9.誰も知らないクイン様
御園のタブーという、デリケートな問題について部隊長に問われる。
「では、知っていたとして、いつ、誰から告げられたのか答えろ」
最後の『答えろ』はかなり語気が強かった。今度こそ、銀次と顔を見合わせ、頷きあう。もちろんこれは重大な内容であるため、先輩である銀次が答えた。
「こちら小笠原のサラマンダーへ転属が決まった時に、横須賀のマリンスワローの部隊長に呼ばれ、司令部の長沼少将のところへ行くように言われました。司令から直々に、内密に教えて頂きました」
「長沼司令が。なるほど。御園とは近しい人だ。つまり小笠原訓練校、教育部隊にあるサラマンダー飛行部隊に行くとなれば、校長も務めアグレッサー部隊の創設者でもある御園とは近くなるから念のために伝えておく。でもなにかが表面化してしまうような出来事に遭遇することがない限り知らぬふりをしておけ、上官から問われた時には知っていると言え――とでも言われて来たのか?」
「さようでございます」
いつも飄々としている銀次が非常に緊張して答えている。そしてエミリオもだった。
横須賀を出て行く時に、突然聞かされた『御園家の悲劇』、まだ十歳だった御園葉月連隊長の身に起きたこと。そして横須賀基地が隠匿しようとした不祥事に、そこから巻き起こった隊員による隊員の殺害。そして犯人の死刑――。それを知っておけ。御園の側にいるようになると『知っている、知っていない』の差が大きく出る。痛い傷を触らないように、御園の側で踏ん張れと言われ送り出してくれた。
その言葉どおり。こうして追及されるまで、銀次もエミリオも心の奥に留める程度にして素知らぬふりをして過ごしてきた。二人きりになったからとて、話題にすることも憚ってきた。
それが今日、三年も経ったこの日に、再度触れることになっている。どうして。エミリオも胸騒ぎがやまない、不安が襲ってくる。
そんなパイロットの部下二人に対し、部隊長はあっさりしていた。
「わかった。それだけ確認しておきたかった。では、明日、この時間に頼むな」
彼はエミリオと銀次の中に大きな疑問を残して去ろうとしている。しかしあちらは大佐で部隊長、彼がいまなにも言いたくないのならその意に従うしかなく、エミリオは口をつぐんでいた。
なのにその背を向けたウィラード大佐がちらりと肩越しに振り返り、再度呟いた。
「戸塚……、彼女は朝田はもう、御園のタブーを知っているか?」
今度のウィラード大佐の問い方は歯切れが悪かった。エミリオに対して藍子を持ち出すのは、つまりプライベートに踏み込んでの質問だからなのだろう。そしてエミリオも心外だった。
「私が、婚約した彼女に話したとおっしゃるのですか? 例え、彼女が妻となっても、このような重大な内容の話、気易く話すことはありません」
「あ、いや、聞き方が悪かった。エミリオがうっかり話すなんて、俺も想像しがたい。そうではなくて……。そのタブーの被害者でもあった連隊長の息子、つまり『海人』から、相棒の朝田准尉が聞かされているかどうかという意味だ。彼女も知ったら知ったでショックを受けると思う。そうなると、エミリオ、小笠原の先輩でもある婚約者に彼女は本当のことかどうか確認をするだろうし、戸惑いもみせるだろう。そんな様子があったかどうかを確かめたい」
ああ、そういうことかと、エミリオも問われたのはどうしてか腑に落ちた。
「いえ、そのような様子は一度も。御園海曹も朝田准尉も、まだペアになって三ヶ月です。あのような悲惨なことは、サニーもすぐには話せるはずもないと思います。そしてアイアイ、朝田准尉は素直な性質なので、ショックを受けたら顔にも様子にも出すと思います。自分は一度も御園のタブーによって彼女が困惑していると感じたことはありません」
「そうか。そうだよな……、俺も、そうだとは思ったんだが……」
どこか迷いを見せている憂い顔だった。上官らしからぬ表情に、銀次もエミリオも戸惑いを隠せない。
「まあ、ひとまず明日だな。申し訳ない、今日はここまでだ。明日……、多少異様な状況になっても気にしないように」
