32.Northern Honeymoon〈ノーザン・ハネムーン〉

 姉の結婚、妹の妊娠。その日の晩はまた、朝田家と戸塚家共に賑わいの晩餐となった。

 披露宴でたくさん食べたため、夜は軽めの晩酌スタイル。父が厨房でそろえたカナッペに、ピンチョス、大皿パスタなどが並んだ。

 祖母と伯母夫妻、藍子の従姉も早めに食して、日が落ちたころに札幌に帰ることに。


 帰り際、祖母がまたエミリオを捕まえて、名残惜しそうにしていた。

 エミリオがそんなお祖母ちゃんと、まさかのメッセージアプリのID交換。小笠原に帰ってもお返事しますね――なんて受け入れてくれ、祖母は満足して帰った。でも、藍子とエミリオ二人に向けて、最後はお祖母ちゃんの頼もしい顔で『お仕事、気をつけて。また会えるようにして、帰っておいで』と応援の言葉も残してくれた。


 朝田家自宅玄関前の裏庭、伯父が運転するワゴン車へ乗り込んだ伯母、従姉、祖母を、エミリオと二人で見送る。

 そんな祖母を見送ったエミリオが少し、遠い目をしていることに藍子は気がつく。


「どうしたの、エミル。疲れちゃった?」


 彼も藍子も、もう普段着に戻っていた。

 夏らしい紺色のシャツに着替えた彼が首を振る。夏の遅い日暮れに、エミリオの濃いブロンドが茜に染まっている。


「賑やかだったのに。皆が次々と帰ってしまい寂しくなっただけだよ。いつものロサ・ルゴサの裏庭に戻ったな」


 確かに。御園家のトレーラーも荷物を積み終えて出発してしまったし、小笠原招待客を乗せてきたバスも、御園家と城戸家を乗せて札幌へ。柳田家はレンタカーをまた借りてきて、家族で温泉お宿へと出発した。

 昨日、一気にごった返した実家の庭はがらんとしていて、静かな美瑛の風の音が聞こえるだけ。


 夏の緑に燃ゆる美瑛の丘陵を眺めて、エミリオが風の中囁く。


「妻に告ぐ。夫婦、最初の指令だ」


 ん? 戸塚少佐口調? たまに出てくる上官口調になったエミリオに、藍子は眉をひそめる。結婚していきなり亭主関白? 似合いそうで、でもエミリオらしくない。


 だが次には、金髪の夫が夕の茜の中、藍子に優美に笑む。


「軍人だから、すぐに動けるよな。ハネムーンにでかけるぞ」


 ハネムーン!? 予定外のことを言いだした『上官モードの夫』に藍子は仰天する。

 今回の休暇は、挙式披露宴を終えたら、美瑛でゆっくり過ごす予定のはず。もうそれがハネムーンの代わりでもいいよねと二人で話し合って、海外旅行よりも『くつろぐ休暇』を優先させたのだ。

