35.悪ガキの本性、男の愛

 休憩ブースには、ドリンクや軽食の自販機が三つほど設置され、休めるベンチがある。そして小笠原ご自慢の海が見える窓もあり、いわゆるオーシャンビューのブースが多いのもこの基地の特徴だった。


 潮風が入ってくる窓辺のベンチに座っている先輩の隣に、エミリオも腰を落ち着ける。


「ありがとうな。海人のこと。こっちの実家が手の届かないところを対処してくれて」

「対処だなんて。彼女の相棒ですよ。当然のこと……いえ、自然なことです」

「なんつーかな。海人にいい相棒見つけてきたよなって思ったわ。あれ隼人さんの仕業なのか偶然なのかと、いまでもわからない」


 藍子のことを、この先輩が『弟分のいい相棒』と言い切ったので、エミリオは密かに驚きながらも、平静を保った。


 この英太先輩は本心を語ったり、自分語りをすることがあまりない。我が儘に見えても、それが彼の仮の姿にたまに見えたりする。これは毎日毎日一緒にいるようになって、やっとわかることだった。


 だから雷神で一緒だった先輩パイロットに上官も、いまもサラマンダーの後輩たちも、けっきょくは、この悪ガキとかいわれる彼を疎まずに、逆に親しみを感じてしまうのだ。


 エミリオもそうだった。本心言えぬぶきっちょさんなのに、彼はよく人を見ているし、密かに気を遣っている。子供っぽいところが、実は彼にとっては、彼自身がわざと作っている『隙』なのではと思うこともある。


 自分がいちばん凄い男とみせかけているときは、人のことなど無関心を装う。その先輩が、きちんと藍子と海人の関係を見守っていたということになる。


「たまたま、岩国の105ペアが仲違いをしていると知ったからではないですか」


「それもあるだろうけれどな。むしろ、仲違いをしてくれていて助かった、俺の仕事減ったとか隼人さんは思っていそうじゃないか。このパイロット欲しいと言ったら、岩国が断っても、相棒のカープが引き離さないで欲しいと泣いても、藍子が嫌だと断っても、ひっこぬいてきたはずだ。どっちだったかはわからないが。でも、俺は、あの頑張りすぎる坊ちゃんには、程よく甘えられる姉貴を付けて正解だと思ったよ」


 ほら。見てる。そして、隼人さんとおなじ目線がそこにある。この人をガキだと侮ると痛い目に遭う。


「俺はさ。御園の重い事情を、生まれたときから背負うことが決まっていた海人が、あんなふうに、連隊長の息子だと完璧になろうとしているのには、いつか無茶が出てるだろうと思っていたんだよ。たぶん、それが今日ってことだよな」


 そう聞いて、エミリオはこの悪ガキと言われている先輩が、どれだけ『家族』となった者を案じて、大事に見守ってきたか知った。


 悪ガキなんて本当にこの人が被っている仮の皮だ。この人は、深く深く人のことを静かに思っている大人の男だと、この日、エミリオは強く感じてしまった。


「お兄さんなんですね。やっぱり」


「ここだけの話だが。葉月さんと隼人さんのふたりには、天涯孤独になりそうだった俺を引き取ってくれ、帰る場所と生きる場所を与えてくれたことには感謝している。だが、あの人たちは放っておいても、なんとかやっていける。でも、杏奈と海人はそうではない。俺は、あの二人のためならなんでもする」


 ここだけの話――。そう前置きをされたが、エミリオは驚愕する。そんな本心を隠し持っていたなんて。いつもの、のらりくらりと本心を見せない先輩の真の姿に触れて、エミリオは言葉を失った。


 聞いてよかったのだろうか。そうすら思って、先輩の目が見られなくなった。


「はは……。こういう話、フレディとしかしないんだけどな。海人がそれほどに感情を置いている藍子と、その夫になるエミリオだ。もし、俺に何かあったら頼むな」

「なにかあったらって。むしろ現場に行く俺のほうが」

「いや。俺だってわからない。戦闘機乗りはそういう仕事だ。杏奈にも常々伝えている。俺はいつ死ぬかわからない、先のない男だってね」


 それにも反応に困った。一緒にいられる時にいつ終えてもいいよな愛を交わしている気もしてきた……。


「海人と杏奈には、恩がある。なにかを失って小笠原にやってきて、もうすぐ天涯孤独になると覚悟をしていた時に、ほんとうに純真無垢な心で俺を受け入れてくれた。俺の失った子供時代を埋めてくれた兄妹だ。海人と杏奈になにかあったら、俺が命を投げ出してもいいと思っている」


 それほどの、またエミリオはなにも答えられなくなったが。もうわかっていた。それはもう『愛』じゃないか。どの愛ともいえない『愛』だ。


 そしてこの人こそ、純真無垢なんじゃないかとさえ思えてきた。


「御園の家に、俺が帰ってこられる部屋を作ってくれたんだけどさ。その部屋に帰ると、もう、どこぞの国の王子みたいな栗毛のきらきらした男の子が『おかえり、おかえり。英太、きいて、きいて。おしえて、おしえて』と俺にまとわりつくんだよ。最初は戸惑っていたけど、男同士、というか男子同士。いろいろと楽しかった。その弟みたいな、なんでも恵まれていると思っていた男の子がさ。母親に対してだけ、違う顔をするんだよ。あれ……見たらな。やっぱりあの家は、特殊だよ。俺もたいがい、人とは違う生い立ちを背負うことになったが、あの家の特殊な空気に俺が馴染めたのは、ああこういうことだったかとも思った」


 重々しい心情を、初めて吐露するこの人の姿にもエミリオは戸惑い驚いているが、その先輩が年相応の大人の男の顔で、鋭くエミリオを見た。


「そういう育ちの坊ちゃんだ。頼んだぞ」


 海人は恵まれて真っ直ぐ育ったわけではない。そう念を押されたのだとわかった。これからも、うっかりしているとこういうことが起きてくる。


 それは海人自身が成人して、家族の見守りを解いて、これからは周囲の関わる人間に対して折り合いを付けていかねばならないのだと、エミリオも悟った。


「藍子にとって、海人はこれからも大事な相棒となっていくと思います。夫としてそこは見守っていく覚悟あります」

「それを聞いて安心した。行ってくれ。海人の家に。待っていると思う。こういうとき、兄ちゃんじゃなくなったんだな。ちょっと寂しいけれど、それが自分の世界を作っていく一歩だ。よろしくな」

「はい」


 そこで、英太先輩からさっと立ち上がって、休憩ブースを後にした。

 守るものがある大人の男の背中だった。でも、きっと。デスク室のいつもの馴染みのパイロットに囲まれたら、どうしようもない悪ガキの皮を被って『憂う心』を覆い隠してしまうのだろう。

 エミリオは切なく、その背を見送った。




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