そこでウィラード大佐が去っていった。彼の姿がすっかり見えなくなるまでじっと堪えていたが、ドアが閉まってしばらく。銀次と額を付き合わせる。
「なんだよ。異様な状況になってもって! なんでここで御園のタブー?」
銀次も落ち着きがなかった。自分たちが生まれていたか生まれていないか逆算しないとわからないほど何十年も前に起きた事件とはいえ、犯人が死刑判決を受けているほどのもの。それが何故、明日の演習と関係があるのか。
エミリオは察した。
「きっと海人と関係があるんだ。しかし、それが明日の演習とどう関わりが――それがわからないですね」
銀次も頷いた。
「だろうな。でなければ、なんで俺たちの演習に御園のタブー……だよな。ということは……、海人は母親の身になにが起きたか既に知っているということか。わざわざ息子に教えることだったのかな。俺だったら嫌だな。息子にそんなこと、知らなくていいなら知らなくていいと思う。そうでなくなることもあるだろうがね」
そしてエミリオはさらに気がついた。
「そうか。海人が知っているということは、いずれ藍子も触れる時が来るかもしれないと、部隊長は見通していたんですね。だから、いま一緒にいる俺に……」
「でも、わかんねえ。演習とはまったく関係ないよな」
『ですよね』と二人揃って首を傾げた。
その後、飛行部隊の事務室にて業務を終え、非番で一日自宅にいた藍子の元へと帰宅する。
―◆・◆・◆・◆・◆―
「おかえりなさい。お疲れ様でした、少佐」
いつものシンプルなシャツにパンツスタイルの藍子が、爽やかなエプロン姿でキッチンにいた。
制服姿のまま、エミリオはキッチンにいる彼女の元へとすぐに歩み寄る。そしていつもどおりに、背中から彼女を抱きしめた。
「少佐はやめろって何度言えばいい」
そんな不満を囁きながらも、エミリオはもう藍子の頬にただいまのキスをしていた。
「だって。お仕事から帰ってきたのだから、少佐として労っているんですけど」
「敬語もやめろ。俺はエミルと呼ばれて藍子に愛されたい」
時折、藍子が驚いた顔で後ろにいるエミリオを見上げることがある。
おたまを片手にスープを仕上げていたその手を止めた藍子の目に、エミリオは『なんだ?』と問いかける。
「ほんと、エミルってストレートで時々びっくりするの。でも、嬉しい」
藍子に愛されたい――と言ったことがストレートだと伝わったらしい。
「きっと藤沢のお父様に似たんだね。お父様もすっごいストレートにエレンママに愛している愛してるって言っていたもの」
「はあ? 俺は熊オヤジとは違うからな」
せっかく藍子の匂いを優しくうっとり堪能していたに、今度はエミリオがびっくりして離れてしまった。そんな彼を見て、藍子が『ふふ』とおかしそうに笑い出す。
「クインがそんな慌てるなんて……。お父様最強」
いつになくエミリオは頬が熱くなり、思わず手で顔を覆って隠してしまった。
「くそ、パパのせいだ」
これも思わず出ていた呼び方。うっかり気を抜くと『パパ、ママ』になってしまう。でも藍子はもう笑わない。そんなエミリオへと振り向いて、今度は彼女から制服姿のエミリオに優しく抱きついてきた。
「嬉しい。そんな素のクイン……、知っているの私だけだね、きっと」
子供の頃から変わらずに『パパ、ママ』と呼ぶのを見せられる相手。それは家族に等しい。そう、この彼女はもうすぐエミリオの妻になる。
「私もパパ、ママて呼ぼうと思ってるの」
「うん、喜ぶと思う」
すごいリアクションで大喜びをする両親が目に浮かぶ。二人揃って藍子に抱きついて『嬉しい。もう一度呼んでくれ、呼んでちょうだい』とハイテンションになる姿が浮かんでしまいエミリオは少しげんなりとしつつも、そうして藍子が馴染んでくれることはとても嬉しい。
今夜も藍子がこしらえたスープからは美瑛の匂いがする。温かな幸福とはこういうものなのかと、エミリオも藍子を抱きしめる。
海人のことは、本当は知って欲しくない。優しい藍子は、信頼する相棒の家族のことを知って心を痛めるに違いない。海人もきっと誰であっても、家族のそんな辛い過去には触れて欲しくないはずだ。
