7.木から落ちるなよ



「お疲れっ。岩国105、いい仕事していたな」


 そしてこちらも先輩の銀次が気さくに声をかけた。


「ありがとうございます。離れた場所でしたが、空海とサラマンダーの演習が見ることが出来て興奮していましたよ」


 そしてまたカープ、斉藤准尉が返答する。藍子もそばでにっこりと微笑んで頷いているだけ。


「いやいや。こっちも105が常に視界に入ってくるので気になったほど、素晴らしい追跡だったよ」


「あ、もしかして邪魔な位置取りでしたか。アイアイの操縦……」


 どうやらこのペアのリーダーは男のカープらしく、藍子はひっそりと控えているだけだった。


「そう言いたかったんじゃないよ。仮想敵を演じているこっちが気になるってことは、ちゃんと追跡が出来ている、仕事が素晴らしいってことだよ」


「うわ、サラマンダーのパイロットに言って頂けるだなんて感激です!」


 相棒の男は感情表現が豊かなようだったが、後ろに控えている藍子はそっと微笑むだけだった。


 そこは銀次も気になったのか、相棒の後ろで気後れした様子の藍子に先輩らしく優しく声をかける。


「アイアイの操縦、お見事だったよ」


 やっと彼女が声を発する。


「ありがとうございます」


 今度の声ははっきりしていて、そして落ち着いて綺麗に聞こえた。


「な、クイン。いい仕事だったよな」


「そうですね。あれだけ追跡してもらえれば、こちらにも情報が集まりますからね」


 これからもあのフライトで情報を集めて欲しいとサラマンダーのパイロットとして伝えるつもりで、エミリオは初めて藍子を直視する。なのに、また怯えたようにして、あろうことか藍子がさっと斉藤の背に隠れるようにエミリオの視線を避けた。


「これから岩国に戻るんだろう。気をつけて帰投を」


 銀次もなにか悟ったのか、にっこり微笑んで岩国105ペアに今回の演習終了を労った。


「お疲れ様でした」


「ありがとうございました」


 岩国の二人が銀次とエミリオが先に棟舎に入れるように、道を空け敬礼をしてくれた。


「お疲れ様」


 銀次も軽い敬礼を返しながら、二人の前を通り、空けてくれた道をゆき入口のドアを開ける。


 エミリオも二人の前を通りすがろうとするのだが、そんな時になって、敬礼をしてくれている藍子と目が合う。


「木から落ちるなよ。南のお猿アイアイ、モンキーちゃん」


 斉藤も藍子も非常に驚いた表情を見せた。やがてカープはなんとか笑顔で流そうと苦笑いになり、藍子は青ざめて震えているようにも見えた。そしてエミリオの前を歩いていた銀次はドン引きした顔になっていた。


 さらに。エミリオも口でそう言っておきながら、心の中では『しまった』だった。


 だけど、ここは上官であってサラマンダーのパイロットとして何食わぬ顔で岩国ペアの前を通りすぎる。


 棟舎の中に入ってすぐ、銀次に諫められる。


「おい、どうしたんだよ。おまえらしくない。そんなに苛ついていたのか、あの子の操縦」


「讃えてますよ。だからそう伝えようとしたんですよ。でも……、なんか、あの相棒の男に対応は任せっきりというか……。自信のなさそうなのが……、あんないい操縦をするのに」


「ああ、なるほど。いい仕事をしているのに、私なんてダメですというのは俺も苦手。誇りを持って堂々とすべきだよな、っていうか、彼女そんなふうに俺は見えなかったけどな」


 まるでエミリオが特に意識しているかのような先輩の言い方。いや、エミリオも自覚する。意識しているんだ、俺。何故、どうしてだ?


「わかるな~。美しすぎるパイロットを目の前にしちゃったら、女の子だって怖じ気づくよな~」


「その、美しすぎるは広報が勝手に宣伝用につけただけですからね。そのせいで、あんなに敬遠してくれなくても」


「ぐいぐいくる女よりずっとマシじゃねえかよ。おまえ、そういう女が来たって喜ばないじゃねえかよ。だったらアイアイちゃんぐらい怖がってくれた方がおまえも安心じゃね?」


「怖がってるてなんですか。俺はそんなつもりで言ったわけじゃない」


「はあ? 女の子に向かって美しい顔でモンキーちゃん今後も間違えるなよ的なこと言われたら、そりゃあ、怖い悪魔なクイン様、火蜥蜴に見えちゃったことでしょうねえ、ねえ、エミル君? どうしちゃったのかな~」


