49.エミルの傷


 ふたりで向きあって遅めのブランチ。


 海人の自宅でも、悪友の男同士で食卓を楽しんでいるだろうことを、藍子はエミリオに話した。


「なんだ、俺以外の男の裸を見たって言うのか」


「そういう言い方やめて。上だけ素肌で出てきたの。すごい鍛えた身体だったわよ」


「俺たち、専用ジムで空き時間に鍛えているからな」


「でも。女の子たちに、遠い人だと言われるんだって。私は女の子に共感する。私もエミルはクインとして遠かったから」


 カフェオレボウルに入れた海人のミネストローネ、そこにちぎったパンを浸しながら食べるのはアメリカンらしいと、そんな彼がスープのついたパンを頬張るのを藍子は眺める。


「俺にとっても藍子は遠かったけれどな」


「そう? 私なんて」


 ああ、こういう言い方。もうやめなくちゃと藍子は自分から口をつぐんだ。


「私なんてじゃなくて。藍子はカープしか見えていなかっただろ」


「う、うん。候補生の時から一緒だったから」


「小笠原のパイロットたちも言っていた。アイアイはカープがいるからダメだってね」


 ドキリとする。やっぱり他のパイロットや男性から見ても私の祐也への気持ちばればれだったんじゃないと。


「おっと、藍子がカープに恋をしていたなんて噂はなかったから安心しろ。むしろ、アイアイは飛ぶことしか考えていないだろうという男たちの見解だ」


「確かに。斉藤と飛べればそれでいいと思っていたから」


「藍子は気がついていないだろうな、カープもだ。誰も入る余地のない空気がふたりにはあった」


「入る余地のない?」


 初めて言われた言葉で藍子は目を丸くした。


「斉藤も気がついてなかっただろうな。男と女でもない独特な空気感だ。だからなのか、斉藤が藍子以外の女と結婚したと知った時はどの男も驚いていたよ。でも藍子とはそれからの数年も飛び続けていた。余計に男たちは、藍子はパイロットとしての道が女としてより優先で、斉藤と離れることはないと確信してしまったんだろう」


 祐也が結婚して以後も、藍子は相棒でありつづけようと必死だったのは確かだった。


「俺は違った。あと……、スコーピオンのウィラード大佐も似たようなことを言っていたな。あのペアはあと数年かもしれないってね」


「そ、そうなの!」


 藍子はびっくりする。他の男たちパイロットたちがどう見ようとも、雷神のリーダーでもあって今やサラマンダーの部隊長をしている大佐の目がそう予測していたことに。しかもエミリオも。


「ウィラード大佐は職務的な目線での予測だっただろうが、俺は違う。俺は藍子がいつまでその危うい心で飛び続けられるかだった。出来れば、早くカープだけしか見えていないことから他の世界があることに気がつき、新しい環境に踏みだす勇気を持って欲しいと感じていた」


「そんな前から……? ど、どうして」


 海人のミネストローネをパンと一緒に食べ続けていたエミリオが溜め息をついた。


「わかるんだよ。俺もな、二度ほど、好きだった女がなにも言わずにさっと、俺の目の前で結婚してしまったからな」


 え? 急にエミリオの過去が差し込まれて、藍子は唖然とした。


「さっきの。横須賀の准将の妻になった女の話だよ」


 藍子が教えて欲しい、パーティーに付き添うためにとお願いしたことをいま彼が話そうとしていた。


「准将の妻になった女が、最初の女だったわけだが。その後、もう一人。まともな彼女もいた」


 エミリオが恋人だったと言える女性は二人いたということらしい。


 一人目は今度パーティに来るという男喰い、二人目はまともな彼女? まともという言い方が気になるが、エミリオは続ける。


「まともだった彼女ではあったんだが、付き合っているその最中に、急に他の男と結婚することになったと別れを切り出された。彼女は横須賀の事務官だったのでしばらくは働いていた。結婚して俺とのことはなかったように妻として歩み始めた彼女を見るのは辛かった。そういう大きな存在である相手が突然結婚してしまう置いて行かれた気持ち、そういうのを藍子からも見えてしまっていたんだ」


