カクヨム先行 おまけ① ほーら、やっぱり恋!(エミリオ視点)
わりと嫌だなと思っている予感が当たる。
若いときはそんなことは一切なかったが、この歳になってからは特に。
ただ周りをバカ正直に信じていることだけが、自分のためだと思わなくなっていたからだ。
この日、その予感が当たった。
「エミリオ、ちょっといいか」
小笠原アグレッサー飛行隊 飛行隊長のクライトン中佐に呼ばれる。
訓練校内にある部隊事務室にて、事務を行うサラマンダーパイロットが集うデスクがあるそこで、手招きをされた。
飛行隊長のデスクだけ、窓際にある。そこへとエミリオは制服姿で向かった。
「いまから部隊長室へ、俺と一緒に来て欲しいと連絡があった」
「そうですか。なんでしょう」
「さあ、俺もわからない。心当たりはないのか」
「ない、……ですね」
若干、なくもないが。まさか、そんなことはあるまいとエミリオは思っている。
僚機で先輩でもあるサラマンダー3号機『シルバー』、柳田少佐に、部隊長室へ行ってくると伝えると彼も『ええ、なんだよ。それ、おまえ大丈夫なのか』と心配されたが、大丈夫ですよと伝えてエミリオはサラマンダー飛行隊の事務室を、クライトン中佐と共に出た。
部隊長室はすぐそこ。
クライトン中佐がドアをノックして、一緒に入室をしてくれる。
「お呼びでしたでしょうか。ウィラード部隊長。戸塚を連れてきましたよ」
「失礼いたします。お疲れ様です。戸塚です」
奥のデスク、窓辺へと向いて滑走路を眺めている大佐の後ろ姿がある。
金髪の大佐が、離陸したばかりの中等練習機を眺めていた姿勢から、こちらへと振り返る。
「うん、ご苦労様。こちらへ来てくれ」
部隊長室は広めの個室で、こちらも窓の前に大佐の大きいデスクがあり、補佐官のデスクも一名分、隣に控えさせていた。だが補佐官は不在。部隊長だけが、この部屋にいる。
窓にはパイロット候補生が練習機で飛たっていく機体が空を横切っていくところで、戦闘機より軽やかな飛行音が室内に響いた。
部下がなにをしたのかと訝しげで不安そうなクライトン中佐と共に、エミリオは部隊長の大きいデスクへと向かう。
「戸塚に聞いておきたいことがある」
飛行隊長と共にデスクの間近へと歩み寄る。
敬礼をして挨拶をすると、そのあとすぐに、ウィラード大佐のデスクの上にそれが置かれた。
「え……」
驚いたのはエミリオではなく、それを目にしたクライトン中佐のほうだった。
エミリオはひと目みて、『おい、正気かよ』と呆れたため息が出ただけ。
そこには、藍子が住まう官舎の玄関で、自分が彼女を抱きしめているところを撮影されたものだった。
あのとき、斉藤准尉の妻がスマートフォンで撮ったもので間違いない。
「これが、本部事務局に届いたそうだ」
これを撮影した人間はひとりだけ。斉藤の妻だったが、まさか本当に、しかも小笠原本部に送りつけてくるとはエミリオにも驚きだった。
嫌な予感あたったなと、エミリオは顔をしかめる。本当にやるとは思っていなかったが、やるかもしれないという懸念も捨てていなかったのだ。
ウィラード大佐も呆れた様子だった。
どちらに呆れているのか、俺なのかあちらなのかとエミリオは迷い、まだ反応せずにいる。
頭の中にあるのは、彼女、藍子が不利にならないように――。それだけが頭の中に巡り回っている。
だが間髪入れず、部下の行動には責任があるクライトン中佐が慌てて問う。
「ですが。大佐。隊員のプライベートを追求する義務までは、私たちにはありませんでしょう。呼ばれたのはどういったことがあってのことですか」
「戸塚が、この官舎に住まう隊員の家族を恫喝していたという通報だとのことだ」
「恫喝!」
「さらに。官舎で淫らな男女交際が透けて見えるのは不愉快だ――とのことで、この画像付きの通報だったとのことだ」
