36.双子とお坊ちゃん、男の友情

 制服に着替えなおし、外出許可をもらったエミリオは通勤用のバイクにまたがって、海辺の住宅地へと向かう。


 海人の自宅の前に辿り着き、彼の玄関さきにバイクをとめると、カレーの香りが漂ってきた。


 チャイムを押すと、もう私服姿になってエプロンをしている海人が迎え入れてくれる。

 目元は疲れたままだったが、表情はもうやわらいでいて穏やかに見え、エミリオはほっとする。


「いらっしゃいませ。すみません。なんか大事になっちゃいまして、巻き込んじゃいましたね。そっと連れ出したかったのに」

「俺のことをかばわなくてもよかったんだ。フレディ先輩なら後で話せばきちんと理解してくれただろうに。げんにこうして俺を外出させてくれたんだから」

「フレディ兄さんにも、子供の頃から可愛がってもらっていたから。あ、俺ってそういうところ、ちょっと得しちゃってるんですね。どうぞ」


 いつものからっとした坊ちゃんの話し方に戻っていた。


 何度もお邪魔したことがある彼の自宅、リビングに入ると、より一層、カレーの香りが強くなった。


「カレーを作っていたのか」

「はい。こんな時って、料理をして気を紛らわしたくなるんですよね。自分がこうなって気がついたんですけど。実は父もそうだったのかな、なんて」

「手伝おうか」

「じゃあ、副菜をお願いします」

「だったら。海人のビーフカレーには、美瑛シェフ直伝、藍子のピクルスだな」

「そうですね! すっかり定番になってきましたね」

「俺もすっかり作り方を覚えてしまった」

「では。そちらをお願いしますね」


 エプロンを借りて、男ふたり。本当は勤務しているはずの午前中から、せっせと料理をしている。

 なんの目的もない。ただ気を紛らわすためのものだ。だからエミリオは、海人から言葉を投げかけてくるまで、なにも聞かなかった。


 海人が寸胴鍋で煮込みを始め、火加減の調整をして落ち着いたところで、やっと口にした。


「みっともなくても。こういうことで、いいんだなと思っています」

「そうだな。誰もが通る道だよ」

「戸塚少佐は……、どんなこと、だったんですか」

「まずは烏丸のことだな。その次は長い航海から帰ってきたら、恋人が地上勤務の男と結婚するといいだした――とかな。メンタルやられて、やけ酒をして、相棒の先輩と当時の隊長にめちゃくちゃ怒られて、訓練の演習を外されたことが一度ある」

「なんっすか。その女性!! めっちゃ酷いじゃないですか。航海中に違う男とできちゃったということでしょっ。裏切りで浮気じゃないっすか」

「だが。航海をする海軍の男にはよく起きることだと思わないか? あんまり相手をしてあげられないほど、こっちも上へ行くこと優先で任務に励んでしまっていたからな」


 セロリを短冊に切りながら、エミリオは呟く。


「確かに。いつ帰ってくるってはっきりしませんもんね……。それにその時の頑張りがあっての、スワローとサラマンダーに選ばれた男ですもんね。しかし美しすぎるパイロットを振るとは、なんという女性……」

「あはは。外見は関係ないってことだよ」

「俺もあります! 失恋!」


 調子が戻って来たのか、目元がやつれているのに、いつものお日様君の生き生きした表情で海人が声を上げた。


 ほっとしたのもつかの間――。

「って、海人。恋をしたことがあるのか!!」

「ありますよー、それぐらい」


 色恋の匂いも気配もまったくしない、ほんとうにお日様王子君みたいだったので、エミリオは仰天していた。


「千歳ですね。しちゃったんですよ……。でも、その人。俺が好きになった時には、もう何年も付き合った恋人がいて、結婚予定だったんですよ~。一緒にいるとドキドキしただけで終わっちゃいましたー」

「告白とかしなかったのか」

「しないっすよ。煩わせるだけじゃないですか。よく顔を合わせる立場だったし……」

「立場……?」


 その言い方に、エミリオは嫌な予感を走らせる。仕事関係かと予測してしまったのだ。


「ガンズさんの娘さんなんですよー。しかも結婚した旦那さん、めっちゃいい人で、俺、その人も大好きなんですよ。こんなの男の気持ちじゃないってことだったんですかねー」


 なにげに爆弾発言で、エミリオは一瞬……返す言葉を見つけられなかった。


「だって。本気で好きになったら奪いたいもんなんでしょ……。俺、そこまでは気持ち湧かなかったな。幸せなご夫妻になった時に、やっぱりちょっと胸が痛かったけれど、彼女も旦那さんも好きで幸せになって欲しいって本気で思えていたし……」

