34.お兄ちゃん突撃
その翌日、すぐのことだった。
朝、フライトスーツに着替えてロッカールームを出たそこに、夏制服の海人が立っていたのだ。
「戸塚少佐、おはようございます」
「おう、海人……。昨夜は……」
その先をエミリオも言えそうになかった。それにいつも快活で爽やかな面差しの海人の目元が疲れて隈ができていたのだ。
よほどに眠れなかったのかと察した。
「あの、昨日……」
「藍子なら大丈夫だ。彼女のことだからこれからも海人を支えようと頑張るかもしれない。それは俺もだ。大目に見てくれよな」
「それは、もちろん有り難いです。あの、それで、できれば……また、お話したいと思って。男同士で」
あまりのやつれ具合に、エミリオは戸惑う。しかもそこで言葉を止めた海人は具体的な提案をしてこない。
しばらくお互いの間で静寂が漂い、やっとエミリオも気がつく。
「え、今からということか」
「今日はソニックオーダーの演習合わせはない日ですよね。双子が帰ってくるのですから」
そこまでわかって狙って訪ねてきたことがわかり、エミリオも海人が切羽詰まっている様子を嗅ぎ取る。しかも、連隊長の息子だから俺はきちっとしておかなくちゃと、いつも規律正しくしておきたいというのが海人の子息としての精神でもあったはずなのに。今日は仕事よりも『俺の話を聞いて欲しい』と訪ねてきているのだ。
「しかし、海人も今から勤務だろう。岩長さんにはどう伝えてきたんだ」
そこで海人が疲れた目元のまま、致し方ない様子で笑った。
「昨日、部隊長室でわざわざ藍子さんと二人きりにして話すチャンスをくださったご本人で、部隊長ですよ。今日のことを察してくれて、シフト外れちゃったんですよ。今日は休めって言われて……。いや、有り難いんですけど。それもショックで……。飛び出してきちゃったというか……」
それにもエミリオは驚きを隠せない。戻るに戻れず、そのまま帰宅したところで精神が落ち着かない。頼りたいはずの親がいちばん頼ってはいけない内容を含んだ事情を抱え込んで、海人は途方に暮れているということらしい。
昨日、いちばん聞いて欲しい相棒、或いはできれば知ってほしくなった相棒である藍子の、婚約者であるエミリオを頼って……。お日様君がそんなやつれた顔で、だ。
「わかった。隊長から外出の許可を得てくる」
「申し訳ありません……」
「気にするな。海人がいうとおり、演習も残すところはソニックオーダーだけで時間が空いている。頼ってきてくれて嬉しいよ」
フライトスーツのまま、エミリオはサラマンダー部隊の事務室まで向かう。海人もその後を力なくついてくる。
近くの休憩ブースで待たせて、エミリオはいつものデスクルームへ一人で出向き、クライトン中佐に許可を取りに行こうとした。
「あ、俺も一緒に行きますから。俺のせいなんですから。隊長は俺が子供の時からの知り合いで、俺が言えばわかってくれると思いますから」
ちゃんと原因である自分からクライトン中佐に申し出て、エミリオを連れ出したいとまで言い出したからエミリオは慌てる。
「いや、ここにいろ。いいから」
そんな顔の御園の坊ちゃんを他の隊員に見られるわけにはいかない。
無理矢理そこに押し込んで、エミリオは足早にデスクルームにいる隊長へデスクへと向かった。
入室すると、既に先輩たちが揃い、朝礼が始まるギリギリだった。
「戸塚、遅いぞ!!」
早速、先頭にいてパイロットたちを従えているクライトン中佐に大声で注意をされてしまった。
「申し訳ありません。あの、」
いや、いまクライトン中佐に先輩たちが見ている目の前でひそひそと小声で許可をもらうような状態ではなかった。
仕方がない。朝礼が終わってから隊長デスクで伺おうと、いつもの自分の席へと向かう。隣のデスクになる銀次と並ぶと『まさかの寝坊か。藍子と寝坊か』なんて耳打ちのからかいを囁かれてしまった。
昨日は英太先輩にコテンパンにやられて不機嫌だった銀次も、いつもの彼に戻っていて逆にほっとした。
クライトン中佐から本日の予定についての周知を聞いている間も、エミリオは海人が気になる。
昔馴染みで親しくしているおじさんでもあるからクライトン中佐にお願いするという海人を残して、五分以上も待たせているとさすがに落ち着かない。
その様子はついに、クライトン中佐に気がつかれてしまう。
「戸塚。どうした。落ち着きがない」
一斉に、エミリオへと先輩パイロットたちや事務官たちの視線が集まる。
「申し訳ありません」
彼がため息をついた。
「結婚前で落ち着きがないのはわかる。だが厳しいことを言っておく。結婚より異動先で任務に集中するのが優先だ。防衛パイロットの定めだ。覚えておけ」