クライトン中佐が、また驚きおののき、意外そうにエミリオを見た。
「と、いうクレームのようなものが届いたので、真偽のほどを確認するようにと、御園隼人准将からの指示でこうして尋ねている」
「隼人さんからの指示なんですか」
クライトン中佐の確認に、ウィラード大佐も静かに頷いた。
「最近、こうしたトラブルもぜんぶ隼人さんがいちいち把握して真偽を判断しているからな。しかも、いま自分の息子が業務で滞在している岩国基地で、さらに、息子の新しい相棒となった女性隊員にこのような通報などが来てしまっては、そりゃあ、見過ごせないだろう」
大佐のその言葉を聞いて、エミリオは驚く。
「朝田の新しい相棒とは、御園海曹のことだったのですか」
藍子からはまだなにも聞かされていなかったエミリオだから、ここで初めて知り、そして安堵する。
御園家の隊員が関わるなら、もう彼女は安泰だ。あの家のバックアップを得たも同然だからだ。
「というか、エミリオ。おまえいま『ああ、よかった。彼女には御園がバックにつく。これで面倒なことも守ってもらえる』という顔に俺には見えたぞ」
ウィラード大佐の鋭い突っ込みが図星すぎて、ここでエミリオは初めて気恥ずかしさを感じ、顔に出してしまった。
「フレディ、どう思った。おまえ。俺はこの画像を見ても。ああやっぱり、だったな」
「はあ、まあ、そうですね」
エミリオもわかっている。クインはアイアイをいちいち意識して、いつもは冷静な仕事の調子を狂わせることがあると、この大佐に見抜かれていることを。イコール、『クイン、おまえは彼女を意識していた。恋仲になっていても驚かない』と言われているのだ。
「ですが、官舎で淫らな男女交際が透けて見えるのは不愉快だというのは、既婚者である自分も納得いきません。そんなことを言うなら、私たちが住まうアメリカキャンプの町内なんて、男女の関係が透けっぱなしということになるではないですか」
「そうだな。なので、そこは横におく。恫喝について聴きたい」
「うちの戸塚が隊員ならともかく、隊員の家族を、他基地の官舎で恫喝したという通報が来たのはどういうことなのですか」
クライトン中佐は、エミリオの直属の上司としてとにかくそこが気になるようだった。
有給休暇を許可した立場もあるのだろう。
「うーん、俺が岩国から聞き及んでいることもあるので、戸塚が恫喝したとは思ってはいないが。一応、確認しておく」
きっとウィラード大佐は、岩国のジェイブルー部隊長の河原田中佐と情報のやり取りをしていて、斉藤夫妻のことを知っているのだと、エミリオは確信する。
本当にエミリオに問題があると確信しているのなら、ウィラード大佐ほどの上官はもっと険しく厳しく追及する姿勢を見せるはずなのだ。
なのに歯切れも悪く、ああこんなこと問うべきなのかと面倒くさそうな様子なのは、エミリオから見ても明らかだった。
「えー、恫喝とはどういったことなのか。経緯を説明せよ」
面倒くさそうであって、馬鹿馬鹿しい様子を見せてくれるのは『戸塚はそんなことはしない』と信じてくれているからなのだ。或いは、あちら岩国の斉藤夫妻の事情を知っていて、呆れているからなのだ。
「隼人さんに報告しなくてはいけないんだ。俺だってこんな、部下のプライベートだろうと突き返したいけどな」
「いいえ。お答えします」
むしろ、こちらに取っては好都合。
エミリオはにんまりと笑いたくなったが必死に抑えた。
これで藍子を救えるだろう。
「覚えがあるのは、斉藤准尉の妻に対してちょっとした注意をしたことでしょうか」
「ちょっとしたとは」
「朝田准尉を訪ねるために有給休暇をいただき、岩国基地経由でそちらの官舎にいたことは認めます。かねてより宮島の厳島神社に行きたいと思っておりましたので、朝田准尉には案内をお願いしました。彼女と訪ねた時にちょうど、彼女の帰宅を待ち合わせていた斉藤の奥様が、朝田を引き留め、小笠原への転属を朝田だけ断り夫だけ転属できるようにしてほしいなどと、無茶な要求をしていたのを目撃してしまいましたので」