 さらにニヤニヤされた。そしてエミリオも密かに反省……、もうこの先輩から離れて一人になりたい。


『大丈夫だって、気にすんな。おまえの操縦を認めてくれたんだって。軍隊の男はああいう言い方をするんだって知ってるだろ。向こうはあのマリンスワローを経由してきた強者なんだからさ』


 しかも背後からそんな斉藤准尉の声が聞こえてきた。


 銀次も聞こえたのか、またエミリオを見てちょっと残念そうな溜め息をついた。


「いつかフォローしてやれよ。繊細な子かもしれないだろ」


「はい……。わかりました」


 その時はほんとうにそう思っていた。


 なのに。藍子はいつだって斉藤准尉ことカープの隣にくっついていて、声をかけてもいつだってカープが受け答えをする。彼女に声が届くのは『モンキーちゃん』と呼んだ時だけ。


 いつだって斉藤の顔を見た時だけ笑顔であって、どんなに他の男が話しかけてもひっそりと控えめにして、だいたいがカープが対応している。


 そして自信のなさそうな顔に瞳。『私なんて……』。そんな空気感を醸し出している彼女にいつも苛立ちを覚えた。


 また小笠原と岩国と離れてしまうと、次に藍子に会えるのは数ヶ月後か半年後。遠い存在の彼女が常に頭の中や心を占めることもない。会った時だけに湧き上がる不思議な感情は三年経っても変わらなかった。


 だがエミリオの目の前に、岩国いるはずの藍子は時々存在感を醸し出す。


『本日届いたジェイブルー撮影のデータを分析して演習を計画する。まずはこの撮影から……』


 毎日行われるアグレッサー部隊、サラマンダーの演習計画ミーティングでは、全国各基地の管轄で撮影された侵犯措置の防衛画像を確認していく。


 いま領空でなにが起きているのか、脅威なのか、注意すべきなのか。現場までやってきた国外戦闘機と戦闘機部隊の対応を知るために、ジェイブルーが撮影した映像も毎日閲覧する。


「あ、また岩国105が撮影したものだな。いつもいい角度でわかりやすいもの撮ってくるな」


 銀次もサラマンダーの先輩たちも、部隊長でさえも、ジェイブルー105の資料はいい資料だと評価していた。


 それはもちろんエミリオもだった。彼女が操縦した機体でいい記録を撮ってきたと知っては、どこか安心をして、心ではよくやった、よくやっているとほっとする。


 この仕事を彼女には精進して欲しいし、続けて欲しい。せっかくの才能だ。でも彼女も女性だ、いろいろあることだろう。そう思って、彼女が研修にやってくるとなにか彼女の力になれないかと気持ちがうずうずする。


 でもこちらは演習では仮想敵、つまり悪役のヒール。ヒールは手助けなどしてはいけない。でも自信を持って欲しい。


 特にちょっと前にカープが結婚したと聞いた後の小笠原での研修にきた藍子は、元気のない顔をしていた。


 めげるんじゃない。男のことなんかでパイロットを辞めるなよ。男なんて他にいっぱいいる。そいつだけに拘るな。アイアイ、もっと外に目を向けろ。アイアイ、これからもパイロットとして空を飛ぶんだ。


 エミリオの気持ちはいつだってそうだったのに、近づけば『モンキーちゃん、しっかり飛べよ』だけになってしまう。


 これでもだいぶフォローしているつもりだったし、それしか言えない立場でもあった。




「嫌な男だったな、俺――」



 その俺が、アイアイの、あの時のモンキーちゃんの夫になろうとしている。


 毎日彼女が目の前で、じっとエミリオの翠の瞳を愛おしそうに見つめてくれる。


 そしてその視線をいまエミリオが独占している。藍子、そう……、やっぱり外は見ないでくれ。藍子の純で一途な眼差しはそのまま、あの時のまま、今度は俺のもので……。


 文庫本を胸の上に開いたまま……。エミリオはついに微睡む。


 ただいま、エミル。


 柔らかく温かいなにかが、エミリオの目元に落ちてきた。

 夢うつつ、黒髪の藍の彼女が微笑んでいる。浅い眠りの中、エミリオは彼女の帰りを待っている。

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