いつにない手厳しい指摘を受けてしまった……。
「違うんです。自分のせいなんです。戸塚少佐を叱らないでください」
ドアを開け放しているデスクルームの入り口からそんな声が聞こえてきて、エミリオはぎょっとする。そこに海人が立っていた。あー、もうダメだとエミリオはがっくり項垂れる。
しかも、デスクルームの空気が一変しざわめきが生まれていた。そりゃそうだ。御園の長男、いつも明るく溌剌としている賢そうな坊ちゃんが、そんなやつれた目元で現れたら、誰だって異変に気がつくだろう。
当然、クライトン中佐も呆然として何も言えない状態に追い込まれていた。
「か、海人……いや、み、御園海曹……、どうしてここに……」
クライトン中佐の問いかけを打ち消した男も現れる。
「海人!!!! どうしたんだ、そんな顔で!?」
海人の兄貴でもある鈴木少佐だった。
デスクルームに響き渡る豪快な叫び声に、全員がびくっと背筋を伸ばすほど驚いている。しかも鈴木少佐がフライトスーツ姿でさっと駆けていく。
「エミリオ、どういうことだ」
やっとクライトン中佐もエミリオが関係していると理解してもらえたようだが、もうエミリオはハラハラするしかない。
しかし皆の視線は、いつもキラキラとした笑顔を見せている海人が目の下に隈を作った顔に釘付け状態。しかもそこへと図体がデカい兄ちゃんが駆けて行くところ。
「え、英太は関係ないから。放っておいて」
海人が駆けてくる兄ちゃんに後ずさって、逃げようとしていた。
「そんなわけあるかー!! 俺はおまえの兄ちゃんだぞ!!」
そういうと。鈴木少佐は逃げようとしている自分より細身の青年へと、がばっと抱きついたのだ。
またデスクルームが騒然とした。
なのに。その後は皆がシン――と静まり返ったのだ。
そしてエミリオもわかった。あの大きな身体で、力なく訪ねてきた弟の姿を隠したんだと……。
「は、離せよ。恥ずかしいだろっ」
「うっさい。兄ちゃんがなんとかしてやる。おまえは、そんな顔になっちゃいけないんだ!!」
さらにぎゅうぎゅうに抱きしめられたのがわかる。とうとう、海人がなにもいわなくなり、ついには力を緩めて拒否するのをやめたのも見てしまった。
「ミミル、うちの子だから、ちょーと預かるな」
鈴木少佐がこちらへ振り返り、にこりと笑うと、そのまま胸に海人を抱いたまま連れて行ってしまった。
そりゃ。そちらのほうがご家族なんだから。俺よりもきっといいはず。そう思って、エミリオも頷いて見送ってしまった。
クライトン中佐も『エミリオはそのまま待機』という手で制する合図を見せて、鈴木少佐と海人の後を追っていった。
皆がエミリオに視線を集めたが、素知らぬふりでエミリオはデスクの椅子に座った。
やがて。様々なことを察しただろう隊員から何事もなかったように、仕事へと散っていく。
銀次も驚きいた顔のまま、隣のデスクに落ち着いた。
「なんかあったのか?」
「簡単に報告をすると、昨日、あちらの部隊長室で藍子が知ることになったと言っておきます」
「マジか。ついに!? ってかさ。おまえも付き添う状態で、ジェイの相棒同士の話し合いを見守る方向性だったじゃんか。どうして……」
「海人がいつもの海人ではなくなったそうです。勤務中に。本日はあの様子なのでシフトも外され帰宅しろと言われたそうで、俺のところに」
「……。なかなかのポジションになっちゃいましたね、エミル君。まあ、あの坊ちゃんの相棒がフィアンセだもんな。これからずっとだよな」
「本来なら、鈴木少佐を本当の兄貴として頼りたかったのかもしれませんね」
「そっか。これからはエミリオが身近な兄貴になるってわけか」
暢気そうに先輩がにやついたので、エミリオも返す。
「銀次さんもでしょう。一緒にBe My Lightに来て欲しいと誘ってくれて話し相手に選ばれているんですから」
「ま、今後の組織内での足固めのためなら、俺はなんでもしちゃうよ。御園が側にいるならそうしちゃうもんね」
相変わらずの調子の良さと割り切りだが、こういう世渡り上手なところはエミリオにはないので、とても頼りにしている銀次の素質でもあった。
「俺ひとりでは無理なことも多いと思いますから、頼りにしていますよ。先輩」
「俺が困ったときも、頼んだよ。エミリオ君」
なんて、ふたりで今後の絆も確かめ合っていると、鈴木少佐が一人で戻ってきた。
「あーはは。みんなびっくりしたよなー。大丈夫、だいじょーぶ。相棒の朝田アイアイちゃんと喧嘩しただけだってさー。岩長部隊長に頭を冷やせってシフトを外されたらしい。仲直りの仲介を夫になるエミリオに頼みに来たってわけ!」
これまたいつもの遠慮のない大声を張り上げながら、わははと笑いながら戻って来た。