 エミリオが、近寄りがたい美しすぎるパイロットと呼ばれている彼が……、藍子と同じような傷を持っていた。


 だから? だから藍子を気にしてくれていた? 徐々に繋がってくる点と線、エミリオと藍子を引き寄せた様々なものがわかってくる。


「もしかして……。その横須賀の事務官だったという彼女も、私みたいに、エミルを遠くかんじて?」


「横須賀にいた時は、俺も空母艦の航海に良く出ていたから、留守の間が寂しかったんだろう。地上勤務の男と結婚した」


 それなら三年以上前のこと。しかし女性を迎え入れる準備が整っていたことが藍子はふと気にはなったが、男盛りの美しすぎるパイロットがその気になればひと晩ぐらいは相手も見つかったのかもしれないし、それ以上の彼の過去と女性遍歴はもうさぐらないようにしようという気持ちになってしまった。


 だが知っておかねばならない女性があとひとり。


「今度、パーティーにくる奥様は……、どんな人だったの? エミルはどうして怒っているの?」


 エミリオも藍子の目を見て逃げようとせず、真摯に話してくれる。


「若かった俺は年上の美しい女に夢中になって、しかも若かったから気持ちも真っ直ぐすぎて、綺麗なところしか信じていなかったし、世の中は、俺のまわりには綺麗なことしか起きないと思っていたからな」


 つまり純粋な青年だったということらしい。そして彼女は年上の美人ということらしい。


「あっちは大人の女性だったから夢中になったし、男として背伸びもした。彼女は俺のそういうところを楽しむだけ楽しんで、ある日突然、会いに来なくなったと思ったら、俺の上司と結婚すると冷たく言って俺を拒否したんだ」


「エミルの、上司? まさかその横須賀の准将って……」


「最初に所属したフライトチームのリーダーだった。烏丸准将だ」


「知ってる。空母艦の艦長を何度かしているよね」


 しかも男前。若い時はきっともっと素敵なパイロットだったはず! そんな男前パイロットで准将で艦長も務めている男のなにが不満なのか藍子はわからない。


「だから言ってるだろ。男喰いだって。艦長なんて二ヶ月以上も留守にするんだぞ。男好きのあの女が大人しくしているはずもなければ、若さも下り坂になった夫で満足しているはずがない」


「烏丸准将はそんな奥さんを放っておいているの?」


「話を戻す。俺と彼女が付き合っていたと言ったが、彼女がつきあっていたのは俺と烏丸さんだけではなかった」


 えー、二股じゃなくて、結婚した烏丸准将を入れたら三股!? 藍子は仰天する。


「いま藍子は頭の中で三股だと思っただろうが、七股だ」


 なにも聞いていないのに、先を読んだ返答にさらに予想外の返答に藍子はもう気が遠くなりそうに……。


「だから藍子。ある意味安心しろ。俺は騙されていたし、あの女は俺に執着していたわけではない。夫になる男がいたフライトチームの男、全員喰って、食い尽くして楽しんだあと、将来有望なリーダー機の男、烏丸さんを選んだだけだ」


「選んだ、だけって……」


 藍子は拳を握って震えていた。女としての凄まじい強欲も驚きだが、フライトチームの男を全員喰ったというバイタリティにも呆気にとられる。


「俺は真相を知って『クソ! 二度と美女だからって騙されねえ』と心に誓ったが、あまりのショックに有望だったのにパイロットも海軍も辞めてしまった同僚もいる。俺はそのことがいまも自分のこと以上に悔しく、彼女のことも、そんな彼女の素性をなんとなく知りながら結婚して、部下を見捨てた烏丸さんのことも許していない」


「烏丸准将、そこ見過ごしちゃったの?」


「あの女に絆されていたからなあっさりと」


 スープを食べ終わったエミリオの目が光った。


「そのツケが回ってきたんだよ。いま。あの准将が出世はしても御園家のパーティーに来ることになったのはそういうことだ。今度はきっちり精算してもらう」


 え、どういうこと? 藍子にはまだわからない。ツケが回ってきたてなに?


 それにしてもエミリオの目が怖い。アグレッサーの獲物を捕らえたサラマンダーの目になっている!


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