「……夫の仕事相手に、夫と転属せねばならない業務なのに、片方だけ断って夫だけ行けるように? と??」
さすがのウィラード大佐も、理解不能とばかりに眉をひそめた。
隣で静かに控えているクライトン中佐さえも、ため息をついている。
「しかも。朝田の冷静な聡しも聞かずに、こちらは家庭があるから夫にはステップアップをして欲しいが、そちらは独身だからステップアップをしなくても、独りでなんとか生きていけるだろうとか言い出したので、他基地の隊員の関係については首は突っ込むまいと決めて、黙って控えていましたが、そこは上官として我慢なりませんでした」
藍子のためだけではない。エミリオも一隊員として、軍人とはなにかを家族には認識しておいてほしい気持ちがあってのこと。
だから、部隊長に堂々と告げる。
「隊員は家族の理解と支えなしでは任務に安心して励むことはできません。それは隊員とチームを組んでいる他の同僚にも及びます。ましてや、ペアでステップアップのチャンスであるのに、家族感情が優先しては、その話も活きることはないかと思いました。斉藤准尉にとってもよくない方向へ行きますから、不満があるなら、仕事相手よりも夫と話し合うべきではないかと、私から伝えました。そのことについて、恫喝だとその奥様に言われたのは確かです。望みどおりの返答ではなかったためかと思われます。その翌朝も、斉藤准尉と奥様がともに朝田の自宅を訪ねてきて、妻を恫喝したのかと夫として斉藤准尉が私自身に問いただしにきましたので、同じように、夫妻で話し合うべきと説きましたが、それについても、奥様は立場が弱い夫を恫喝したパワハラとして訴えるとも仰っていましたね。どうぞと伝えました。一般人のご家族に、少佐としてのきつい物言いだったことは認めますし、夫が業務内容の詳細を家族にも伝えることができない守秘義務があるばかりに、ご家族が任務に理解できず、疎くなるのも仕方がないとは思っています」
それを聞き届けたウィラード大佐も、腕を組んで妙に頷いてくれている。
「まさかの小笠原本部に送ってきたのが、運の尽きだったな。これでは隼人さんの目に触れてしまうからな。最近、あそこに届く通報などは、隼人さんが神経を尖らせて逐一チェックしているとのことだ。奥様が連隊長になられたから、小さなことでも、懸念するようなリスクの芽は早い内に摘みたいというお考えがあるのだろう」
つまり、今回の『岩国105ペアの不仲と諍い』が、小笠原上層部に目を光らせている男の知るところとなってしまったということらしい。
「残念だが、これで斉藤と朝田はなんら問題もないペアとしては見てもらえなくなり、今回で解散をすることになった。決定打だ。隼人さんの目につかなければ、ただの隊員の諍いで終わっただろうけれど。……おそらく、エミリオが広報重宝されている隊員であること、将来を担うファイターパイロットに汚点をつけさせたくなかったのだろう。小笠原側として本当にこちら基地の隊員の落ち度なのか完全な裏取りが欲しかったというのが一点。もう一点は、息子の相棒として朝田を完全な形で小笠原に引き抜こうと本気を出したんだろうな。つまり、後戻りもできない解散に追い込んでやろうと思っていたんだろう。そういうことができる人なんだよ。あの人に目をつけられたら、岩国も斉藤もぐうの音がでないだろう。カープは失敗したな。もう少し、妻をコントロールしておくべきだった」
そんなことはきっと、隊員の誰もが思うこと、気がつくことだったはずなのだ。
斉藤は藍子という長年の同期に甘えすぎていた。そして藍子も、そこまでの関係に沈めてしまったのだ。
そこはお互い様だと少佐としてのエミリオは思っている。