周囲のなにも知らない隊員に先輩パイロットたちも『え、クインの彼女と喧嘩してあんな顔に? そんなこと??』と面食らっている。
エミリオもわかっていた。きっと鈴木少佐とクライトン中佐が海人から事情を聞いて『こういう理由にしておこう。多少、海人に不名誉なものでも、御園の事情で起きたことに触れられるよりはいい』と判断したのだ。
いつものお得意の鈴木少佐の騒々しい雰囲気に引っ張り込んで、海人によって重苦しくなった空気を吹き飛ばしているのだ。
そしてなにかを察したのか。なにも言わずにさっと真顔で素知らぬふりをした年上の先輩が数名いたのをエミリオは察知する。
中には『なにがあったかは定かではないが、連隊長の子息があのような状態になったのには深いわけが。タブーを抱える上層部一族。深く触れまい』と深入りすることを避けたのだ。
「さっすが英太さん……というか。あの人、やるときめっちゃやるんだよな。普段の自分の素行を逆手にとって上手く立ち回る。なんだかんだいって、海人を懐に入れ込んで上手くまとめてる。子供ぽいふりも欠点であって、あの人の武器でもあるんだよな。本当はいい指揮官になれそうなのになあ」
昨日コテンパンにやられたことをまたもや思い出してしまったのか、銀次が辛そうなため息をついている。
普段はあんなに先輩をからかって、怒らせて、弄ぶ余裕があるのに。まだ昨日、実力で叩き落とされた傷は癒えていないようだった。
そんな銀次に、エミリオはさらっと伝えてみる。
「あ、銀次さん。メグと湊と一緒に美瑛の結婚式に招待をしたいと思っているので検討しておいてください」
鬱々とした、らしくない横顔がぎょっとしたものに変わった。
「はぁ!? って、待てよ。親族のみだったんじゃないのかよ」
「心美を招待したいので、招待するゲストを再検討したんですよ。ちなみに当日は御園がチャーター便を出してくれるらしいので、北海道までの交通手段については、ご安心を」
「はあ!?? どうしてそうなったんだよ」
「うーん、いまここでひと言では……説明つかないですね。俺もあっという間にそういう運びになって、驚いているんですよ」
「どこが、どこが。この澄ました美しいお顔でなにを言っているのかな。クインちゃん」
先輩が隣の席から、エミリオの頬をつんつんとつついてくる。
「もう、やめてくださいって。動揺させて申し訳ないですけど」
「あー、俺も帰りたくなっちゃったなー。だーって、もうソニックオーダー以外の演習は外されちゃったし、異動前ってやつで退屈だな」
なんて銀次が冗談めいたことをぼやいているそこに、栗毛の飛行隊長、クライトン中佐がいた。
「退屈ではないぞ。これから異動まで一ヶ月、雷神で引き継ぎがある。飛行隊長同士でミーティングだ。モリス中佐が待っている。行ってこい」
だらっと愚痴っていたところを隊長に見られ、さすがに銀次もシャキッと姿勢を正した。
「これから雷神の飛行隊長になるんだ。しっかりしろ。俺も英太も就任したことがない地位だ。自信を持て」
「はい。ありがとうございます」
この隊長と鈴木少佐に徹底的にやられてテンションが落ちているのも見抜かれていたようだった。
「戸塚。おまえは、外出を許可する。名目は……、ジェイブルーとの連携確認ということで、ジェイブルー部隊長と口裏を合わせておく。行ってやってくれ」
海人につきそってやれ――と許可が出た。
「俺で、よろしいのですか。あの、お兄さんにあたる英太さんのほうが」
「その英太が話があると言っている。海人を送り出して、そこの休憩ブースで待っている。行ってやってくれ」
そう言われ、エミリオも気がつく。先ほど騒々しく戻って来ていた鈴木少佐の姿がもうなかった。
「わかりました」
「午前中いっぱい時間をやる。報告は俺まで」
「イエッサー」
外出する心積もりでエミリオはデスクから立ち上がる。
またフライトスーツから制服に着替えなくてはならなくなったと思いながら、先ほど、海人を待機させておいた休憩ブースへ向かうと、そこでベンチに座ってまっている鈴木英太少佐がいた。
そこで一人、窓から見える珊瑚礁の海を遠く見つめている彼の姿が、いつも自分たちがよく知っている先輩ではない。エミリオは思わず立ち止まる。
この人が悪ガキとか言われていなかったら……。まさにそんな、中年の男性であったのではないかという大人の男の横顔を見せていた。
微笑んでいるのに、とても哀しそうにもみえる。あれがあの人の本当の姿?
「お、ミミル。こっちこっち。ここ、座れ」
英太先輩から気がついた。もうその顔はいつもの無邪気な先輩だった。
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