しかしそんな祈りは届かなかった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
翌日、ウィラード大佐が指定した『打ち合わせ』が行われる。
場所はサラマンダー飛行隊がミーティングで使っている一室。そこに『最後の演習』に参加する隊員が揃った。
集合した隊員を確認し、エミリオは銀次と共に絶句しつつも『昨日の部隊長が確認したかったことはこれだったのか』とも理解した。
「よろしく、シルバーにクイン。私たちも参加させてもらうことになって呼ばれたんだ」
サラマンダーの部署まで来てくれたのは、ジェイブルーの岩長部隊長、パイロットに藍子と海人、そして彼等の先輩ペアになる菅野と城田が連れられてきていた。
藍子もこの日になって初めて聞かされたのか、エミリオと目が合うなり戸惑いの表情を浮かべている。
だよな。昨夜の藍子はなにもしらない様子だったとエミリオも感じている。それは海人も同じのようで、海人は海人でどこか警戒している目つきになっている。
その不信感、エミリオもわかる。何故なら、さらに招集された隊員だった。海人がまずその隊員たちに気易く問いかける。
「なんで、ゴリラさんとフジヤマさんもここにいらっしゃるのですか。おかしいですよね。仮想敵と演習をする現場のパイロットではないですか」
そうなのだ。いつもはサラマンダーと演習で対決するはずの雷神のベテランパイロットが二人も呼ばれている。
「俺はもう引退するし」
雷神在籍年数も長いが、パイロット引退を控えているゴリラこと『モリス中佐』が親しげな口調で海人に答えた。
「自分も、来月にはそこにいるシルバーとクインと入れ替わりで、サラマンダーの一員になる。これから所属する部隊に呼ばれただけ」
こちらフジヤマこと『裾野少佐』も御園のお坊っちゃんでも、何食わぬ顔で返答した。
それでも海人は眉をひそめて二人に言い放つ。
「どっちも双子の面倒を見てきたおじ様ではないですか。なんかきな臭いな」
さらに海人が不信を最大限に抱く人もここに来ていた。海人がパイロットが集まっているこの部屋の片隅にいる女性へと振り返った。
「なんで心優さんがいるんだよ」
海人が言うとおり。そこに連隊長秘書室にいるはずの園田心優少佐が控えていた。
彼女は海人と目があっても、いつもの愛らしい笑顔をにっこりと浮かべているだけ。
「心優さんて、素直そうな笑顔が素敵なんだけど、最近あの素直そうな笑顔が武器になりすぎて怪しい」
連隊長がいちばんの信頼を置く秘書官を捕まえて(しかも上官)、そんな口をきく海人に皆がおいおいと苦笑いを浮かべると、坊ちゃんのお目付と言われている岩長部隊長が『こら海人、口のきき方』と注意をした。
銀次がそっとエミリオへと耳打ちをしてきた。
「海人がいるから確認されたんだな。だとしたら、なんだ、母親の御園少将と関係がある演習なのか」
「まだわかりませんけれど、きっとそうなのでしょう」
エミリオは藍子を見つめた。本日、パイロットとして集まった者は、エミリオも藍子もフライトスーツ姿だった。だが今日の藍子はどうしたことか、いつもピシッとひとつに束ねている黒髪を下ろしていて、女らしい雰囲気になっている。
近頃、帰宅すると彼女が髪をほどいていることが多い。『事務の時はおろしてる、楽だから……』と言っていたが、柔らかい雰囲気になってエミリオは気に入っていた。
そんなパイロットモードを解除している藍子は、ただ婚約者のエミリオとまた演習が一緒になったぐらいの戸惑いしかないことだろう。
※『御園のタブー』とは⇒
お許しください、大佐殿 本編 16話タブーには気をつけろ
https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054887097420/episodes/1177354054887827683
(葉月の過去とお家事情と、横須賀訓練校の不祥事が繋がるものです)
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