「で。個人的にひっじょーに気になるので、俺の感情だけで問う。この写真にあるのは事実なのか?」
ウィラード大佐がニヤニヤしながら、藍子自宅の玄関先で彼女を抱きしめているエミリオが映る画像プリントを突きつけてくる。
「個人的にと仰るなら。そんなことを隊員に聞いてはいけないでしょう。スナイダー先輩」
エミリオの直属の上司として、個人的感情からも、スプリンター先輩がかばってくれているのがわかる。
しかし、エミリオも腹をくくった。彼女のためだ。
「はい、そうです。恋仲です」
クライトン中佐はさらに驚き、スコーピオンのウィラード大佐は『俺の感、大当たり』とばかりに、滅多に見せない満面の笑みになる。
「お、そうか。そうかそうか。やっぱりなー! エミリオはいつもアイアイを意識してただろう。この前なんか、減点方式の本来の目的がわかるようなことを朝田に伝えてしまうところだったし、ムキになった挙げ句が、中等連絡機程度の機体に真上を取られる機動を許し……」
うわ、これ以上はアグレッサーとして聞くに堪えない! とエミリオもさすがに焦る。
「それとこれとは違いますから。勘弁してください。あれが彼女の実力で感性なんです」
「ほーら。アイアイのことを随分と前から認めていただろ、気にしていただろ」
「せっかくの逸材です。女性というだけで辞めたらもったいないと思っていただけです」
もう破れかぶれで言い切っていたが、部隊長はまだまだ許してくれずに詰め寄ってくる。
「このまえの休暇。宮島に行きたかっただなんて口実だよな!」
「いえ、口実ではなく、本当に以前から行きたかったものですから。彼女のことは、その、ついでの様子見で」
「宮島がついでだったんだろ! そうかそうかー。わかったわかった」
そういったウィラード大佐が、玄関先で藍子をかばうように抱きしめているエミリオとの画像ペーパーをくしゃくしゃと丸めると、ゴミ箱にぽいと捨てた。
「以上。隊員のプライベートについては、なに知らない。恫喝の経緯については、こちらから御園准将へ報告しておく。安心しろ」
よかったな、安心した――と、クライトン中佐も胸をなで下ろして微笑んでくれた。
部隊長室を出て、サラマンダーの事務室に戻る。
飛行隊長デスクに戻ったクライトン中佐も、何事もなかったように、いつものクールな面差しで席に着いた。
エミリオも同じく、何事もなかったようにデスクに戻る。
だが隣のデスクにいる相棒は流してくれない。
「エミリオ、なんだったんだよ」
シルバー先輩に問われたが、エミリオはだんまりを決め込んでいた。
そのうちに、クライトン中佐が、すぐ目の前のデスクにいる鈴木少佐に声を掛け、休憩に行ってくると事務室をふたりで出て行った。
クライトン中佐と鈴木少佐は親友であって相棒。常に一緒にいて、休憩も一緒であるのは自然なこと。それでもエミリオは悟る。
ああ、スプリンター飛行隊長殿は、鈴木少佐、相棒のバレットさんに、俺のことを話してしまうんだな。藍子と恋仲と報告してしまうんだろうな――と。
エミリオも。本日の訓練報告日誌をパソコンでつけながら、落ち着かなくなる。
きっと藍子にも恫喝問題の査問が行くだろう。彼女のことだ、エミリオ自身が『俺はかまなわない』と言っているのに『偽の恋人だなんて嘘はつけない』と気に病むだろう。
「席を離れます」
隣の先輩にひと声かけ、トイレに行くふりをしてエミリオは事務室をそっと出る。
近くのドリンク休憩ができるブースに身を潜め、急いでスマートフォンで彼女にメッセージを送る。
強く言っておこう。
彼女にはそれぐらいがちょうど良い。
【 恋仲と言っておけ 】
上官命令だと、彼女は思ってくれるだろう……。
そういまは上官。戸塚少佐のまま。
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