 なのに、いきなりの予定変更を言いだした夫――。


「ハネムーンって、急に。どうして?」


 伸びていた金髪の前髪を夕風になびかせるエミリオが、そっと眼差しを伏せる。


「俺たちがいると、瑠璃ちゃんが気遣うし頑張ってしまうだろう。また、身体が思うように動かないのに、姉夫妻の相手ができないと気に病む」


 エミリオが気がついたことに、藍子もハッとする。


「確かに――。私たちが夏の休暇として帰省したら、いっぱいおでかけししようと計画してくれていたものね」

「それに。青地お義父さんにも、真穂お義母さんにも、俺たちより、義妹夫妻を気にかけてほしいんだ。いまは瑠璃ちゃんがいちばん大事な時だから」


 エミリオからの提案の意味は、藍子にもすぐに通じた。

 だから藍子も頷く。


「わかりました。スーツケースひとつあれば、すぐに動ける。それが軍人。行きましょう」


 躊躇わず同意してくれた妻にも、金髪の夫が満面の笑みを見せる。


「でも、どこに行くの?」

「うん。ダメもとなんだが。気になるところがあって、この機会に思い切って行ってみたいところができたんだ」


 おなじ道内なのかなと藍子が首を傾げて予測を立てていると、レストラン厨房の勝手口から、メートル・ドテル制服姿の篠田氏が出てきた。


「あ、ちょうどいい。篠田さんに聞いてみようと思っていたところだったんだ」


 エミリオはそう言うと、さっと篠田氏のもとへ向かっていく。

 もう、それだけで藍子は察した。つまり――。まさか。大沼とか函館に行くつもり!?


 エミリオの素早い決断と行動に驚きながら、それでも藍子も彼のあとを追った。


 既に篠田氏は『え、大沼と函館に行きたい? うちの店に予約を入れたい!?』という驚きの声をあげていた。


「いきなりは無理ですよね……。だとしたら、明後日から三日ほどの間、予約を入れられる日はありますか。今度はフレンチ十和田さんのお料理も楽しみたいと思ったので。篠田さんや葉子さんのサービスも最高だったし、ソムリエさんのセレクトも最高でした。それにいま、湖の睡蓮が見頃なんですよね。函館も一度行ってみたかったので、この際、思い切って行こうと思うんですよ」


 式を終えたばかりの新郎が、計画をしていなかったハネムーンをなんとか実現しようとアグレッシブに動き出した様に、篠田氏は唖然としていた。

 だが彼も、すぐに余裕のある笑顔をみせてくれる。


「大丈夫ですよ。自分たちが大沼に帰ってからの営業日になりますが、ご希望の日を教えてください。急なお客様にも対応できるように管理しているから予約を入れておきますよ。軍人さんのせっかくの休暇でしょ。普段、離島勤務で防衛に励まれているのだから、ご希望に添えるようにいたします」

「ほんとうですか! ほらな、藍子。ダメ元で聞いて正解だ」

「と、いうことはお宿の予約もまだですよね。なんなら伝手ツテがあるところ、空いているお部屋に泊まれるようにお願いしてみますよ。うちのレストランは、ホテルやペンションなどとツアーで連携しているので、お付き合いがあるんですよ」

「是非。お願いいたします!」


 うわ、海人が言ったとおり。篠田氏も仕事が早そう! 藍子も目の当たりにして実感してしまったのだ。

 しかも、夫になった彼も決断力行動力があって、やはり『少佐でリーダー意識が高い』と痛感してしまった。


 なによりも……。

 わくわくしてきた。

 睡蓮が咲き誇る湖、函館の夜景が目に浮かぶ。

 夫になった金髪の彼とふたりきり、甘い甘い旅にでかけるのだ。


「いやー、嬉しいな。少佐がさっそく、うちの店に来てくださるだなんて! シェフパパが張り切っちゃいますよ。今日はお手伝いで先輩の朝田シェフに従った調理だったけれど、今度は自分の腕をふるった料理を少佐と先輩シェフのお嬢様に食べてもらえるんだから。僕なんか、披露宴の戦闘機映像を観て、少佐の大ファンになっちゃったから、めっちゃ嬉しいなー」

「自分だって、お世話になって、フレンチ十和田さんのことすっごく気になってしまったんですよ。十和田シェフは北海道の食材、地産地消にこだわったコース料理だと聞いているので楽しみです。ソムリエである西園寺さんのワインセレクトも、フレンチ十和田さんで体験してみたいです」


 あっという間にレストラン予約を確保することができた。

 そのあともエミリオの行動は止まらなかった。


 篠田氏の紹介で、函館のホテルと大沼の湖畔にあるペンションを予約確保。レンタカーの予約確保と、あっという間に準備を整えていく。

 藍子も両親と瑠璃に報告をする。瑠璃は『やだ、迷惑じゃないから、美瑛で過ごして』と最初は泣き出した。そんな瑠璃の反応も予想済みで、『休暇の最後二日は美瑛に戻ってきて過ごす』と約束。篤志と両親も『今回は、お姉ちゃんとエミルをふたりきりにさせてあげよう。瑠璃は瑠璃で身体を第一にしてまずは休養。帰島前の二日間に帰ってくるのだし、その時にまた家族で過ごそう』と説得してくれた。