「いや、初恋ってやつじゃないか。それ」

「俺、小笠原でそれなりのステディはいたんですよ」

「ハイスクール時代のパートナーみたいなもんだろ。どうせ転属とか、卒業とかで別れてしまう程度のかわいいお相手だったんだろ」

「うんと切なかったのは、その千歳の恋が初めてです」

「初恋じゃなくて、初愛か……」

「初愛!?」


 あの海人が真っ赤になった。やっとエミリオもくすっと心軽やかに笑みを浮かべることが出来た。


「よし。忘れよう。スパイスとビネガーの中に、俺たちの苦い恋を溶かして忘れよう」

「そうですね! そうしましょう!!」


 俄然、ふたりで調理に勤しんだ。

 海人は煮込む間に、コールスローまで作ってくれた。

 このできあがった御園家ビーフカレーを食べたら、基地に帰ろう――。もう海人は大丈夫だ。そう思って。


 


 さあ、できあがった。これを二人で食べたら、エミリオは基地に戻ることにする。

 さあて、皿に盛って、食卓を整え――としていたときだった。


 水色のキッチンの、勝手口の水色ドアからドンドンと叩く音が聞こえてきて、エミリオはどきりとして警戒心を強める。


『おーい。カレー作ってんのかよ!』

『匂いがするだけじゃね? この時間は基地だろ』

『シフトで非番でいるんだよ。おーい、俺たちにも食わせろーー』

『いるなら、食わせろーー!!』


 途端に海人が顔をしかめた。エミリオも一発でわかった。双子のご帰還だ。叔父さんの付き添いで行った横須賀出張から、午前の便で帰ってきたところのようだった。

 海人がむすっとした顔で、勝手口へと向かう。エプロン姿のまま、そのドアを勢いよく開けた。


 やっぱりそこに制服姿の双子がいる。


「いっつもいっつも。玄関から訪ねてこいよ。俺もいま来客中なんだけどな」


 双子に対するつっけんどんな態度の海人はいつもどおりの光景だったが、双子のふたりは違った。

 海人の顔を見て、見る見る間に表情を強ばらせている。


「おまえ、どうしたんだよ。それ」

 雅幸がまず切り込んできた。

「なにかあったんだな。おまえがそんな顔になるなんて、どうした」

 雅直も切羽詰まる様子で、海人の肩を掴んで踏み込んできた。


 それを見て……。エミリオは再度、あの感覚に襲われる。悪ガキの先輩と、双子もおなじだ。彼らは年相応の大人で、そして……、この重圧に耐えるお坊ちゃんのよき先輩で友人なのだと。


「おかえり。ユキナオ」


 キッチンからエミリオがそう声をかけると、双子がやっと、海人以外の人間がそこにいることに気がついたとばかりに驚いた顔を揃えた。


「戸塚少佐……、どうしたんですか」

「海人の付き添いを頼まれた」

「頼まれたって……。海人、ほんとうになにがあったんだ」


 双子が海人を交互に案じて、しかも大事に労ろうとする様子が窺えた。

 エミリオはエプロンを外す――。


「海人、基地にもどるな。食事はユキナオとしたらいい」

「あの……」

「いま。そいつらと食事をしたくないんだ」


 エミリオの冷たい言葉に、海人はなんのことかわかったのか口を閉ざし、双子はなんのことかわからないときょとんとしていた。


 その双子に、エミリオも制服姿で、睨む。


「明後日。最後の演習の相手はおまえたちだ。イエティ、ブラッキー。雷神にいくまえに、最後の演習でも容赦はしない。徹底的に撃ち落としてそっちに行くからな。俺はいま、おまえたちを撃ち落とすことで頭がいっぱいなんで、和やかに食事をする気はない」


 海人はジェイブルー側として、サラマンダーの演習内容と『ソニックオーダー』内密に進められていることを知っているから、なにも言わなくなった。


「戸塚少佐、ありがとうございました」

「いいや……。そいつらにも、素直に話しておいたらいい。藍子にも俺から話しておく。男の内緒の話は除外でな」


 初恋の話はしないと誓って、でもそのやつれた姿はどうして起きたのか、双子には話せばいいと思った。


「ユキナオ、海人を頼むな」


 この双子は、きっと城戸准将や園田少佐に、きちんと御園の教育を施され、なおかつ、海人という後輩の先輩であって友人でもあって、エミリオなんかよりずっと労ってくれると感じたから去るのだ。


「任せてください」

「俺たちが引き受けます」


 雅幸と雅直が、頼もしい青年の顔で言い切った。

 エミリオも安心して、海人の自宅を出た。


 バイクにまたがって、また基地へと向かう――。

 正午前のきらきらとした海面を眩しくかんじながら……。

 今日のエミリオは、男たちの心の奥に密かに隠されている『愛』や『友情』に感銘して、胸いっぱいで。どこか泣きたい気持ちになっていた。


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