱っこしている娘が、まだヘルメットも取っていないエミリオへと手を伸ばしてきた。


「おにいさんに、バラ、あげる!」

「え……?」


 そこでエミリオはヘルメットを取り去り、バイクから降りる。

 園田少佐は、いつもの柔和な笑みを浮かべて、くすくすと笑っている。


「えみ――というお兄さんが来ていて、バラをあげたいと言い出して聞かなくて聞かなくて。えみ――というお兄さんが誰かわかるまで二日かかったの。シドからは、あなたがご挨拶に訪ねてきてくれていたと、昨日聞いたの。シドはシドで、先に帰ってきていた夫に報告してくれていたんだけれど、その夫の城戸が、私にそのことを伝えるのを忘れていてね。ほんとうに、ごめんなさい」

「いえ、こちらこそ」

「受け取ってあげてくれる? あなたが、かくれんぼを助けてくれたとかいうの。ほんとう?」

「えみ、これ。ママとおばあちゃんのバラ!」


 ピンク色のオールドローズを、ママが抱っこしている高さから、エミリオへと手を伸ばし、差しだしてくれていた。

 もうそこらかしこに、いい香りが漂う。


「ありがとう、ここみちゃん」

「ココだよ」


 園田少佐が付け加えてくれる。


「心が美しいと書いて、ここみ。回りの大人達が『ココ』と呼んでいるの。戸塚少佐も是非」

「わかりました。自分は、エミルかミミルと呼ばれています」

「そういえば、隼人さんは、あなたのことをミミルと呼んでいるものね」

「隼人さんはフランス生活が長かったそうで、エミリオは、ミミルが自然な愛称らしいですね」

「そう。だったら、ミミルがココちゃんも言いやすいかもね」

「ミミとココ?」


 さらなる略称に、エミリオも園田少佐も一緒に微笑んでいた。


「ミミでいいよ。ココ。ありがとう。おにいさん、お花も大好きだ」

「バイクにかざって」

「やだ、ココったら。一瞬で花びらが散ってしまうじゃない。でも……、バラの花びらを飛ばしてバイクに乗るのが似合いそうな、綺麗なお兄様ね」


 園田少佐が愛おしそうに、彼女の小さな鼻先をちょんとつつくと、心美も嬉しそうにくしゃっとした笑顔をみせてくれる。

 もうそれがどんなに清らかな世界であるか。エミリオは温かくなる気持ちで、どこか癒やされている。


 仕事で身体にも心にも気持ちにも、どうしてもまとわりついてくる腐臭に汚れ。

 きっとそれを、こんなことで清らかにしていく。先輩たちは、そんな世界を持って、ここで生きているんだと、この住宅地に来てエミリオは初めて思う。



 それからも、彼女はときどき、エミリオを見つけると元気いっぱいに駆けてくる。


「ミミーー! バラが咲いたよ!」


 仕事から帰ってきた夕方。お兄ちゃんや、従兄のユキナオの双子、ママやお祖母ちゃんと一緒に待っていることが多い。


「きょうは白!」

「今年もいい匂いで咲いたな。ココ」


 そのバラをひとまず、バイクに飾ってみる。


「ここみが大きくなったら、のせて! 約束」

「もちろん。その時は、ココがバラを持って、バラの風を作ってみようか」


 どんどん成長し、おしゃまさんになっていく彼女の笑顔が、バックミラーに映る。

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