 結婚式の翌日。ロサ・ルゴサでもう一泊した戸塚の両親が、藤沢へと帰るため出発する。

 今度は小笠原の新居に遊びに来てもらう約束をして、またパパママが藍子とエミリオを愛おしそうに抱きしめてから帰っていく。

 その日は一日、旅に出る準備日にして、翌朝にレンタカーにて函館に向かうことになった。


 当日の朝早く。借りられたスポーツワゴン車にスーツケースを詰め込み、藍子とエミリオは出発の準備を整えた。

 運転席にはエミリオが、藍子は助手席に座る。


「ずっと海人に頼っていたからな。今日は思う存分、北海道での運転を満喫する。北国上級者を目指すんだ」


 気高いクインが、心浮かれる少年のような顔つきだったので、藍子は隣で笑い出す。


「次はバンビゲレンデを卒業しなくちゃいけないものね」

「あれは、卒業したも同然だからな。次の冬は藍子と一緒に大人コースで行くぞ。雪道も運転できるようになるんだからな」


 運転席のドアを彼が閉める。

 藍子も助手席でシートベルトを締める。

 家族の見送りは家の中で済ませた。瑠璃は今日も気分が優れないようで、もう外には出てこなくていいとリビングで別れた。また数日後、美瑛に戻ってくるのだから。


「さあ、出発だな」

「はい、少佐」

「少佐じゃないだろう」

「えーっと旦那様?」

「妻に告ぐ。出発だ」

「ラジャー、ダーリン……か、な」


 藍子らしくない言葉遣いだったが、思い切った呼び方にエミリオの目元が崩れた。


「一度でいいから、そう呼んでほしいなと思っていたんだ」


 気高きクインが少し照れて、嬉しそうに微笑んでいる。


 今日も彼の瞳は湖水のように深く透き通っていて、美瑛の緑の大地に溶け込んでいる。既に車の中は、シャボンとベルガモットの匂いがひろがっている。夫の香り。今日も彼がすぐそばにいることを藍子は感じて、夏の風に黒髪をなびかせる。


「葉子ちゃんが唄ってくれた曲を聴いていこうかな」

「いいな。昨日の、最高な時間を思い出しながら行こう」


【君の空になりたい】を聴きながら――。

 おなじ道内でも、旭川付近の美瑛から函館地方へと目指すと一日がかり。

 パッチワークの丘が並ぶ農道を走り抜け、ラベンダーの花が揺れる畑を通り過ぎ、ポプラ並木が続く街、湖がある温泉街、真っ青で丸い湖、アイヌのコタン、寄り道をしながら函館まで。

 時間はまだあるから、ふたりだけでゆっくり気ままに。


 雄大な火山の裾野にある、優雅な睡蓮が浮かぶ湖『大沼』まで。

 彼と一緒に、函館の夜景を見て、港町で過ごす夜――。


 結婚して初めての旅を、夫妻で堪能する。

 また少佐と准尉という使命を負うパイロット夫妻に戻るまでは、ただの夫と妻で。とことん愛しあってから戻ろうと思う。


 Northern Honeymoonのはじまり――。

 戸塚エミリオの『妻』としての、はじまり。



◆ ロサ・ルゴサ・Wedding!(終)◆



※次回からファイナル編、戸塚夫妻のその後【パパは気高きパイロット】


※葉子と篠田、フレンチ十和田のお話はこちら

『名もなき朝シリーズ』(函館・大沼)

https://kakuyomu.jp/users/marikadrug/collections/16816452219401437135

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